第52話 時間がない理由
「……で、何から聞きたい」
「先ほどの続きです」
「だろうな」
リオンは深くため息を吐くと、街道脇に立つ大きな木へ背を預けた。
先ほどまで剣を交えていた時の鋭い気配はすでに消え、いつものどこか気だるげな様子へ戻っている。
けれど、その表情はいつもよりずっと重く、何から話すべきか迷っているようにも見えた。
やがて、リオンは僅かに視線を伏せて話し始めた。
「ヴァルガードの王位継承がどうやって決まるかは、知ってるんだったな」
「ええ。最も国へ貢献した王族が、次代の王として選ばれるのでしょう?」
「そうだ」
短く答えたあと、リオンはしばらく黙っていた。
木々の隙間から差し込む朝の光が、風に揺れる葉とともに彼の横顔を照らしている。
やがて意を決したように、リオンが口を開いた。
「……俺には弟がいる」
「弟君がいらっしゃるのですか?」
「ああ」
初めて聞く話だった。
けれど、何となく今は口を挟まない方がいいような気がして、私は黙って次の言葉を待つ。
「昔のヴァルガードじゃ、王位継承を巡って王族同士が殺し合うことも珍しくなかった。今はさすがにそんな時代じゃねぇが……だからって、継承争いそのものがなくなったわけじゃない」
ヴァルガードの王位は、単純な長子相続ではない。
王族の中から、武功や政治的な成果、人望などを総合的に見て、次代の王に相応しい者が選ばれる。
それは優れた者を王にするための仕組みであると同時に、複数の王族が王位を争う可能性があるということでもある。
王妃教育で歴史として学んではいたけれど、それが今も完全になくなったわけではないらしい。
「では、弟君も王位を望んでいらっしゃるのですか?」
「いや」
リオンは即座に否定した。
「あいつにそんな気はねぇよ。何度も俺が王になればいいって言ってる」
「でしたら、お二人が争う必要はないのでは?」
「俺たちにはな」
その答えに、思わず首を傾げる。
リオンは苦々しげに息を吐いた。
「本人が王になりたがってるかどうかなんて、周りの奴らには関係ねぇんだよ。王位継承権を持ってる。それだけで十分だ」
「……どういうことでしょう?」
「俺を王にしたくねぇ連中からすりゃ、あいつを担ぎ上げればいい。本人が嫌がろうが、『第二王子殿下こそ王に相応しい』って勝手に派閥を作ることだってできる」
「まあ……」
「逆に俺を推してる連中の中には、あいつがいるから余計な争いが起きるって考える奴もいる」
そこまで聞いて、ようやく意味が分かった。
「……弟君を排除しようとする方もいらっしゃるのですね」
「ああ」
短く答えたリオンの声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
「俺が止めても、あいつ自身が王位なんかいらねぇって言っても関係ない。王族として生まれて、継承権を持ってる。それだけで勝手に利用しようとする奴が出てくる」
「王位継承権を放棄することはできないのですか?」
「簡単にできりゃ、とっくにやってる」
リオンが吐き捨てるように言った。
「王族が好き勝手に継承権を放棄できるようになりゃ、今度は脅して辞退させようとする奴が出てくる。だから、正式な理由も王の承認もいる。議会だって通さなきゃならねぇ。あいつが『いりません』って言えば済む話じゃねぇんだよ」
「なるほど……」
王位を望んでいないのに、王位継承権を持っているというだけで争いへ巻き込まれる。
それは随分と理不尽な話に思えた。
けれど、王という存在が国そのものに大きな影響を与える以上、本人たちの気持ちだけで決められないことも理解はできる。
「だから、守り続けるだけじゃ限界がある」
リオンの声が僅かに低くなった。
「俺が圧倒的な功績を上げて、次の王はリオネル以外あり得ないってところまで持っていけば、あいつを担ぎ上げる意味がなくなる。俺の邪魔になるからって、あいつを消そうとする理由もなくなる」
その言葉を聞いた瞬間、昨夜のリオンさんの言葉が、不意に頭をよぎった。
――『……時間がねぇんだよな』
あの時は、何を急いでいるのか分からなかった。
けれど、今の話を聞けば意味が違って聞こえる。
「……もしかして、昨夜仰っていた『時間がない』というのは」
「……気づいたか」
「ええ。今のお話を伺って、ようやく」
「…………」
リオンは困ったように頭を掻くと、しばらく黙り込んだ。
「……あいつを狙ってる連中が、少しずつ動き始めてる」
「弟君を?」
「ああ。まだ直接手を出してきたわけじゃねぇ。けど、このまま何年もかけて俺が王になるのを待ってられる状況でもない」
だから、時間がなかったのだ。
弟君が本当に狙われる前に、自分が次代の王であることを決定的なものにしなければならない。
そのための大きな功績が、必要だった。
「だから、焦っていらしたのですね」
「……まあな」
短く答えたリオンの横顔は、どこか苦しげだった。
そんな時に、戦を起こしたがっている者たちが動き始めた。
「その方々は、国境で小さな異変を起こすだけではなく、本当に戦争を起こすおつもりだったのですか?」
「最終的にはな。いきなりヴァルガードからフィオーレへ攻め込めば、さすがに国内でも反対される。だから少しずつ国境を不安定にして、互いへの不満を積み上げるつもりだった」
やはり、そうだったのだ。
これまで旅の中で目にしてきた異変が、改めて頭の中で一本の線に繋がっていく。
「戦になれば、武功を上げる機会が生まれる。領土を手に入れたい奴もいるし、戦で儲けようとしてる奴もいる。理由なんざ、それぞれだ」
「……リオンさんも、その方々に便乗して功績を上げるおつもりだったのですか?」
「違う」
すぐに返ってきた声は、思っていたよりも強かった。
リオンの瞳から気だるげな色が消え、鋭い光が宿る。
「戦争なんて起こさせるつもりはなかった」
「では、どうするおつもりだったのです?」
「利用するつもりだったんだよ」
「利用……」
「あいつらをある程度自由に動かして、証拠を集める。誰が関わってるのか、裏で誰が糸を引いてるのか、全部洗い出してからまとめて潰す」
そこでリオンは一度言葉を切ると、僅かに目を伏せた。
「戦を未然に防いで、国内の戦争派を一掃する。それを俺の功績にするつもりだった」
「…………」
ようやく、すべてが繋がった気がした。
戦争を望む者たちを排除し、自らは大きな功績を得て王位へ近づく。
そうなれば弟君を王に担ぎ上げようとする者も減り、彼を排除しようとする理由もなくなる。
リオンなりに、いくつもの問題を一度に片づけようとしていたのだろう。
けれど、そのためには――
「その証拠を得るために、井戸の水が止められることも、魔物が増えることも……止めなかったのですね」
「……ああ」
先ほどまで真っ直ぐ私を見ていたリオンが、初めて視線を逸らした。




