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もうどうでもよくなったので、私に関わろうとするのはご遠慮ください  作者: はな


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第62話 十年分の呼吸



「……アルバート殿下?」


(どうして。なぜ、ここに……)


 何一つ理解できないまま立ち尽くしていると、背後から息を呑むような気配がした。


「……アルバート?」


 リオンの声に、アルバートの視線が僅かに動く。

 けれど、その一瞬だった。


「――っ!」

「待てっ!!」


 石畳へ倒れ込んでいた男が身を翻し、駆け出した。

 リオンがすぐさま追おうとする。


 けれど同時に、地面へ広がっていた黒い術式が強く明滅した。


「リオンさん、追ってください!」


 私もすぐに声を上げる。

 けれど、リオンは数歩踏み出したところで足を止めた。


「……いや」

「え?」


 振り返ったリオンの視線が、地面に広がる黒い術式へ向かい、それから私へ移る。


「お前を一人でこれの相手させられるか」

「ですが、私は大丈夫です。それよりあの方を――」

「大丈夫じゃねぇだろ。さっき魔力吸われてたじゃねぇか」

「それくらいでしたら――」

「それくらいじゃねぇ」


 きっぱりと言い切られ、言葉に詰まる。

 その間にも、男の足音は遠ざかっていった。


「でも、このままでは逃げられてしまいます!」

「分かってる」


 苛立ったように答えながらも、リオンは動かなかった。

 その視線が一瞬だけ、私のすぐ傍に立つアルバートへ向けられる。


 ほんの僅かな間だったけれど、どこか警戒するような眼差しだった。


「……とにかく、先にこっちだ」

「もう……」


 今から追ったところで、すでに男の姿は見えない。  私は諦めて、再び地面の術式へ意識を戻した。


「では、早くこれを止めましょう」

「ああ。何すりゃいい?」

「私が術式を抑えます。リオンさんは周囲の警戒をお願いします」

「……それだけか?」

「はい?」

「俺にもできることがあるなら言え。一人で全部やろうとすんな」

「…………」

「分かったな?」

「……はい」


 私はすぐに術式へ意識を戻し、魔力を流し込む。


 その傍らでは、アルバートもまた剣を構えたまま、逃げていった男の方角を険しい表情で見つめていた。


 どうしてアルバート殿下がここにいるのか。

 それに、先ほど踊ったあの方も――アルバート殿下だったのか。


 聞きたいことはいくつもあった。

 けれど今は、それどころではない。

 地面を這う黒い光は、まだ消えてはいなかった。


 魔力を流し込みながら術式の動きを抑えているものの、少しでも力を緩めれば、黒い線は脈打つように明滅しながら元の形へ戻ろうとする。


 それどころか、先ほどからこちらの魔力へ絡みつき、逆に引き込もうとするような感覚まであった。


(やはり、ただ壊すだけでは駄目ね)


 無理に術式そのものを破壊すれば、どこへ影響が及ぶか分からない。

 広間で見つけた複数の術式と繋がっている可能性がある以上、まずは魔力の流れそのものを止める必要がある。


 けれど、術式を抑え込みながら構造を解析し、そのうえで流れまで断ち切るとなれば、さすがに一人では少々手間がかかる。


「俺にもできることはあるか」


 不意に声をかけられ、私は顔を上げた。

 アルバート殿下が剣を収めながら、地面へ広がる術式を見つめている。


「今はこれを止めるのが先だろう」

「……はい」


 どうしてアルバート殿下がここにいるのか。

 なぜヴァルガードの前夜祭に参加していたのか。

 そして、どうしてあの場に現れたのか。


 聞きたいことはいくつもある。

 けれど今は、確かにそれどころではない。


 それに――アルバート殿下が力を貸してくださるのなら、話は早かった。


 殿下の魔力量も、その制御の精度も私はよく知っている。

 幼い頃から何度もともに魔法の訓練をしてきたのだから、今さらその力量を疑う理由などなかった。


 私はもう一度術式へ目を落とし、黒い魔力の流れを確かめる。


「でしたら、私の魔力に合わせて、こちらから魔力を流していただけますか?」

「分かった」

「私が中央の流れを抑えますので、殿下は――」


 説明しかけて、言葉を止めた。

 アルバート殿下はすでに私の隣へ膝をつき、術式の一角へ片手を向けている。

 その掌には淡い金色の魔力が集まり始めていた。 


「ここだろう?」

「……ええ」


 まさに、私が指示しようとしていた場所だった。


 けれど考えてみれば、不思議なことではない。

 アルバート殿下とは幼い頃から何度も一緒に魔法の訓練をしてきた。

 互いの魔力を合わせる訓練も、王城で幾度となく行っている。


「では、いきます」

「ああ」


 魔力を、ゆっくりと術式へ流し込む。

 それを追うように、淡い金色の魔力が重なった。


「…………」


 驚くほど、自然だった。

 私の魔力を邪魔することなく、かといって弱すぎるわけでもない。

 こちらが僅かに流れを強めれば、それを察したようにアルバート殿下の魔力も強くなる。

 反対に私が力を緩めれば、ほとんど同時に向こうも流れを弱めた。


 わざわざ言葉にする必要すらない。


(……そうだったわね)


