第5章『宿酒場の情報交換者達』
自らの不明を埋めるために。
相手のことを知るために。
言葉を交わすことこそ相互理解の始まりーー
『聞かせてくれないか?』
「本当に申し訳ありませんでしたわ!」
「あー……こっちにも落ち度があったわけだし、そう気にするなよ」
女騎士――バニラ・クリムの腰を直角に曲げた謝罪が年季が入った室内の床へとぶつけられる。
ここへの道中でも幾度となく繰り返されているそれに対して、危害を加えられそうになった身としては小言の一つでも言ってやりたくはあったが、すのぴに対する教育不足が招いた事態でもあったとも言えるので、当たり障りのない台詞で言葉を濁すだけに留めておいた。
バニラが正気を取り戻した後、場所を彼女が滞在している宿酒場に移し、こうして彼女の宿泊部屋へと招かれたのである。
宿酒場の女主人や従業員からは訝しまれたが、さもありなん。
年若い女性の宿泊先に、我ながらの強面とフードを目深に被った怪しげな兎人族が連れ込まれようとしたならば不審に思われるのも致し方ない。
それでも、誤解による疑念が堰を切る前に提示したギルドの徽章のお陰で難を逃れることが出来たので、改めてギルドに対する信頼度の高さが窺えた。
「では、早速ですが……」
ようやく気を取り直したバニラが居住まいを正し、こちらへと視線を送ってくる。
要求されるものが何かは明白だったので、こちらから言葉にしてやる。
「あぁ、深淵領域で何があったのか――まずはそこからだな」
◆
とらが話を終えた時、胸の奥が張り裂けそうな痛みを覚え、今にも涙が溢れ返り、咽び泣きそうな衝動に駆られかけた。
だが、先の醜態に加えて、これ以上無様な姿は晒せないと、懸命に溢れ返りそうになるものを抑えつける。
――覚悟は、しておりましたのに……
彼等がこうして自分の前に現れたのだから、かぷこーんの身に何かがあったのだと、話を聞く前に心の準備をしたつもりだったのだ。
だが、悪い予感が現実のものとして突き付けられ、心を掻き乱さずにいられる程、達観している訳ではない。
零れ落ちそうになる感情が胸の中で暴れ回るのを抑え、こちらの問いに答えてくれたとらに対して謝辞を述べる。
「ありがとうございますわ……それと、すのぴさん、でしたわね」
とらが話してくれている間中、フードを外して露わになっていたすのぴの表情には、悔恨や居たたまれなさが如実に顕れていたのである。
話を聞く限り、自分を助けるためにかぷこーんが犠牲になったのだと思っているのであろう。
そんな負い目を感じているであろう彼に、かぷこーんの代わりに言えることは、
「よくぞ、ここまで無事でいてくれましたわ。きっと――かぷこーん様もお喜びになられるかと存じますわ」
握り締められた手を取り、そっと指を押し広げていく。
掌には爪が食い込み、皮膚を裂いて血が滲んでいるの見て、手早く治癒魔法を唱える。
「どう、して……?」
癒しの緑光を眺めながら、すのぴが躊躇いながらも問い掛けてくる。
こちらの言葉の根拠を知りたいのだろうか、あるいはこの発言の意図が分からないのかは判然としないが、それでも彼に伝えておかねばならないことをはっきりと、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「ここまでの道程は――そちらのとらさんのお力が多分にあってこそだったのでしょうが、それとは別に、貴方が現実に打ちのめされようとも、生きる意志を手放さなかった。だから、ここまで辿り着けたのだと思いますわ」
「それ、は……」
「かぷこーん様なら、そのことをお喜びになるはずですわ。だからどうか、そのように後ろめたくなさらないでくださいまし」
かぷこーんは騎士としての信念に従い、彼を助けることを選択したのだ。
それをどうか負い目に感じてほしくないというのは、今の彼にとっては酷な願いかもしれなかったが、
「――はい」
涙を堪えた瞳に見据えられ、静かな、しかし確かな声が耳の奥へとはっきりと届いた。
――お強い方、ですのね……
記憶のほとんどを持ち合わせていないことから、人との関わり方に疎く、どのように振る舞えば良いのかが分からず狼狽していただけなのだろう。
