第82話 おかえり
――フィオーレへ帰る。
そう決めてしまうと、不思議なほど迷いはなかった。
昨日まであれほど考えていたはずなのに、行き先を一つ定めただけで、次にするべきことが自然と見えてくる。
部屋へ戻ってアンナにそのことを告げると、彼女は驚くこともなく頷いた。
「では、お帰りになるのですね」
「……驚かないの?」
「少しは驚いております」
「そうは見えないけれど」
「お嬢様がご自身でお決めになったことですから」
そう答えながら、アンナはすでに荷物をまとめ始めていた。
旅にもすっかり慣れたその手は迷いなく動き、必要なものを次々と仕分けていく。
その姿を眺めているうちに、私はふと思った。
「アンナ」
「はい」
「アンナは、どうしたい?」
荷物へ伸ばしかけていた手が止まり、アンナが不思議そうにこちらを振り返った。
「私ですか?」
「ええ。私はフィオーレへ帰ることにしたけれど、アンナまで同じ選択をする必要はないでしょう?」
以前の私なら、こんなことは聞かなかったかもしれない。
アンナは私の侍女なのだから、私が帰るなら当然一緒に帰る。
疑問を抱くことすらなく、そう考えていただろう。
けれど、アンナにもアンナ自身の意思がある。
「もし、ここに残りたいのなら――」
「お嬢様」
最後まで言い終えるより先に、アンナが静かに私の言葉を遮った。
「以前にも申し上げたはずです。私は、お嬢様のお側にいたいのです」
「…………」
「王家から命じられたからでも、侍女だからでもございません。私が、そうしたいのです」
その言葉が、胸の奥へゆっくりと染み込んでいく。
そうだった。
アンナは以前にも、自分の意思で私についてきたのだと言ってくれた。
それなのに今度は、私のほうが彼女の意思を決めつけるところだった。
「……そうだったわね。では、一緒に帰ってくれる?」
「もちろんです。どこへでも、お供いたします」
「それでは困るわ」
「なぜです?」
「今度は、アンナも嫌な時は嫌だと言ってちょうだい。私も、気をつけるから」
思いがけなかったのか、アンナが目を瞬く。
自分の人生を自分で選びたいと願うのなら、同じように、誰かが選ぶことも大切にしなければならない。
そんな当たり前のことに、私はようやく気づいたのかもしれない。
しばらく私を見つめていたアンナは、やがてどこか嬉しそうに目元を和らげた。
「承知いたしました、お嬢様」
◇
出発は翌朝となった。
城門前にはすでにフィオーレへ向かう馬車が並び、従者たちが慌ただしく最後の確認をしている。
アルバート殿下も同じ日に帰国することになっていたため、途中までは王家の一行と共に進むことになっていた。
けれど、それは殿下と一緒に帰ることを選んだという意味ではない。
行き先が同じで、出発する日も同じ。そして国境までの道も同じ。
ただ、それだけだ。
アンナと馬車へ向かおうとしたところで、不意にアルバート殿下から呼び止められた。
「アンナ」
「はい」
アンナが足を止め、王太子に対する礼を取る。殿下はそんな彼女をしばらく見つめてから、静かに口を開いた。
「フィオーレへ戻ったあと、今回のことで君が咎められることはない」
「…………」
アンナの表情が、ほんのわずかに強張った。
「殿下?」
思わず私が声を上げると、殿下はこちらへ視線を移した。
「アンナは王家から、次期王太子妃となる君のもとへ派遣された侍女だ。君が屋敷を出るのを止めず、そのまま国外まで同行したことを問題にする者が出る可能性はある」
言われて初めて、その意味を理解した。
私にとってアンナは、あの日、自分の意思で一緒に来てくれた人だった。
それだけで十分だと思っていたけれど、王家から派遣された侍女という立場で考えれば、彼女の選択は決して軽いものではなかったのだ。
「それなら、私が説明します。アンナは――」
「必要ない。俺から父上には話しておく」
「ですが、殿下」
今度はアンナが静かに口を開いた。
「私は、自分の意思でお嬢様に同行いたしました」
「ああ。分かっている」
「でしたら――」
「だからこそだ」
穏やかな声だったけれど、そこに迷いはなかった。
「君が同行しなければ、レティシアは一人でも屋敷を出ていただろう」
