表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/57

プロローグⅤ『挺身の騎士』

『もう大丈夫だよ』

 そう告げた貴方は、その身を投げ出して――

 その気配を感じ取ったのは、おそらく自分が最初だったと思う。

 長い月日をそれの中で過ごしていたが故の感覚が、確信に近い予感が全身を駆け巡らせ、嵐の闇夜に放り出されたかのように心がざわつく。


「嫌な予感というのは、どうしてこうも当たるんでしょうね」

「神様はよっぽど俺たちに試練を与えたいらしいな」

「……意外でした。とらさんは無神論者かと思ってました」

「敬虔な騎士様に比べりゃ、信心深いわけじゃねぇがな」


 自身を背負うとらと、その横を歩むかぷこーんもそれを察知したらしいが、歩みは鈍ることなく変わらぬ歩調で前へと進み続ける。

 それどころか、これまでの道行きで多少打ち解けたのもあってか和やかに会話を続けている。


「二人は、怖くないの……?」


 率直な疑問を口にすると、二人は顔を見合わせた後、それぞれが笑みの表情を浮かべる。


「怖くない……なんてことはねぇよ」


 とらが自嘲するかのように笑い声を漏らす。

 疑問を投げ掛けた手前だったが、その答えは意外だった。

 とらは歴戦の戦士と聞いていたし、その佇まいからは恐怖とは無縁の存在だと思い込んでいた。

 しかし、そんな彼でもこの先に待ち受けているものに対しては恐れがあると言うのである。


「僕もだよ。どんなに強くなろうと、恐怖というものはなくなってはくれなかった」


 それどころか増えていくばかりさ、と肩をすくめるかぷこーんに、ちげぇねぇととらが相槌を入れる。


 ――強くなると、怖いものが増える……?


