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もうどうでもよくなったので、私に関わろうとするのはご遠慮ください  作者: はな
本編

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第77話 できること



 翌朝になっても、アルバート殿下は目を覚まさなかった。


「魔力は順調に回復しております。もうしばらくお待ちください」


 治癒術師は穏やかに説明した。


 傷そのものに問題はなく、黒い魔力の影響も残っていない。

 ただ、出血と魔力の消耗によって身体に大きな負担がかかったため、現在は休息を必要としているのだという。


「……そうですか」


 頭では理解している。

 けれど、眠り続けるアルバート殿下を見つめていると、どうしても胸の奥は落ち着かなかった。


(……目が覚めたら、伺おうと思っていたのに)


 昨夜、そう決めたのだ。


 アリスのこと。

 あの日の庭園のこと。

 そして、私の知らなかった十年間について。


 アルバート殿下が何を考えていたのか、今度は私から尋ねようと思っていた。


「焦っても仕方ありませんよ、姉上」


 隣にいたルーカスに声を掛けられ、私はようやく顔を上げた。


「……分かっているわ」


 そう答えると、彼は呆れたようにこちらを見た。


「でしたら、もう少し説得力のある表情をなさってください」

「どんな表情?」

「少なくとも、一分おきに殿下をご覧になるような表情ではありません」

「そんなに見ていないわ」

「見ています」

「…………」


 本当だろうか。


 反論しようとしたところで、治療室の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「リオネル殿下はどちらに?」

「先ほど執務棟へ向かわれました!」

「北部の報告を至急――」

「それは殿下のご決裁を先にいただけ!」


 次々と声が飛び交い、廊下の騒がしさが扉越しにも伝わってくる。


「……昨日とは、また違う騒がしさね」


 扉の方へ目を向けると、アンナが頷いた。


「ファルケン侯爵に関する事後処理ではないでしょうか」

「そうね」


 ファルケン侯爵は捕らえられた。

 けれど、それですべてが終わったわけではない。


 彼に協力していた者たち。

 各地に残された施設。

 被害を受けた土地。

 フィオーレとの国境問題。


 片づけなければならないことは、いくらでも残っている。


 アルバート殿下が眠っている間に、少しだけ外の空気を吸おう。


 そう思い、私は治療室を出た。


◇


 王城の中は、朝からひどく慌ただしかった。


 兵士や文官が廊下を行き交い、あちらこちらで指示を求める声が上がっている。

 その中心にいたのは、やはりリオンだった。


「――そっちは北部へ回せ。例の地下施設が残っている可能性がある」

「はっ!」

「国境沿いの村への物資は?」

「現在、確認を――」

「確認している間に水がなくなるだろ。先に送れ。数が足りなければ近隣領から買い上げろ」

「費用はどちらから?」

「王家で負担する。俺の名で通せ」

「承知いたしました!」


 文官が頭を下げ、足早に去っていく。


 その様子を見て、私は思わず足を止めた。

 昨日までとは、何かが違う。


「リオンさん?」

「あ? レティ?」


 私に気づいた瞬間、彼は露骨に眉を寄せた。


「何でお前がここにいる」

「少し歩こうかと」

「昨日あれだけ無茶した奴が、もう歩き回ってんじゃねぇよ」

「もう大丈夫です」

「お前の『大丈夫』は信用できねぇ」

「…………」


 また言われた。


 腑に落ちない気持ちを切り替え、私は周囲を見回した。

 今も数人の文官が書類を抱え、リオンの手が空くのを待っている。


「それより、昨日より忙しそうですね」

「……ああ。朝っぱらから親父に呼び出されてな」

「昨日も呼ばれていましたよね」

「その続きだ」


 そう言って、リオンは手にしていた書類を近くの机へ置いた。


「次の王太子、俺に決まった」

「まあ」


 思わず目を見開く。


「正式に?」

「正式な発表はまだだ。だが、議会もほぼ固まった。数日中には公表される」

「おめでとうございます」

「……おう」


 返事はしたものの、リオンはあまり嬉しそうには見えなかった。

 けれど、以前、弟君のことを話していた時のような、追い詰められた表情でもない。


「ファルケン侯爵の件が決め手になったのですか?」

「それだけじゃねぇよ。国境で動いていた戦争派を追っていたこと。今回、その中枢までまとめて押さえられたこと。フィオーレとの戦争を未然に防いだこと。全部ひっくるめて、だ」

