第93章『春を待ち望むものたち』
巡る季節に思いを馳せて、来るその日を人々は言祝ぐ。
喧騒と活気に包まれる中、それでも私の胸は欠けたままで——
『貴女がいない』
「——それじゃあ、買い取ってもらった代金の半分は、いつものようにアレの手配に回してください」
「あいよ」
薄暗い部屋のソファに身を預けたばさが馴染みの買取商に頭を下げる。
すると、腹部に蓄えた贅肉をさすりながら、買取商の男が手にした紙束へと視線を落とす。
それは、ばさが持ち込んだ魔鉱石や素材を纏めた目録である。
その厚みに男は感心したように息を漏らした。
「にしても、今回はまた随分と大量に持ち込んできたな」
おかげで暫くは在庫に困らなくて済む、と口角を吊り上げる男に、ばさは改めて礼を告げる。
これでこの場での用は終えたとばさが立ち上がると、男が口をまごつかせ——それでも意を決したように言葉を投げ掛けてくる。
「けどまぁ……あんま無茶すんじゃねぇぞ? いくら嫁さんの——」
「大丈夫ですよ」
男の心配げな言葉を遮るように、ばさは目元を細める。
「彼女の——家族のために出来ることなら、どんな手を使ってでもやりきってみせますよ」
◆
店先で待機させていたグランの元へ戻ると、ばさの帰りに気付いたグランが僅かに喉を振るわせた。
「お待たせ。ギルド総本部まで頼むよ」
ばさが堅牢な外殻に覆われたグランの脚を撫でると、すぐさま龍車へと乗り込む。
御者台から改めてグランへ声を掛けると、悠然とした足取りで歩を進めていく。
イースデンは行政府やギルド総本部がある中央区から八方に伸びる大通りとそれらを繋ぐ複数の環状路によって構成される。
大通りによって区分けされた街並み——その中でも最も活気に満ちた商業区をばさは龍車に揺られて行く。
白を基調とした街で多くの者達が各々の生活を織り成している。
露店で商品を売る者。
仕入れの帰りかなにかで、荷車を曳く者。
路面店を持つ者の中には軒先の飾り付けに勤しむ姿も見受けられた。
——そろそろ、だったな……
普段以上の賑わいを見せる光景に、ばさは間近に迫った祭事に思いを馳せる。
比較的過ごしやすい東領の気候であっても、冬を越すのは並々ならぬ苦労がある。
厳しい冬が終わりを告げ、春の訪れを皆で喜び合う。
そのための祝祭——春迎祭が一週間後に控えているのだ。
ワゴンから活気付く街並みを見下ろしていると、こちらに気付いた者達から次々と声が掛けられてくる。
「よう! こないだ仕入れてもらった素材で新商品が出来たんだ! また見に来てくれよ!」
「ばささ~ん! 工面してもらった薬のおかげで母ちゃんの腰が治ったよ! ありがとな~!」
「儲け話を仕入れたんだが、ちょっと聞いて行かねぇかい?」
一つ一つ返していると、ギルド総本部に着くまでに日が暮れてしまいそうだった。
挨拶もそこそこにして、グランに少しだけ歩調を早めるように指示を出す。
流れていく景色に手を振り返して、ばさはそっと笑みを浮かべる。
賑わいを見せる街並みに春の訪れを感じられて、心なしか気分が高揚してくる。
だが、
「——……」
脳裏に浮かぶ姿に、胸の奥でチクリと刺すような痛みを覚える。
白磁のような滑らかな肌と最上級の絹糸を思わせるホワイトブロンドの長髪。
慈愛に満ちた深緑色の瞳を携え、こちらへ微笑みかける姿に——
——あぁ……
「早く、春が来てほしいな……」
溢れ出した言葉は、未だ冷気を宿した風に吹き流されていくばかりだった。
◆
ばさがギルド総本部に到着すると、普段以上の喧騒に出迎えられた。
人の流れが激しく、広大なエントランス内を縦横無尽に行き来していたのだ。
毎年、春迎祭が迫ってくると各地から依頼が飛び込んでくるので、これもまた風物詩と呼べるものだと納得しようとしたばさだったが、人々の様子に違和感を抱いた。