 逆なのでは、という思いに首を傾げるが、どうやらこの二人には通じ合うものがあるらしく、こちらの様子にまた笑みを溢していた。


「君にもいつか分かる日が来ると思うよ」

「……怖いものが増えるのは、嫌だなぁ……」


 穏やかな口調のかぷこーんに率直な感想を述べると、その瞳が優しげに細められる。


「大丈夫さ――その時にはきっと、その恐怖に打ち克てる心の強さも手に入れているはずだから」


 そういうものなのか、と自分に言い聞かせるように彼の言葉を内心で咀嚼していく。


 しかし、その言葉が腑に落ちるより先に、出口が目前にまで差し迫ってきた。

 先程からの肌を焼くような威圧感が膨れ上がっていく。


「――――ッ」

「先に出ますね」


 かぷこーんが腰から剣を抜き、物怖じした様子を見せることなく、先へと進む。


「行くぞ」


 とらが短く、こちらに覚悟を決めるようにと言わんばかりに真剣な声音で告げてくる。

 身体は恐怖に震え、この地下回廊の中で留まり続けたい気持ちが湧き上がってくるが、


「――はい!」


 今は二人を信じ、臆病な自分を圧し殺す。


 回廊を抜けた途端、一陣の風が頬を殴り付けてきた。


「ーーーーーーーー!!!!」


 それが眼前でこちらを睥睨している存在が放った咆哮によるものだと、すぐに気付かされる。

 吹き曝されて所々が風化している岩石が辺りに一帯に散らばる荒野の只中で、目を剥き、呼吸を荒げたその怪物は、


「随分と様変わりしましたね」


 白銀の光を放つ蛙の体躯に、猛禽類を思わせる脚部。爬虫類を思わせる前肢と尾、という記憶の中にあるものとは異なっていた。

 全身の至る所が鱗状の外殻で纏われ、青黒い紋様が血脈のように張り巡らされている。背部には体躯に見合わない程に巨大な翼が生えており、そして――


「ワンダー、ラビット……」


 自身の種族を彷彿とさせる、桃色の長耳が頭部に携えられているのを見て、言いようのない怖気が身体を硬直させていく。

 だが、


「三日ぶりぐらいだが……芸風、変えたのか?」


 とらが身体を揺すり、こちらの意識を呼び戻してくれる。

 その口調は、変貌したTOIKIを揶揄するような色を帯びていた。

 言葉が通じているとは思えなかったが、TOIKIもそれを挑発と受け取ったのか、視線を鋭くし今にも飛びかかってきそうな気迫を放ってくる。


 とらとかぷこーんも武器を構え、臨戦態勢に入る。


「…………」


 数秒――あるいは数分にも感じられる時間が流れ、そして、


「――――!!」


 緊張が極限にまで高まった瞬間、戦いの幕が上がった。



 姿の変貌からある程度の予測をしてはいたが、それ以上にTOIKIの戦い方は数日前とは大きく異なっていた。

 変化した故に使用出来なくなったのかは分からないが、今の所、伸縮自在な舌による攻撃は繰り出されていない。

 その代わりに巨大な翼で突風を巻き起こしてこちらの体勢を崩しに掛かって来たり、炎や毒といった多種に渡る息吹(ブレス)で周囲に破壊を撒き散らしてくる。

 それに加えて、


「チッ! 鬱陶しいったらないぜ!」


 とらが悪態をつくのを見て、こちらも内心で同意する。


 広範囲のブレスで視界を覆われたかと思うと、直後に硬質な鱗が矢の如く打ち込まれてくる。

 以前の戦い方は直情的で動きも読みやすかったが、今は知恵を付けたかのようにこちらを徐々に追い込む狩りのようなものとなっていた。


 ――どうにか直撃は免れているけど……


 自身もそうだが、とらの方もダメージを負いつつある。

 二人掛かりでどうにか拮抗出来ていたが、傷によって動きに精彩を欠くようになるのも時間の問題である。

 そうなると、自分達が辿る運命は破滅でしかない。


「――――」


 視線がすのぴの表情を捉える。

 青ざめてはいるが、悲鳴を上げることなく口を硬く引き結び、恐怖を抑え込もうとしているのが見て分かる。

 もう駄目だと悲嘆に暮れるのではなく、劣勢にあってもまだ自分達を信じてくれている。

 ならば、


「とらさん!!」


 もうこれ以上出し惜しみしている場合ではない。アレ(・・)を見られたとしても、きっとこの二人なら、と言い聞かせる。


「どうにかTOIKIの動きを止めてください!」

「はぁ!?」


 無茶を言うなと、とらから言外に返されるが、どうにかこちらの奥の手を使う時間を稼いで欲しい。

 人目に晒すことは避けるべきだが、状況を打開するためにも二の足を踏んではいられない。

 なので、


「あ、とらさんには無理でしたか?」


 全力で煽ることにした。



 あまりにも安い挑発だった。

 およそ騎士を名乗る身分の人間がする言動ではなかった。 

 だが、その奥にある意図は見え透いている。


 ――少しでも足止め出来りゃ、状況を打開出来るってか!?


 ならば、先の挑発は効果的だったと言えるだろう。


 出会って僅か数日の付き合いだが、既にこちらの性格を捉えられていることにむず痒さを覚える。

 だが、あんな煽られ方をされると、


「出来ねぇなんて――言ってねぇだろが!!」


 全身に力を漲らせ、TOIKIの挙動に意識を集中させる。

 口内に炎が灯るのを見て、重心を低くし、前傾姿勢をとる。


「ーーーーーーーー!!」


 耳を裂くような咆哮と共に紅蓮の吐息が吐き出される。


「とらさん!?」


 背負ったすのぴが堪らず悲鳴を上げるが、気にせず行動に移す。


 鞘に意識を乗せると、その姿が変化してすのぴの露わになっていた頭部をも包み込んでいく。

 そして、こちらは咆哮に向かうように全身を前へと弾く。


 眼前に迫る炎が、皮膚を焼く感覚を覚えながら、熱が全身を包み込まれる瞬間、更に姿勢を低くし、地面で身が擦れるギリギリで駆け抜ける。

 かくして、TOIKIの懐に潜り込むことに成功し、しかし、


「――ッ!」


 こちらの動きを見透かしていたかのように、TOIKIの口腔が視界を埋め尽くしていた。

 今まで何度も体験してきた光景に、世界が覆われていく。



 眼前でとらとすのぴが丸呑みされたのを見て、己の言動の軽率さに慚愧の念がのしかかり、視線を落としそうになる。


 ――いやまだだ!


