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もうどうでもよくなったので、私に関わろうとするのはご遠慮ください  作者: はな


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第51話 言葉にしなければ ◇

今回は少し視点を変えて、アルバート側のお話です。



 森の中を駆け抜けていた男が、何度も後ろを振り返る。


「くそっ……!」


 荒い息とともに吐き捨てた声が、木々の間へ消えていった。

 すでに逃げ道はほとんど残されていない。


 前方には深い斜面。

 左右にはこちらが回り込ませた騎士たち。

 それでも男は諦めることなく腰の剣へ手を伸ばした。


「止まれ」


 声を掛けても、男の足は止まらない。

 ならば仕方がない。

 馬から飛び降り、そのまま距離を詰める。男が振り向きざまに抜いた剣を受け流し、手首を返して弾き飛ばした。


「ぐっ……!」


 宙を舞った剣が、少し離れた地面へ突き刺さる。

 男が体勢を立て直すより早く、追いついた騎士たちがその両腕を取り押さえた。


「離せ! 俺は何も――」

「村を襲った盗賊団の一員であることは、すでに確認が取れている」


 そう告げると、男の顔から僅かに血の気が引いた。

 これで、あの村から逃げた残党のうち、把握していた者はすべて捕らえたことになる。

 だが、俺がここまで自ら足を運んだ理由は、それだけではなかった。


「一つ聞く」


 連行されようとしていた男が、怯えたようにこちらを振り返った。


「お前たちは、あの村を襲ったあと、どこへ行った」

「…………」

「答えろ」

「……森の奥だ」

「森?」

「洞窟がある。しばらく、そこに隠れてた」


 傍らにいた騎士がすぐさま反応する。


「洞窟の場所は?」

「あとで話すよ! だからもう――」

「なぜ、そこを出た」


 問いを重ねると、男は何かを思い出したのか、顔を引きつらせた。


「……湯だよ」

「湯?」

「地面からいきなり湯が噴き出してきやがったんだ! それも一か所じゃねぇ。あっちからもこっちからもだ! あっという間に洞窟の中が湯だらけになって、逃げるしかなかった!」

「……ふざけているのか?」

「ふざけてねぇよ! 俺だって意味分かんねぇんだよ!」

「地面から突然、湯が噴き出したと?」

「そうだよ! 嘘だと思うなら勝手に調べろ!」


 男の必死な様子を見る限り、嘘をついているようには見えない。


 地面から突然、湯が噴き出した。

 そんなことが自然に起こるとは考えにくい。


 そこまで考えたところで、不意に一人の顔が脳裏をよぎった。


(……いや)


