第33話 月夜の同行者
すっかり日が落ち、濃密な夜の闇が東の森を深く包み込んでいた。
深い森の奥、崖の下に広がる谷間には、トロン伯爵が秘密裏に建造させた違法な工場がひっそりと佇んでいる。
昼間は領民たちが不当な強制労働を強いられていた場所だ。
その工場を見下ろす崖の上で、私とアンナは夜風に衣類をなびかせながら佇んでいた。
「……アンナ、そろそろいいかしら?」
「はい。今は食事のため工場に人はいないようです。食事と言っていいものなのかはわかりませんが……」
私が夜のうちにここへ来たのは、単に様子を見るためだけではない。
工場を守る頑丈な大門と防壁を私の魔法で直接破壊し、捕らえられている人々が逃げ出せる隙を作るため。
それに、王都直轄の騎士団が到着するまでには、まだ時間がかかるかもしれない。
「それじゃあ、行くわね——」
私が解き放った光の束が、一直線に工場の門へと突き刺さった直後。
ドドッ、ズドォォォンッ!!!!
夜の静寂を打ち破る重厚な爆発音が森全体へ轟き渡った。
激しい爆風と炎が巻き起こり、頑丈だった金属製の門が木っ端微塵に吹き飛ぶ。
「な、なんだ!?」
「敵襲か!?」
工場内は一瞬で混乱に包まれた。
その混乱の中、鎖を引きずった領民たちが恐る恐る外へ駆け出してくる。
「外だ……!」
「助かったのか……?」
そこへ駆け込んできた騎士たちが声を張り上げた。
「安心しろ! 王国騎士団だ! 負傷者を優先して保護しろ!」
ちょうど通報して駆けつけた王都直轄の騎士団が、開いた大門から一斉に雪崩れ込んだ。
(もっと時間がかかるかと思ってたのだけど……)
地元の騎士団は伯爵の手が回っていると思い、王都直轄の騎士団のほうに連絡をしていた。
予期せぬ突入に伯爵の部下たちは逃げ場を失い、次々と捕縛されていく。
取り残されていた領民たちも、騎士たちの誘導によって安全な場所へ保護されていくのが見えた。
火の粉が夜空へ舞い上がる光景を、私は崖の上から静かに見下ろす。
胸のつかえがすっと下りていくのを感じながら、私は小さく息を吐いた。
これ以上の後始末は、騎士団が責任を持ってやってくれるはずだ。
「……これで、私にできることは終わったわね」
「ええ。あとは騎士団へお任せしても問題ないかと存じます」
「行きましょう、アンナ」
「はい」
私たちは誰にも気づかれぬよう、静かに夜の森を後にした。
◇
ここに来る前に、リオンには置き手紙を置いてきた。
本来なら、リオンにきちんとお礼を言ってから発つべきなのだろう。
昼間、私が眠っている間に彼は工場へ潜入し、証拠となる帳簿を密かに盗み出してきてくれていたのだ。
私が起きる少し前から仮眠を取っていた彼は、今も部屋で休んでいるのだろう。
元々、彼とはこの街までの護衛という約束だ。
疲れ切っている彼をわざわざ起こすのも申し訳ない。
『助けてくれてありがとう。とても助かりました。元気でね』
机の上に手紙を残し、私たちは足音を忍ばせて宿を後にした。
——のだが。
「……おいおい。置手紙一枚で夜逃げとは、冷たいんじゃないか?」
月明かりが照らす街外れの街道。
暗がりからぬっと姿を現したのは、腕を組んで佇むリオンだった。
「リオンさん……!? 起きていたの?」
「元々眠りが浅いんだよ。気配で目が覚めたから尾行させてもらった。……いやぁ、大層な花火大会だったな」
リオンは呆れたように笑いながら歩み寄ってくる。
そして、私の数歩手前で足を止めると、ふっと表情を引き締めた。
「……俺を置いて行く気か? レティ、アンナ……いや」
どこか芝居がかったような声だった。
彼は真剣な眼差しでまっすぐに私を見つめ、静かに問いかけた。
「『白銀の魔女』……と呼ぶのが正しいか?」
一瞬の静寂が落ちる。
リオンは真剣な眼差しで私を見つめていた。
まるで、長く考えてきた答えへようやく辿り着いた——そんな確信に満ちた表情だった。
……けれど。
「「…………?」」
私とアンナは顔を見合わせ、同時に首を傾げた。
「はくぎんの……なに?」
「……何かの物語の登場人物でしょうか?」
「あ、そういえば最初の宿場町で、そんな話をしている人たちがいたわね……」
「……は?」
決め台詞を放ったはずのリオンがぽかんと口を開け、間の抜けた顔になる。
張り詰めていた空気は、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。
「いや、待ってくれ。本当に知らないのか?」
「え?」
「街じゃ有名だぞ。白銀の髪を持つ魔法使いが各地の事件を解決しては姿を消すって。恐ろしい魔女、とも言っていたような」
「恐ろしいって……ひどい噂ね」
「私とレティさんは、ただ静かに旅をしているだけですが」
「俺も最初は半信半疑だった。だが、さっきの爆発を見たら誰だってそう思う」
頭を抱えて叫ぶリオンを見て、私は思わずくすりと笑ってしまった。
