間話⑤ その頃、洞窟では
静まり返った洞窟の奥で、数人の男たちが松明の明かりを頼りに作業を進めていた。
この森をうろつく村人たちは、洞窟から人が消えたと思っているのだろう。
ここ数日は表立った出入りを控え、外から見ただけでは誰もいないように見せかけていた。
けれど、完全に撤収したわけではない。
洞窟の最奥には広い空間があり、そこには大量の木箱が隙間なく積み上げられていた。
箱の中に収められているのは、剣や槍、弓矢に頑丈な防具。
それだけではなく、長期間の保存に耐えられる食料や薬品、周辺の地形が細かく書き込まれた地図、何束もの書類まで揃えられている。
とても、ただの盗賊が集めたとは思えない量だった。
「おい、これだけの武器をいつまでここに置いておくつもりだ? こんな場所じゃ湿気で傷むぞ」
木箱の中身を確認していた男が、うんざりしたように声を上げる。
少し離れた場所で書類へ目を通していたリーダー格の男は、ちらりとそちらへ視線を向けた。
「黙って指示を待て。予定が変わる可能性もある。それまでは動かすなとの命令だ」
「予定って……いつまで待てばいいんだよ」
「俺に聞くな。上からの指示だ」
それ以上の問いを許さない声音に、男は不満そうに口を閉ざした。
リーダー格の男は手にしていた羊皮紙を丸めると、封を確かめるように指先でなぞってから懐へしまい込む。
赤い封蝋には、ある貴族家のものと思われる紋章が刻まれていた。
男たちは、その紋章の意味を口にすることはなかった。
「次の指示は?」
「まだ来ていない。向こうが動くまでは、ここで待機だ」
「……本当に予定通り進むのか?」
「余計なことを考えるな。俺たちは言われた通りにすればいい」
男たちは再び作業へ戻っていく。
積み上げられた木箱のいくつかには、奇妙な幾何学模様の印が刻まれていた。
何のために、これほど大量の物資がこの洞窟へ集められているのか。
その全容を知る者は、この場にいる男たちの中にもほとんどいない。
ただ、何かが始まるその時まで、ここで物資を守り、指示を待つ。
それが彼らに与えられた役目だった。
「よし。もう一度、武器の数を確認しておけ。剣が百二十、槍が――」
男が棚の上に置かれた木箱へ手を伸ばした、その時だった。
ゴゴゴゴゴ……。
低い音が、洞窟の奥深くから響いてきた。
「……なんだ?」
男がぴたりと手を止め、顔を上げる。
初めは気のせいかと思うほどの小さな振動だった。
しかし、それは次第に大きくなり、地の底から這い上がってくるような不気味な揺れとなって、男たちの足元へ伝わってくる。
天井からぱらぱらと細かな砂が落ち、積み上げられた木箱がカタカタと音を立て始めた。
「地震か!?」
「馬鹿言え。この辺りで地震なんて――」
言いかけた男が、不意に口を閉ざす。
視線の先の岩壁のわずかな隙間から、細い水が一筋、ぴしゃりと地面へ落ちた。
「……水?」
訝しげに眉を寄せた男の目の前で、岩肌を伝う水筋が少しずつ太くなっていく。
一筋だったものが二筋、三筋と増え、やがて岩の隙間から滲み出すように溢れ始めた。
「おい、これ……まずいんじゃ――」
その言葉が終わるより早く、洞窟全体を揺るがすような轟音が響き渡った。
ドォォォォンッ!!
