第40章『君の名は——』
個を指し示し、自他の境界を生み出すもの——
『なんて呼べば良い?』
ミノタウロスが語った内容を反芻し、バニラはどう受け止めて良いのかと判断に迷っていた。
自分の立場を理解しているようで、結界に閉じ込められたままであることに不平を溢すことなく、訥々と話してきた内容は、
——人を探している、ですか……
一ヶ月程前、深層域にいた彼の元に二人組の人族が現れたそうである。
その時も先程のように他の魔物に襲われそうになっていたところを、その二人組に助けてられたらしい。
聞いた限りでは親しい間柄——それこそ夫婦のような二人だと考えられる。
生殖を必要としない魔物である彼にとっては番という概念が存在しない。
なので曖昧な物言いからの推測でしかないのだが——その片割れの女性が何かの病に冒されており、その治療にヒュドラの心臓が必要であるとのことで、
「助けられた恩返しに、ヒュドラの元へ案内した……ということですのね」
「はい……本当は怖くて仕方なかったんですが、どうしても御礼がしたくて」
厳つい面立ちとは裏腹に、ミノタウロスが両の人差し指を突き合わせている。
その子供じみた仕草に思わず毒気を抜かれそうになるが、真面目な話の最中なので表情筋に力を込めて堪える。
「ヒュドラの心臓……知り合いの薬師の話では、確かに上質な薬になると聞いたことがあります」
結界の障壁にへばり付くようにして、中にいるミノタウロスを観察していたぽーが顔を持ち上げて言ってくる。
「話の内容に齟齬はない、か……」
「そう? まだこいつの作り話じゃないって言えなくない?」
とらが話の内容を咀嚼するように呟いているが、その横で腕を組んだレインが射抜くような視線でミノタウロスを睨み付けている。
レインが言うように、まだ彼がこちらを騙そうとしていないとは言い切れない。
もう少し、話を聞き出す必要があると感じたので、ロックバイソンから食材となる部位を切り分けながら、質問を投げ掛ける。
「それで、そのお二人が突然姿を消したから、探し回っているということで間違いありませんのね?」
問いに対して、ミノタウロスが小さく頷いてみせた。
「暫く一緒にいて、外の世界のことなど色々と教えてくれて……魔物である自分にも優しくしてくれてたんです。それが、ある日突然……これを残して」
懐から取り出したそれは紙切れのようで、その中央にはバランスの取れた綺麗な筆跡で『あとは大丈夫だから』と綴られていた。
いかに上位個体という稀有な存在でも文字まで書けるだろうか。
それもこれ程丁寧な字となれば、彼がこれを用意したとは考え難かった。
レインが眉根を寄せて大きく息を吐くのが見えた。
彼もこれを見て疑うのは意固地だと感じたのだろう。
渋々といった感じだが、ミノタウロスの話に耳を傾ける気が起きたようだ。
「その二人はヒュドラを狙っていたから、君もこうしてヒュドラを追ってきた、と?」
「そうです。痕跡辿って来たんですが、さっきの魔物に見つかって襲われそうになって……それで逃げてきたんです」
肩を落とすミノタウロスだが、そこに来て違和感が膨れ上がってきた。
すのぴは素直にそうだったんだとミノタウロスに同情しているようだったが、他の者は自分を含めて一様に疑念を強めていた。
「なんで自分で追い払わなかったんだ?」
「え……?」
とらに言われた言葉の意味が分からなかったようで、ミノタウロスが気の抜けた声を漏らした。
「お前がミノタウロスだってんなら、ロックバイソンの群に後れを取るはずがねぇんだ」
「そ、そんな、戦うだなんて……自分には、無理ですよ」
信じられないことを言われたかのように、ミノタウロスが狼狽し、小刻みに震え上がり頭を抱えてしまう。
その巨躯に見合わぬほど、彼の声はか細く震えていた。
戦うことを心の底から恐れている。
いや——
——まるで、戦うという選択肢そのものを知らないかのような……
ミノタウロスという種の在り方から逸脱した、異様さがあった。
彼の怯えようは、そんな印象を抱くのに十分であった。
それに、
——バトルアックスがありませんものね……
ミノタウロスを象徴する武器がどこにも見当たらないのである。
出現する際には必ず所持しているはずのバトルアックスは、ミノタウロスにとっての半身でもあると考えられている。
それを所持していないということは、真に戦いを忌避しているのだと考えられた。
「じゃあ、別の質問だ」
恐怖に歪む顔を見かねたのか、とらが別の問いへと移る。
「ヒュドラがこの中層域までやって来た理由に心当たりは?」
それに対して、ミノタウロスは力無く首を横に振るだけだった。
本当に思い当たることがないらしく、これ以上問い詰めたところで意味はなさそうである。
——さて、どうしましょうか……
ミノタウロスの話を信じるかどうか、そして行方不明となった二人を捜索するかどうかである。
