第47話 あなたは何者なのですか?
それから、どれほど歩いただろう。
森を抜けるまで、あと少しというところまで来た時だった。
突然、リオンが足を止めた。
「……待て」
「どうしました?」
尋ねるより早く、彼の手が剣の柄へ伸びる。
私も足を止め、リオンの視線の先を追った。
街道脇に生い茂る木々のその奥で、何かが動いた。
アンナがそっと私の前へ出る。
けれど次の瞬間、木々の影から姿を現したのは、一人の男性だった。
身軽な旅装を纏っている。
一見すれば旅人にも見えるけれど、その歩き方には隙がない。
(……騎士?)
そう思ったのは、王城で何度も同じような立ち振る舞いを目にしてきたからだ。
男性は私たちには目もくれず、真っ直ぐリオンへ向かって歩いてくる。
「……おい」
なぜかリオンが、ものすごく嫌そうな顔をした。
男性はそんなリオンの表情など気にも留めず、目の前まで来ると――
勢いよく片膝をついた。
「――お探しいたしました、リオネル殿下!」
「…………」
辺りに、妙な静寂が落ちた。
私は片膝をついた男性を見る。
それから、隣に立つリオンを見る。
もう一度、男性を見る。
(……リオネル?)
聞き間違いだろうか。
けれど、確かに今――。
私はゆっくりとリオンを見上げた。
「……殿下?」
「…………」
リオンは何も答えなかった。
ただ片手で額を覆うと、心の底から嫌そうに――深々とため息をついた。
「……お前、なんでここにいる」
「それはこちらの台詞です。どれほどお探ししたと思っているのですか」
「探さなくていいって言っただろ」
「そういうわけにはまいりません」
男性はきっぱりと言い切ると、片膝をついたまま顔を上げた。
「殿下が突然お姿を消されたとあっては、こちらも――」
「待て」
リオンが低い声で遮り、ちらりと私を見る。
その視線を受けながら、私は先ほど聞いた名前を頭の中でもう一度繰り返していた。
(リオネル……殿下)
どこかで聞いたことがある、などという名前ではない。
王妃教育で、何度も覚えさせられた名前だった。
――ヴァルガード王国第一王子、リオネル殿下。
フィオーレ王国と国境を接するヴァルガード王国は、古くから武を尊ぶ国として知られている。
かつては王位を巡って王族同士が争った時代もあったというけれど、現在は少し違う。
生まれた順だけで次代の王が決まるわけではない。
武功、外交、経済――形は問わず、最も国へ貢献する成果を上げた者こそが次代の王に相応しい。
それが、ヴァルガード王国に根づく王位継承の考え方だった。
だから第一王子であるリオネル殿下も、未だ正式な王太子ではない。
もちろん、その名前も立場も知っている。
けれど、本人と顔を合わせたことは一度もなかった。
私もアルバート殿下の婚約者として、他国からの使節を迎える場や公式な行事へ同席したことはある。
けれど、ヴァルガード王国との外交の場でリオネル殿下を見かけたことは、少なくとも私の記憶にはなかった。
だから、名前を聞くまで気づかなかったのだ。
(まさか、この人が……)
改めて隣に立つ男性を見る。
森で出会い、成り行きで一緒に旅をして、同じ焚き火を囲んだ人。
口が悪くて、いつもどこか気だるそうで、それなのに妙なところで世話焼きな人。
その正体が、隣国ヴァルガード王国の第一王子。
「…………」
驚いていないわけではない。
むしろ、かなり驚いている。
けれど、不思議と取り乱すほどではなかった。
「……レティ?」
黙って見つめていたせいだろうか。
リオンが訝しげに私を呼ぶ。
その呼び方を聞いて、私は少し考えた。
正体を知ってしまった以上、これまでと同じように接するのはさすがにどうなのだろう。
「……リオネル殿下」
「やめろ」
「はい?」
即座に返され、思わず瞬きをする。
リオン――いえ、リオネル殿下は、心底嫌そうに顔をしかめていた。
「……では、ヴァルガード王国第一王子殿下?」
「そうじゃねぇよ」
「違うのですか?」
「俺の身分の話じゃねぇ。呼び方だ」
「呼び方?」
「その呼び方、気持ち悪ぃ」
「まあ」
随分な言われようだ。
「ですが、王子殿下と分かった以上、これまでと同じようにお呼びするわけにもいかないでしょう?」
「今まで通りでいい」
「そういうわけには――」
「いいったらいい」
どうして本人がそこまで嫌がるのかは分からないけれど、他国の王族に対してあまり押し問答をするのもどうかと思う。
「……では、リオンさんで」
「ああ」
どこかほっとしたように返事をする彼を見ていると、王子殿下というものも案外よく分からない。
けれど――
正体が分かったからといって、それですべての疑問が解けたわけではなかった。
むしろ、逆だ。
隣国の者たちが使っていた洞窟。
今朝の黒い魔法式。
それらを目にした時の、リオンの反応。
そして、つい先ほど漏らした「そこまでやるつもりだったのか」という言葉。
そこへ、ヴァルガード王国第一王子という身分が加わった。
偶然、この辺りを旅していただけだとは、さすがに思えない。
私は一度、片膝をついたままの男性へ視線を向け、それからリオンへ戻した。
「それで……」
「……なんだよ」
「なぜこのような場所にヴァルガード王国の第一王子殿下がいらっしゃるのかは存じませんが……」
自然と背筋が伸びる。
別に意識したわけではない。
けれど、他国の王族を前にした時の立ち居振る舞いは、長い王妃教育の中で身体に染みついていたらしい。
私はリオンを真っ直ぐ見つめた。
「先ほども申し上げましたけれど――あなたは、どちらなのでしょうね?」
「…………」
リオンの表情が止まった。
隣で片膝をついていた男性も、初めて私を見た。
先ほどまで私たちなど眼中にもない様子だったのに、今度は訝しむような視線を向けている。
「……お前」
リオンが低く呟いた。
「はい?」
「俺が誰だか分かって、それ言ってんのか?」
「ええ。ヴァルガード王国第一王子、リオネル殿下なのでしょう?」
「……そうじゃねぇよ」
何が違うのだろう。
首を傾げると、リオンはしばらく私を見つめていた。
その目が、少しずつ細められていく。
「普通、隣国の王子だって分かったら、もうちょっと警戒するとか……逆に怯えるとかするもんじゃねぇのか?」
「あら」
警戒ならしている。
「ですから、どちらなのかとお尋ねしているのですけれど」
「…………」
「それに、第一王子だからといって、次代の王と決まっているわけではないのでしょう?」
「……は?」
「ヴァルガード王国では、生まれた順ではなく、国へどれほど貢献したかによって次代の王が選ばれると伺っています」
そう答えると、リオンは何も言わなかった。
ただ、先ほどまでとは明らかに違う目で、私をじっと見つめている。
「……どうかしましたか?」
不思議に思って尋ねると、リオンは僅かに目を細めた。
「……お前、本当に何者なんだ?」
「…………」
今度は、私が黙る番だった。




