第37話 誰も傷つかない方法
翌朝。
洞窟の入口から差し込む柔らかな朝日が、ゆっくりと私たちを照らし出す。
身支度を整え、アンナが手早く用意してくれた簡単な朝食を済ませると、私は洞窟の奥へと続く暗い通路へ視線を向けた。
昨夜は暗くて周囲を見る余裕もなかったけれど、明るくなって改めて眺めてみると、不思議とその先が気になってしまう。
洞窟なんて、前世でも入ったことは一度もなかった。
休日は仕事に追われるか、疲れて家で休むだけの毎日だったのだから当然と言えば当然なのだけれど、本物の洞窟を歩く機会など一度もなかったのだ。
だからだろうか。
本で読んだ冒険譚のような光景が、この先に広がっているのかもしれないと思うと、胸の奥が少しだけ弾んだ。
「あのね……」
「ん?」
「出発する前に、少しだけ洞窟の奥を見てみたいのだけれど……どう思う?」
リオンは洞窟の奥へ視線を向けると、少し考え込んだ。
「……まぁ、魔物の気配もねぇしな。五分だけだぞ。深追いはなしだ」
「ええ、ありがとう」
リオンも頷くのを見届け、私たちは小さな火種で足元を照らしながら洞窟の奥へ歩き始めた。
入口付近は、ごつごつとした岩肌が続く、ごく普通の洞窟だった。
けれど、しばらく進んだところで、私は何とも言えない違和感を覚える。
「……ここ、壁が綺麗すぎるわ」
「ええ。削られた跡がとても滑らかです。自然にできた洞窟というより、人の手が入っているように見えます」
思わず呟くと、隣を歩いていたアンナも静かに頷いた。
言われてみれば、足元も不自然なくらい平らだった。
岩が転がることもなく、まるで人が何度も行き来して踏み固めたようになっている。
さらに奥へ進むと、土の上には荷車が通ったような轍がくっきりと残り、その脇には大きな木箱をいくつも積み重ねていたような四角い跡まで残されていた。
「これ……洞窟というより、何かの施設みたい。しかも、荷物を運び込むための……」
「ああ。人が使ってた跡だ。それも……かなり最近までな」
リオンも壁へ手を添えながら、小さく頷く。
周囲を見回しても、人影はない。
荷物も見当たらない。
けれど、人が生活していた気配だけは、不思議なほど色濃く残されていた。
(誰が、何のために……)
さらに奥へと続く暗い通路を見つめ、私はふと足を止める。
「……やっぱり、戻りましょう」
「ん? いいのか?」
リオンが少し意外そうな顔をした。
「まだ奥へ続いてるぞ」
「誰かが使っている場所なのかもしれないもの。勝手に奥まで入るのは良くないわ。これ以上は失礼でしょう?」
一瞬きょとんとした顔をしたリオンだったが、すぐに苦笑を浮かべた。
「普通なら『怪しいから調べよう』ってなるところなんだけどな」
「そうなの?」
「……まぁ、レティらしいか」
そう言って肩をすくめると、リオンは踵を返した。
「よし。街道へ戻るぞ」
「ええ」
私たちは来た道を戻り、朝の光が差し込む洞窟の外へと足を踏み出した。
◇
昨夜迷い込んだ獣道を抜け、街道を目指して草木をかき分けながら歩いていた、その時だった。
前方の茂みが、不意に大きく揺れた。
ガサッ――。
「止まれ!」
鋭い声と同時に、リオンが一瞬で腰の剣へ手を伸ばす。
アンナもすっと私の前へ立ち、静かに身構えた。
二人とも、ほんの一瞬で戦闘態勢へ移っている。
草むらを押し分けるようにして現れたのは、十数人ほどの男たちだった。
不揃いな剣や斧を手に、私たちを取り囲むように立ちはだかる。
「……盗賊か。レティ、アンナ、下がれ」
「動くな! 声を出したらただじゃおかないぞ!」
男たちは武器を突きつけながら威嚇してきた。
けれど――。
(……え?)
私はその光景に、強い違和感を覚えていた。
彼らの武器は錆びつき、刃こぼれだらけだった。
身にまとった服も擦り切れ、泥に汚れている。
頬は痩せこけ、武器を握る手は寒さなのか恐怖なのか、小さく震えていた。
盗賊というなら、もっと獰猛で、もっと余裕のあるものだと思っていた。
けれど目の前の男たちから伝わってくるのは、そんなものではない。
追い詰められた者だけが纏う、切迫した焦りだった。
(……何か、おかしいわ)
さらに視線を巡らせると、男たちの背後――木々の陰には、小さな子どもたちや、ぼろ布を羽織った女性、疲れ切った表情の老人たちが、不安そうにこちらを見つめていた。
(盗賊……なの?)
