第7章『夢幻の追憶者』
自分のようで自分じゃない――
そんな記憶が夕日に照らされて蘇る――
追憶の先に何が待ち構えているのだろうか。
『思い出せるかな……?』
沈み行く斜陽が荒れ果てた大地を覆う瞑色を濃くしていく。
その地に繁栄していた人々の営みは不条理に蹂躙され、戦火の傷の深さを物語っていた。
その光景を高台から見下ろし、胸中に寂寥感と言い知れぬ何かを募らせていく。
――見たことのない景色……
だけど、これはかつて目の当たりにしたであろう光景であると直感が訴えかけている。
何故その光景が、今目の前に広がり知覚出来ているのかと言うと、
――夢だ……
TOIKIから解放されてから時折見る夢が、こうして失われたであろう記憶を刺激し、かつての自分を追体験させてくるのだ。
だが、今の自分からしたら身に覚えがない事なので、実感はなく、自分ではない誰かの記憶を見せられている感覚に陥りそうになる。
これはかつて体験した事だと裏付けるのが、己の直感だけである以上、もしかしたらという思いもある。
だが、
「あ、すのぴ! こんな所に居たんだ」
背後からの呼び掛けに、こちらの意思とは関係なく視線が背後へと移っていく。
そのことで、この身がすのぴ――つまりは、自分である事の証左であると判断する。
振り返った先には、純白のドレスの裾をたなびかせ、空より舞い降りて来た女性がこちらを心配そうな表情で見つめている姿があった。
いつも夢に出てくる、だけど名前がどうしても思い出せない女性に向けて、
「■■■■■■――」
口元が動く感覚があり、この身が何か言葉を発したのだと思うが、聴覚が雑音に阻害され、それが何なのかが認識出来なかった。
恐らく、彼女の名前を口にしていたのかもしれなかったが、名前が思い出せないことが原因で、その名を認識出来なかったのだろうか……
「もぉ、聞いたよ。また無茶したんでしょ?」
「ご、ごめんなさい……でも、あの時はああするしかなくて」
聞き取れなかったのは先程の部分だけで、口を尖らせながら詰め寄ってくる女性との会話ははっきりと聞き取れていた。
――さっきのは、いったい……
疑問に対する答えなどここには存在せず、二人の会話はこちらの意識が介入する余地もなく、ただただ続けられていく。
「いくらすのぴが《再生》持ちだからって、無理したら嫌だよ……」
鮮やかな紫掛かった紅い瞳が、本心から心配していることを伝えてくる。
だが、それを受け止めるべきこちらは固い決意を表明するかのように、
「……だけど僕は、そうする必要があれば――」
「やめてよね、そういう自己犠牲は」
こちらの言葉を遮って、彼女は真剣そのものの眼差しで睨み付けてくる。
「皆がこの状況をどうにかしようと頑張ってくれている――すのぴも出来る精一杯の事をしてくれてるのも分かってる」
だけど、と一拍間を置き、
「出来ることなら、傷付いて欲しくないよ……」
そう言って悲しげに目を伏せる彼女に、返す言葉を探しながら、その肩に手を伸ばし――
◆
意識が急浮上する感覚に、全身が跳ね上がったような錯覚に襲われる。
急速に開かれた視界が捉えたのは、夜の帳にお覆われた漆黒の闇だった。
窓は全てカーテンで遮られており、外の様子は分からないが夜の時間であることは間違いないだろう。
闇に慣れてきた視界の中で、枕元に置かれていた照明に手を翳す。
組み込まれた魔鉱石が常に仄かな明かりを灯している。
体内のマナを極少量流し込むと、魔鉱石が放つ光が増して周囲を照らしてくれる。
――とらさんは……良かった、起こしてないみたい……
とらが隣のベッドで静かな寝息を立てているのを確認して胸を撫で下ろす。
ここに来るまでの道中、魔物や野盗を警戒してろくに寝ていなかったのを知っているので、彼の安眠を遮るような真似をせずに済んで安堵する。
――もしかしたら、起きてることには気付いてたりするのかな……?
歴戦の戦士であれば、そういったこともありえるのだろうかと想像を働かせるが、それを確認したことで薮蛇になってしまっても申し訳ないので、浮かんだ想像は闇の中へと沈めてしまうことにする。
――それにしても、さっきの夢……
最初に見た頃よりもより鮮明になってきた内容を思い返し、ゆくゆくは記憶を取り戻すことが出来るのではないかという淡い期待が芽生えるが、それと同様に思い出すことへの怖さも感じているのを自覚する。
自分の身に何が起きたのか、あの女性は誰で今はどうしているのか、そしてあの荒廃した光景が意味すること――知りたいようで知るともう後戻り出来なくなるような感覚が胸の奥を苛んでいる。
「ふぅ……」
今ここで思い悩んだ所でどうしようもないことだと、気持ちを無理矢理切り替えようとして頭を振る。
思いの外喉の渇きを感じていることに気付き、サイドチェストに置かれた水差しに手を伸ばすが、
「あ……」
空になっていたそれを持ち上げ、仕方がないと一階の酒場兼宿の受付まで替えのものを受け取りに行くことにする。
音を立てないように細心の注意を払い、静まりかえった廊下を進む。
年季が入った床材がどうしても軋む音を立ててしまう。他の宿泊客にも迷惑が掛からないよういつもより遥かにゆったりとした歩調で、廊下の端にまで辿り着き、階下からの明かりが漏れる階段を下っていく。
微かな人の気配を察知し、幾分か気が楽になるのを感じる。
階段を下りきり、酒場の一角に腰掛ける女性の姿を見付け、
「ひっく……ぐすっ…………かぷこーん様」
呼び掛ける前に聞えてしまった嗚咽混じりの声に、胸を鷲掴みにされたかのような痛みを覚える。
――バニラ、さん……
中途半端に持ち上げた腕を引っ込めようとした所で、気配を感じたのか彼女がこちらへと振り返る。
「あ……」
「えっと…………こんばんは」
こういう時、どう声を掛ければ良いのか分からず、気の抜けた挨拶を口に出してしまっていた。
薄暗い照明に照らされた二つの影が、世界から切り離されたかのように動きを止めていた。
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