第61話 宴の裏側
一巡の舞が終わったあとも、広間には途切れることなく音楽が流れていた。
先ほどまでとは違い、今度は自由に相手を選んで踊る者もいれば、壁際へ移動して談笑を始める者もいる。
私とリオンもその間を縫うように歩きながら、改めて会場の様子を探ることにした。
「どうだ?」
隣を歩くリオンが、周囲には聞こえない程度の声で尋ねてくる。
「今のところ、何も感じません」
「そうか……」
地下施設で感じた、あの黒い魔力。
これだけ多くの人が集まっているのだから、同じものを纏っている者がいれば気づけるのではないかと思っていた。
けれど、先ほど一巡の舞で大勢の人と接してみても、それらしいものは感じなかった。
「やっぱり、ここにはいねぇのか……?」
「まだ分かりません。会場すべてを確認したわけではありませんから」
「そうだな」
そう答えたリオンとともに、広間の端へ向かう。
壁際には料理や酒が並べられた長い卓が置かれ、その周囲を何人もの給仕が忙しなく行き来していた。
その横を通り過ぎようとしたところで、ふと足が止まる。
「……?」
何かを感じた。
ほんの僅かだった。
地下施設で感じたものよりも遥かに薄く、意識していなければそのまま通り過ぎてしまいそうなほどの違和感。
けれど、一度覚えたあの感覚を間違えるとは思えない。
「……リオンさん」
「あ?」
「ありました」
小声で告げた瞬間、リオンの表情が変わった。
「どこだ」
「少しお待ちください」
目を閉じ、意識を周囲へ広げる。
人々が持つ魔力。
広間を照らしている魔法灯。
仮面へ施された魔法。
様々な魔力が入り混じっているせいで分かりにくい。
それでも、その中に一つだけ異質なものが混ざっていた。
(……あちら)
目を開ける。
けれど、私が見つめた先にいたのは人ではなかった。
「……壁?」
リオンが訝しげな声を漏らす。
広間の壁には、建国記念祭を祝うためなのだろう、ヴァルガードの紋章が織り込まれた大きな布が飾られている。
私はその前まで歩み寄ると、周囲から不審に思われないよう、装飾を眺めるふりをしながら、そっと手を伸ばした。
「レティ?」
「……ここです」
布そのものではない。
その向こうから感じる。
「何かあります」
声を潜めて告げると、リオンも隣へ並んだ。
周囲を確認してから、僅かに布の端を持ち上げる。
その奥にあったものを見て、私は思わず息を呑んだ。
「……魔法式」
壁へ直接刻み込まれた、小さな術式だった。
装飾の陰へ完全に隠され、知らなければ誰も気づかないような場所にある。
そしてそこから漂っているのは、間違いなくあの黒い魔力だった。
「これ……地下にあったやつと同じか?」
「似ています。ですが……」
じっと術式を見つめる。
形は違う。
地下で見つけたものよりも遥かに小さく、構造も簡略化されている。
けれど、一部に同じ組み方が使われていた。
「おそらく、同じ系統の術式です」
「何のためのもんか分かるか?」
「少しだけ……」
地下施設で見つけた術式を思い出しながら、一つずつ魔力の流れを追っていく。
あの時は、私が流した浄化の魔力が術式へ吸い込まれ、そのまま遠くへ運ばれていった。
けれど、これは少し違う。
「……集める?」
「何をだ?」
「何かを集めるための術式に見えます」
口にした瞬間、自分でも引っかかった。
何を集めるのか。
そして、どこから集めるつもりなのか。
もう一度術式へ目を向けると、隣でリオンが低い声を漏らした。
「……まさか、これ一個じゃねぇよな」
「え?」
「こんな小せぇもん一つで何かできるとは思えねぇ。それに、わざわざ祭りの飾りに隠してある」 「…………」
確かにそうだ。
私はもう一度意識を広げた。
一つ見つけたことで、探すべき魔力がはっきりしたからだろう。 今度は先ほどよりも容易に、その違和感を拾うことができた。
少し離れた場所に一つ。 さらにその向こうにも、もう一つ。
「……あります」
「どこだ?」
「あちらにも。それから……向こうにも」
指差すたびに、リオンの表情が険しくなっていく。
「何個あるんだよ……」
「まだ分かりません」
少なくとも、この広間だけではないかもしれない。
その可能性に思い至った瞬間、背筋を冷たいものが走った。
「リオンさん」
「なんだ」
「これ……今日のためのものではないのでは?」
「どういう意味だ?」
「前夜祭は、あくまで建国記念祭の前夜に行われる宴なのでしょう?」
「ああ」
「本祭は明日です」
「明日は今日より多くの人間が王城に集まる……か」
「ええ」
本祭には王族だけでなく、国内の高位貴族や騎士、各地の有力者も集まる。
建国を祝うための重要な式典なのだから、一定以上の地位にある者は原則として出席することになっているはずだ。
