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もうどうでもよくなったので、私に関わろうとするのはご遠慮ください  作者: はな
本編

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第87話 知らなかったこと



 翌日の午後、王城の正門前に着くと、すでに二人の声が聞こえてきた。


「……どうしてお前が先にいるんだ」

「俺の国だからだが?」


 昨日あれだけ言い合っていたのだから、今日もこうなる可能性は考えていた。

 考えてはいたのだけれど、まさか到着した瞬間から始まっているとは思わなかった。


「お待たせいたしました」

「レティ」

「レティシア」


 声をかけると、それまで言い合っていた二人が同時にこちらを向いた。

 先ほどまで互いに向けられていた視線が、一瞬で私へ集まる。


「待ったか?」

「いいえ。今来たところです」

「そうか。じゃあ行くか」

「ああ」


 当然のようにアルバートが返事をすると、リオンがゆっくりとそちらへ顔を向けた。

 何とも言えない間が落ちる。


「お前に言ってねぇよ」

「知っている」

「…………」


 開始一分でこれである。


 昨日、自分で三人を選んだのだから仕方がない。

 そう自分に言い聞かせながら、私は二人とともに城下町へ向かった。


 王城を出てしばらくすると、リオンは物珍しそうに辺りを見回し始めた。


「へえ。思ってたより店が多いな」

「この辺りは特に多いですね。もう少し東へ行くと職人街があります」

「そっちも見てみたい」

「では、あとで行きましょうか」

「ああ」


 歩きながら、リオンの視線は忙しなく動いている。露店に並ぶ果物、店先に吊るされた色鮮やかな布、通りを走っていく乗合馬車。王太子として他国を訪れているというより、初めて来た街を楽しんでいる旅人のようだった。


「リオンさん、楽しそうですね」

「楽しいぞ」

「そうなのですか?」

「知らねぇ場所を見るのは好きだからな」


 言われてみれば、意外なことではなかった。

 王族でありながら各地を回り、旅にも慣れているリオンなら、知らない場所を見ることが嫌いなはずもない。


 けれど、それを彼自身の「好きなこと」として考えたことはなかった。


「……そうだったのですね」

「何が?」

「リオンさんが、知らない場所を見ることがお好きだということです」

「言ってなかったか?」

「聞いた覚えはありません」

「そうか」


 リオンは記憶を辿るように少し考え込んだあと、そういえばわざわざ話したことはなかったか、とでもいうように肩を竦めた。


「旅してた時も、気の向くまま進んではいたけど、結局あちこちで色々あっただろ。こうやってのんびり街を見ることは、あんまりなかったしな」

「確かにそうですね」


 私はリオンのことを、旅を通してたくさん知ったと思っていた。

 けれど考えてみれば、あの頃の私たちは行き先さえその時々で決めながら、気の向くままに旅をしていた。


 その先々で困っている人に出会い、異変に気づき、放っておけないまま関わっているうちに、いつの間にか大きな事件へと辿り着いていたのだ。


 好きな食べ物は何か。

 どんな場所に行きたいのか。

 何をしている時が楽しいのか。


 そんなことを尋ねる余裕は、あまりなかったのかもしれない。


「では、今日はたくさん見ていきましょう」

「いいのか?」

「そのために来たのでしょう?」

「そうだけどな」


 リオンは一瞬目を丸くしたあと、嬉しそうに目を細めた。

 その表情は、先ほど城下町を眺めていた時よりも楽しげに見える。


「やっぱり、お前に頼んでよかった」

「まだ何も案内していませんよ」

「これからしてくれるんだろ?」

「そのつもりです」

「ならいい」


 ふと隣へ視線を向けると、アルバートが静かにこちらを見ていた。

 リオンとの会話に口を挟むわけでもなく、けれど何か言いたそうな表情をしている。


「殿下?」

「何だ?」

「何か?」

「いや」

 