「うわああっ!?」
男たちが咄嗟に頭を庇う。
次の瞬間、洞窟の一角が崩れ、岩の隙間から凄まじい勢いで大量の水が噴き出した。
いや――水ではない。
「熱っ! おい、これ、お湯だぞ!?」
「熱いだの何だの後だ! 離れろ!!」
勢いよく流れ込んできた湯は、瞬く間に男たちの足元を浸していく。
あまりにも突然の出来事に対応する暇もなく、積み上げられていた木箱が次々と倒れ、蓋の外れた箱から書類や武器が辺りへ散乱した。
「くそっ……! 物資を上へ運べ!」
「書類が濡れるぞ!」
「そっちを押さえろ! 箱が流される!」
男たちは必死に木箱へ手を伸ばすが、流れ込んでくる湯の勢いは増すばかりだった。
床へ散らばった書類はたちまち水を吸い、書かれていた文字が滲んでいく。
弓は濡れ、矢の羽根は水を含み、保存食の入った袋まで次々と水へ沈んでいった。
その惨状を見たリーダー格の男の顔色が変わる。
「魔導武器を先に運び出せ! 急げ!」
その声に、数人の男が慌てて奥の木箱へ駆け寄った。
そこに収められていた武器は、他のものとは明らかに造りが違っていた。
剣身や槍には細かな魔法式が刻まれ、柄には魔力を蓄えるための魔石が嵌め込まれている。
通常の武器よりはるかに高価で、簡単に代わりを用意できるものではない。
「早く上へ――」
男が一本の剣を掴んだ瞬間だった。
チチッ……。
「……ん?」
小さな音が聞こえた。
剣身に刻まれていた魔法式が、淡い光を放っている。
次の瞬間、その光が不規則に明滅し始めた。
「待て! 水から離せ!魔石が過剰反応を――!」
異変に気づいた男が叫ぶ。
パキンッ!
乾いた音が響き、柄に嵌め込まれていた魔石へ一本の亀裂が走った。
男が息を呑む。
けれど、それだけでは終わらない。
パキンッ、パキンッ――。
まるで連鎖するように、別の剣からも、槍からも同じ音が響き始めた。
水に浸かった魔導武器の魔法式が次々と明滅し、やがて焼き切れるように光を失っていく。
「なんでだ……?ただの湯に濡れただけで、こんな……」
「違う……」
別の男が、水面へ目を凝らした。
目には見えないほど微かなものではあるが、流れ込んでくる湯には、通常では考えられないほど濃い魔力が残留していた。
何者かの魔力に直接触れたかのような、異様なほど濃密な気配だけが、お湯の中に残っていた。
その正体を、この場の誰も知ることはできなかった。
「そんな……これ、全部……使い物にならないじゃないか……」
男の顔から血の気が引いていく。
鉄の剣として使うことはできる。
だが、刻まれていた魔法式は失われ、魔石には亀裂が走っている。
元の性能を取り戻すには、すべて作り直すほかないだろう。
「くそっ……駄目だ! 魔導武器は全滅だ! 残っている書類だけでも回収しろ!」
「こっちの木箱は!?」
「後だ!」
「でも、あの封書だけは絶対に――!」
リーダー格の男の怒声が響き、男が奥へ駆け出そうとした、その瞬間、再び大きな音が響いた。
ゴゴゴゴゴッ――!
「まずい! また来るぞ!」
崩れた岩壁から、さらに大量の湯が押し寄せる。
男たちは足を取られ、何人かがその場へ倒れ込んだ。
浮き上がった木箱が流れに乗って壁へ激突し、中に入っていた物が辺りへ撒き散らされる。
幾何学模様の刻まれた木箱も、濡れた書類も、男たちが必死に守ろうとしていた封書も、次々と濁った湯の中へ消えていった。
「もう無理だ! 撤退するぞ!」
「待て、まだ回収できてない!」
「命の方が先だ! ここにいたら全員生き埋めになるぞ!」
なおも物資へ手を伸ばそうとする者を引きずるようにして、男たちは出口へ向かう。
背後では崩落が続き、洞窟の奥が急速に湯で満たされていった。
もはや、物資を運び出す余裕などない。
証拠を回収する時間もない。
命からがら洞窟を抜け出した男たちは、振り返ることすらできず森の闇へと消えていった。
「くそっ……! 一体、何が起きてるんだ……!」
誰一人、その答えを知る者はいなかった。
洞窟の奥には、壊れた魔導武器と水に濡れた書類が残されている。
そして水底には、奇妙な幾何学模様の刻まれた木箱とともに、赤い封蝋の欠片が静かに沈んでいた。
◇
――同じ頃。
洞窟からそう遠くない川辺では、白い湯気が穏やかに立ち上っていた。
「あ、ちょうどいい温度になったわ」
湯加減を確かめ、満足そうに頷くレティシア。
「さすがレティさんです。湯加減まで完璧ですね」
「……もう驚く気力もねぇ……」
呆れ果てたリオンの声が、静かな森に響く。
そのすぐ近くで、隠された拠点が壊滅し、積み上げられていた物資も、戦争のために用意されていた魔導武器も、すべて失われていたことなど――。
もちろん、彼女たちは知る由もなかった。