 さすがに、これは違うだろう。

 レティシアを追い始めてからというもの、どうにも普通では考えられない出来事ばかり耳にしているせいかもしれない。


 結界石、崩れた橋と忽然と消えた巨岩。

 そして、トロン伯爵の領地に残されていた彼女の魔力。


 ようやく追いついたと思うたび、見つかるのは彼女がそこにいたという痕跡ばかりだった。

 あと少し早ければと、何度思ったかもう分からない。


 だからといって、不可解なことが起きるたびにレティシアへ結びつけるのもどうかしている。


 頭に浮かんだ考えを追い払い、傍らの騎士へ命じる。


「……その洞窟を調べろ。自然に起きたものとは思えない。何か残っている可能性がある。場所はこいつに案内させろ」

「はっ」

「ちょ、待て! 俺はもうあそこには――」

「連れて行け」

「待てって!!」

「待て。あともう一つ……その前後に、誰かを見なかったか」

「誰か?」

「若い女だ。淡い金の髪で、青い瞳をしている」

「知らねぇ!」


 間を置くことなく返ってきた答えに、胸の奥が僅かに沈む。


「本当に知らねぇよ。俺たちは湯が噴き出したあと、そのまま散り散りになって逃げたんだ。女なんか見てねぇ」

「…………」


「殿下。これで、確認されていた残党は全員です」

「……ああ」

「この者たちは一度、近隣の詰所へ移送いたします」

「任せる」


 一礼した騎士たちが、捕らえた男を連れていく。

 その時だった。


「おい、そっちじゃない」


 少し離れたところから声が聞こえた。

 見ると、一人の騎士が捕縛した男を連れ、他の者とは反対方向へ進もうとしている。


「西側へ回れと言っただろう」

「西、ですか?東側の詰所へ連れていくものかと……」

「だから、さっき――」


 言いかけた年長の騎士が、ふと黙った。

 何かを思い返すように眉を寄せ、やがて小さく息を吐く。


「……いや。言ってなかったな」

「え?」

「他の隊には伝えた。だから、お前にも話したつもりになっていた」

「申し訳ありません」

「お前が謝ることじゃない。言ってもいないことを、分かれという方が無理だ」

「…………」


 何気ないやり取りだった。

 若い騎士もすぐに頷き、今度こそ正しい方向へ歩き出していく。


 それだけのことだった。


 なのに――


 ――言ってもいないことを、分かれという方が無理だ。


 その言葉が、妙に耳へ残った。


 昔、似たようなことを言われた気がする。


 いや。

 昔というほど前ではない。


『殿下が何を考えているかなんて、口にしなければ誰にも分かりません!』


 ルーカスの声が、鮮明に蘇る。


(……そうだったな)


 建国記念祝賀会の夜。

 レティシアを気遣って距離を置いたつもりだった俺に、ルーカスは呆れ果てた顔でそう言った。


 言わないと伝わらない、と。


 あの時の俺は、その言葉を理解したつもりでいた。


 だから翌日、レティシアへ話しかけた。


 体調はどうだと聞こうとしたし、無理はするなとも、心配しているのだとも伝えるつもりだった。


 結局、口から出たのは――


『……授業は終わったのか』


「…………」


 思い出すだけで、今さらながら頭を抱えたくなる。

 何一つ伝えられていない。

 それどころか、その翌日には彼女はいなくなった。


 それから俺はずっと、レティシアを探してきた。


 彼女が危険な目に遭っていないか。

 誰かに傷つけられていないか。

 何か困っていることはないか。


 ずっと、そればかり考えていた。

 見つけたら連れて帰ると、何度もそう思っていた。


(……連れて帰って、それから?)


 不意に浮かんだ疑問に、思考が止まった。


 見つけたら、帰ってこいと伝えるつもりだった。

 王都へ戻り、公爵家へ帰り、そして以前と同じように俺の隣へ戻ってきてほしいと。


 けれど――


(レティシアは、それを望んでいるのか?)


「…………」


 答えが出なかった。


 当然だった。

 聞いたことがないのだから。


 婚約してから、レティシアはいつも完璧だった。

 王妃教育を受け、どれほど厳しい課題を課されても弱音一つ吐かなかった。


 祝賀会へ出れば婚約者として俺の隣に立ち、求められた役目を寸分違わずこなしていた。


 だから、それが彼女の望みなのだと思っていた。


 王太子妃になるために努力することも、俺の婚約者であり続けることも、レティシア自身が選んでいるのだと。


――けれど、本当にそうだったのだろうか。


(……俺は、一度でも聞いたか?)


 王太子妃になりたいのか。

 王妃教育は苦しくなかったのか。

 何がしたくて、何が嫌で、これからどう生きたいのか。


 思い返してみても、何一つ浮かばない。


 俺は聞かなかった。

 それだけではなく、自分のことも何も話していなかった。


 なぜレティシアの前でだけ上手く話せなくなるのか。

 なぜ距離を置いたのか。

 なぜ茶会を減らしたのか。

 なぜアリスを警戒しながらも、笑顔で接し続けていたのか。


 レティシアへ害が及ばないように。

 少しでも負担を減らせるように。


 俺の中には、一つひとつ理由があった。


 だが――


(……それを、俺は何一つ伝えていない)


 ――言ってもいないことを、分かれという方が無理だ。


 先ほどの騎士の言葉が、もう一度胸へ落ちる。


 ルーカスは、最初から同じことを言っていた。

 それなのに俺は、今になってようやくその意味を理解したのかもしれない。


 自分の中にある思いは、自分にしか見えない。


 どれだけレティシアのことを大切に思っていても。

 どれだけ守りたいと思っていても。


 伝えなければ、彼女には分からない。

 そして俺もまた、彼女の口から何も聞こうとせず、勝手に分かったつもりになっていた。


(……何をしていたんだ、俺は)


