第35話 月明かりを頼りに
すっかり日が落ち、月明かりだけが頼りの暗い夜道を、三人分の足音が並んで響いていく。
しばらく無言で歩き続けていたが、やがてリオンが怪訝そうに眉をひそめ、口を開いた。
「……ところで。あんたたち、どこへ向かってるんだ?」
問いかけられた私は、歩みを止めてきょとんと振り返った。
「え?」
「いや、『え?』じゃなくて。最終的な目的地は決めていないとは言っていたが、次どこにいくとかはあるだろ?」
リオンは呆れたように周囲の暗闇を見回す。
「その目的地は決まってるのかって聞いてんだよ」
「目的地……?」
私は人差し指を顎に当て、少しだけ考え込んだ。
「…………」
「…………」
「……そういえば」
「うん?」
「ここ、どこなのかしら?」
「…………は?」
リオンの動きがぴたりと止まった。
月明かりの下で、彼が信じられないものを見るような目で私を見つめてくる。
「は? いやいや『どこなのかしら』って……レティが先頭切って歩いてただろ!?」
「だって、あの不法工場から離れようと思って歩いていたのだもの。歩いていれば、そのうち次の街へ着くかと思って」
そう言いながら、ふと気づく。
王妃教育では、王国内の地理も近隣諸国との位置関係も、何度も叩き込まれた。
主要な街道や街の位置なら、地図を広げなくても思い浮かぶ。
けれど——。
(そういえば……)
旅に出てからは、ずっと街道を歩いてきた。
道なりに進めば村や街へ辿り着き、その先にもまた街道が続いていた。
だから、自分で進む方向を深く考えたことは、一度もなかった。
途中で分かれ道があっても、その都度地図を広げ、大きな街道を選んで進めば問題なく目的地へ着けていたのだ。
だから私は、今回も同じように歩いていれば、そのうち街道へ戻れるものだとばかり思っていた。
そんなことを考えていると、リオンが怪訝そうに眉をひそめた。
「……おい、まさか地図も見てねぇのか?」
「見ているわ」
私は鞄から折り畳んだ地図を取り出して差し出した。
リオンは受け取るなり地図を広げ、しばらく眺める。
だが次の瞬間、大きく肩を落とした。
「……なるほどな」
「何かおかしいかしら?」
「レティ。この地図で今いる場所を探そうってのが無理なんだよ」
「どういうこと?」
「王都から隣町へ行くには役立つ。けど、今みたいに山の中で道に迷った時には役に立たねぇ」
「つまり……?」
「今は細かい道を探したい。なのにこの地図は国全体を大まかに見るための地図なんだ。だから、載ってるのは主要街道と街だけだ」
「え?」
「旅人が使う山道や脇道なんて最初から載ってないんだよ。国全体を把握するには十分なんだろうが旅じゃ役に立たねぇこともある」
私は思わず地図を覗き込む。
確かに、王都や各領地、主要街道は細かく描かれている。
けれど、今歩いているような道はどこにも記されていなかった。
「工場から離れようと思って歩いてたんだろ?」
「ええ」
「なら、その時点でその地図はほとんど役に立たないな」
「……あら」
「『あら』じゃねぇよ!方向くらい確認しろ!!」
言われて初めて、自分が思っていた以上に旅のことを知らなかったのだと気づいた。
「……工場から離れることしか考えていなかったのだもの」
「離れるにしたって方向があるだろ!」
「歩いていれば、そのうち街へ出られるものかと……」
「そんな適当な旅してる奴初めて見たぞ……」
小さく言い訳をすると、リオンは深々と額へ手を当てた。
「あ、アンナ! アンナはどうなんだ!?」
リオンは助けを求めるように、後ろを歩いていた侍女へ視線を向けた。
アンナはいつも通りの可憐な笑みを浮かべ、澄ました顔で首を傾げる。
「……私もレティさんについて歩いておりました」
「アンナまで!?はぁ……頼むから旅の基本くらい覚えてくれ……」
頭を抱えてがっくりと肩を落とすリオンは、大げさに溜め息を吐くと、空を見上げた。
「月はあっちか。ってことは、いま俺たちが歩いてるのは……」
言葉の途中で、リオンがふと足元と周囲の景色に目を落とした。
そして、顔をひきつらせる。
「……待て」
「どうしたの、リオンさん?」
「……これ、まともな道じゃねぇぞ」
「え?」
リオンの言葉に促され、私とアンナも改めて周囲を見回した。
「あら?木、多いわね?」
「……森ですね」
「『森ですね』じゃないだろ!! 完全に迷い込んでるじゃねぇか!!」
いつの間にか、私たちが歩いていたのは踏み固められた街道ではなく、木々が生い茂るうす暗い獣道だった。
言われてみれば、いつからか道は石だらけになり、木の根が足元へ張り出していた。
歩きにくいとは思っていたけれど、「山道とはこういうものなのだろう」と勝手に納得してしまっていた。
「もういい、俺が先頭を歩く! 二人ともついて来い!」
リオンは呆れ果てた様子でため息をつきながら、私たちの前に出た。
「今日は月が出てて助かったな」
「月?」
「曇ってたら本気で遭難してた」
「遭難……」
その言葉に、私は思わずアンナと顔を見合わせた。
(前世なら、夜道には街灯があったものね)
夜になっても街は明るく、人の気配が絶えることはなかった。
だからこそ、月明かりだけを頼りに歩く夜道が、これほど危険なものだとは思ってもいなかった。
どうやら旅というものは、私が思っていた以上に奥が深いらしい。
それから慎重に足を進めること、ほんの数分。
「ん?」
大きな岩陰の近くで、リオンが足を止めた。
そこには、岩の割れ目がぽっかりと口を開けている。
「……洞窟か。雨風もしのげそうだし、時間も遅い。今日はあそこで休もう」
リオンが指さした先を見て、私とアンナは顔を見合わせた。
「洞窟……! なんだか冒険者っぽくてワクワクするわね、アンナ!」
「ええ。いつもの野宿とは少し違って、新鮮ですね」
「楽しんでる場合か! ほら、入るぞ!」
頭を抱えるリオンに促され、私たちは今夜の宿となる洞窟へと足を踏み入れたのだった。
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