「…………」
否定できなかった。
あの日の私は、アンナがついてきてくれなかったとしても、一人で出ていったと思う。
「知識はあっても、実際に旅をした経験はなかった。それでも、レティシアなら一人でもどうにかしただろうが、どうにかできることと、安全にできることは違う」
あまりにも当然のように言われ、思わず殿下を見る。
「……どうしてそこまで分かるのですか?」
「十年も君を見ていたんだ。それくらいは分かる」
「…………」
確かに、前世の記憶がある私には、宿を取ることも、必要なものを買い揃えることも知識としては分かっていた。
けれど、この世界で貴族令嬢としてではなく一人の旅人として町を歩くことは、あの日まで一度も経験したことがなかった。
殿下はそれ以上その話を続けず、再びアンナへ向き直った。
「君がいたから、レティシアは一人にならずに済んだ。俺ができなかったことを、君がしてくれた」
そこでほんの少し間を置き、静かに続ける。
「だから、感謝している」
アンナが目を見開いた。
「王家には俺から説明する。必要なら、レティシアの安全を確保するため、君の同行を俺も了承していたことにして構わない」
「ですが、それでは事実と異なります」
「それでも、その責任を君一人に負わせるつもりはない」
アンナはしばらく黙っていたけれど、やがて深く頭を下げた。
「……ありがとうございます、殿下」
「ああ」
私も胸の奥が少し温かくなるのを感じていた。
私が何も知らずに旅をしていた間、この人にも、この人なりの心配があったのだろう。
そして今は、私を連れ出したとアンナを責めるのではなく、側にいてくれたことに感謝している。
それだけでも、以前とは何かが違う気がした。
「ただ」
これで話は終わったのだと思ったところで、殿下が再び口を開いた。
「君が、俺の知らない旅先のレティシアを一番近くで見ていたことについては……少し羨ましく思う」
「「…………」」
今度は私とアンナが揃って黙った。
「殿下?」
「何だ?」
「まさかとは思いますが、アンナにまで嫉妬なさっているのですか?」
「悪いか?」
「…………」
否定するどころか、あっさり認められてしまった。
「君がアンナを大切に思っていることは分かっているし、どうこうするつもりもない。ただ、それと羨ましいと思うことは別だろう」
どうやら、本当に嫉妬しているらしい。
呆れている私の隣で、アンナがいつもの澄ました顔で口を開いた。
「それでしたら、今後もお嬢様のお側におりますので、さらに増えるかと存じます」
「…………」
「アンナ。それはわざと言っているのか?」
「何のことでございましょう」
殿下の眉間に分かりやすく皺が寄る。
その顔を見ながら、私は小さく息を吐いた。
どうやらアルバート殿下が嫉妬する相手は、男性だけではないらしい。
やがて殿下は何事もなかったかのように私のために用意された馬車へ視線を向けた。
「……ところで、同じ馬車ではないのか」
「当然でしょう。殿下はまだ本調子ではないのですよ。道中はゆっくりお休みください」
「君と同じ馬車でも休める」
「私は休めません」
「…………」
今度は分かりやすく残念そうな顔をする。
「なぜ残念そうなお顔をなさるのです?」
「残念だから」
「…………」
本当に、この人は思ったことを隠さなくなった。
以前なら絶対に口にしなかったことまで平然と言葉にするようになったけれど、どう返せばいいのか分からないこちらとしては、少し困る。
「レティ」
「リオンさん」
聞き慣れた声に呼ばれ、私は振り返った。
こちらへ歩いてきたのは、昨日正式にヴァルガードの王太子となったリオンだった。
式典の時とは違い、紺色の長い髪はいつものように低い位置で一つに結ばれている。
それでも身につけているものは以前より王族らしく、昨日までとは少しだけ違って見えた。
「本当に今日帰るんだな」
「はい」
「早ぇな。昨日決めて今日だぞ」
「決めたのなら、いつまでも留まる理由はありませんから」
「……そういうところだよな、レティは」
「何がです?」
「いや」
リオンは小さく笑い、私の後ろに停まる馬車へ視線を向けた。