「なるほど……」


 リオンはずっと、誰にも覆せないほどの功績を求めていた。


 弟君を守るために。


「では、弟君も……」

「ああ。少なくとも、以前よりはずっと安全になる。俺が正式な王太子になれば、あいつを担ぎ上げる意味も薄くなるからな」

「よかったですね」

「……まあな」


 短く答えたあと、リオンは少しだけ笑った。

 以前より、ずっと穏やかな顔だった。


「リオネル殿下!」


 その時、また一人の文官が駆け寄ってくる。


「北東部で確認された被害についてですが、避難民の受け入れ先が不足しております」

「近隣の領主には?」

「すでに要請しておりますが、長期となると難しいとの返答が」

「なら王都側で施設を用意しろ」

「ですが、それには陛下の――」


 文官が言葉を止めた。


 リオンも一瞬だけ黙ったが、すぐに何かを思い出したように眉を上げた。


「ああ。もういいのか」

「はい?」

「今朝、親父から一定範囲の決裁権を渡された」


 そう言って、文官から書類を受け取る。


「避難民の一時保護なら俺の権限で通せる。使っていない王家所有の施設があっただろ。そこを開けろ」

「よろしいのですか?」

「人が寝る場所もねぇのに、空き家にしてどうすんだよ」

「……承知いたしました!」

「食料と医師も手配しろ。子どもと年寄りを優先して確認させろ」

「はっ!」


 文官は深く一礼すると、指示を伝えるべく足早にその場を離れた。


 私はその様子を黙って見ていた。

 その視線に気づいたリオンがこちらを見た。


「何だよ」

「いえ……昨日までと違うなと思って」

「ああ」


 リオンは自分の手元に残った書類へ目を落とした。


「王太子になると決まった途端、仕事だけは増えた」

「大変ですね」

「朝から最悪だ」


 そう言いながらため息を吐いた。

 けれど、その表情には、どこか別の色があった。


「……でも」


 続いた声に、私は顔を上げる。

 リオンは先ほど文官が去っていった方向を見ていた。


「できることが増えたのは、悪くねぇな」

「…………」

「昨日までなら、いちいち親父に話を通さなきゃならなかった。俺が必要だと思っても、それだけじゃ動かせねぇこともあった」


 リオンは小さく息を吐いた。


「今は、目の前で困ってる奴に寝る場所を用意するくらいは、自分で決められる」


 その言葉に、不意に以前の会話を思い出した。


 あの時のリオンにとって、王になることは弟君を守るための手段だった。

 だからこそ功績を求めた。


 焦って、戦争を望む者たちを利用しようとして、その過程で起きる小さな被害を必要な犠牲だと割り切ろうとした。


 けれど、実際に被害を受けた土地を歩いた。


 水を失った人々を見た。

 魔物に怯える人々を見た。

 大切な人を失った人の声を聞いた。


 そしてリオンは、以前とは違う考え方をするようになった。

 弟君を守るためだからといって、別の誰かが犠牲になってもいいわけではないと。


「……リオンさん」

「ん?」

「王太子になって、嬉しいですか?」

「あ?」


 唐突な質問だったからか、リオンが怪訝そうな顔をした。


「何だよ、急に」

「少し気になっただけです」

「…………」


 リオンはしばらく考えていたが、やがてぽつりと答えた。


「……昔なら、弟を守れるって意味で、嬉しかったんだと思う」

「今は?」

「今?」


 もう一度考えるように視線を逸らす。


「……あいつを守れるのは、当然嬉しい」

「はい」

「でも、それだけじゃねぇかな」

「…………」


 リオンは廊下の向こうへ目を向けた。

 人々が忙しなく行き交っている。


「この旅で、いろいろ見ちまったからな。今までは、国って言われてもでかすぎてよく分からなかった。地図と数字と報告書で見るもんだった」


 その言葉に、私は小さく頷いた。

 少しだけ分かる気がした。


 私も王妃教育で国のことを学んできた。

 人口も、税収も、農地も、交易も。


 けれど、それはすべて紙の上に並んだ数字だった。旅に出るまでは。


「でも、実際に歩くと違う。水がなくなれば、本当に困る奴がいる。魔物が出れば、家に帰れなくなる奴がいる。領主が腐ってりゃ、逃げることもできねぇ奴がいる」

「…………」

「そういう奴らを見たあとじゃ、前みてぇに『多少の被害は仕方ねぇ』なんて思えねぇよ」


