第50章『戦場の到着者達』
告げる喇叭は響かずとも——
『戦闘開始と行こうか』
「と、とらさん!?」
迫り来るヒュドラとこちらの間に舞い降りた黒衣の戦士を視界に捉えた瞬間、懐かしい名が口をついていた。
数年前に半年程面倒を見て貰っただけの相手ではあるが、その強さや仕事振りに畏敬の念を絶やしたことはなかった。
「久し振りだな、ローウェン——立て込んでる所悪いが」
名を呼ばれ、それだけの事で鼓動が跳ね上がるのを感じる。
「俺達も、こいつに用があるんでな——手ぇ貸させてもらうぜ」
背中越しでも、彼が今不敵な笑みを浮かべているのが理解出来る。
その姿に頼もしさを感じずにはいられなかったが、
「だ、駄目です! こいつはただのヒュドラじゃないんです!」
「あん?」
幾らギルドの英雄と称されるとらであっても、不可解な特性を持つ相手に無策で立ち向かうのは自殺行為でしかない。
ここに居る以上、異常個体の話は耳にしているはずだ。
しかし、迷宮区画の封鎖から日が浅い。
対策があるとは思えなかった。
彼もまた手探りのはずだと、そんな考えが浮かんだ瞬間に、とらを引き止める言葉を放っていた。
だが、こちらの制止を受けたとらは特に気にした様子もなく、
「だろうな」
「だろうなって、そんな——」
悠長な、と続く言葉は状況の変化を前に、声にならなかった。
全身を串刺しにされていたヒュドラが身を捩り、強引に拘束を抜け出してくる。
怨嗟の金切り声を挙げながら、しかし驚異的な再生能力により傷口はすぐさま塞がれていく。
「おー、こりゃ確かに厄介だな」
直面しているはずの窮地を感じさせない悠然とした態度に肝が冷えるのを感じる。
危機感がない、ということはないはずだ。
ならば、とらのこの余裕はどこから来るものなのか。
——策が、あるのか……?
このヒュドラに対して有効となる策を持ち合わせているのだろうか。
淡い期待が胸に浮かぶが、
「とりあえず、色々と試してみるか」
「……っ、無策なんですか!?」
儚く吹き飛ばされた期待の反動で、思わず声を荒げてしまう。
「——ッ!!!!」
そんなやり取りをしている間にもヒュドラが体勢を立て直し、再び襲い掛かって来る。
こちらを左右、そして上空の三方向から挟み打つように大樹のような首を撓らせて叩きつけようとしてくる。
——避けられない!
迎撃するしか生存の道はないと悟り、体内のマナを拳へと収束させていく。
だが、眼前のとらは特に身構えもせず、ヒュドラの動きを観察しているようであった。
「何を——!?」
抗議の声はしかし、直後の衝撃に吹き飛ばされてしまった。
「円旋蹴撃・墜!」
「氷狼滅牙・氷柱舞」
「——鎖状の戒めよ!」
三様の叫びが響いたかと思うと、右側から迫って来た三つ首は上空から飛来した一撃——回転の勢いを乗せた踵落としと共に放たれたマナの塊によって地面へと叩き付けられた。
左側の三本は流れる氷刃の舞で斬り付けられた直後、瞬く間に氷で覆われ、その動きを停止させたかと思うと、無数の氷片となって霧散していく。
残った首は周囲に浮かび上がった魔法陣から放たれた鎖状の拘束に囚われ、自由を奪われてしまった。
——な、何が……
一瞬の出来事に目を奪われ、視界が事象を捉えていても、状況を理解するのに時間が掛かってしまった。
混乱する思考が、とらに並び立つように現れた影を見付け、その姿が網膜に焼き付く。
純白の毛並みを持つ兎人族、研ぎ澄まされた冷気を纏った双剣を携えた剣士、そして白衣を羽織った学者然とした男。
先程とらがヒュドラに対して迎え撃つ素振りを見せなかったのは、
——来ると、分かっていたのか……!
