第49章『歪みの靄』
不明の現象。
未知なる光景。
されど、この胸の内に呼び起こされるものは——
『僕は、あれを知っている』
レインが放つマナが高まるにつれて、ぽーは久しく感じていなかった戦慄が肌を粟立たせる感覚を覚えた。
——人族でこれ程のマナを操るなんて……
自分の見立てではレインは生粋の人属のはずである。
混血であれば、その種族の身体的特徴が少なからず発現するが、そのような様子は見受けられない。
数ある種族の中でも平均的にマナ保有量である人属でありながら、耳長族や龍人族をも凌ぐマナを意のままにしている事に驚きを禁じ得ない。
そして、
——なんて、冷たい……
物理的な冷たさだけではない。
心や魂といった物質ではないものをも凍えさせる輝きに、得体の知れなさを感じさせる。
彼が放つ空恐ろしマナの波長は、生まれもってのものなのか、あるいは心境や生物としての在り方が劇的に変化する出来事に直面したからなのかは分からない。が、どちらにせよ、青白い光の中に隠れたどす黒い何かが世界を飲み込もうと、今にも破裂しそうな程に膨れ上がっている。
脳内で警鐘がかき鳴らされると共に、危険を知らせる叫びが喉を振るわせた。
「逃げてください!!!」
自分でも驚く声量が反響し、すのぴ達の元へと走る。
それと同時に可能な限りの術式を展開し、自身を含む全員へ防御魔法を展開させる。
目の前でレインが悠然と歩みを進めて行くのが見える。
音もない静かな動作だが、瞬く間にヒュドラ——に擬態しているであろうシェイプシフターとの距離を詰めていく。
——間に合うか!?
いや、間に合わせる。
そうしなければ、これからレインが為す事で全滅しかねない。
そんな予感が過ぎり、背筋が凍る。
こちらの声を聞き届けたすのぴ達が全速力で壁際まで退避したのと同時に、こちらの魔法が発動し、各々の全身を覆い隠していく。
直後、大空洞内の時間が制止した。
◆
網膜を焼き切るような光が収まり、明滅を繰り返す視界が正常になってきた事で、ようやく自身の状況を把握するに至った。
全身を覆うように展開された球体状の膜は、先の状況を鑑みるにぽーが展開してくれた防御魔法だろう。
外部の光景を透過している薄膜越しには、眼前にまで迫った氷塊が視界を埋め尽くしていた。
中心部は分厚い氷の層によって見通せなかったが、その規模から敵対していた魔物は完全に飲み込まれてしまっている事だろう。
——なんつーことしやがる……!
この事象を引き起こしたレインに対して、畏怖と怒りがない混ぜとなった悪態が湧き上がってくる。
あと一秒逃げ出すのが遅れていれば、今頃は氷漬けにされていただろう。
超が付く程の一流とされる傭兵が、自らの意思で依頼者に危害を加える事はないはずであるが、その矜持に疑念が生じる程には、間一髪の状況だったのだ。
氷塊が防御魔法に接触していないところを見ると、自分が間に合ったのか、レインが計算して調整してくれたのかは判断が難しいが、左右に這わせた視線がすのぴやバニラの無事を確認出来たので、後者である事を願うばかりだ。
——後で問いたださねぇとな……
どうあれ、危険な目に遭わされたのは事実だ。今後もレインを同行させないといけないので、釘を刺しておく必要がある。
「って、レインの奴無事なのか……?」
津波のような氷壁が発生する直前、レインがヒュドラに化けたシェイプシフターの懐に潜り込むのが微かにだが見えたのだ。
つまりこの氷塊の中心にいるのは間違いないのだが——
「まさか——」
嫌な予感が押し寄せ、声として漏れ出した直後、山のような氷の塊からガラス細工がひび割れるような音が鳴り響く。
最初の音を皮切りに至る所から破裂音が連鎖していき、次第に音が乱反射し、耳を塞ぎたくなるような大音量をかき鳴らし始める。
音と共に崩落していく氷塊が互いに身を砕きながら堆く積み上げられていく。その中に魔物の体躯も混ざっているのを見付け、レインがぽーの要請を成し遂げた事を悟る。