「教えてくれてありがとう、リオンさん。でも、私たちはただの旅人よ。人違いだわ。……さあ、宿に戻って休んでちょうだい。ここまで送ってくれて、本当に感謝しているわ」
改めたお礼を口にすると、リオンはハッと正気に戻り、気まずそうに視線を泳がせた。
「……なあ」
「なあに?」
「……もう少しだけ、同行させてくれないか?」
先ほどまでの探るような気負いは消え、素直な声だった。
「お断りします」
即答したのはアンナだった。
いつもの温かな笑みを浮かべたまま、すっと私の前に立ち塞がる。
「リオン様との契約は、この街までという約束でございました。これ以上の同行は不要かと存じます」
「アンナの言う通りよ。リオンさんには自分の生活があるでしょう?」
私も頷くと、リオンは困ったように頭を掻いた。
だが、諦める気配はない。
「……最初は、ただの好奇心だった。あんたたちが何者なのか知りたかったし、何か裏があるんじゃないかとも思っていた」
一度言葉を切ると、リオンは小さく息を吐いた。
どこか吹っ切れたように顔を上げ、真っ直ぐに私を見つめる。
「でも、実際に一緒に旅をしてみて考えが変わった。あんたたちといると退屈しない。それに……何より、あんたたちの旅をもう少し近くで見届けていたくなったんだ。報酬なんて要らない。ご飯の準備でも護衛でも何でもやる。……駄目か?」
真っ直ぐで、飾らない言葉だった。
これまでのような余裕のある笑みも、どこか芝居がかった態度もない。
ただ、一人の青年として、素直にお願いしている——そんな姿に、私は思わず弱ってしまった。
リオンは降参したように肩をすくめると、ふっと力を抜いて笑う。
その笑顔は、今まで見せてきた余裕のある笑みとも、不敵な笑みとも違う。
飾らない、どこか年相応の青年らしい笑顔だった。
その表情が、なぜだか少しだけ心に残った。
(う……そんな目で見つめられたら……)
「レティさん、惑わされてはダメです」
「う、うん……でもね、アンナ……」
困り果ててアンナを見上げると、アンナは「はぁ」と大げさな溜め息を吐いた。
「レティさんは、本当にお人好しですね……」
アンナは諦めたように肩をすくめると、リオンへと向き直る。
「条件があります。レティさんの身の回りのことは、すべて私が担当します。リオン様には荷物持ち、野営準備、そして有事の際には盾役をお願いいたします」
「盾役……」
リオンは一瞬だけ呆気に取られたように目を瞬かせたが、やがて肩を揺らして苦笑した。
「随分と重要な役目を任されたな」
「ご不満でしたら——」
「いや。そんなことを言われたのは初めてだっただけだ。……喜んで引き受けよう」
「ふふ、よろしくね、リオンさん」
「……ああ。よろしく頼むよ、レティ、アンナ」
夜道を行く私たちの影が、月明かりの下で三つに増える。
賑やかになりそうな新しい旅路に、私はそっと胸を躍らせるのだった。
◇◇◇
二人の少し前を歩きながら、俺は静かに夜空を見上げ、小さく息を吐いた。
正直なところ、同行を願い出たのは半ば賭けだった。断られても仕方がないと思っていたし、それで終わりになる覚悟もしていた。
それでも、どうしても二人と別れる気にはなれなかったのだ。
その理由は、昼間に工場で手に入れた帳簿にあった。
そこには、見覚えのある印と、不自然な金の流れが残されていた。
(……偶然、なのか)
あの印が示す相手を、俺は知っている。
だが、それだけで結びつけるには証拠が足りなかった。
弟を守るため、国を守るため。
その一心で、俺はこれまで自分なりの正しさを信じて歩いてきた。
だが、その信念は本当に正しかったのだろうか。
そんな迷いを抱えていた俺の前で、レティはまるで当然のことのように、目の前の人を救う道を選んだ。
名誉のためでも、利益のためでもない。
ただ、苦しんでいる人がいるから助ける。
それだけの理由で迷いなく行動できる彼女の姿は、俺がこれまで見てきた貴族とも王族ともまるで違っていた。
俺には、とても真似できる生き方には思えなかった。
(……何なんだ、この人は)
理解できない。
それなのに、なぜだか目が離せなかった。
彼女の隣にいれば、自分が見落としていた何かが見つかる気がする。
そんな根拠のない予感が、胸の奥で静かに膨らんでいく。
「リオン様?」
不意にアンナの声が耳へ届き、俺は我に返った。
「先ほどから、随分と難しいお顔をされていますが」
「……いや、何でもない」
そう答えると、前を歩いていたレティが振り返り、柔らかく微笑む。
その何気ない笑顔を見た瞬間、不思議と胸のつかえが少しだけ軽くなった気がした。
(……しばらくは、この旅に付き合ってみるか)
月明かりに照らされた街道を、三人分の影が静かに伸びていく。
その歩みが、やがて俺自身の運命を大きく変えることになるとは、この時の俺はまだ知らなかった。




