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もうどうでもよくなったので、私に関わろうとするのはご遠慮ください  作者: はな


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第7話 白銀の噂


 翌朝。


 宿の外から聞こえる賑やかな声に、私はゆっくりと目を開けた。


 昨日まで町を覆っていた重苦しい空気とは違う、明るく弾んだ声だった。


「戻ったぞ!」

「市場の井戸にも水が戻ってる!」

「宿場口の井戸もだ!」

「それは本当か!」


(……もう気づいたのね)


 昨夜、目についた共同井戸をいくつか巡った。


 きっと誰かが水を見つければ、町中に知らせが広がるだろうとは思っていた。


 その声に安堵しながらも、私は布団の中で小さく息をつく。


(皆、少しは安心できたかしら……)


 自分の目で確かめたくなり、ゆっくりと身体を起こした。


「少しだけ、行ってみましょうか」

「ええ」


 いつの間にか身支度を終えていたアンナが、穏やかに微笑む。


 私たちは身支度を整えると、人々の流れに合わせて井戸へ向かった。



 井戸の周りには、昨日とは比べものにならないほど多くの人が集まっていた。


「水だ……!」

「本当に戻ってる!」


 桶を下ろした女性は、水を汲み上げると嬉しそうに両手で抱きしめる。


「よかった……これで洗濯ができる」

「うちも今日はパンが焼けるぞ!」

「子どもたちにも水を飲ませられる!」


 昨日まで暗かった人々の表情には笑顔が戻り、町には久しぶりに明るい声が響いていた。


 その光景を見つめながら、私は胸の奥でそっと息をつく。


(……よかった)


 もちろん、これですべてが解決したわけではない。


 それでも今日一日だけでも、皆が安心して暮らせる。

 そう思うだけで、胸が少し温かくなった。


「レティさん」


 隣に立つアンナが、小さく微笑む。


「安心されましたか?」

「ええ」


 自然と笑みが零れる。


 困っていた人たちが笑っている。

 その姿を見るだけで十分だった。


 けれど、その一方で胸の奥には小さな引っ掛かりも残っていた。


 私は静かに井戸を見つめる。


(……そもそも、どうして急に水が減ったのかしら)


 原因が分からないままでは、また同じことが起きるだろう。


 そんな考えが頭を離れなかった。



 その日は宿で静かに過ごした。


 窓から見える市場には昨日よりも活気が戻り、人々の笑顔が増えている。


 宿の主人も何度も「助かったよ」と嬉しそうに話していた。


「これでしばらくは安心だ」

「神様のお恵みかねぇ」

「昨日の夜に雨なんて降らなかったのにな」


 ——しばらく?


 私は思わず窓の外へ視線を向けた。


(そんなつもりはなかったのだけれど……)


 今日一日だけでも困らずに済めばと思って魔力を流した。

 それでも人々の様子を見る限り、水位は私の想定よりも多く戻っているらしい。


(……井戸というのは、あれくらい戻れば『しばらく安心』と思えるものなのかしら)


 私は加減を間違えてしまったのだろうか。


 窓の外では、水桶を抱えた人々が笑顔で行き交い、安堵したように言葉を交わしている。


 その様子を眺めていると、不意に二人、三人と石畳を歩く鎧姿が目に入る。


「……騎士?」


 ドクンと心臓が跳ね、思わず息を呑む。


(私を探している人たちではないと思いたいけど……)


 私が静かに窓から身を引くと、それに応じるようにアンナがカーテンを閉めた。


「お嬢様」

「なあに?」

「町も落ち着きましたし、明日の早朝には発ちましょう」

「……そうね」

「レティさんの髪は目立ちます。人目を集める前に発ちましょう」

「ええ……」


 騎士の姿はやはり気になる。

 私の捜索が、もうここまで広がっているのか。

 それとも、この水不足の調査のために派遣されたのか——。


「……レティさん」

「何かしら」

「まだ原因のことを考えていらっしゃるのでしょう?」

「……顔に出ていた?」

「ええ、少しだけ」


 思わず苦笑すると、アンナも困ったように笑った。


「自然のことです。地下水の流れが変わったのかもしれませんし、雨の影響だったのかもしれません」

「そうかもしれないわ」

「ですから、あまり気になさらないでください」


 アンナは静かに私を見つめた。


「ようやく、ご自分のために生きようと決められたばかりではありませんか」


 その言葉に、私は静かに目を瞬かせる。


「公爵令嬢であったお嬢様でしたら、きっと原因を突き止めるまで休もうとはなさらなかったでしょう」

「……」

「でも、もう違います」


 アンナの声はどこまでも優しかった。


「誰かのために命を削る人生は、もう終わりにしてください」


 その言葉は責めるものではなかった。

 ただ、心から願うような響きがあった。


「私は、お嬢様には少しだけのんびりしていただきたいのです」


 穏やかな笑みを浮かべながら、アンナは続ける。


「美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、好きな時間に眠って。……そんな当たり前のことを、これから少しずつ経験していただきたいのです」


 胸の奥がじんわりと熱くなる。

 そんなふうに願ってくれる人がいる。

 それだけで、十分幸せなことなのかもしれない。


「……ありがとう」


 そう答えると、アンナは安心したように微笑んだ。


「ですから今日は、宿でゆっくりお休みください」

「そうね」


 私は笑顔で頷いた。


 けれど心の片隅では、やはり井戸のことが気になってしまう自分がいた。



 翌朝。


 まだ日が昇ったばかりの静かな時間に、私はそっと宿を出て、一人で井戸へ向かった。


 どうしても胸騒ぎがやまない。


 人影のない井戸を覗き込むと、やはり水位は昨日より下がっていた。

 宿場口の共同井戸も同じだった。


「……やっぱり」


 昨日よりも水位が下がっている。

 枯れてはいないが、確かに減っていた。


 一晩でこれだけ減るということは、やはり魔法で戻した水は一時しのぎに過ぎなかったのだ。


 このままでは、また町は同じ問題に苦しむことになる。


「レティさん」


 その声に振り返ると、荷物を持ったアンナが立っていた。


「出発の準備が整いました」


 私はもう一度だけ井戸を見つめる。


 本当は原因を調べたい。

 何とかしたい。


 今からなら、原因を探ることもできるかもしれない。


 一歩踏み出しかけた、その足が止まる。


 ——誰かのために命を削る人生は、もう終わりにしてください。


 アンナの言葉が胸によみがえった。


 私は小さく息を吐き、井戸へ向かって心の中だけで呟いた。


(ごめんなさい。……いつか、もし力になれる日が来たら)


 そう願いながら踵を返す。


「参りましょう」

「ええ」


 私たちは静かに宿場町をあとにした。


 その背中へ、風に乗って人々の話し声が聞こえてくる。


「やっぱり、白銀の魔女様だったんじゃないか」

「昔、おばあちゃんから聞いたことがあるよ」

「困っている人を助けてくださる、白銀の髪をした魔女様のお話だよな」

「きっと、またどこかで誰かを助けているんだ」


 ——白銀の魔女……?


 聞き慣れないその呼び名に、私は小さく首を傾げる。


「どうかなさいましたか?」

「……ううん。何でもないわ」


 私は気にも留めることなく微笑み、アンナと並んで歩き出した。


 その噂が、これから少しずつ国中へ広がっていくことなど、まだ知る由もなかった。



読んでいただきありがとうございます!

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