プロローグⅥ『覚悟の在処』◆
英雄とは、恐怖を知らぬ者ではない。
恐怖を抱えたまま、それでも前へ進む者——
『ついてきやがれ』
大地を蹴る脚。
肺が焼けるように酸素を求める。
心臓が早鐘のように鳴り続ける。
迫る魔の手から逃れるために一心不乱に疾駆する。
——こんな戦い方しか出来ないのは、何とも情けねぇが……
仇敵相手に時間稼ぎでどうにかしようとしている状況にやるせなさを覚える。
しかし、正攻法では敵わないことは今までの経験で痛感させられている。
余程ワンダーラビットを奪われたことに焦りを感じているのか、TOIKIの動きは今までにない速さを発揮している。
——いや、それだけじゃねぇな……
奇襲を掛けようとした際に見せたTOIKIの様子からして、ヤツの狙いはワンダーラビットだけでなく——
「——ッ!」
背負ったワンダーラビット越しに視線が身体を貫いてくる。
今までにない底知れなさが粘度を帯びて絡みつく。
自分一人ではすぐに追いつかれているところだ。
それをどうにか押し留められているのは、背後で縦横無尽に攻防を繰り広げている騎士の活躍があればこそだった。
——西領諸国の騎士、だったか……
世界樹の根によって分断された大陸西部。
ぽぽぽ神を崇める宗教国家群で統治されており、かなり閉鎖的な文化であるはずだが、
——そんな騎士様が何だってこんな所に……
過ぎる疑問はしかし、視界が開けたことで脳裏の片隅へと追いやられる。
眼前に広がる荒野には所々で地割れが起きており、容易に飛び越えることが出来ないほどに大地を引き裂いている。
「どうしますか!?」
背後の騎士もこの光景を捉えたようで、こちらに今後の算段を伺ってくる。
いつの間にか追い詰められたと思って、その声音には薄らと困惑の色が滲んでいる。
「ここで良いんだよ!」
相手の不安を端的に払拭するよう声を張り上げる。
目指す地点は既に決まっている。
以前、逃走経路として目を付けていた場所だ。
事前にマーキングしておいた場所へと進路を修正する。
騎士も、背後に迫るTOIKIもこちらに誘導されるように付いてくる。
——もう少し……!
目標の場所がはっきりと見えてきた。だがそこで、周囲に変化が訪れる。
「Aaaaaaaaaーーーー」
機能が失いつつある声帯で無理矢理喉を振わせた呻き声の群が、こちらの進路を塞ごうと押し寄せてくる。
「——ゾンビの群!」
今まではTOIKIを恐れてか、魔物達も距離を取っていたようである。
だがここに来て、魔物とは異なる知性を失った魔性が、こちらの行く手を阻もうとしてくる。
魂を浄化されず、化生へ堕ちた亡者達。
生者を死へ引きずり込もうと群がってくる。
背後で大地が爆ぜた。
振り返るまでもない。
TOIKIだ。
ここで亡者共に拘わっている場合ではない。
「しゃらくせぇ!!」
怒気を込めた咆哮と共に大剣で屍肉の群を薙ぎ払っていく。
暴風の如く振り撒いた力を前に、次から次へとただれた肉片を撒き散らしていく。
「深淵領域に挑むほどの連中が、随分と未練がましいじゃねぇか!!」
家族がいたのだろう。
愛する伴侶や子が。
掛け替えのない仲間が。
その者たちを残して逝くことに無念を抱き、このような化け物へと身を堕としてしまったのだろう。
だが、ここは深淵領域。
人類が生きることを拒む絶望の園。
生命を奪われる可能性があることぐらい承知のはずだったろうに、
「覚悟が足りてなかったようだ、なぁ!!」
裂帛の気迫を乗せて一閃。
吹き飛ばされ、生々しい音と共に身を打ちつける。
屍人達が僅かに蠕動を繰り返し、やがてその活動を完全に停止させていく。