 そう答えたものの、アルバートはまだ何か言いたげにこちらを見ていた。

 やがて黙っていられなくなったのか、少しだけ不満そうに口を開く。


「……俺もいるからな」

「見れば分かります」

「ならいい」

「何がです?」

「何でもない」


 最近は何でも口にするようになったと思っていたけれど、どうやらすべてではないらしい。


 しばらく歩いたところで、甘い香りが漂ってきた。通りの角に、小さな菓子店がある。


「あ」


 甘い香りに惹かれて、私は無意識に歩みを緩めた。


 ほんのわずかな変化だったはずなのに、隣を歩いていたアルバートはすぐに気づいたらしい。

 私の視線の先にある菓子店を確かめるように見てから、こちらへ顔を向ける。


「寄るか?」

「……まだ何も言っていません」

「見ていたからな」


 そう答えたアルバートが、ふと口を閉じた。

 何かに気づいたように私と菓子店を見比べると、わずかに苦笑する。


「……いや」


 そして、今度はきちんと私に尋ねた。


「食べたいか?」

「はい。食べたいです」

「そうか。なら寄ろう」


 その一連のやり取りを、リオンは黙って眺めていた。

 やがて何かに気づいたように私とアルバートを見比べると、興味深そうに眉を上げる。


「お前ら、何かやってんのか?」

「何かとは?」

「前より妙に会話するようになってる」

「今、互いの好きなものを探しているところです」

「好きなもの?」


 聞き返したリオンに、私は小さく頷いた。

 こうして言葉にすると少し不思議な気もするけれど、今の私たちがしていることを説明するなら、それが一番近い。


「十年も婚約していたのに、お互いのことをあまり知らなかったので」

「十年いて?」

「はい」

「……何してたんだ、お前ら」

「婚約者をしていた」

「それ前にも聞いたな」


 呆れたようなリオンの視線を向けられても、アルバートはまったく動じない。

 以前なら触れにくかったはずの十年間のことも、今ではこうして自分から口にするようになった。


「だから今、知り直している」

「へえ」


 リオンは少し意外そうな顔をして、私とアルバートを交互に見た。

 何かを確かめるようにしばらく二人を見比べたあと、納得したのか小さく頷く。


「お前、意外と進んでるんだな」

「進んでいる?」


 何がだろう。

 首を傾げると、リオンは私の顔を見てしばらく黙った。


「……いや。何でもねぇ」

「何ですか?」

「知らなくていい」

「気になります」

「そのうち分かるだろ」


 隣を見ると、アルバートも何かを察したようにわずかに口元を緩めていた。どうやら、分かっていないのは私だけらしい。


「何です?」

「いや。俺も何でもない」

「お二人とも、何なのです」


 よく分からない。


 店に入ると、焼き菓子や小さなケーキが所狭しと並んでいた。

 私はしばらく迷った末、桃を使った菓子を選ぶ。


「やっぱりそれか」

「好きですから」

「ああ。知っている」


 アルバートは迷わず、ナッツを使った焼き菓子を選んだ。

 それを見て、私はふと思い出す。


「殿下、それがお好きなのですね」

「ああ。最近分かった」

「以前も召し上がっていましたよね?」

「覚えていたのか?」

「はい。先日のお茶の時にも選んでいらっしゃいましたから」


 アルバートが少し目を見開く。

 それから、嬉しそうに笑った。


「そうか」

「何です?」

「いや。君も俺を見てくれているんだと思ってな」

「…………」


 そんなふうに嬉しそうに言われると、妙に気恥ずかしくなる。

 ただ、彼が選んでいた菓子を覚えていただけなのに、それをこんなにも喜ばれるとは思っていなかった。


 何となく視線を逸らして、私はまだ菓子を選んでいるリオンへと顔を向けた。


「リオンさんは?」

「俺?」


 振り返ると、リオンはまだ並んだ菓子を眺めていた。

 いくつかの商品を見比べているものの、どれを選ぶか決めかねているらしい。