 昔から、そうだった。


 もちろん初めから上手くできたわけではない。

 幼い頃には互いの魔力がぶつかって術式を壊したこともあれば、加減を誤って教師に叱られたこともある。


 それでも何度も繰り返すうちに、いつしか相手がどの程度の力を流しているのか、次にどちらへ動かそうとしているのかを、言葉にしなくても察することができるようになっていた。


 十年という時間の中で身体に染みついたものは、どうやら簡単には消えないらしい。


「レティシア」

「はい」

「次、右側を弱める」

「では、私は中央を押さえます」


 アルバート殿下の魔力が動く。

 それに合わせて私も流れを変えると、黒い術式が大きく揺らいだ。


 ――今ならいける。


「今です」

「ああ」


 二人同時に魔力を押し込んだ。


 白銀と金色の光が絡み合うように広がり、地面を這っていた黒い線を一気に覆っていく。

 抵抗するように術式が激しく明滅し、こちらの魔力を再び吸い込もうと蠢いたけれど、流れそのものを両側から押さえられているせいか、先ほどまでの力はない。


 やがて黒い光が一つ、また一つと途切れていき――最後の一本が消えたところで、辺りに静寂が戻った。


「……止まりました」


 ほっと息を吐いて顔を上げると、少し離れたところから何とも言えない声が飛んできた。


「……お前ら」

「どうしました?」


 周囲を警戒してくれていたリオンが、こちらを見ていた。


 その視線が私へ向かい、アルバート殿下へ移り、また私へ戻ってくる。


「いや……随分、慣れてんなと思ってよ」

「そうでしょうか?」

「そうだろ。ほとんど何も話してなかったじゃねぇか」

「ああ……以前、何度も一緒に訓練をしましたから」

「……以前?」

「ええ」


 立ち上がりながら答えると、アルバート殿下も私の隣で立ち上がった。


「幼い頃から何度もやってきた。これくらいなら、今さら細かく言葉にする必要はない」

「…………」


 なぜだろう。

 リオンが黙った。

 しかも、先ほどより少しだけ表情が険しくなったように見える。


「リオンさん?」

「……なんでもねぇよ」


 そう言うわりには、どう見ても何でもなさそうなのだけれど。

 首を傾げていると、今度はアルバート殿下が僅かに眉を寄せた。


「先ほどから気になっていたが……」

「あ?」


 アルバート殿下の視線が、ゆっくりと私へ向けられた。


「レティ、と呼んでいるのか?」

「呼んでるけど」


 何でもないことのようにリオンが答えた途端、アルバート殿下が黙った。


「…………」

「なんだよ」

「……いや」


 短く返したものの、その表情は明らかに何かを言いたそうだった。

 そういえば、リオンが私をそう呼び始めた頃には少し驚いたけれど、旅を続けているうちにすっかり慣れてしまった。


「名前が呼びにくいから短くしただけですよ」

「お前が説明すんなよ」

「だって事実でしょう?」

「まあ、そうだけどよ」


 リオンが肩を竦める。

 すると、なぜかアルバート殿下の眉間の皺が僅かに深くなった。


「……そうか」

「はい」


 何か問題があるのだろうか。

 私が首を傾げたところで、リオンが呆れたように息を吐いた。


 そこでふと、私はまだ二人をきちんと紹介していなかったことに気づいた。


「そういえば、お二人は初対面でしたね」

「ああ」

「アルバート殿下。こちらはヴァルガード王国第一王子、リオネル殿下です」


 そう告げると、アルバート殿下の目が僅かに見開かれた。


「……第一王子?」

「ああ。リオネル・ヴァルガードだ」


 リオンが短く名乗る。

 するとアルバート殿下も、改めてリオンへ向き直った。


「フィオーレ王国王太子、アルバート・フィオーレだ」

「あんたが……」


 二人の視線が交わる。

 互いに名前くらいは知っていたのだろう。

 けれど、直接顔を合わせるのは初めてらしい。


「つーか、俺も一つ聞いていいか?」

「何でしょう?」

「お前とこいつ、どういう関係なんだ?」

「え? どういう関係、と言われましても……」

「さっきから見てりゃ分かる。どう考えても、ただの知り合いじゃねぇだろ」

「あ……」


 そういう意味だったのね。

 けれど、何と説明すればいいのだろう。


 フィオーレ王国の王太子。

 そこまでは、もう説明した。

 問題は、その先だった。


 一瞬、言葉に迷った。

 今も婚約が続いているのかどうか、私自身よく分かっていない。

 正式に婚約を解消するより先に、私は王都を出てしまったのだから。


「私の……」

「婚約者だ」


 隣から聞こえた声に、私は思わずアルバート殿下を見る。


 けれど、それ以上に分かりやすく反応したのはリオンだった。

 すっと、その顔から表情が消える。


「……は?」


 先ほどより、随分低い声だった。



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