 このまま何もせずにいれば、本当に取り返しが付かないことになる。

 奥の手を起動させるために掲げていたソレから刀身へとマナの伝達を切り替えていく。

 すると、


「ーーーーーーーー!!?」


 目的を果たして、恍惚の表情を浮かべているように見えたTOIKIが全身を震わせたかと思うと、もがき苦しみ、その果てに、


「ぶはっ!!」


 とらとすのぴが呑み込まれた瞬間と変わらぬ姿のまま、吐き出される。


 ――いや、全身涎塗れですが……


 突然の出来事に思考が横に逸れてしまうが、すぐさま雑念を振り払い、己が役割を果たすために中断していた準備を再開する。


「マジカルソフト――起動!!」



「くそったれがっ!!」


 覚悟していて飛び込んだものの、やはり丸呑みされる経験は一向に慣れることはなかった。

 全身に纏わりつく粘液を振り払うように起き上がり、苦しみもがく巨体を睨みつける。


「いい加減てめぇもこりねぇな!」


 どういうわけか自分はTOIKIに呑み込まれることがないらしい。

 どころか、体内に入り込むと先程のような拒絶反応と共に吐き出されるのである。

 自分の何がそうさせているのかは不明だが、この特性故にギルドでは自分こそがTOIKIを討つ存在だと噂されている。


 学習してもいいものの、と思わないでもないが、所詮は怪物の類である。

 知性はあっても理性はない、ということなのだろうか。


 ――それか記憶力がない、ってか!


 考察が頭を過るが、そんなものは後でゆっくりやれば良い。


 未だ拒絶反応が治っていないTOIKIを睨みつけ、ここぞとばかりの大技を繰り出す。

 大剣を地に突き刺し、ありったけの力を伝達していく。


 それは、臥龍と呼ばれる大いなる存在を模した力の顕れだった。

 翼をもがれ地に堕ちた龍の威光は、されど失われず――


臥龍堅殻(がりゅうけんかく)――」


 雄々しきその姿を鎧う、堅固な外殻が悪きものを貫き穿つ。


「――破穿甲刃(はせんこうじん)!!」


 馬上槍を彷彿とさせる岩石群が無数に隆起し、TOIKIを串刺し磔にしていく。


「ーーーーーーーー!!!!」


 鼓膜を突き破られそうになる程の悲鳴が大気を震わせる。

 TOIKIが怒りに満ちた視線を向けてきて、身を捩らせて拘束を抜け出そうとしてくる。

 しかし、技を放ったこちらでも把握しきれないほどに隆起した地殻が、複数方向からその身を貫いているため、抜け出すのは容易ではなかった。


 ――それでも回復力にものを言わせて、抜け出すのも時間の問題か……!


「かぷこーん!!」


 苦痛に喘ぐ悲鳴と噴き出す血の雨を浴びながら、かぷこーんへと振り返る。

 そこでは、眩い光を放つ何かを掲げた騎士がこちらを見据えていた。


「とらさん、貴方に感謝を――」


 今すぐ退避を、と促してくるかぷこーんが掲げていた何かをこちらの背後、TOIKIへと差し向ける。


「万象を織り成す願望器よ、我が望みを聞き届けよ」


《――■■■・末端端末マジカルソフト、所有者かぷこーんの要請により、保有する権能を解放します》


 聞き慣れない声のようなものが、響き渡る。


 ――おいおい、マジか!?