「フィオーレまで?」
「はい」
「そいつと一緒に?」
「同じ道を帰るだけです」
「なるほどな」
「何ですか、その確認は」
「俺にとっては大事だからな」
「…………」
昨日の告白を思い出し、返す言葉に困ってしまう。
そんな私を見て少し笑ったあと、リオンはふっと表情を和らげた。
「まあ、いい。それより――ありがとな、レティ」
「……何がです?」
「俺が、王太子になっても悪くねぇって思えるようになったこと。その辺だな」
「…………」
初めて会った頃、この人は弟君を守るために王位を求めていた。
そのためなら多少の犠牲は仕方がないと考えていた人が、今は王太子という立場でできることを増やしたいと言っている。
「それは、リオンさんご自身が変わろうとなさったからです」
「きっかけはレティだろ」
「そうかもしれません。でも、選んだのはリオンさんです」
一瞬、リオンさんは何も言わなかった。
「……ほんと、そういうこと平気で言うよな」
「何がです?」
「いや。もういい」
困ったように笑うその顔を見ながら、私は旅をしていた頃のことを思い出した。
最初は何を考えているのか分からない人だった。勝手についてきて、時には腹が立って、何度も言い合った。
それでも、いつの間にか隣にいることが当たり前になっていた。
リオンと旅をした時間がなければ、私はきっと今とは違うことを考えていただろう。
「リオンさん。私も、ありがとうございました」
「…………」
「あなたと旅ができて、よかったです」
リオンが目を見開き、しばらく黙り込んだあと、片手で顔を覆った。
「……それ、今言うか?」
「何かおかしかったですか?」
「昨日告白した男に言う言葉じゃねぇだろ。期待するから」
「…………」
言われて、ようやく意味に気づく。
「リオンさん、これは――」
「分かってる。返事じゃねぇんだろ?」
「……はい」
「なら、それでいい。でも、覚えとく」
「何をです?」
「俺と旅できてよかったって、レティが言ったこと」
手を下ろしたリオンさんが、少しだけ笑う。
「勝手に忘れんなよ」
「忘れません」
「ああ」
短い返事だったけれど、その声はどこか穏やかだった。
それからリオンは、私の後ろに控えていたアンナへ視線を向けた。
「アンナ。お前にも世話になったな」
「はい」
「レティと一緒にいてくれて、ありがとな」
アンナは静かにリオンを見返す。
「それは、殿下にお礼を言われるようなことではございません。私が、お嬢様のお側にいたいのですから」
「……そうだったな」
リオンが納得したように笑うと、アンナも姿勢を正して端正に一礼した。
「リオン殿下も、どうかお元気で」
「ああ」
そのやり取りを見ているうちに、これで本当にお別れなのだという実感が湧いてきた。
「では、リオンさん。また、お会いしましょう」
「ああ。またな、レティ」
差し出された手に、自分の手を重ねる。別れの挨拶のつもりだった。
けれど、リオンはそのまま私の指先を取り、わずかに身を屈めた。
「……え?」
何をするのだろうと思った、その瞬間、手の甲に柔らかな感触が触れた。
ほんの一瞬のことだった。
何が起きたのか理解した時には、リオンはもう顔を上げている。
「……リオンさん?」
「何だ?」
「今……」
「別れの挨拶」
「この国では、皆様そうなさるのですか?」
「さあな」
「さあな?」
「少なくとも、俺は誰にでもやらねぇよ」
「…………」
昨日の言葉を思い出した途端、頬が熱くなる。
そんな私を見て、リオンは満足そうに口元を上げた。
「覚えとけ。俺もいるってこと」
「…………」
「リオネル」
背後から響いた低い声に、リオンの笑みが深くなった。
振り返ると、アルバート殿下はまったく笑っていない。
「今、何をした」
「見てただろ」
「見ていたから聞いている」
「別れの挨拶だよ」
「本人の許可もなくするものではないだろう」
今度はリオンさんが黙り込んだ。
「……それはそうだな。悪かった、レティ。嫌だったか?」
「え?」
自分の手の甲へ視線を落とす。
嫌だったかと聞かれれば――。
「……驚きましたけれど、嫌ではありませんでした」
「そうか」