浄化されぬ未練は屍を動かす。
だがとらは、言葉でそれを叩き潰した。
「……あまり感心しませんね」
「高貴な騎士様のお気には召さなかったようだな」
乱暴なのは承知だ。
だが感傷に浸って死ぬ気はない。
刺さる視線を無視し、前へと突き進む。
背後のTOIKIも足元を掬われそうになるのを煩わしそうに蹴散らしながら追い駆けてくる。
ゾンビ達が織り成す肉壁を抜けると、遂に目的の場所へと辿り着いた。
そこは巨大な裂け目を眼下に臨む場所だった。
底まで見通すことが出来ぬ裂け目は、幅10メートルは下らない巨大なものだった。
「かぷこーん!」
刻んだ目印を確認し、騎士へと手を差し伸ばす。
背後でTOIKIが大きく口を開いた。
口腔内の闇が、世界を塗り潰していく。
こちらごとワンダーラビットを呑み込むつもりだ。
まだ動く亡者共が、追い縋ってくる。
騎士がこちらの手を掴んだ瞬間、持てる力の全てで跳躍する。
大地が離れる。
風が止まる。
その一瞬だけ、世界が静まり返った。
距離が——足りない。
次の瞬間、重力が牙を剥いた。
「——ッ!?」
かぷこーんが息を呑むのが分かる。
だが、とらは臆することなく振り返り、こちらを追って身を投じたTOIKIを見つめて、口角を吊り上げる。
瞬く間に裂け目が遠ざかっていく。
視界がTOIKIやゾンビの群で埋め尽くされていく。
背中のワンダーラビットが震える。
落ちていく視界の先、TOIKIの巨体が迫る。
巨大な顎が、空を覆っていく。
——これでいい。
全部、計算通りだ。
身を翻して、漆黒の世界を見据える。
すると、壁面の一角から微かな光が漏れ出ているのが見える。
とらは腕を振り、光の元に向かうよう姿勢を整えていく。
そして、
「離すんじゃねぇぞ!!」
「——!!」
かぷこーんの手に一層力が込められるのを感じながら、得物を光目掛けて突き立てる。
直後。
全身に衝撃が走り、右腕から肩に掛けて引き千切られそうな力が走る。
関節の奥で、何かが嫌な音を立てた。
熱いものが袖を伝う。
血だ。
軋む身体に表情を苦悶で歪める中、TOIKIとゾンビの群が次々に眼前を通り過ぎていく。
「ざまぁみやがれ」
驚愕に眼球を膨れ上がらせていたTOIKIを見下ろしながら吐き捨てる。
一瞬の油断。
策が成功した、という気の緩み。
その刹那だった。
闇の底から、舌が伸びてくる。
とらが反応を起こす前に、それが眼前へと迫る。
だが、TOIKIの舌がこちらに届くことはなかった。
「風刃乱舞!」
かぷこーんが放った風の刃が迫る舌を切り刻み、TOIKIの姿はゾンビ達と深い闇の底へと飲み込まれていった。
「悪い……助かったぜ」
どういたしまして、と何でもない風に振る舞うかぷこーんを崖の突き出した一角へと下ろし、自身もその横に降り立つ。
そこは絶壁の中腹にぽっかり空いた穴の眼前であり、そこの直上に大剣を突き立てたことで地の底に叩きつけられることを免れたのである。
穴の大きさは大の大人が辛うじて通れるほどの大きさで、内部からは淡い光が溢れ出している。
「ここは?」
「TOIKIを探してる途中で見つけてな……中の回廊を抜ければ、深淵領域の端近くまで行ける」
大剣を握り締めた手を緩めた瞬間、指が小さく痙攣した。
急ぐぞ、と男は騎士を急かして中へと入っていく。
——あれで倒せたとは思わねぇ……
いつまた遭遇するとも分からない状況では安堵することも叶わず、少しでも早くこの場から遠ざかろうと足を進める。
お読みいただきありがとうございます!
少しでも気に入っていただけたり、続きが気になるなぁと感じていただけましたら、幸いです。