私の知る盗賊とは、あまりにも違う。
リオンが剣を半ばまで抜き、空気が張り詰める。
その瞬間、先頭に立っていた男が苦しそうに顔を歪め、大きく息を吸った。
「悪い……!食料だけ……食料だけ置いていってくれ……!」
その声には、脅しよりも懇願の色が濃く滲んでいた。
朝の静かな森に響いたその必死な叫びに、私は思わず息を呑んだ。
だが、リオンとアンナの警戒が解けることはなかった。
むしろ、距離を詰めようとしてきた男たちに対し、二人の放つ殺気が一層鋭さを増す。
「そこで止まれ。それ以上近づくな」
「レティさん、私の後ろから離れないでください」
リオンが迷いなく剣を抜き放つ。
その隣で、アンナも私を庇うように一歩前へ出た。
次の瞬間、袖口から見慣れない小さな刃が音もなく滑り出る。
(あら……?)
あれは、短剣ではない。
投げて使う武器だったかしら。
アンナがそんなものを持っていたことに、私は思わず目を丸くした。
一触即発——誰かが一歩でも動けば、一瞬で血の雨が降る。
そんなピリピリとした緊張感が支配していた。
(待って、ダメよ……! 二人とも話を聞いて!)
私は焦って二人の背中に声をかけようとした。
「あのね、リオンさん! アンナ! 待ってちょうだい、争う必要は——」
「ダメだレティ! 下がってろ!」
「はい、危険です。お喋りは後になさってください」
集中して敵を見据える二人は、私の言葉など耳に入っていない様子だった。
(駄目だわ……完全に戦闘モードに入っているわ……!)
二人が私を守ろうとして必死になってくれているのは痛いほどわかる。
だからこそ、私の言葉なんて今さら届かない。
けれど、男たちのあの痩せこけた体と震える刃を見れば、切り結べば一瞬で命を落としてしまうのは目に見えている。
(どうすれば、この場で誰も傷つかずに済むのかしら……)
二人は私を守ろうとしてくれている。
あの人たちも、ここまで追い詰められてしまえば退けないのだろう。
だから、このままではきっと誰かが怪我をしてしまう。
(何か……皆の動きを止められる方法は……)
必死に記憶を辿っていた、その時だった。
(……そうだわ)
王妃教育で学んだ拘束魔法。
犯罪者を生け捕りにする際に使われる魔法だったはずだ。
これなら誰も怪我をしないし、刃を振るうこともできない。
(全員の動きを止めればいいわ。それなら誰も傷つかない)
そう思い静かに手を合わせた、次の瞬間——
足元から淡い光が音もなく広がり、瞬く間にその場にいた全員を包み込んだ。
「なっ!?」
「ぐっ……!」
森のあちこちから驚きと呻き声が上がった。
次の瞬間、重力に押し潰されたかのように、その場にいた全員の身体が一斉に地面へ沈んだ。
「あ……」
牙を剥いていた十数人の盗賊はもちろん、木陰に隠れていた家族も、そして……レティシアを守るべく完璧な構えを取っていたはずのリオンとアンナまでも。
まるで巨大な目に見えない重石で押し潰されたように、地面へ一斉に倒れ伏した。
「「「………………え?」」」
静寂が訪れた。
盗賊たちも、子供たちも、地面に顔を擦り付けたまま固まっている。何が起きたのかまったく理解できず、目を白黒させている。
そんな中、地面にへばりついたまま、顔だけをなんとかこちらへ向けたリオンが、引きつった声で叫んだ。
「おい……ッ! レティ……!? なんだこれ……体が重くて……動かねぇ……っ!?」
「レティ、さん……。なぜ……私まで……っ」
アンナも完璧な笑顔を消し、地面に這いつくばったまま不服そうに私を見上げている。
「あ」
あまりの効き目に、私は思わず口元を押さえた。
「ごめんなさい。二人とも話を聞いてくださらなかったものだから……皆さんに、少しだけ止まっていただこうと思って」
「味方まで拘束してどうするんだ!!」
「結果として、誰も怪我はしておりませんね」
「そこじゃねぇ!」
「ですが、レティさんらしい素晴らしいご判断だったかと」
「褒めるなぁぁ!!」
アンナは穏やかに微笑んでいる。
リオンの叫びが、朝の静かな森へ虚しく響き渡った。
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