リオンが嬉しそうに笑う一方で、アルバート殿下は完全に黙り込んでいた。
「殿下?」
「……何でもない」
「何でもないお顔ではありませんが」
「何でもない」
先ほどアンナにまで嫉妬していたくらいなのだから、今度こそ何でもないはずがない。
それでも、これ以上尋ねたところで同じ答えしか返ってこない気がして、私は小さく息を吐いた。
「お嬢様。本当に、そろそろ出発いたしますよ」
「ええ」
少し離れたところからアンナに呼ばれ、私は頷いた。
もう、行かなければならない。
名残惜しさがないと言えば嘘になる。
それでも、ここで立ち止まり続けるつもりはなかった。
「では、リオンさん」
「ああ」
「また、お会いしましょう」
「ああ。またな、レティ」
一瞬、リオンの目が細くなり、それからいつものように笑った。
私は頷いて馬車へ乗り込んだ。
扉が閉じると、やがてゆっくりと馬車が動き始める。
窓の外ではヴァルガード王城が少しずつ遠ざかり、その前に立つリオンの姿も、やがて見えなくなった。
◇
ヴァルガードを発ってから、数日が経った。
馬車の窓から見える景色は少しずつ見慣れたものへと変わり、やがてアンナに声をかけられて外へ目を向けた私は、そこがどこなのかすぐに分かった。
フィオーレだ。
国境を越えたからといって、空の色も、風の匂いも、道端に生える草木も大きく変わるわけではない。それでも、胸の奥には確かな感覚があった。
「……帰ってきたのね」
自然とこぼれた言葉に、向かいに座るアンナが柔らかく微笑む。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
まだ公爵家にも着いていないのに、と思ったけれど、訂正する気にはならなかった。
「ただいま、アンナ」
そう答えると、不思議と胸の奥が温かくなった。
◇
王都へ入って間もなく、馬車がゆっくりと止まった。
窓の外を見ると、少し前を走っていた王家の馬車も停まっている。何事かと思っていると、やがて外から扉が叩かれた。
「レティシア」
聞き慣れた声だった。
扉を開けてもらうと、そこにはアルバート殿下が立っている。
「殿下。体調は大丈夫なのですか?」
「もう、そこまで心配しなくても大丈夫だ」
「ヴァルガードの治癒術師は、しばらく無理をなさらないようにとおっしゃっていました」
「馬車からここまで歩いただけだ」
「それでもです」
「……分かった」
素直に引き下がる殿下を見て、私は少しだけ目を細めた。
「ここから、俺は王城へ向かう。君は、公爵家へ?」
「はい」
フォルケン侯爵のことも、トロン伯爵へ繋がる証拠のこともある。
帰国したばかりとはいえ、王太子である殿下には果たさなければならない務めが山ほどあるのだろう。
殿下は一度頷き、それから少しだけ迷うような間を置いた。
「落ち着いたら、会いたい。……今日でもいい」
「今日ですか? 殿下はこれから王城へ行かれるのでしょう?」
「ああ」
「お仕事があるのでは?」
「ある」
「では、お仕事をなさってください」
「……やっぱりそう言うと思った」
殿下が苦笑する。
「当然です」
「だから今日は行かない。でも、会いたいとは言っておく。言うと決めたから」
また、それだ。
好きなら好きだと言う。
会いたいなら会いたいと言う。
来てほしいなら、来てほしいと言う。
けれど、私が嫌なら断っていい。
以前なら何も言わなかった人が、今では自分の望みをきちんと言葉にしながら、それを私に押しつけようとはしない。
「……分かりました。私も、落ち着いたらご連絡します」
そう告げると、殿下の口元が分かりやすく緩んだ。
「今のは、かなり嬉しい」
「…………殿下」
「言っただけだ」
「そうですか」
「ああ」
本当に、面倒な人になった。けれど、以前の何も言わなかったこの人よりは、たぶんずっといい。
「では、また」
「ああ」
殿下は一歩下がりかけ、それから何かを思い出したように私を見た。
「おかえり、レティシア」
一瞬、言葉に詰まった。
アルバート殿下にそう言われることを、どこか不思議に感じた。けれど、嫌ではなかった。
私は小さく笑って頷く。
「はい。ただいま戻りました」
扉が閉じると、馬車は再び動き始めた。