——空気が、いつもより張り詰めてるな……
祝祭を目前とした賑やかさが失われている訳ではない。
それでも、どこか浮き足立った喧騒とは違っていた。
行き交う人々の中——前傾姿勢で人波を掻き分けていく依頼請負人達の表情が強張っているように感じられたのだ。
ばさの記憶に間違いがなければ、険しい表情を浮かべていたのは、その誰もが凄腕の依頼請負人達だった。
明らかに、何かがあった。
このタイミングでとなれば、とら達の話が最上位の依頼請負人達に共有されたのだろう。
その任を果たしている人物は、と視線を巡らせると予想通りの人物を捉える。
毅然とした佇まいで、迅速に指示を出すその姿は、
「フィアナさん」
相手の名を呼び、歩み寄ると向こうもこちらに振り返る。
周囲の者達への指示は済んだようで、彼女の元から依頼請負人達が離れていく。
喧騒から切り離されたかのように、空間が開かれる。
「随分と慌ただしい感じですけど……とらさん達から、例の話を?」
「ええ。貴方のことも伺っていますよ——随分と厄介なことに首を突っ込まれたようで」
しなやかな指先で流れる白銀の髪を耳に掛けながら、フィアナが淡々と言葉を送ってくる。
その言い様に思わず反論しそうになるが、とら達が抱える問題に関わるきっかけは己の軽率な行動からである。
聡明な彼女を相手にどれだけ言葉を並べ立てたとしても、見透かされるのは目に見えている。
「そうなんですよ! いやぁ、とらさんにはしてやられましたよ」
と、軽口で受け流すようにしたものの、フィアナからの視線は鋭く——こちらを諫めるような色を濃くしていった。
「必要なことであっても、貴方が無事でなければ意味がないということ——忘れないようにしてください」
「……えぇ、肝に銘じておきますよ」
今日は似たような忠告を受ける日だな、と苦笑していると、フィアナが話題を変えてきた。
「とらさん達はまだギルドマスターと話しているでしょうし、今の内にご家族の所に向かわれますか」
「そう、ですね……久々に顔を見たいですし」
「そうしてあげてくださ——」
フィアナの表情が僅かに綻んだように見えた直後、全身を跳ね上げられたような衝撃に襲われる。
いや——ような、ではない。
建物全体を揺らした衝撃により、一瞬ではあったが、足が床から離れて身体が宙に浮いていたのだ。
何事かと身構える。
腰を落として、周囲の様子を窺う。
依頼を届け出るために訪れていた者達は明らかに動揺していた。
それを宥めるように、依頼請負人達だけでなくギルドの職員達が立ち回っている。
中でも目の前にフィアナに至っては、身動ぎすることなく——
「ひっ!?」
その表情を見て、思わず息を呑んでしまう。
貼り付けたような微笑に青筋を立てる姿からは、抑えようのない怒りが滲み出ていた。
「どうやら……サボり魔を締め上げなくてはならないようです」
その台詞だけで、彼女が何に腹を立てているのかは分かっていた。
こちらの確信を後押しするかのように、フィアナが視線を向ける先から肌を痺れさせるような威圧感を捉える。
——またか……
ギルド総本部においては、ある意味日常茶飯事とも言える出来事に乾いた笑みが漏れる。
フィアナの視線の先——ギルド内に設けられた修練場にて暴れ回っているであろう人物を思い、憐憫の念を禁じ得ない。
「ギルドマスター、またやってんですか……」
こちらの口から零れ出た言葉を気に留めることなく、フィアナが険しい形相で歩き出していく。
ギルドマスターが暴れ回っている状況では、落ち着いて家族と会うことも出来ない。
仕方ない、と腹を決めてフィアナの後を追うこととする。
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