第39話 少しだけ試してみます
彼らの話を一通り聞き終え、私は改めて考えていた。
事情を知れば知るほど、彼らは好きで盗賊になったわけではないのだと分かった。
本で読んだ物語では、盗賊や悪人は倒されるだけの存在だった。
けれど現実は違う。
皆が好きで悪事へ手を染めるわけではないのだ。
……もっとも。
(トロン伯爵……あれは違うわね)
あの人は、自分の欲のためだけに領民を苦しめていた。
事情があったからではない。
だから私は、今でもあの人がしたことは許されないと思っている。
それでも――。
目の前にいる人たちは違う。
それでも、してはいけないことまで正しいことにはならない。
私は改めて男を見つめた。
「事情は分かりました。……ですが、どんな理由があっても、人に刃を向け、襲ってはいけません」
できるだけ穏やかな口調で伝えたつもりだった。
けれど、その言葉に男は悔しそうに下を向いた。
「子どもがお腹を空かせて泣くんだ……。何日もろくに食べられなくてな。親として、あんな姿を見せられたら……もう何が正しいのか分からなくなった」
その言葉に、私は思わず木陰へ視線を向けた。
母親に寄り添う幼い子どもたちは、痩せた頬を寄せ合うようにして身を縮めている。
……胸が痛んだ。
「それでも、街へ助けを求めることはできなかったのですか? 役人がダメでも、街の警備隊やギルドなら……」
「最初は……行こうとしたさ。だが、身なりを見た門番に『そんな盗賊みたいな格好で近寄るな』と叩き出された。命からがら村へ戻ったら……あの洞窟の連中が待ち構えていた」
男の拳が、痛々しいほど強く握り締められる。
「『もう一度街へ行けば、子どもから順に殺す』と脅されたんだ。あんなことがあった後だ。逆らえば本当にやると、誰もが分かっていた」
その言葉に、私は胸が締め付けられるような思いがした。
街へ助けを求めても追い払われ、村へ戻れば命を脅かされる。
彼らには、本当に逃げ場がなかったのだ。
「……それなら、なおさら今は街へ行ってみましょう。伯爵はもう捕らえられていますし、今なら以前とは状況も違うはずです。私たちも一緒に行きます」
男たちの間に、わずかな安堵が広がる。
けれど、先頭の男はすぐに自分の破れた服へ視線を落とした。
「……でも、この格好じゃ、また街に入る前に追い払われる。泥も匂いもひどい……子どもたちだってこの通りだ」
泥だらけの服を着た子どもたちが、縮こまっている。
すると、それまで腕を組んで聞いていたリオンが前へ出た。
「昨日、水を汲んできた川がこの先にある。まずはそこで身体だけでも流そう」
リオンの案内で、私たちは森の奥にある川へと向かって歩き始めた。
その途中——ふと、風に乗って奇妙な匂いが鼻腔をくすぐった。
「……何か、変な匂いがするわね」
「ええ。卵が腐ったような……独特な匂いです」
アンナが鼻を微かにひくつかせる。
すると村人の男が納得したように頷いた。
「ああ、この辺りは昔から時々この匂いがするんだ。気味が悪いから、誰も近付かねぇ」
「毒気かもしれねぇな。念のため深く吸い込むなよ」
リオンの警戒に、皆は静かに頷いて歩みを進める。
けれど……私はその匂いに、どこか強い引っかかりを覚えていた。
(どこかで……嗅いだことがあるような……?)
◇
やがて川へと到着すると、村人たちは冷たい水辺に屈み込み、手ぬぐいで身を拭い始めた。
「つ、つめたい……」
「我慢しなさい、綺麗にしないと街に入れないでしょ」
山からの雪解け水なのか、川水は氷のように冷たい。
幼い子どもたちがブルブルと肩を震わせ、歯を鳴らしている。
(かわいそうに……寒そう……)
前世の記憶が、頭の片隅ですっと蘇る。
(こんな時、温かいお風呂があればいいのに……)
お風呂――そうだ、前世の日本には『温泉』というものがあった。
地面から温かいお湯が絶え間なく湧き出ていて……硫黄の匂いが、して……。
(……あれ?さっきの匂い……硫黄……!?)