だが、この短い間のやり取りでも感じ取れる程に、本来は芯の強さを持っている人物なのだと感じ取れた。
気弱そうな表情から誤解していたが、心根がしっかりとしていることに認識を改めることにする。
「――お前さんには、これも渡しておかないとな」
こちらの話が一段落したのを見て、とらが懐から取り出したものを差し出してくれる。
「これは、かぷこーん様の……」
彼が手にしている羊皮紙の束と彼の顔に視線を行き来させると、とらは静かに頷き、
「仲間に渡してくれ、って……封印処理はされていなかったが、中身は確認していない。まずはお前さんの方で検めてくれ」
受け取ってそれに目を通すと、確かに魔法による封印処理は施されておらず、見ようと思えばいくらでも見れたはずである。
そうしなかったのは、彼が持つ職業倫理がそうさせたのだと推測出来た。
もちろん、彼の言葉が虚偽であるという可能性もあるが、
――ギルドの英雄、ですものね……
ギルドの顔役とも呼べる人物がそのような小賢しい真似はしないだろう。
むしろ情報の秘匿性を察して、閲覧を避けてくれたのだろうと結論付けて、逸る気持ちを抑えながら中に記された文字を追っていく。
見慣れたかぷこーんの筆跡で綴られていたのは自分と別行動を取ってからの記録であった。
深淵領域に単身乗り込み、どのようにして目的の物を手に入れたのかが記されており、
「貴方がたが、お持ちなのですわね?」
先程のとらの説明やかぷこーんの手記を照らし合わせ、現状を鑑みた場合、かぷこーんが自分たちがここまで来た目的の物――マジカルソフトを彼らに託したのだと確信する。
「あぁ、これもあいつから預けられたものだ」
懐のボックスから通常空間に取り出されたそれを、とらはこちらに掲げてみせた。
掌に収まるほどのサイズのそれは、名が体を表しているように見た目は広く民衆に愛されている氷菓そのものであった。
「かぷこーんがこいつを使用した時には、頭の中に響いてくる声が聞こえてきたんだが……今はウンともスンとも言わねぇ」
「そのよう、ですわね」
それを観察してみても微弱過ぎるマナしか感知出来ず、とてもではないが伝説の願望器と言われても信じるのは難しいだろう。
だが、これを探し当てたかぷこーんがその力を発動させようとし、不発に終わったとはいえ、その力の発露の一端を垣間見た彼等の証言がある以上、今のこれは何らか理由により休止状態に陥っているのだと考えるのが妥当だろう。
「ともかく――それをここまで運んでいただきましたこと、心より御礼申し上げますわ。ここから先は私が責任を持って、我が王の元へ持ち帰らせていただきますわ」
「それについてなんだが――条件がある」
◆
「条件、ですの?」
こちらが放った言葉に、バニラが警戒を強め、大きな瞳が鋭さを宿していく。
身構える彼女を見てすぐさま掌で制する。
「誤解するな。何も大金を要求しようだとか、これがもたらすであろう恩恵に預かろうって話じゃねぇ」
「では、何をお求めですの?」
こちらの要求が分からず、バニラの疑念が強まるのを感じる。
だが、こちらはまだ条件を提示していないのだから、早々に拒絶の雰囲気を醸し出すのは遠慮願いたい。
固くなった彼女の態度を払拭するためにまずは、
「一つは、これを手に入れてどうするのかの確認だ」
TOIKI相手にはその効力を発揮しなかったが、かぷこーんの変貌を目にした手前、これが大いなる力を秘めた願望器であるのは間違いないだろう。
伝説に謳われる奇跡の具現を一国家が保有するというのは、ギルドの一員として手放しで認めるのは難しい。
その力の大きさ故に、争いの火種になりかねない。
マジカルソフトを奪い合うような騒動――それこそ戦争にまで発展してもおかしくないのである。
民衆を守り、大陸の安寧のために尽力しているギルドとしては、返答次第では緊急性の高い対応を強いられるだろう。
――正直に話してくれるかどうかも分からねぇがな……
正しい内容を答えられたとしても、即時の確認は難しいだろう。
なので、相手の挙動を具に観察し、真偽を見抜くしかない。
「――お二人は、西領の情勢はどこまでご存じですの?」
バニラの一挙手一投足を見落とさないように意識を研ぎ澄ませていると、すのぴとこちらに視線を送り、問い掛けてくる。