 その声は淡々としていた。

 だからこそ、胸に残った。


「王太子になったら、そういう人たちも助けたいのですか?」

「……全部助けられるなんて思ってねぇよ。そんなの無理だ。金にも人にも限界がある」

「ええ」

「でも、できることがあるならやる。そのために使える立場なら、使わねぇ方がもったいねぇだろ」

「…………」


 その言葉が、不思議と胸に残った。


「リオネル殿下!」


 再び声が飛んでくる。


「……今度は何だよ」

「フィオーレへ提出する資料について確認を!」

「分かった! 今行く!」


 リオンが大きな声で答える。

 それから、何かを思い出したように私へ向き直った。


「ああ、そうだ。トロン伯爵に繋がる証拠も出てきた」

「……本当ですか?」

「ああ。ファルケンとの書簡がいくつか残ってた。こっちで押さえたものは全部まとめてフィオーレへ渡す」

「では……」

「その先はフィオーレの仕事だ。俺が王太子になったところで、隣の国の貴族まで勝手に捕まえられるわけじゃねぇからな」

「それは、そうですね」

「だが、証拠を渡すことはできる。国として調査を求めることもできる」

「…………」


 何でもできるわけではない。

 けれど、立場があるからこそできることもある。


「レティ?」

「……いえ」

「何だよ」

「本当に、いろいろできるのだなと思って」

「王太子が?」

「立場が、です」


 口にしてから、自分でも少し驚いた。

 リオンも不思議そうな顔をしている。


「どうした、お前」

「何でもありません」

「今日それ多くねぇか?」

「気のせいです」


 そう答えると、リオンは呆れたように息を吐いた。


「とにかく、俺は行く。お前はアルバートのところへ戻ってろ」

「はい」

「……起きたら呼べよ」

「分かっています」


 リオンはそれだけ言うと、再び人々の待つ方へ歩いていった。


 その背中が廊下の向こうへ消えるまで、私はしばらく見送っていた。


「……レティシア様」


 少し離れたところから声を掛けられ振り返ると、そこにいたのはリオンの弟君だった。


 本祭を前に国王陛下へ報告に伺った際、一度だけ顔を合わせている。

 挨拶を交わした程度で、こうして二人で話すのは初めてだった。


「おはようございます」

「おはようございます」


 改めて挨拶を交わすと、弟君は先ほどリオンが去っていった方へ目を向けた。


「兄上とお話しされていたのですね」

「ええ。王太子に決まったと伺いました」

「はい。私も今朝、父上から聞きました」


 弟君はそう答えると、ほっとしたように微笑んだ。


「……よかったです」

「王太子に決まったことが、ですか?」

「それもあります。でも……兄上は、ずっと私のことを心配していましたから」


 以前、リオンから聞いた話を思い出す。


 弟君本人が王位を望んでいなくても、周囲がそれを許すとは限らない。

 王位継承権を持っているというだけで、利用しようとする者がいる。


「私は何度も、王位など望んでいないと言ったのですが……兄上は聞いてくださらなかったんです」


 弟君は少し困ったように笑った。


「兄上は、ああ見えて優しい方なんです」

「……そうですね」


 自然に答えると、弟君が少し意外そうに目を瞬いた。


「ご存じなのですね」

「え?」

「兄上が優しいことです」


 そう言われて、私は少しだけ考えた。


 口は悪いし、態度も大きい。

 人をからかって楽しんでいるところもある。


 けれど、一緒に旅をしてきた。


 困っている人を見れば放っておけないことも。

 誰かが無茶をすれば、本気で怒ることも。

 弟君のことを、とても大切にしていることも。


 私はもう、知っている。


「……ええ。知っています」

「…………」

「一緒に旅をしてきましたから」


 弟君は一瞬驚いたように私を見たあと、嬉しそうに笑った。


「そうですか」


 その表情は、どこか安心したようにも見えた。


「兄上は、自分のことをあまり話さないので」

「そうなのですか?」

「はい」


 少し考えてから、私は笑った。


「それも、何となく分かる気がします」

「やはり、ご存じなのですね」


 今度は少し楽しそうに言われ、私は目を瞬いた。


「そうでしょうか」

「ええ」


 弟君は笑っている。