 願望器、という単語を聞いた瞬間に自分の中で散らばっていたピースが綺麗に当て嵌まる感覚に総毛立つ。


 それは数多の物語で伝えられたあらゆる願が叶うとされる奇跡の象徴。

 民間伝承やおとぎ話と幅広いジャンルで語られるそれは、しかし誰も見た者がなく、空想の産物として扱われていた。

 だが、


 ――あれがそうだってのか!?


 何故それがソフトクリームを模した形なのか、どこでそれを手に入れたのか、と疑問が頭を駆け巡るが、眼前の光景に目を奪われ、思考が霧散していく。


 そして遂に、かぷこーんの手元より光の奔流がTOIKI目掛けて放たれる。

 しかし、いつの間にか鞘が解けて顔を出していたのか、不意に背後から響いた声に意識が輪郭を露わにした。


「――駄目だよ!!」



 握り締めた奇跡の象徴が、放つ輝きを増していく。


《――対象を捕捉。適正術式の構築を開始します》


 目が眩む程の光に、しかし力を向けるべき相手を見失わないよう、目を凝らす。

 やがて、放つ力を構築し終えたことを告げる言葉が手元より放たれる。


《――術式の構築を完了。発動権限を所有者かぷこーんに移譲します》


 ならば、とどういう原理かは分からないが、マジカルソフトが伝達してきたであろう術式の名を高らかに告げる。


「物質消滅術式<ミドガルズの大蛇>――発動!!」


 言葉と共に膨大なマナがTOIKI目掛けて放たれる。うねりを帯びた力の奔流が対象を呑みこまんと襲い掛かる。


 TOIKIの表情に恐怖のようなものが浮かぶのが見えた。さしもの怪物も迫り来る力の本質を理解し、己の終焉を予期したのだろう。


 ――終わる!


 大蛇の(あぎと)が開かれ、破壊をもたらす光と共に禍禍しい巨躯を呑み込んでいく。

 そして――


「――駄目だよ!!」

「――――!?」


 すのぴの悲鳴じみた叫びが鼓膜を震わせた直後、全身を襲う衝撃が走り、遥か後方へと吹き飛ばされる。



 端から見ていたからこそ、何が起きたのかを理解出来た。

 正確には、どういった原理が働いてそうなったのかは分からないが、事象としての結果だけは認識出来ていた。


 かぷこーんが持つマジカルソフトと称される願望器から放たれた膨大なマナが破滅の力を齎し、TOIKIを呑み込もうした直後に霧が強風で吹き飛ばされるかの如くに掻き消え、


 ――無防備なところにカウンター!


 姿を変貌させてからは一切繰り出してこなかった伸縮自在な舌による攻撃を、完全な不意打ちのタイミングで叩き込まれたのだ。

 完全に意識外からの一撃を防御することも叶わずに吹き飛ばされた彼の安否が気掛かりだったが、TOIKIに無防備な背中を晒すのを躊躇い、大剣を構えて次なる攻撃に備えたところで、


「……?」


 TOIKIの異変に眉を顰める。

 全身の青黒い紋様がその密度を増しており、底知れぬ禍々しさを周囲に振りまいていた。それに加えて、


 ――微動だにしてねぇ……?


 まるでTOIKIの時間だけが止まってしまったかのように、些細な動きすら見てとれなかった。


「これ、チャンスじゃねぇか?」


 無防備を晒し続けている相手に卑怯ではないかと、内心の良心が顔を出そうとするが、TOIKIを相手にそんな生易しいことは言っていられない。

 期せずして訪れた千載一遇の好機に呆気にとられるが、致命の一撃を叩き込むためにマナを振り絞っていく。


「だ、め……逃げて……」


 だが、か細いその声を聞いた瞬間に、無意識のうちにTOIKIとの距離を取っていた。

 どうしてすのぴがそう告げたのかは分からないが、先程かぷこーんを止めようとしたこともあり、その言葉に耳を傾けるべきと本能が叫んだ結果であった。

 当の本人は何故そう言ったのか分かっていない様子だった。


 ――無くした記憶が、そうさせたのか……?