王城へ向かう道と、エトワール公爵家へ向かう道。それまで同じ道を進んできた二台の馬車は、そこで静かに別れた。
◇
やがて、見慣れた屋敷が窓の向こうに現れた。
その姿を目にした途端、思わず背筋が伸びる。
「緊張なさっていますか?」
「……少しだけ」
「少しだけ、ですか?」
「かなり」
正直に言い直すと、アンナが小さく笑った。
帰ると決めたあと、私はフィオーレへ向かう途中の宿場町から、一通の手紙を出していた。
長いものではない。
――フィオーレへ帰ります。
――一度、家へ戻りたいと思っています。
――突然出ていってしまって、ごめんなさい。
そして最後に、こう書いた。
――帰っても、よろしいでしょうか。
書き終えてから、自分でもおかしいと思った。
ここは私の家なのだから、帰っていいかなどと尋ねる必要はないはずなのに。
けれど、あの日の私は自分からここを出た。
何も説明せず、ただアンナを連れて。
だから、もう一度この家の扉を開けてもらうために、聞きたかったのだ。
返事は届かなかった。
こちらも移動を続けていたのだから、当然だ。
それでも、ルーカスに言われた通り、帰ることだけは知らせることができた。
それで十分だと思っていた。
馬車が公爵家の門をくぐり、懐かしい庭を抜けていく。
その向こうに見慣れた玄関が近づいてくるにつれて、胸の鼓動が少しずつ速くなった。
何も変わっていないように見えるのに、私だけがひどく長い時間を経て戻ってきたような気がする。
やがて馬車が止まり、扉が開いた。
私は一度だけ深く息を吸う。
「お嬢様」
「大丈夫よ」
アンナにそう答えて馬車から降りると、玄関の前に立つ人々の姿が目に入った。
「お父様……お母様」
父と母がいた。
そして、その二人の少し前には――
「姉上」
「……ルーカス」
一足先にフィオーレへ戻っていた弟が立っている。
三人とも、そこにいた。
どうして外にいるのだろう。
一瞬、本当に分からなかった。
私が帰ることは手紙で知らせていた。
けれど、まさかこうして三人揃って待っているとは思っていなかった。
――私を、待っていたの?
胸の奥が、わずかに揺れる。
王太子の婚約者としてではなく、次期王太子妃としてでもなく。
ただ、家を出ていった私が帰ってくるのを。
そう思った途端、急に何を言えばいいのか分からなくなった。
突然出ていって、ごめんなさい。
心配をかけて、ごめんなさい。
何も言わずにいなくなって、ごめんなさい。
伝えなければならないことは、いくらでもあった。
けれど、それらの言葉より先に口からこぼれたのは、たった一言だった。
「……ただいま、戻りました」
父の顔が歪み、母が口元を押さえる。
その反応にも、胸の奥が小さくざわめいた。
しばらく誰も何も言わなかったあと、父が静かに口を開いた。
「おかえり」
「おかえりなさい、レティシア」
母の声が重なった。
その二つの言葉を聞いた瞬間、胸の奥が詰まり、うまく息ができなくなる。
泣かないつもりだった。
帰ってきただけなのだから、きちんと笑っていようと思っていた。
けれど。
「姉上、決めたんだね」
ルーカスが私を見る。
その言葉に、ヴァルガードで交わした会話を思い出した。
帰りたくなったら帰ってくればいい。
まだ旅を続けたいなら、そうすればいい。
そして、帰ると決めたら先に知らせて、と。
「うん。私が、帰りたいと思ったの」
ルーカスはしばらく私を見つめたあと、少しだけ笑った。
「そっか。じゃあ――おかえり、姉上」
その瞬間、堪えていたものがとうとう溢れた。
頬を伝った涙を拭うこともできないまま、それでも私は笑って答えた。
「ただいま、ルーカス」
ここ最近、一話あたりの文字数が以前の倍近くになっています……笑
完全に終わらせたい病発症中です(*_*)
書くのが嫌なのではなく、早く最後まで書き切りたい病です笑
終盤に入って「ここまで書きたい!」が止まらず、気づけば一話がどんどん長くなっています。
長めのお話が続いていますが、お付き合いいただきありがとうございます!
物語もいよいよ終盤です。
最後までレティシアたちを見守っていただけたら嬉しいです!