私はハッとして振り返った。
かつて最初の宿場町で井戸水を少し足した時の記憶が巡る。
あの時は井戸が水脈と繋がっていたから簡単だったけれど、もしこの地下に熱を帯びた水脈が眠っているとしたら……。
「……少しだけ、試してみてもいいかしら?」
「ん? 何をだ?」
「その……温かいお湯が湧かないかと思って」
「……は?」
不思議そうな顔をするリオンをよそに、私は地面へそっと手を添えた。
その瞬間――。
魔力へ呼応するように、私の身体が淡い白銀の光に包まれていく。
足元からは、朝日に溶ける雪のような柔らかな光が静かに広がった。
プラチナブロンドの髪もその光を受けてきらめき、辺りを包む空気までもが澄んでいく。
――その光景を、周囲の誰もが息を呑んで見つめていたことなど、私は知る由もなかった。
ただ、地中深くへ魔力を沈めることだけに集中していた。
目を閉じると、魔力をゆっくりと地中へ沈めていく。
(違う……こっちでもないわね。あ……)
少しだけ魔力を横へずらすと、土の奥深くの、冷たい水脈とは違う、ほのかに熱を帯びた流れが確かにあった。
(……これかしら)
確信はない。
本当にそうなのかも分からない。
それでも、少しだけ道を作るようなつもりで魔力を流し込む。
「……少しだけ、道を作ってみるわ」
「は?」
驚愕するリオンを置き去りにし、私はそのポイントに向けて魔力を一気に解放した。
その次の瞬間――
ドドドドド……ッ!!
地鳴りのような重低音が響き渡り、地面が大きく揺れ動く。
「な、なんだ!? 地震か!?」
「レティさん、下がってください!」
村人たちも一斉に辺りを見回した。
私も思わず目を瞬く。
(あら……?)
想像していたより、大きな音がする。
その直後――
ゴゴゴゴゴッ!!
目の前の地面が勢いよく盛り上がった。
リオンとアンナが身構えた、その直後——
バゴォォォン!!
地面が裂け、真っ白な湯気が勢いよく噴き上がる。
空から温かな飛沫が降り注ぎ、辺りは一瞬で白い湯気に包まれる。
「きゃっ!」
「な、何だこれは!?」
「お湯が空から……!?」
「……なぁ、今……あのお嬢さん、光って見えなかったか?」
「ば、馬鹿言うな……そんなことあるわけ……」
誰も、その言葉を笑い飛ばすことはできなかった。
そしてその場にいた誰もが胸の奥に、言いようのない畏れを覚えていた。
村人たちが騒然となる中、私は噴き上がるお湯を見つめ、小さく首を傾げた。
「あら……思っていたより勢いが良かったわ」
「そこじゃねぇだろ!」
思っていた以上の勢いで湧き出してしまったようだ。
噴き上がった湯は、やがて勢いを弱めながら裂け目へと流れ落ちていった。
気が付けば、その場所には湯気を立ち上らせる小さな湯だまりができている。
恐る恐る手を近づけてみると、じんわりと熱が伝わってきた。
「でも、このままでは熱すぎて入れないわね」
私は少し考えると、すぐ隣を流れる冷たい川に視線を向けた。
「少しだけ、お水を借りましょう」
指先をすっと滑らせると、川から温泉へ向かって細い水路が一本伸びていく。
冷たい川水が少しずつ流れ込み、噴き出す熱い湯と混ざり合った。
立ち上る湯気を眺めながら、私はそっと湯へ手を浸してみる。
「あ、ちょうどいい温度になったわ」
「………………」
満足そうに頷く私とは対照的に、その場は静まり返っていた。
リオンは口を半開きにしたまま、湧き出る温泉を見つめていた。
そんな中、アンナだけが静かに微笑んだ。
「さすがレティさんです。湯加減まで完璧ですね」
「……もう驚く気力もねぇ……」
「な、なにが起きたんだ……?」
誰も、その光景から目を離すことができなかった。
立ち上る湯気だけが、静かな森の中をゆっくりと漂っていく。