「何がお好きなのですか?」

「レティ」

「…………」

「…………」


 予想もしなかった答えに、私は思わず隣を見た。

 アルバートも同じようにリオンを見ていて、その表情には何とも言えないものが浮かんでいる。 


「それは俺が先に言った」

「知らねぇよ」

「私以外でお願いいたします」

「俺と同じこと言うんだな」

「同じこと?」


 意味が分からなかったのか、リオンが訝しげにアルバートへ視線を向ける。

 アルバートが何か答えるより先に、リオンはすぐに思い当たったようだった。


「こいつにも聞いたのか?」

「はい」

「何て答えた?」

「…………」


 さすがにそれを私の口から言うのは気恥ずかしくて、答えに詰まる。


「レティシアだ」

「…………」


 代わりに答えたのはアルバートだった。


 リオンはアルバートの顔を見たまま、しばらく黙り込んだ。


 やがて堪えきれなくなったように、ふっと吹き出す。

 どうやら、まったく同じ答えを返していたことが余程おかしかったらしい。


「お前ら、本当に何やってんだ」

「笑うな」

「いや、笑うだろ」

「リオンさんも同じ答えでしたけれど」

「俺はいいんだよ」

「何が違うのですか?」

「全部」

「分かりません」


 結局、リオンは店員に勧められた菓子をいくつか買った。

 好きなものは、これから探すらしい。


 店を出たあとも、私たちは城下町を歩いた。

 職人街では、リオンが金属細工の店に興味を示した。

 装飾品だけでなく、食器や小物、魔法具の部品まで並んでいる。


「こういうの、ヴァルガードとは結構違うな」

「そうなのですか?」

「ああ。向こうはもう少し装飾が細かい。こっちは形がすっきりしてる」


 そんな話をしながら店内を見ていると、リオンがふと足を止めた。

 視線の先には、小さな髪飾りがある。銀細工に淡い青色の石が嵌め込まれた、控えめなものだった。


「レティ」

「はい?」


 呼ばれて近づくと、リオンがそれを指す。


「これ、似合いそうだな」

「私にですか?」

「ああ」


 リオンは髪飾りと私を見比べた。


「お前の髪なら、このくらいの色が映えるだろ」

「綺麗ですね」

「欲しいか?」

「え?」


 すぐに買おうとするのではなく、尋ねられたことに気づく。


「……少し、欲しいです」

「じゃあ買う」

「ですが」

「俺が贈りたい。嫌なら断れ」

「…………」


 私はもう一度、髪飾りを見る。確かに、好きだと思った。


「では……ありがとうございます」

「ああ」


 リオンが満足そうに笑った。


 その横で、アルバートがじっと髪飾りを見ている。


「殿下?」

「何でもない」

「またですか?」

「今回は本当に何でもない」


 そう言いながら、何でもない顔には見えなかった。


 店を出て少し歩いたところで、今度はアルバートが足を止めた。


「レティシア」

「はい?」

「少し寄ってもいいか?」

「もちろんです」


 入ったのは書店だった。王都でも古くからある店で、専門書や研究書も多く扱っている。


 アルバートは迷うことなく奥へ進むと、一冊の本を手に取った。


「これ」

「……あ」


 見覚えがある。


 以前、魔力異常について調べていた時に話題にした、地方ごとの古い魔術記録をまとめた研究書だった。


「これ、探していたものです」

「ああ」

「覚えていたのですか?」

「君が欲しいと言っていただろう」


 私は本を受け取る。


「でも、なかなか見つからないと」

「ここなら入るかもしれないと思って、店主に頼んでおいた」

「…………」


 そんなことまでしていたのか。


「欲しいか?」


 アルバートが尋ねる。


 その言葉に、私は少しだけ笑った。


「はい。欲しいです」

「なら、俺から贈らせてほしい」

「ありがとうございます」


 髪飾りとはまったく違う。


