第59話 一巡の舞
日が暮れる頃には、王都は昼間以上の賑わいを見せていた。
大通りにはいくつもの灯りがともされ、昼間とは違う華やかな衣装に身を包んだ人々が行き交っている。
建国記念祭を迎えた王都は、夜になっても熱気が冷める気配はなかった。
アンナに促されるまま身支度を整え、最後に鏡の前へ立つ。
身につけているのは、リオンが急遽用意してくれたドレスだった。
今夜の前夜祭へ出ることが決まってから手配してくれたものらしく、エトワール公爵家にいた頃に身につけていたような華美なものではない。
けれど、落ち着いた意匠のそれは王城の夜会へ出ても見劣りするようなものではなく、急なことだったとは思えないほど身体にも馴染んでいる。
「少しだけ手直しをいたしました」
「さすがね、アンナ」
「当然です。レティさんのお召し物ですもの」
どうやら随分と張り切ってくれたらしい。
鏡越しにアンナが満足そうに微笑む。
それでも久しぶりにこうした服へ袖を通すと、少し不思議な気分になる。
「よくお似合いです、レティさん」
「ありがとう、アンナ」
髪を整えてくれていたアンナへ笑いかけたところで、扉を叩く音がした。
「準備できたか?」
聞き慣れた声に、アンナが扉を開ける。
そこに立っていた人物を見て、私は思わず目を瞬いた。
「……まあ」
「なんだよ」
普段の旅装ではなく、正装に身を包んだリオンが立っていた。
濃い色の上着は身体にぴたりと合い、装飾そのものは控えめながらも上質なものだと一目で分かる。
いつも無造作にしている髪もきちんと整えられていて、普段とは随分印象が違って見えた。
思わず上から下まで眺めてしまう。
「……こうして見ると、本当に王子様に見えますね」
「お前な……俺は最初から王子だ」
「もちろん存じていますよ?」
「じゃあ普段は何に見えてんだよ」
「リオンさんです」
「答えになってねぇ」
呆れたように返され、思わず笑ってしまう。
「でも、とてもお似合いですよ」
「…………」
なぜか今度は返事がない。
「リオンさん?」
「……そういうの、さらっと言うのやめろ」
「何がです?」
「もういい」
リオンは顔を逸らすと、手にしていた仮面を私へ差し出した。
「ほら。これがお前の分」
「ありがとうございます」
受け取った仮面は、思っていたより軽かった。
ヴァルガードの前夜祭で使われる仮面には、特殊な魔法が施されているらしい。
顔の上半分を覆うだけのものだけれど、身につければ目元へ淡い影が落ち、瞳や髪の色まで曖昧に見せる。
声まで完全に変わるわけではないものの、少なくとも一目見ただけで正体を見抜くことは難しいという。
「随分と徹底しているのですね」
「そうしねぇと意味ねぇからな。王族だろうが貴族だろうが、今夜だけは正体を詮索しない。分かっても口に出さない。それが昔からの決まりだ」
「ええ、存じています」
「……やっぱ知ってんのかよ」
「習いましたから」
「お前が何をどこまで習ってんのか、だんだん怖くなってきた」
「失礼ですね」
仮面をつけると、アンナが満足そうに頷いた。
「とてもお似合いです」
「ありがとう。アンナのおかげね」
「いいえ。元がよろしいのですから、私は少しお手伝いしただけです」
「もう、アンナったら」
思わず笑うと、アンナも満足そうに目を細めた。
今夜、アンナは前夜祭には参加せず、この宿で私たちの帰りを待つことになっている。
目的が目的だけに、何かあった時の連絡役も必要になる。
それに、あまり大人数で動くより、リオンと私の二人で会場を見て回った方が自然だろうということになったのだ。
「お気をつけくださいませ」
「ええ。何か分かったら戻ってくるわ」
「決してご無理はなさらないでくださいね」
「分かっているわ」
そう答えると、なぜかアンナだけではなくリオンまで疑わしそうな目を向けてきた。
「……何です?」
「いや」
「何でもねぇよ」
「そうですか?」
二人とも失礼だと思う。
◇
前夜祭の会場となっている王城の大広間は、すでに多くの人々で賑わっていた。
高い天井から吊るされた幾つもの魔法灯が広間を明るく照らし、楽団の奏でる音楽と人々の楽しげな話し声が辺りを満たしている。
けれど、何より不思議なのは、集まっている人々の姿だった。
誰もが顔の上半分を覆う仮面をつけている。
華やかな夜会服に身を包んだ者もいれば、比較的装飾を抑えた者もいる。
普段であれば、その装いや立ち居振る舞いから相手の身分を推し量ることもできるのだろう。
けれど今夜ばかりは、誰が王族で、誰が貴族なのかを詮索する者はいない。
同じ仮面の下で身分を伏せ、一人の人間として言葉を交わす。