記憶を持たないすのぴは当然、分からないと首を横に振ってみせた。
ならばと、二人の視線が集中したので、わざわざこのタイミングで問い掛けてきた意図を推察し、
「細部までは把握し切れていないが――緊張状態が続いているんだったな」
バニラが黙して頷くのを見て、脳内で幾つかの推測を打ち立てていく。
西領の国々はぽぽぽ神教の総本山とされる《聖域》を有していることから、信仰心の厚いことで有名である。
それ故に古くは、少数派の他教徒や、穢れた血として亜人に対して迫害や弾圧が続けられていた。
それによって引き起こされた紛争や虐殺を問題視した有志各国の働きかけにより、一応の沈静化を迎えたわけだが、
――今なお根強い問題として残っているんだよな……
ギルドとしても警戒の目を向けてはいるが、西領の各国は騎士団を有していることからギルドが介入する余地が少なく、詳細な情報を入手出来ていないのが実情である。
それでも《聖域》をはじめとする主要国に対しての不満が高まり、情勢が不安定になってきていることを把握出来ているのは、それだけ西領諸国の緊張が明らかに高まっていることの顕われであろう。
つまり、
「戦争が始まる、ってことか」
こちらの推測にバニラは表情を動かすことなく頷き、
「我が王の見立てでは、この一年の内に、とのことですわ」
「おいおい……」
思っていた以上に事態は逼迫しているようだった。
ならば、マジカルソフトを求めた理由は軍事力の強化か、開戦を遅らせるための抑止力とするためか――否、それを理由にするのはあまりにも非現実的だ。
あるかどうかも曖昧なものに労力を割くぐらいなら徴兵を行って兵力を整えたり、外交で緊張状態を緩和させる方がまだ成果が期待出来るだろう。
だが、現にかぷこーんはマジカルソフトを手に入れているのである。
――存在を確信していた、のか……?
新たな疑問が頭を過ぎるが、今は脇に置き、問うべきことを口にする。
「マジカルソフトを求めた理由は戦争に備えて――だけじゃねぇよな」
「そうなの?」
話の流れがよく分かっていないであろうすのぴが首を傾げる。
それに対して先程の思考を口に出して説明すると、バニラから首肯が送られてくる。
「お察しの通り、あくまで表向きはそれが理由ですが――本当の理由は」
バニラが一度目を伏せ、間を置く。
これからの話す言葉を選ぶようにして、遂に発せられた言葉は、
「いずれ訪れる厄災に向けて、ですわ」
◆
「厄災……随分と穏やかじゃねぇな」
とらが表情を歪めるのを見て、それも致し方ないと思う。
突然そんなことを言われても信じられないのが正常な反応だろう。
だが、
「ソルベ法国の国宝である予言書に記されておりましたの――大いなる戦乱の後に、天より来る災いが世界を覆う、と」
「……それの信憑性は高いのか?」
息を吞んでいたとらが苦々しそうに言葉を発してくる。
半信半疑の様子であったが、今まで予言書に記されてきた内容は解釈の幅はあれど、その全てが実際に起こってきたのである。
「確実と言っても過言ではありませんわ。直近のことでしたら、戦乱が起きる前に胡乱な存在が暗躍すると記されておりまして、実際に《聖域》やその周辺諸国で怪しげな連中が目撃されておりますの」
その目撃証言が耳に入るようになった頃を境に、西領諸国の緊張が加速度的に高まってきていたので、それらの関与があることは間違いないだろう。
「じゃあ、その災いをどうにかするために、ってこと?」
内容を理解しようと、すのぴが確認の言葉を投げ掛けてきたので、頷きで返す。
「天より来る災いが具体的にどういったものかは分かりませんが、尋常ならざる何かであると予測されておりますわ」
それに対処するためにも、マジカルソフトをはじめとした大いなる力を必要としているのである。
「なるほどな……マジカルソフトを探した理由については理解した。だがな」
とらがそこで大きな溜め息を吐き出し、呆れたような表情を浮かべたかと思うと、
「訊いといてなんだが――予言書とかその辺の話、ぺらぺら喋って良かったのか?」
――あ……
お読みくださりありがとうございます!
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