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もうどうでもよくなったので、私に関わろうとするのはご遠慮ください  作者: はな


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第63話 交わる道



「正確には、婚約者だった、という方が近いかもしれませんけれど」


 訂正すると、今度はアルバート殿下の視線がこちらへ向けられた。


「レティシア」

「だって、そうでしょう? 私はもう家を出ていますし」

「婚約を解消した覚えはない」

「ですが――」

「ちょっと待て」


 低い声に遮られて振り向くと、リオンが片手で額を押さえていた。


「……お前、元貴族って言ってたよな?」

「はい」

「王太子の婚約者が『元貴族』で済むか?」

「嘘は申し上げていませんよ?」

「そういう問題じゃねぇ!」


 リオンの声が夜の庭園へ響く。

 思わず目を瞬いた。

 そんなに怒ることだろうか。


「家名を聞かれませんでしたので」

「聞かなかった俺が悪いみてぇに言うな!」

「そんなつもりはありませんけれど」

「……やっぱ絶対なんか隠してると思ったんだよ」


 頭を抱えるリオンを見ながら、私は困ってしまった。


 別に騙すつもりなどなかった。

 ただ、エトワール公爵令嬢としてではなく、レティとして旅をしたかっただけなのだ。


 けれど、そんな私たちのやり取りを黙って見ていたアルバート殿下の表情が、僅かに変わった。


「……元貴族?」

「はい?」

「君は、そう名乗っていたのか」

「ええ」

「家名も明かさず?」

「必要ありませんでしたから」

「…………」


 アルバート殿下は、それ以上何も言わなかった。


 けれど、その瞳が一瞬だけ揺れたように見えた。

 エトワール公爵令嬢でもなく、王太子の婚約者でもなく、ただのレティとして。


 私がここまで旅をしてきたことを、何か考えているようだった。


 しばらく続いた沈黙を破ったのは、リオンだった。


「で?フィオーレの王太子殿下が、なんでヴァルガードの王城で剣持って走ってんだ?」


 その問いに、私もアルバート殿下を見る。


 そうだ。

 私もそれが聞きたかった。


 本祭へ国賓として招かれているのなら分かる。

 けれど、本来参加する必要のない前夜祭へ姿を見せ、しかも剣を手にあの場へ現れた理由までは分からない。


「俺は建国記念祭への出席のため、フィオーレの使節としてこの国へ来た」


 アルバート殿下は一度庭園の奥へ目を向けてから、静かに答えた。


「本来なら、明日の本祭へ出席するだけの予定だった。だが、それとは別に調べていることがある」


 その一言で、空気が変わった。

 リオンの目から先ほどまでの呆れが消える。


「……何をだ?」

「フィオーレで起きている一連の異変についてだ」

「一連の……異変?」

「ああ。水源の異常や魔物の出現。それ以外にも、各地で不自然な出来事が起きている」


 思わずリオンと顔を見合わせる。

 それは、私たちがここまで追ってきたものと同じだった。


「調査のきっかけになったのは、トロン伯爵だ」

「…………トロン伯爵」


 その名を聞いた途端、眉間に皺が寄るのを止められなかった。

 できることなら二度と耳にしたくない名前だった。


 薬を盛って私たちを攫わせ、領民を強制的に働かせ、女性たちを物のように扱っていた男。


 そして、私を十番目の妻にしようとしていたらしい、あの男。


 思い出しただけでも虫唾が走る。


「……あの方、まだ何かしていたのですか?」


 思わず声が低くなる。

 アルバート殿下が僅かに目を瞬いた。


「……知っているのか?」

「ええ。少々」

「少々?」

「色々とありまして」

「…………」


 アルバート殿下が何かを尋ねたそうに私を見る。

 けれど今ここで説明する必要もないだろう。


「それで、トロン伯爵がどうしたのです?」

「あ、ああ……」


 どこか釈然としない様子を残しながらも、アルバート殿下は話を戻した。


「身柄を確保した後、伯爵の周辺を改めて洗った。本人が口にしたことだけじゃない。帳簿や取引記録、関係していた者たちを調べていくうちに、これまで把握していなかったものが次々に出てきた」

