第42話 帰らない命
夜も更け、焚き火を囲んで眠る人々の寝息だけが、静かな森に響いていた。
私もアンナの隣へ腰を下ろし、野営地全体を包み込むように結界を張る。
(これで安心ね)
結界が完成したのを確かめると、肩の力が抜けた。
「少しだけ、休んでもいいかしら……」
「はい。どうぞお休みください。見張りは私がしておりますので」
アンナの声を聞きながら目を閉じる。
すぐに、浅い眠りへ落ちていった。
◇
――バチィッ!!
「いってぇ……!」
「……リオンさん?」
聞き覚えのある声に、私は勢いよく身体を起こした。
慌てて辺りを見回すと、結界の外で顔を押さえているリオンが目に入る。
「あっ……!」
私は慌てて結界を解いた。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
「……いや」
駆け寄ると、リオンさんは額を押さえながら苦笑する。
一度だけため息をつくと、小さく肩をすくめた。
「考え事してて、結界のことを忘れてた俺も悪い」
「でも……」
「それより……誰も起きてねぇみたいだな」
リオンさんは辺りを見回し、ほっとしたように息をついた。
その言葉に私も耳を澄ませた。
あちこちから聞こえてくるのは、変わらない寝息だけ。
「よかった……」
胸を撫で下ろした私を見て、リオンがふっと笑った。
どこか肩の力が抜けたような、そんな穏やかな笑みだった。
「そんなに慌てるな。これくらいじゃ死なねぇよ」
「でも、痛かったですよね……」
「まあ、それなりにはな」
困ったように笑うその表情を見て、私も思わず笑ってしまう。
「本当にごめんなさい……。おかえりなさい、リオンさん」
「……悪くない」
「え?」
「いや。『おかえり』って言われるのも、案外悪くない」
「?」
「……いや、こっちの話だ。……ただいま」
よくわからないが、怪我もなさそうでほっとする。
「ごめんなさい。村の皆さんが安心して眠れるようにと思って」
「……まあ、そうだろうな」
ため息をつきながら肩を落とすリオンさんに、思わず苦笑が漏れる。
「野暮用は終わったのですか?」
「ああ」
返ってきたのは、それだけだった。
どこか考え込んでいるようにも見えたけれど、私が踏み込んで聞くことではない。
「それなら、ゆっくり休んでくださいね」
「ああ……そうする」
短く答えたリオンさんは焚き火のそばへ腰を下ろし、炎を見つめたまま黙り込んでしまった。
私はそれ以上何も言わず、アンナの隣へ戻った。
◇
翌朝。
温かな朝食を終えた私たちは、街へ向かう準備を進めていた。
村の皆さんが何度も頭を下げてくださるたび、私は恐縮してしまう。
「お嬢さんがた、本当にありがとうございます」
「困ったときは、お互い様ですもの」
そう答えたところで、昨日聞いた話がふと頭をよぎった。
「そういえば……昨日、村長さんは見せしめに殺されたと仰っていましたよね」
その一言で、賑やかだった空気が静まり返る。
しばらくの沈黙のあと、一人の女性が幼い男の子の手を引いて前へ出てきた。
「……あちらです」
静かな声に導かれ、私たちは村外れの小さな丘へ向かった。
そこには土を盛っただけの質素なお墓があり、小さな木の墓標が静かに立っていた。
私は道端に咲いていた花をそっと供え、目を閉じる。
生前の村長さんとは会ったことがない。
だから、守れなくてごめんなさいと言う資格は私にはないと思った。
ただ一つ願う。
(どうか、安らかに眠ってください)
静かに祈りを捧げ、私はゆっくりと目を開けた。
◇
丘を下りながら、私は静かに口を開いた。
「……あの洞窟にいた方たちは、捕まれば死刑になるのでしょう」
村人たちは驚いたように足を止める。
「ええ……それだけのことをしましたから」
一人の男性が重々しく頷いた。
私はゆっくりと立ち止まり、皆さんの方へ振り返る。
「……村長さんは、もう帰ってきません」
静かな風が吹き抜け、誰も言葉を返さなかった。
私は一度だけ丘の上のお墓へ視線を向ける。
「……私は、死んで終わりになってほしいとは思いません」
その一言に、その場の空気がぴたりと止まった。
驚いたように目を見開く村人たち。
私は穏やかに続ける。
「どのような命であっても、大切です」
一度失われた命は、決して戻らない。
どれほど願っても、どれほど悔やんでも、失った命は帰ってこない。
そのことを、私は知っている。
……だからこそ。
「どのような理由があったとしても、身勝手に誰かの未来を奪う権利はありません。命をもって償うのではなく、生きて償っていただきたいと私は思います」
奪われた穏やかな暮らし。
家族を失った悲しみ。
もう二度と戻ることのない日常。
それらを知ることなく、死んで終わりにすることは許されない。
「命を奪うということが、どれほど重いことなのか……生きて、その重さを知っていただかなければなりません」
私は再びお墓へ目を向け、小さく息をついた。
その言葉が静かに響いた瞬間、辺りは水を打ったように静まり返った。
誰一人として口を開かない。
村人たちは息を呑み、ただ私を見つめている。
ふと視線を向けると、リオンさんもまた、何かを考え込むように黙り込んでいた。
(……少し、言い過ぎてしまったかしら)
そんなつもりはなかったのだけれど。
私は小さく首を振ると、皆さんへ穏やかに微笑みかける。
「さあ、行きましょうか」
その一言で止まっていた時間が動き出したように、皆さんは「はい」と頷き、再び歩き始めた。
私はもう一度だけ丘の上のお墓を振り返る。
(もう二度と、このような悲しい出来事が起こりませんように)
胸の中でそっと願いながら、私は前を向いた。
村人の皆さんを安全な街まで送り届けるため、私たちは再び歩き出すのだった。
◇
村を出た私たちは、街道を歩き続け、やがて見慣れた城壁が視界へと入ってきた。
「また、この街へ戻ってくることになるなんて……」
思わず苦笑すると、アンナも小さく頷く。
「少し寄り道をしてしまいましたね」
そんな話をしながら街へ近づいていくと、不意に城門の上ではためく旗が目に入った。
「……あら?」
私は思わず足を止める。
見間違えるはずがない。
青地に金の紋章が刺繍された、大きな旗。
王家の旗だった。
「どうかしましたか?」
アンナが私の視線を追い、同じように城門を見上げる。
「……王家の旗?」
街へ王族が滞在している時に掲げられる旗。
普段はそう簡単に見ることはない。
リオンも城門を見つめ、小さく眉をひそめた。
「王族が来てるのか……?」
その時だった。
城門の向こうから、一隊の騎士たちが姿を現す。
磨き上げられた鎧に、統率の取れた足並み。
そして、その胸元に刻まれた紋章を見た瞬間——
「……あれは」
思わず小さく息を呑んだ。