 原因は不明だったが、その忠告が正しかったことをすぐに理解した。


「おいおい……」


 身動き一つしなくなったTOIKIだったが、青黒い紋様で不気味に蠢き体表の隅々まで覆われたかと思うと、身体の至る所が隆起していき、その姿形を瞬く間に変えていった。


 ――まだ変貌するってか!?


 嫌な予感が止める猶予もなく、現実へと侵蝕してくる。禍々しさを越えた悍ましさに、背筋が寒くなるのを感じる。


「とらさん!!」


 すのぴの悲痛な叫びに弾かれて、身を翻して駆け出す。



「――カハッ!」


 全身を駆け巡った衝撃がもたらした麻痺から回復してきたところで、嘔吐くように血が喉元を逆流していく。


 ――内臓を、やられたか……


 視線を胸元に落とすと、白銀の騎士甲冑が無惨に砕かれているのを捉える。

 これがなければ、今の一撃で絶命していたかもしれないと思うとゾッとする。


 痛みに喘ぎ、軋む身体に力を込めてどうにか上体を起こす。

 随分と後方まで弾き飛ばされようだったが、あまりにも周囲が静けさに包まれていることに違和を覚える。

 そう長く意識を失っていたとは思えないが、その僅かの時間に事態が最悪を迎えたのではないかと、不安が過ぎる。


 ――状況は……


 視線を巡らせると遥か遠方にTOIKIの巨体が見え、こちらへと近付いてくる影を見付けた。

 とらとすのぴが無事なようなのでひとまずの安心を得るが、依然として状況が見えなかった。

 とらたちの後方にあるTOIKIの輪郭が動く素振りを見せていないことに不可解に感じるが、


「何が……起きたか、分かるかい……?」


 言葉を発するのも苦痛だったが、握りしめたそれへと声を掛ける。


《――状況、精査……中》


 どこか弱々しさを感じさせる声量に心配が顔を覗かせるが、結果がすぐに出て、その内容に意識を傾ける。


《――術式の、中断を確認……上位……による、アクセス……確認》


 言葉は途切れ途切れであったが、おおよその状況は掴めた。


 TOIKIを仕留めるために放った術式はその効果を発揮する前に中断されたということらしい。

 何故それが起きたのかは不明であり、TOIKIを倒せなかったという事実だけが重くのしかかる。


 ――次の手を……


 だが、失意に暮れている場合ではない。

 どういうわけかTOIKIは動きを見せていない。

ならば、今は撤退し体勢を整えるべき――もしくは深淵領域外へと逃げるべきかと考えるが、


《対象の……状況、確認……完了。およそ、三百秒後……に、活動再開……と予測》


 直ぐさま甘い考えは打ち砕かれた。


 ――逃げることも、難しいか……


 ともすれば、このままでは悲惨な結末が待ち構えている。状況を打開するための策を絞り出そうと、失血により遠のきそうになる意識を駆け巡らせる。


 まず自分の怪我が良くない。

 治癒魔法でも回復に時間を要するダメージを負ったままでは足手纏いだ。


 ならば、自分を囮にせめてあの二人を逃がすべきか。

 否、すのぴの回収を第一義としているTOIKIに対して、今の自分では気を引くことさえままならないだろう。

 では、


《所有者、かぷこーんの……思考を、トレース。状況を、打開する策……を、具申》


 今にも消え去りそうな声が告げる内容は酷なものだった。


 三人が生き延びる可能性は皆無に等しく、誰かが犠牲になるか、最悪全滅を示唆するものだった。

 だが、最後に伝えられた案は少なくとも自分にとっては採用するに足る内容だった。


 ――彼らには怒られてしまうかも、しれないな……それに……


 帰りを待ってくれている仲間を思うと心苦しくもあるが、騎士として誰かを犠牲にしてまで生き延びる気はなかった。

 だから、


「やってくれ」


《要請を、受諾……術式、展開》


 全身が暖かい光に包まれて、身体の輪郭が溶けゆくのを感じる。