 なぜだか、少しだけからかわれているような気がした。


 けれど、不思議と嫌ではなかった。


 弟君と別れ、私は治療室へ戻るため廊下を歩き始めた。


 先ほどのリオンの言葉が、もう一度頭に浮かぶ。


『できることが増えたのは、悪くねぇな』


 王太子。王妃。国を動かす立場。


 私にとって、それらはずっと、誰かから与えられるものだった。


 生まれた家によって。婚約によって。

 周囲からの期待によって。


 やらなければならないことが増えていく。

 自分の時間も、自分の望みも、少しずつ失っていく。


 私にとって「立場」とは、そういうものだった。


 だから、そこから離れたかった。


 王太子妃になりたくなかったのではない。

 なりたいか、なりたくないか。


 そんなことを考えることすらないまま、誰かに決められた人生を歩き続けることに疲れていた。


 旅の途中で出会った人々を思い出す。


 干上がった井戸の前にいた人たち。

 魔物に怯えていた人たち。

 権力を持つ者に逆らえず、苦しんでいた人たち。


 私はその時々で、自分にできることをしてきた。


 けれど、リオンは今、王太子という立場を得たことで、昨日まではできなかったことをしている。


 何でもできるわけではない。

 それでも、届く範囲は確かに広がっていた。


『できることが増えたのは、悪くねぇな』


 その言葉が、頭から離れない。


 立場とは、ただ人を縛るだけのものなのだと思っていた。


 けれど――本当に、それだけなのだろうか。


 答えは、まだ分からない。


 それでも、旅に出る前には考えもしなかった問いが、初めて私の中に生まれていた。




【おまけ】


――その少し前。


 リオンは、廊下の角で足を止めていた。

 フィオーレへ渡す書類について、一つ言い忘れたことを思い出したのだ。


 それだけだった。


 レティに伝えて、すぐ仕事へ戻るつもりだった。


『兄上は、ああ見えて優しい方なんです』


「…………」


 弟の声が聞こえた瞬間、足が止まった。

 何を勝手なことを言っている。


 そう思ったところで、続いて聞こえた声に息を呑む。


『……そうですね』


「…………は?」


 思わず、小さな声が漏れた。


『ご存じなのですね』

『え?』

『兄上が優しいことです』


「…………」


 今さら出ていくに出ていけない。


 自分の話をしているところへ「戻ったぞ」と顔を出すほど、リオンの神経は太くなかった。


 仕方なくその場で待っていると、さらにレティの声が聞こえた。


『……ええ。知っています。一緒に旅をしてきましたから』


「…………っ」


 かっと頬が熱くなった。


 リオンは反射的に片手で口元を覆う。


(……何で俺が)


 別に、優しいと言われたくらいで喜ぶような歳ではない。


 しかも、レティはただ思ったことを口にしただけだ。


 分かっている。

 分かっているのに。


『兄上は、自分のことをあまり話さないので』

『そうなのですか?』

『はい』

『それも、何となく分かる気がします』


「…………」


 やめろ。


『やはり、ご存じなのですね』


「……あいつ」


 弟の方は、絶対に面白がっている。


 あとで覚えていろ。


 そう思うのに、今すぐ出ていって文句を言うことはできなかった。


 というより。

 この顔で出ていけるわけがない。


 つい一昨日、自覚したばかりなのだ。

 自分がレティに惹かれていることを。


 そんな相手から、自分のいないところで「知っている」などと言われて。


 嬉しくないはずがなかった。


「……くそ」


 頬の熱が引かない。

 おそらく、耳まで赤くなっている。


 結局、レティに声を掛けることを諦め、静かに踵を返した。


 言い忘れたことは、あとで誰かに伝えさせればいい。

 今はとにかく、この場から離れたい。


 そう思って歩き出したところで、背後から弟の楽しそうな声が聞こえた。


『やはり、ご存じなのですね』


「……勘弁しろよ」


 誰にも聞こえない声で呟きながら。


 それでも、口元がわずかに緩んでしまったことには、気づかないふりをした。



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