「……まだ出てきたのですか」


 思わず顔を顰める。

 あれだけでも十分すぎるほどだったというのに、どこまで出てくるのだろう、あの男は。


「強制労働や人身売買だけじゃない。違法な薬物の取引や出所の分からない鉱石の流通、それ以外にもいくつかある。だが、その中にヴァルガードとの繋がりを疑わせる記録が残されていた」

「ヴァルガードと……」

「ああ。だが、誰と繋がっていたのかまでは分からない。帳簿にも肝心なところだけ名前がない」


 アルバート殿下の表情が険しくなる。


「以前、人から何かを吸い上げるような術を見たことがあるそうだ」


 息を呑んだ。

 リオンの表情も変わる。

 自然と、私たち三人の視線が先ほどまで黒い術式のあった石畳へ落ちた。


「……それは、魔力ですか?」

「本人にも分からなかったらしい。ただ、その術を受けた人間は、徐々に痩せ細っていったそうだ」

「痩せ細って……?」

「ああ。まるで身体から何もかもを吸い取られていくように。最後には、骨と皮だけのような姿になって動かなくなった、と」

「…………」


(魔力だけではない……?)


 先ほど術式に触れた時の感覚が蘇る。

 こちらへ絡みつき、魔力を奪おうとしてきた黒い力。


 もし、あれが魔力だけを吸い取るものではないとしたら。


 魔力だけではなく、その人間が持つ生命力そのものまで奪うものなのだとしたら――


「誰が、その術を使ったのです?」

「そこだけは、何を聞いても話さなかった」

「…………」

「名前を聞こうとすると異常なほど怯えた。殺される、見られている、と繰り返すばかりで、それ以上まともな話はできなかったらしい」


 その言葉に、私は思わず顔を上げた。


『見てる……! ずっと……見てる……!』


 その言葉を聞いた瞬間、アンナから聞いた話が鮮明に蘇った。

 トロン伯爵から話を聞き出した時のことを、あとでアンナは私にも教えてくれた。


 強制労働も、人身売買も、自分が犯した罪についてはあれほど簡単に口を割ったという。

 それなのに、背後にいる者について尋ねた途端、伯爵は別人のように怯え始めたのだと。


「……その時も、そうだったそうです」

「何?」

「以前、アンナが伯爵の背後に誰かいるのではないかと尋ねたことがあります。その時も、名前だけは決して口にしなかったと。殺される、見られている、と繰り返して……」

「ああ。俺もその場にいた。確かに、そんな怯え方だった」


 同じ人物から聞いた話なのだから、言葉が一致すること自体は不思議ではない。


 けれど――問題はそこではなかった。

 トロン伯爵が見たという、人から何かを吸い上げる術。

 そして、ヴァルガードとの繋がりを示す記録。

 それは、私たちがここまで追ってきたものとあまりにも重なっている。


 アルバート殿下が黙り込み、代わりにリオンが低い声で呟いた。


「完全に繋がったな」


 私も頷く。

 偶然とは思えない。


 私たちは、地下施設から。

 アルバート殿下たちは、フィオーレ国内に残されたトロン伯爵の痕跡から。

 まったく違う場所を調べ、別々の道を辿ってきた。

 それなのに、行き着いた先は同じだった。


「トロン伯爵の記録を追ううちに、ヴァルガードと何らかの繋がりがある可能性が高いところまでは掴んだ。だから今夜、前夜祭へ参加した」

「本祭じゃなく、わざわざこっちに?」

「ああ。今夜なら素性を隠したまま動ける。相手も同じだ。何か掴める可能性があると思った」

「なるほどな……」


 リオンが小さく息を吐く。


「どうやら、俺たちは別々の入口から同じもん追ってたらしいぜ」

「どういう意味だ?」

「こっちにも話がある」


 そう言って、リオンが私を見る。


「な、レティ」

「ええ」


 何気なく答えた、その瞬間だった。


「…………」


 また、アルバート殿下が黙った。


「……?」


 今度は何だろう。

 私が首を傾げていると、アルバート殿下は何かを堪えるように一度目を閉じた。

 それからゆっくり息を吐き、いつもと変わらない落ち着いた声で告げる。


「……その話を聞かせてくれ」

「はい」


 そう答えながらも、やはり少しだけ気になった。

 表情も声音も、いつものアルバート殿下とほとんど変わらない。


 それなのに、なぜだろう。

 ほんの少しだけ、機嫌が悪くなったような気がする。


 その理由は――やはり私には分からなかった。




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