つまり、この異色の者達はとらの仲間であるということだ。
それぞれの力量がかなりの高さにあるのは、直感で判断出来た。
一際目を惹かれたのは——銀髪の双剣士である。
視線を逸らせない。
底知れない何かを感じ取ったせいか、肌が粟立っていることに気付く。
いったい何者なのかという疑問を抱くが、今は誰何している場合ではない。
彼等が潰した首がまたしても再生を果たし、拘束していた魔法の鎖が引き千切られていく。
それでも動きが鈍っている今が退却する絶好のチャンスである。
しかし、とら達は依然としてヒュドラに向き合い、その場を離れる様子がなかった。
「アレが話してた通り、かなりの再生力だね」
「ど、どうやって倒せば良いのかな……」
「通常の魔物であればマナを枯渇させれば済む話ですが——」
「でしたら攻撃あるのみ、ですわね!」
甲高い女性の声が降り注いで来る。
直後、暴風が吹き荒び、身体が背後へと吹き飛ばされそうになるのを腰を落として堪える。
嵐の如く、縦横無尽に烈風が舞い踊り、ヒュドラの巨体を覆い隠していく。
「嵐刃疾風っ!」
轟風の刃を振るう女騎士に気付いた頃には、ヒュドラの体躯はどす黒い魔血に塗れた裂傷に覆われていた。
「どんなもんですの!」
と、高純度のマナを全身に纏った女騎士が技の残心を終え、得意げに胸を張ってみせた。
「やるじゃねぇか。頭に血が上ってなけりゃこれ程とはな」
「……褒め言葉として受け取っておきますわ」
「しかし、今のも駄目みたいですね」
女騎士をからかうようなとらの横で、学者らしい男性が興味深そうにヒュドラの様子を眺めていた。
「再生の際、オドからマナが供給されるはずなので、オドの位置さえ分かればそこを叩くのも一つの手、なんですがねぇ」
と、男性が困ったような、それでいてどこか間の抜けた声を漏らす。
その視線の先ではヒュドラの肉体が、時間が巻き戻されたかのように復元されている。
「気付いた時には全身にマナが充填されていて、その経路が読み取れませんね」
この短い間にそこまで見抜くのかと驚愕に息を呑む。
とら達は特に驚いた様子もなく、淡々と次の手をどうするかと話し合っていた。
「そうだ——ローウェン」
「は、はい!」
その途中でとらから呼び掛けられ、思わず震えた声を上げてしまう。
特に気にされることもなく、とらがこちらの全身へと視線を這わせ、
「お前は他の連中と一緒に退避しとけ」
「そんな!? 俺ならまだやれます!」
打つ手がないと退却を選んだのにどの口が、と思わなくはない。
だが、とら達が来てくれたことで希望が見えたような気がしたのだ。
ならば少しでも役に立とうと意気込み、通路への入口まで退避していた仲間達に戦闘継続の意思を伝えようとしたが、
「んなこと言って、かなり消耗してるじゃねぇかよ」
「それは……そうですが」
「心配すんな——ここで倒し切れるとは思っちゃいねぇからよ」
あくまで威力偵察だ、ととらが告げてくる。
その表情から、こちらが何を言っても意思を曲げないことを悟り、
「……あそこの通路の先に野営地用の広場があります。撤退するならそちらまで」
「了解だ」
後で合流出来るよう、こちらの行く先を告げると、とらからは短い返事だけが送られてくる。
早く行け、と言外に急かされているように感じ、後ろ髪を引かれながらも、退避を急ぐ。
「どうか、ご無事で!」
◆
「行ったか」
ローウェンの足音が遠ざかって行くのを聞き取り、これで気兼ねなく戦えるととらが大剣を構える。
「ハラミは?」
「上で待機してもらってます。かなり強めの結界を張ってますので、中層域にいる魔物であれば問題ありません」
問い掛けにぽーからの返答があった。
その内容を聞き、懸念が一つ消える。
ならば後は、と眼前の相手を睨み付ける。
「ちょいと——付き合ってもらうぜ」
お読みいただきありがとうございます!
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