だが、肝心の本人の姿が見付け出せず、先程感じた予感が輪郭を露わにしてきた。そのタイミングで——
「こんな感じで良いかい?」
と、飄々とした様子で氷塊上からこちらを見下ろしてくる声に、反射的に言葉を返していた。
「やり過ぎだっつーの」
◆
「すご……」
目の前の光景にすのぴの口から言葉が漏れ出す。
レインが放った技により、周囲一帯が氷漬けとなっており、その中心地に近付くにつれて、
——凍りついたヒュドラが……
綺麗に氷像と化したヒュドラが次の瞬間にはこちらへ襲い掛かってくるのでは、と嫌な想像が浮かんでくる。
氷で閉ざされ、身体機能が完全に停止しているようなので、通常であればそんな事は起きないのだが、相手は強力な再生能力持ちである。浮かんだ懸念が現実になる可能性は決して低くないのである。
そんな危険と隣り合わせの状況で一行が中心へと歩を進めている理由は、
「やはり、間違いありませんね」
砕けた事で体内を露呈したヒュドラが含まれた氷塊を観察していたぽーが、得心がいったという風に頷くのを見たとらとレインもまた、同意するように頷いていた。
「どういうことですの?」
自分と同じく状況を理解していないバニラが問い掛けると、ぽーが一瞬表情を歪め、すぐに取り繕い、
「ヒュドラの変異種と思われたこの魔物の正体が、全く違う魔物だったという事です」
「…………え?」
ぽーの言葉が何を意味するのか、すぐには理解出来なかった。
——ヒュドラじゃ、ない……?
それが意味する事は——
「——ッ!!」
思わず奥歯を噛み締め、上層部で待機しているハラミがいる方角を仰ぎ見る。
ハラミはこの事を知っているのだろうか……いや、ハラミの言動から、この魔物がヒュドラでないという疑念すら抱いていないだろう。
彼はこの魔物をヒュドラと疑う事なく、シロウとユズリハの二人を案内したという事になる。
——善意が裏目に……
あまりの事実に、我が事のように悔しさのような感情が心をかき乱していく。
「——シェイプシフターは外見を模倣するだけで、体内の構造は元のままとなります。ヒュドラが持つ毒腺や毒袋が見受けられないのが何よりの証拠です」
「道理でその手の攻撃を仕掛けて来なかった訳だな」
「後は、どうやってこれを倒すかだよね」
「まだ倒せた訳じゃありませんのね……」
とら達の話し声が聴覚を刺激しているはずなのに、その内容が頭に入って来ない。
ここで自分が悲嘆に暮れていても仕方がない。
気持ちを切り替え、話に加わろうと視線を下ろしていく——その途中で、
「なに、あれ……」
中空に存在する異質なものを捉えた瞬間に、意識が釘付けとなる。
黒い靄のようなものが空間に固定されているかのように、その場に留まっている。
生物のように蠢いているように見えて、まるで生気を感じられない無機物のようにも感じるそれの周囲は、空間そのものが歪んでいるようであった。
「おい、どうしたんだ、すのぴ?」
こちらの様子に気付いたとらが声を掛けてくるが、視線の先にあるソレに気付いた途端、他のメンバーも一様に身構える気配を感じ取った。
緊張が高まる中、自分だけが異質なソレに惹き付けられるように意識を縫い留められていた。
「何なんですの、あれは?」
バニラの疑問に答える声は聞こえて来なかった。
誰もが知らない未知の光景。
しかし、自分だけはその問いに応じる事が出来た。
見知らぬはずの——既知の光景。
「時空、穿穴……」
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突如として出現した時空穿穴とは一体何なのか、続きが気になるなぁと感じていただけましたら、ブックマークやリアクション、下のポイント★1からでも良いので、反応をいただけると作者のやる気に繋がりますので、どうぞよろしくお願いいたします!