 こうして、人族としてのかぷこーんの生涯に幕が下りた。



「おい無事か!? かぷ……こーん……」


 TOIKIを振り返ることもせず、かぷこーんが吹き飛ばされた方に駆け寄るが、そこにいた存在を目にした瞬間、それがかぷこーんであると結び付けることが出来ずにいた。


「どう、して……」


 すのぴも同様で、目の前の存在に驚きを隠せずにいた。

 兎人族を思わせる特徴的な長耳――そして桃色の体毛が、背負ったすのぴと同質の存在であることを突きつけてくる。


「凄いですね、これは……」


 こちらの動揺には目もくれず、自身の様子に感心しているようだった。


「お前、かぷこーん……だよな?」


 声がそうだったのだが、未だに信じられずにいる自分を納得させるために質問を投げかける。


「はい、かぷこーんですよ」


 その肯定は聞いたこちらの心の内を複雑に掻き乱していく。

 無事で良かったと思う反面、彼の姿がこれから何をしようとしているのかを連想させて、怒りが沸き立つ。


「お前、変な事考えてんじゃねぇだろうな!?」


 詰め寄り、その胸倉を締め上げる。

 だが、こちらの予想通りと言うべきか、返ってきたのは曖昧な苦笑だった。


「逃げてください」


 短くそう告げる言葉に、予感は確信へと変わる。

 どうしてという問いは言葉にせずとも良かった。

 騎士と同列に語る気はなかったが、きっと自分が同じ状況でもそうしたであろうから――


「え……かぷこーんさん、は?」


 状況が飲み込めず、狼狽するすのぴを見やり、かぷこーんが優しい声音を向ける。


「もう大丈夫だよ」


 問いに対する答えではなかったが、ただそれだけを告げてこちらの肩越しにすのぴの頭を撫でていた。

 慈しむかのような優しい瞳を湛えながら、かぷこーんがこちらを真っ直ぐに見つめてくる。


「とらさん――これを」

「お前……」


 有無を言わせず、押し付けてきたのは、


 ――マジカルソフトと……


「比翼の燈籠という古代遺物です。深淵領域外で待機している仲間の元へ導いてくれます」


 ガラスで覆われたランタンの中で揺れる青い灯火が偏り、片割れがいる方向を指し示している。


「それと、これを」


 仲間に会えたら渡して欲しいと羊皮紙の束を握らせてくる。


「……自分で渡せよ」

「頼みましたよ」


 時間が惜しいと言わんばかりに、こちらの言い分を聞く気はないらしい。

 すると、後方――自分が駆けてきた所から異常なまでの威圧感が膨れ上がるのを察知する。


「もしかしたら、この身体ならTOIKIと良い勝負になるかもしれませんよ」


 こちらの手を解き、かぷこーんが歩み始める。


「逃げ切れそうなら……そうですね、二ヶ月後にギルド総本部で合流しましょう」


 けど、


「それが難しそうなら――」


 一年後またここで、と告げた直後に跳躍し、気配が遠ざかるのを感じた。

 その言葉だけで、今の彼がどんな存在へと変貌したのかは、想像に難くなかった。


「――――」

「とらさん!? かぷこーんさんが!」


 ようやく事態を理解してきたのか、すのぴが声でこちらを引き止めようとしてくる。


「行くぞ」

「でも――!」

「行くぞ!!」


 声を張り上げ、すのぴを黙らせる。

 もうどうしようもない。他に手がない。

 その事を理解したすのぴが、それでも追い縋るような嗚咽と共に滂沱の涙を流しているのを背中越しに感じる。

 後方から響く咆哮や破砕音を背に受けて、歩を前に進めていく。

 生かされた、その事実を胸に抱き、荒れ果てた大地を突き進む――

 悔恨が身を焼き、己の無力さが心を締め付ける。

 されど、その意志は折れず――

『必ず助けるから』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