第43話 変わり始めたもの
城門から姿を現した騎士たちの胸元には、見覚えのある紋章が刻まれている。
王城で何度も目にしたことがある、王太子直属の近衛騎士団の紋章だった。
(どうして、この街に……?)
胸がわずかにざわつく。
隣を見ると、アンナも同じ紋章へ気づいたらしく、静かに表情を引き締めていた。
「……アンナ」
「はい、レティさん」
短く言葉を交わしただけで、お互いの考えは伝わる。
見つかるようなことは避けたい。
それだけだ。
「行きましょう」
「はい」
何事もなかったように歩き出す。
その様子を、リオンだけが不思議そうに見つめていた。
◇
城門へ近づくにつれ、後ろを歩いていた村人の男性が不安そうに口を開いた。
「また……追い返されたりしないだろうか」
以前、この街で冷たく門前払いをされたと聞いている。
その時の記憶が残っているのだろう。
私も少しだけ緊張しながら門番の様子を窺った。
けれど――。
「どうされました!」
こちらへ気づいた門番は、すぐに駆け寄ってきた。
村人たちの姿を見るなり表情を変え、後ろに控えていた兵士たちへ次々と指示を飛ばす。
「負傷者を保護しろ! 医師を呼べ!」
「温かい食事と水も用意するんだ!」
「はっ!」
兵士たちは迷うことなく動き出した。
以前この街で感じた重苦しい空気は、もうどこにもない。
私たちも門をくぐる。
街へ足を踏み入れた瞬間、思わず目を見張った。
露店からは威勢のいい呼び声が響き、人々は笑顔で行き交っている。
子どもたちは楽しそうに走り回り、巡回中の兵士も住民へ穏やかに声をかけていた。
私は思わず辺りを見回す。
(……あら?)
前にこの街を訪れた時も、人は歩いていた。
だから、これが普通なのだと思っていた。
けれど――違う。
あの時は、不自然なほど人の声が少なかった。
誰もが周囲を窺うように歩き、街全体がどこか息を潜めていたのだ。
今になって、ようやくその違いが分かった。
「街って……こんなにも変わるものなのね」
「まるで別の街のようですね」
アンナの言葉に、私も静かに頷く。
数日前とは、あまりにも違っていた。
私は近くにいた門番へ尋ねる。
「あの……何かあったのですか?」
「ああ。王太子殿下がお越しになっているのです」
門番はどこか安心したような笑みを浮かべた。
「トロン伯爵は捕らえられ、残党の捕縛も王都騎士団が進めています。この街はもう安心ですよ」
「……そうなのですね」
街に平穏が戻ったのなら、それが何よりだ。
胸を撫で下ろした、その時だった。
服の裾を、アンナがそっと引く。
「レティさん」
小さな声だった。
私はその意図をすぐに理解する。
王太子殿下がこの街にいるのなら、顔を合わせないに越したことはない。
今さら話すこともないし、見つかれば面倒になるだけだ。
「……そうね」
小さく頷くと、アンナもほっとしたように微笑んだ。
そのやり取りを見ていたリオンだけが、小さく首を傾げている。
王太子の名が出た途端、私たちの空気が変わった理由が分からないのだろう。
◇
村人の皆さんは騎士たちに案内される前、何度も私たちへ頭を下げた。
「お嬢さんがた、本当にありがとうございました」
「落ち着いたら、また村へ戻ろうと思います」
「それが一番ですね。皆さんのお家ですもの」
その言葉に、私は嬉しくなる。
けれど、一人の男性が少し困ったように笑った。
「ただ……畑がもともと痩せてたからな。また一からやり直しですよ」
私は少し考え込み、不意に昨日の温泉のことを思い出した。
「そういえば……湧き出たお湯ですが、少し硫黄のような香りがしていました」
「硫黄?」
「詳しくはありませんが、身体を温めたり疲れを癒やしたりするお湯だと聞いたことがあります」
前世の記憶を思い返しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「湯治、と呼ばれていたような……曖昧な記憶なので、違っていたら申し訳ないのですが」
村人たちは顔を見合わせる。
「身体に良いお湯……」
「そんなものが本当にあるなら……」
「温泉のある村として、人が来てくれるかもしれないな」
少しずつ表情が明るくなっていく。
その様子を見て、私も自然と笑みがこぼれた。
「皆さんなら、きっと素敵な村にできます」
何度も頭を下げる皆さんへ手を振り、私たちは再び街道へ向かって歩き始めた。
ふと視線を感じて隣を見ると、リオンと目が合った。
何か言いたげだったけれど、結局何も口にはしない。
不思議な人だと思いながら、私はそのまま前を向いた。
城門の上では、王家の旗が静かに風にはためいていた。
◇
街を離れた私たちは、街道をしばらく歩き続けた。
振り返れば、城壁の向こうに見えていた王家の旗も、いつしか木々に隠れて見えなくなっている。
「この辺りなら大丈夫そうですね」
アンナが辺りを見回しながら言う。
近くには小川が流れ、平らな場所もある。
「今日はここで野営にしましょうか」
「はい」
私たちは手分けをして野営の準備を始めた。
アンナは食事の支度をし、私は結界を張る。
リオンは慣れた手つきで薪を集め、あっという間に焚き火を起こしてしまった。
「ありがとうございます」
「これくらいは余裕だ」
そう言って肩をすくめる姿に、小さく笑みがこぼれる。
やがて鍋から温かな湯気が立ち始め、三人で静かな夕食を囲んだ。
今日一日の出来事を思い返しながら、私はぽつりと呟く。
「街が元気になっていて、本当に安心しました」
トロン伯爵がいなくなっただけで、あんなにも街の空気は変わるものなのだろうか。
人々の笑顔も、子どもたちの笑い声も、とても眩しく見えた。
すると、焚き火を見つめていたリオンが、小さく口を開く。
「……ああ。……安心して暮らせるってだけで、人はあんな顔で笑えるんだな」
焚き火の炎がぱちりと音を立てた。
私は思わずリオンを見る。
彼は炎を見つめたまま、どこか遠くを見るような目をしていた。
「ええ。何気ない毎日を笑って過ごせることが、どれほど幸せなことなのか……今になってようやく分かった気がします」
前世でも今世でも、私はいつもやらなければならないことに追われ続けていた。
笑う余裕なんて、ほとんどなかった。
けれど今は違う。
こうして誰かと食卓を囲み、何気ない会話を交わしているだけで、自然と笑みがこぼれる。
そんな当たり前の時間が、こんなにも幸せなものだったなんて。
「……そうかもな」
私がそう答えると、リオンは一瞬だけこちらへ視線を向け、小さく笑った。
それ以上、彼は何も言わなかった。
静かな夜風が木々を揺らし、焚き火の火だけが穏やかに揺れている。
その横顔を眺めながら、私は思う。
(今日は、何だか考え込んでいることが多いわね)
きっと、昨夜の野暮用と関係があるのだろう。
そう思いながらも、私はあえて何も尋ねなかった。
(リオンさんは、無理に話すような人ではないわよね)
話したくなれば、きっといつか話してくれる。
そんな気がした。
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