(本当に、不思議な光景ね)
知識としては知っていたけれど、実際にその場へ立ってみると、思っていた以上に奇妙な感覚だった。
「本当に、誰が誰だか分かりませんね」
「だから面白いんだろ」
「リオンさんも分かりません」
「隣にいるだろうが」
「今は分かりますけれど、一度離れたら見失いそうです」
「……お前、俺から離れんなよ」
「どうしてです?」
「どうしてって……」
リオンは何かを言いかけ、結局口を閉ざした。
「まあいい。とりあえず一周するぞ。何か感じたらすぐ言え」
「分かりました」
人々の間を歩きながら、意識を僅かに周囲へ広げる。
けれど、今のところ地下で感じたような不快な魔力は感じない。
これだけ大勢の人がいるのだ。
もし誰かが黒い魔力を纏っていたとしても、すぐに見つけられるかは分からない。
焦らず探すしかないだろう。
そうして会場を見て回っていると、やがて楽団の奏でる音楽が一度止まった。
代わりに、大きな歓声が上がる。
「始まるぞ」
「一巡の舞ですね」
「……それも知ってんのか」
「もちろんです」
「もう驚かねぇぞ、俺は」
リオンが疲れたように呟いた。
一巡の舞。
建国記念祭の前夜祭で行われる、ヴァルガード独特の舞だ。
建国の際、身分も出自も異なる人々が力を合わせたことを忘れないために始まったとされている。
最初に組んだ相手と踊り、曲の途中で次々と相手を替えていく。
そして一巡した最後には、再び最初の相手へ戻る。
今夜の宴を象徴するような舞だった。
「レティ」
呼ばれて顔を上げる。
リオンが私の前へ立ち、片手を差し出していた。
「最初は俺だ」
「ええ」
その手へ自分の手を重ねる。
周囲でも次々と男女が組み始め、やがて再び音楽が流れ始めた。
最初の一歩を踏み出す。
ヴァルガードの舞は、フィオーレで一般的なものよりも僅かに足運びが速い。
旋回も多く、相手との距離が大きく変わるのが特徴だった。
けれど、何度も練習したことがある。
リオンの手に導かれるまま一歩下がり、そのまま身体を翻す。
再び向き合い、次の拍子に合わせて足を運ぶと、リオンが僅かに目を見開いた。
「……おい」
「はい?」
「なんで普通に踊れてんだよ」
「踊れるからですけれど」
「そういう意味じゃねぇ」
周囲に合わせて位置を変えながら、リオンが信じられないものを見るように私を見る。
「これ、ヴァルガードの踊りだぞ?」
「存じています」
「来たの初めてだよな?」
「ええ」
「……初めてこの国に来た奴の踊り方じゃねぇだろ」
「何度も練習しましたから」
「なんで他国の舞まで練習してんだよ」
「必要でしたので」
「何にだよ」
「色々と?」
「……やっぱお前、絶対なんか隠してるだろ」
嘘は言っていないが、隠してはいる。
王太子妃となれば、他国の王族や貴族と交流する機会もある。
そのため周辺国の礼儀作法や文化、舞踏まで一通り身につけるよう求められていた。
当時はただ必死に覚えていただけだったけれど、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「……本当に何者なんだ、お前」
「以前申し上げたでしょう? 元貴族です」
「それで全部片づけようとすんな」
「事実ですもの」
「…………」
随分な言われようだ。
けれど問い詰めるほど本気ではないらしく、リオンの口元には僅かに笑みが浮かんでいる。
私もつられるように笑いながら、彼の手に合わせて身体を翻した。
そうして一曲目が終わる頃には、最初に感じていた僅かな緊張もすっかり消えていた。
「楽しいですね」
「……お前、ほんと余裕だな」
「リオンさんもお上手ですよ」
「そりゃ、こっちの踊りだからな」
呆れたように言いながらも、どこか得意げに見える。
その時、音楽の調子が変わった。
周囲の人々が一斉に動き始める。
「あら」
「ここからだ」
繋いでいたリオンの手が離れた。
一巡の舞では、ここから曲の節目ごとに相手が入れ替わっていく。
「一周したら戻ってこいよ」
「そういう踊りでしょう?」
「……分かってるよ」
なぜそんなことをわざわざ言うのだろう。
不思議に思いながらも、流れに合わせて一歩離れる。
すぐに次の男性がこちらへ歩み寄り、私の前で足を止めた。
顔の半分は仮面に覆われ、魔法によって髪も瞳も本来の色が分からない。
当然、見覚えのある相手かどうかさえ分からなかった。
男性が静かに手を差し出す。
私は何の疑いもなく、その手へ自分の手を重ねた。
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