彼の話が本当であれば、ヒュドラの後を追えばその二人組が見つかる可能性は高いだろう。
だが、目の前で縮こまっているミノタウロスが本当にこちらへ危害を加える気がないのかが分からないのだ。
結界の持続時間を限界まで引き延してもらい、ここに放置するのが一番ではないかと思うが、
「助けて、あげられないかな?」
沈黙を破ったのは、すのぴのか細い一言だった。
「僕は、彼が悪い魔物とは思えないんだ」
だから、助けを求める声に応えたいとすのぴが訴えかけてくる。
魔物に善も悪もない。
そう思うのが普通なのだが、相手が言葉が通じてしまうからこそヒトと同等の扱いをしてしまいたくなるのは、分からない話ではなかった。
恩人を探し出すために、恐怖を押し殺して単身迷宮区画を彷徨い続けていた。
その話を、魔物が語ったのだから嘘偽りだと切り捨てるのは違うような気がしたのだ。
——きっと、かぷこーん様なら……
あの方は、迷わず手を取ったはずですわ。
例えそれが、どれほど危うい選択であったとしても。
「そう、ですわね。私もすのぴさんに同意しますわ」
懸念事項はあるが、それはこちらが気に掛けておけば問題ないだろう。
そう思い、賛同の意を示したのだが、
「放っておきなよ。どんなに善良そうに見えたとしても、彼は魔物なんだよ?」
と、レインが柔らかい口調と共に肩を竦める。
その声音は、軽さの奥に僅かな棘を孕んでいた。
一瞬だけ、レインの視線が逸らされたのをバニラは見逃さなかった。
飄々とした彼らしからぬ様子に首を傾げるが、
「レインの言い分も最もだ。危機管理の観点からして、こいつの話を鵜呑みにするのは危ないだろう」
と、とらがレインの肩を持つように言うので、すのぴの視線が地面に落ちていく。
「だが、こいつの話が嘘偽りないものだとしたら……ここで無下にするのは寝覚めが悪い」
「……正気かい?」
「助けを求める声を切り捨てるような真似は、性に合わねぇんでな」
とらの掌返しに、レインが呆けたように口を開けていた。
その目も信じられないとでも言うように瞬かせている。
だが、それ以上の反発はなく、やれやれと呆れた息を吐き出していた。
「警戒を解く気はねぇよ。万が一、何かにしでかそうとしたなら……分かってるな?」
「は、はいっ!」
ぎらつく視線を射抜かれ、ミノタウロスが全身を跳ね上げさせる。
「ありがとう、とらさん」
「礼を言われるようなことはしてねぇよ。それに、こいつが魔物だってんなら、人よりもマナの探知能力が高いはずだ」
ヒュドラを追跡するためにその力を活用させてもらう腹積もりらしい。
そうと決まったなら、ぽーの結界術は用を果たしたので、すぐさま解除された。
それと同時にぽーがミノタウロスに肉薄し、隅々まで調べて始めようとしたが、とらに羽交い締めにされ阻止されていた。
何をやっているんだかと横目で見ながら、必要な解体作業を終えて、部位ごとに分けてボックスに収容していく。
ボックスの容量もあるので全てを収めることは叶わないが、それなりの量の食材を確保出来たことに満足感を得る。
魔物食は忌避する者も少なくないが、通常の食材よりマナの含有量が多く、消耗したマナの回復にはうってつけなのである。
——長旅の必需品ですわね……
などと考えていると、
「そういや、お前のことはミノタウロスって呼べば良いのか?」
と、とらがふとした疑問をミノタウロスに向けているのが聞こえてきた。
暫く同行することになる上で、種族名で呼ぶことに気が引けたのだろうか。
確かに、自分も他の種族から人族と呼び掛けられるのは落ち着かない気になる。
魔物に個体を指す名があるとは思えなかったが、念のための確認だろう。
「それでしたら、ユズリハさんに付けて貰った名前があるんで——」
ユズリハというのはいなくなった二人の片割れなのだろう。恐らく女性側の名である相手から名前授かっていたようである。
——あ、この部位凄く美味しそうですの……
横隔膜にある筋肉で、内蔵の一部とされながらも赤身肉のようなそれは適度に脂が乗っており、焼いた後のことを考えると自然と唾液が分泌されてくる。
捌く時は話に意識が割かれていたために気付かなかったが、これは良いものが手に入ったと魅入っていると、ミノタウロスがどこか誇らしげな声で己に付けられた名を告げてくる。
「ハイ・ランクのミノタウロスということで、ハラミとお呼びください」
「……………………」
一瞬、時が止まった。
次いで、ミノタウロスを除く皆の視線がこちらに集中する。
正確には今しがた解体し終えたロックバイソンの肉に——
——ええ、言いたいことはよく分かりますわ……
「この部位、ポイしちゃいますわねー……」
お読みいただきありがとうございます!
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