 胸の奥が、鈍く痛んだ。


 守っているつもりだった。

 レティシアのためだと信じていた。


 けれど、そのレティシアは俺の傍で限界を迎え、何も言わずに去った。


 ならば――俺が守っていたと思っていたものは、いったい何だったのだろう。


「殿下」


 呼びかけられ、ゆっくりと顔を上げた。

 先ほどまで残党の捕縛を指揮していた騎士が、少し離れたところに立っている。


「……何だ」

「使者が到着しております」

「使者?」

「はい。次のご公務についてです」

「…………」


 その言葉だけで、何を告げられるのかは分かった。

 すでに予定をずらせる限界までずらしている。


 王太子である以上、いつまでも一人の人間を追い続けるために、公務を放り出しておくことはできない。


 分かっているが、それでも――


「……あと一日だけ」


 気づけば、そう口にしていた。


「殿下」

「もう一日あれば、次の町まで――」


 そこまで言って、口を閉ざす。

 次の町へ行けば、本当にレティシアがいるのか。

 分からない。


 その次は?

 さらにその先は?


 会えるまで、すべてを放り出して追い続けるつもりなのか。


(……俺は、また自分のことしか考えていないのか)


 会いたい。

 今すぐにでも。


 その気持ちは、3カ月前から何一つ変わっていない。


 むしろ、残された痕跡を辿るほど強くなっている。

 彼女がどんな場所を歩き、何を見て、誰を助けてきたのかを知るたびに、ますます本人に会いたくなった。


 けれど、自分が会いたいことと、レティシアが会いたいかどうかは別だ。

 今までなら、そんな当たり前のことすら考えていなかった。


「……分かった」

「殿下?」

「ここで一度、捜索を切り上げる。予定通り、次の公務へ向かう」

「……かしこまりました」


 自分で口にしておきながら、胸の奥がひどく軋んだ。

 諦めるわけではない。

 そんなことができるはずもない。


「ただし、捜索は続けろ」

「はい。発見次第、姫君を保護し、殿下のもとへ――」

「いや」

「……殿下?」

「見つけても、無理に連れ戻すな」


 今度こそ、騎士がはっきりと驚いた顔をした。


「しかし……」

「居場所だけ確認しろ。危険がないことも。それでいい」

「…………」


 返事はすぐには返ってこなかった。

 これまで俺が何度「見つけたら連れ戻せ」と命じてきたのかを考えれば、当然なのかもしれない。


「本人が帰りたいと言ったなら別だ。だが、嫌がるなら手を出すな」

「……承知いたしました」


 やがて騎士が深く頭を下げる。

 その姿を見ながら、制服の内側へ手を伸ばした。

 そこには、今もレティシアから残された手紙が入っている。


 何度読み返したか分からない。


『殿下のこれからの人生が、幸せなものとなりますよう心よりお祈り申し上げます』


 あの言葉を読むたび、ずっと思っていた。

 そんなことを願うくらいなら、傍にいてほしい、と。


 自分の幸せを勝手に決めるな、と。


 けれど――


(俺も、同じだったのかもしれない)


 レティシアのためだと思いながら、彼女にとって何が幸せなのかを勝手に決めていた。


 帰ってくることが彼女のためだと。

 俺の傍に戻ることが当然なのだと。


 本人へ何一つ聞かないまま。


「…………」


 手紙を胸元へ戻す。


 会いたい。

 それだけは、どうしても変わらなかった。


 次に会えたら何を言えばいいのかも、まだすべては分からない。


 けれど、一つだけ決めた。


 今度はまず、レティシアの話を聞こう。


 あの屋敷で何を考えていたのか。

 何が苦しかったのか。

 なぜ手紙だけ残して去ったのか。

 そして、これからどうしたいのか。


 俺が言いたいことよりも先に、彼女の言葉を聞く。


 そのうえで――俺にも、伝えなければならないことがある。


 これまで胸の内にしまったまま、一度もきちんと言葉にできなかったこと。

 伝えなければならないと分かってからでさえ、結局口にすることのできなかった想いを。


 もう一度、会えたなら。

 今度こそ、彼女の言葉を聞こう。

 そして俺も、自分の言葉で伝えよう。


 胸の内にあるだけの想いなど、相手には何一つ見えないのだと――今度こそ、忘れないために。







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