 リオンは店先で見つけて、私に似合うと思ったものを贈ってくれた。アルバートは、以前私が口にした言葉を覚えていて、欲しかったものを探してくれていた。


 どちらが嬉しいのか。そんなことを考える必要はないのだと思う。


 どちらも嬉しい。ただ、その嬉しさは、少しだけ違う気がした。


「そういえば」


 書店を出たところで、リオンが言った。


「レティは何が好きなんだ?」

「私ですか?」

「ああ。二人で好きなもの探してるんだろ?」

「はい」

「じゃあ、お前のも探してんのか?」

「……そうですね」


 聞かれて、少し考える。


 桃。甘いもの。本を読むこと。


 以前より、答えられるものは増えた。けれど。


「知らない場所へ行くのも、好きかもしれません」

「へえ」

「旅に出る前は、そう思ったことはありませんでしたけれど」


 知らない景色を見ること。

 知らない人と話すこと。

 自分の知らなかったものを知ること。


 旅に出るまで、そんなことを楽しいと思う自分がいることさえ知らなかった。

 けれど、行き先を自分で決めながら知らない場所を歩く時間を、私は確かに楽しんでいたのだと思う。


「じゃあ俺と同じだな」

「そうかもしれません」

「今度ヴァルガードに来いよ。まだ見せてない場所が山ほどある」

「お前はすぐそうやって誘うな」

「何だよ。レティが知らない場所好きだって言ったからだろ」

「俺もフィオーレで知らない場所を探す」

「張り合うところか?」

「張り合っていない」

「嘘つけ」


 また始まった。


 けれど、今度は止めずに少しだけ笑った。


 帰り道、三人で歩きながら、私は今日知ったことを思い返していた。


 リオンが、知らない街を見ることを好きだということ。

 アルバートが、ナッツを使った焼き菓子を好むこと。

 そして私自身も、知らないものを見ることが好きなのかもしれないということ。


 知っていると思っていた人にも、まだ知らないところがある。


 十年隣にいたアルバートにも。

 旅をともにしたリオンにも。

 そして、自分自身にも。


「楽しかったか?」

「はい。楽しかったです」


 リオンに尋ねられて私は顔を上げ、迷わず答える。


「殿下は?」

「ああ。俺も楽しかった」

「俺には聞かねぇの?」

「リオンさんは、聞かなくても分かります」

「何でだよ」

「ずっと楽しそうでしたから」

「まあ、楽しかったけどな」


 そう言ってリオンが楽しげに笑う。

 そのやり取りを聞いていたアルバートの口元にも、いつの間にか小さな笑みが浮かんでいた。


 そんな二人に挟まれて城へ戻る道を歩きながら、私はふと、二人と過ごす今の時間について考えていた。


 アルバートと過ごす時間は、以前とは違う。

 婚約者だった頃の十年間を取り戻しているわけではない。

 あの頃には聞かなかったことを聞き、言わなかったことを言いながら、今の私たちとして、新しい時間を積み重ねている。


 そしてリオンのことも、旅をしていた頃に知っただけではなかった。


 王太子になった今のリオン。

 何かを守るためでも、事件を解決するためでもなく、ただ知らないものを見て楽しそうに笑うリオン。


 今日、また一つ知った。


 どちらと過ごす時間がいいのか。

 今は、そんなふうに比べなくてもいい。


 ただ私は今日、二人と一緒に城下町を歩いて、楽しいと思った。

 それだけは、はっきりしている。


「レティ、次はあっち行こうぜ」

「もう帰るところだ」

「次に来た時の話だよ」

「次も俺は行く」

「何でだよ」

「嫌だからな」

「便利に使いすぎだろ、それ」

「お前には言われたくない」


 また始まった二人の言い合いに、私は思わず笑った。


 どうやら、今日一日で二人について分かったことが、もう一つある。


 二人を一緒にすると、とても騒がしい。


 それだけは、もう間違いなかった。





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