第27話 何者なんだ ◆
初めてのリオン視点です。
——白銀の髪。
その報告を耳にした瞬間、脳裏に一か月ほど前の光景が鮮やかによみがえった。
旅の途中、偶然立ち寄った食堂で出会った、一人の少女。
◇
「見事だった」
気づけば、そんな言葉が口をついていた。
ただ一夜の宿を借りるために立ち寄っただけの食堂で、思いがけない光景を目にしたのだ。
荒くれ者たちに囲まれた一人の女性店員。その前へ、華奢な少女が迷うことなく踏み出していく。
次の瞬間には、振り下ろされた腕を軽く受け止め、そのまま体勢を崩して床へ叩きつけた。
さらに襲い掛かる男たちも、無駄のない身のこなしだけで次々と転がしていく。
魔法ではない。
剣でもない。
洗練された体術だけで、あれほどの人数をものの数瞬で制圧してしまった。
(……何だ、あいつ)
王族や上級貴族の娘なら、護身術を修めていても不思議ではない。
だが、あれはそんな生易しいものではなかった。
積み重ねた鍛錬と実戦に裏打ちされた動きは、普通の護身術とは明らかに一線を画していた。
それなのに、本人は涼しい顔でこう言ったのだ。
『普通に受け流しただけですが』
本気でそう思っているらしい。
その飾り気のなさに、思わず笑いそうになった。
(面白い)
間違いなく強い。
それほどの実力を持ちながら、自分ではまるで特別なことをしたという自覚がない。
そんな人間は初めてだった。
だからこそ、少し興味を持った。
名前を尋ねてみたが、少女は「名乗るほどの者ではありませんので」とだけ答え、そのまま立ち去ってしまう。
あの時は、もう二度と会うこともないだろう——そう思っていた。
◇
「……白銀の魔女?」
部下から上がった報告に、思わず聞き返した。
結界石は修復され、密かに仕掛けていた水脈の工作も元通りになっていると。
さらに、妨害術式までもが跡形なく消え去り、こちらが積み重ねてきた計画はことごとく潰されていた。
あり得ない。
そう断じるには、あまりにも同じことが続きすぎている。
そんな中で耳に入ってきたのが、フィオーレ王国の一つの噂だった。
——白銀の髪の女が各地へ現れ、人知れず問題を解決して去っていく。
半ば呆れたように報告を聞き流しかけた、その瞬間だった。
——白銀の髪。
その一言が、脳裏の奥に眠っていた記憶を鮮明に呼び覚ます。
旅の途中で立ち寄った食堂で、大の男たちを一瞬で叩き伏せた、あの少女。
風にさらりと揺れた白銀の髪と、何事もなかったかのように微笑んでいた横顔。
(……まさか)
偶然とは思えなかった。
異様なまでの実力と、どこか世間知らずで、常識が少しずれているような言動。
あの少女なら——
そんな考えが頭をよぎった瞬間には、もう決断していた。
「……俺が行く」
報告だけでは何も分からないし、噂など当てにならない。
だからこそ、自分の目で確かめる必要がある。
あの少女が本当に”白銀の魔女”なのか。
その答えは、自分自身で見極めるしかなかった。
◇
目星をつけた町へ入ってからというもの、宿屋や市場、商店を一軒ずつ回りながら、それらしい人物を探し続けた。
だが、白銀の髪をした女などどこにもいない。
聞き込みを重ねても有力な情報は得られず、肩透かしを食らったような気分になる。
(……もうこの町を出たのか)
そう考え始めた、その時だった。
『町外れで子どもたちが集まってるぞ』
何気ない町人たちの会話が耳に入り、足が止まる。
胸の奥で、理由の分からない直感が小さく疼いた。
導かれるようにその場所へ向かうと、子どもたちの輪の中心には、一人の少女がいた。
風に揺れる髪は、先日見たような、そして噂で聞いたような白銀ではなく、陽の光を受けて淡く輝くプラチナブロンドだった。
けれど、その整った横顔を見た瞬間、迷いは消えた。
(……いた)
間違えるはずがない。
食堂で男たちを一瞬で制圧した、あの少女だ。
あの時とは違い、今は子どもたちに囲まれ、穏やかな笑みを浮かべている。
その柔らかな雰囲気だけを見れば、ごく普通の旅の娘にしか見えなかった。
だが、その姿がかえって奇妙だった。
(同一人物とは思えんな)
武術の達人のような冷静さも、鋭さも感じられない。
あまりにも自然に笑い、あまりにも無防備だった。
だからこそ、なおさら興味を惹かれる。
(さて、どう近付くか……)
正体も目的も分からない相手だ。
下手に接触して警戒されるのは避けたい。
まずは様子を見るべきだろう。
そう判断した俺は、気配を殺したまま距離を保ち、少女の行動を静かに見守ることにした。
◇
森へ入ってからも、俺は一定の距離を保ちながら二人の後を追っていた。
不用意に近づけば気づかれて警戒される。
だから気配を殺し、ただ静かに様子を窺っていた。
その時だった。
茂みの奥から、小さな白い影が姿を現す。
うさぎ——いや、違う。
あれは擬態したラビットファングの上位種だ。
可愛らしい姿で油断させ、近づいた獲物の喉笛を一瞬で食い破る危険な魔物。
奴はすでに狙いを定めていた。
少女との距離、飛び掛かる位置、踏み込む角度まですべて計算済みだ。
(……間に合え)
剣の柄へ手を掛け、地を蹴ろうとした、その瞬間だった。
——空気が変わった。
ぞわり、と全身の肌が粟立つ。
言葉では表せないほど濃密な魔力が、一瞬だけ周囲へ溢れ出した。
本当に、一瞬だった。
瞬きをすれば見逃すほどの僅かな時間。
だが、その場にいたものは誰一人として見逃さなかった。
ラビットファング上位種の身体が硬直する。
次の瞬間には耳を寝かせるように伏せ、怯え切ったように森の奥へ逃げ出した。
それだけではない。
木々で羽を休めていた鳥たちが一斉に飛び立ち、小動物たちは我先にと草むらへ姿を消していく。
まるで森そのものが恐怖に支配されたかのようだった。
上位種が——あのラビットファング上位種が。
戦うことすら選ばず、逃げた。
(……は?)