そして、そうした者たちには魔力の高い者も多い。
貴族の家系には、代々魔力量の多い者が生まれやすい。
王族ともなれば、その傾向はさらに顕著だ。
もちろん例外はあるけれど、明日この王城には、普段の夜会とは比べものにならないほど多くの魔力を持つ者が集まることになる。
「もし、これが何かを集めるための術式なら……」
そこまで口にしたところで、視界の端で誰かが動いた。
顔を上げると、広間の奥に一人の男性が立っている。
仮面をつけているため表情までは分からない。
けれど目が合った瞬間、その人物は明らかに動きを止めた。
そして次の瞬間、何事もなかったように踵を返し、人々の間を抜け始める。
「リオンさん」
「ああ」
どうやらリオンも気づいたらしい。
男は徐々に足を速め、そのまま広間の外へ向かっていく。
「追うぞ」
「はい」
私たちもすぐに後を追った。
人の多い広間では走るわけにもいかない。
それでも男はこちらを警戒していることを隠そうともせず、足早に出口へ向かっていた。
やがて広間を抜けると、その姿が廊下の先で角を曲がる。
「待て!」
リオンが駆け出した。
私もドレスの裾を僅かに持ち上げ、その後を追う。
「レティ、お前は無理すんな!」
「これくらいなら平気です!」
「そういう問題じゃ――ったく!」
人気のない廊下を進み、角を曲がる。
その先にあった扉が開け放たれ、夜の冷たい空気が流れ込んでいた。
「外か……!」
リオンがそのまま扉を抜ける。
私も続いて外へ出ると、そこは王城に隣接する庭園だった。
月明かりの下、先ほどの男が植え込みの間を抜けていく。
私たちはその背を追い、次第に宴の音が遠ざかっていった。
やがて庭園の奥まで辿り着いたところで、男が不意に足を止める。
逃げ続けるかと思っていた男は、こちらへ背を向けたまま、何かをしているようだった。
「何を――」
「リオンさん!」
リオンが何か言いかけた瞬間、ぞわりと肌が粟立ち反射的に叫んだ。
男の足元を黒い光が走った。
黒い線が石畳を這い、枝分かれしながら周囲の地面へと広がっていく。
リオンがすぐに剣へ手を掛けたものの、それよりも早く術式は庭園一帯へ伸び始めていた。
先ほど広間で見つけたものと同じ魔力。
けれど、比べものにならないほど濃い。
「下がってください!」
私は咄嗟に手を伸ばし、魔力を放った。
黒い術式へ触れた瞬間、激しい反発が返ってくる。
「……っ」
「レティ!」
「大丈夫です!」
押し返されそうになる魔力を、そのまま術式へ流し込む。
浄化の魔力に触れた部分から、黒い線が少しずつ薄れていく。
けれど、すぐに違和感を覚えた。
(……違う)
地下の時とは違う。
この術式は、どこかへ繋がっているだけではない。
何かをこちらへ引き寄せようとしている。
それどころか、流し込んでいる私の魔力にまで絡みつき、逆に奪おうとしてくるような感覚があった。
「……吸っている?」
「何?」
「この術式……魔力を吸い取ろうとしています」
「は?」
リオンの視線が鋭く男へ向けられる。
「てめぇ、何するつもりだ!」
けれど男は答えなかった。
代わりに懐へ手を入れ、何かを取り出そうとする。
「リオンさん!」
「分かってる!」
リオンが一気に距離を詰めた。
男もすぐに身を翻し、次の瞬間には金属音が夜の庭園へ響く。
二人の刃がぶつかり、そのまま激しく斬り結び始めた。
私は術式を抑えながら、その様子を見つめる。
けれど次の瞬間、少し離れた別の小径から足音が聞こえてきた。
(……誰?)
そちらへ顔を向けると、一人の男性がこちらへ向かって走ってくる。
先ほどまでと同じように仮面をつけているため、誰なのかは分からない。
けれど、その手にはすでに剣が握られていた。
(仲間……?)
そう思った直後だった。
「レティ、そっち行ったぞ!」
リオンの声が響く。
見ると、彼と斬り結んでいた男が身を翻し、突然こちらへ向かって駆け出してきた。
「!」
避けようとしたその瞬間、地面の術式が再び強く光る。
魔力を流していた私は、すぐにはその場を離れられなかった。
男の手が伸びた、その時だった。
「――レティシア!」
「え……?」
鋭い声が辺りへ響いた。
それは聞き覚えのある声だった。
次の瞬間、反対側から駆けてきた男性が私の前へ滑り込み、振り下ろされた男の剣を受け止める。
激しい金属音が鳴り響き、弾かれた男が数歩後ろへ下がった。
私は、自分を庇うように立った男性の背中を呆然と見つめる。
まさか、そんなはずは――
「大丈夫か、レティシア」
もう一度聞こえた声に、今度こそ間違いないと思った。
男性が振り返り、自ら仮面へ手を掛ける。
隠されていた顔が露わになった瞬間、私は言葉を失った。
「……アルバート殿下?」