目の前で起きた光景が、どうしても理解できなかった。
魔物が人間を恐れることはある。
だが、それは圧倒的な実力差や命の危険を察知した時だけだ。
ましてや、相手はラビットファングの上位種。
人間を餌としか見ていないあの魔物が、戦うことすら選ばず逃げ出すなど、聞いたことも見たこともない。
それも、たった一瞬漏れただけの魔力に威圧されて。
(……あり得ない)
呆然とその場へ立ち尽くしていると、不意に少女の小さな声が耳へ届いた。
「……嫌われてしまったのかしら」
「…………」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
そして次の瞬間には、堪えきれず笑いが込み上げてくる。
「……っ、ははっ」
思わず肩が震えた。
耐えられなかったのだ。
森中の魔物を震え上がらせておきながら、当の本人だけが何も分かっていない。
本気で「嫌われた」と思っているらしい。
(……何なんだ、この女は)
白銀の魔女なのか。
それとも、ただの天然なのか。
いや、その両方なのかもしれない。
理解不能な存在を前に、俺は生まれて初めてと言っていいほど、心の底から拍子抜けしていた。
◇
同行することになってからも、何気ない会話を装いながら、少しずつ彼女を探っていた。
旅の目的、魔法のこと、向かう先、そして困っている人を助ける理由。
どれも核心へ近づくための問いだったが、返ってくる答えは、どれも彼の予想を裏切るものばかりだった。
『綺麗な景色が見たいだけです』
穏やかに笑いながらそう答える彼女には、何かを隠しているような様子はない。
『困っている人がいれば、お手伝いするかもしれません』
その言葉も、ごく当たり前のことを話しているような口調だった。
『見返りですか? 考えたことありません』
そう言って首を傾げる姿には、打算も虚勢も感じられない。
(……本気なのか)
内心で眉をひそめた。
嘘をついているようには見えない。
だからこそ理解できなかった。
白銀の魔女なら、もっと大きな目的があるはずだ。
名声か、はたまた報酬か。
あるいは、何らかの思惑か。
だが、彼女の言葉からは、そのどれも感じ取れない。
そんな思考を遮るように、隣を歩いていたアンナが静かに口を開いた。
『レティさん。旅先でご自身のことを、あまり詳しくお話しになるのは……』
その一言で、レティは「あ」と小さく声を漏らし、素直に口を閉ざした。
(……気付かれたか)
心の中で小さく息を吐く。
あの女は鋭い。
それ以降、アンナがこちらへ向ける視線は明らかに変わっていた。
表情は穏やかで、受け答えも丁寧だ。
だが、その奥では一切気を許していない。
警戒心だけは、片時も緩めていなかった。
◇
村へ足を踏み入れた瞬間、その違和感はさらに濃くなった。
静かすぎる。
人々の視線が、どこか落ち着かない。
道端に停められた荷馬車。
幌の下へ積み上げられた木箱。
それを囲む男たちの、不自然なまでの警戒ぶり。
(……何かある)
そう確信し、レティたちを宿まで送り届けると、頃合いを見計らって一人静かに外へ出た。
まずは村の様子を探るつもりだった、その時。
「……あなたもですか」
背後から声がし、振り返るとそこにはアンナが立っていた。
月明かりの下でも、その瞳だけは油断なくこちらを見据えている。
「……何故ここにいる」
「それはこちらの台詞です」
思わず問い掛けると、アンナは小さく肩をすくめた。
互いに言葉を発さず、しばし無言で見つめ合う。
やがてアンナが静かに口を開いた。
「レティさんなら、お休みになっています」
「俺は少し村を見て回るだけだ」
「……そうですか」
それだけの短いやり取りだったが、その一言で十分だった。
互いに同じことを感じ取っている。
——この村は、おかしい。
説明など必要なかった。
アンナもまた、この村に漂う異様な空気へ気付いていたのだ。
「……深入りはなさらないよう」
「そっちもな」
静かな忠告に、小さく口元を緩める。
短く言葉を交わすと、二人はそれ以上何も言わず、それぞれ別の方向へ歩き出した。
互いを信用しているわけではない。
それでも、この村に漂う不穏な気配だけは、同じように感じ取っていた。
◇
「…………」
そこでゆっくりと意識が浮上した。
重く沈んでいた身体が少しずつ感覚を取り戻し、ゆっくりと瞼を開ける。
視界に映ったのは、見慣れない宿の天井だった。
窓の外には、まだ夜の闇が色濃く残っていた。夜明けまでは、もう少し時間がありそうだ。
ひどく深い眠りだった。
普段なら些細な物音でも目を覚ますはずなのに、まるで意識そのものを底へ沈められていたような感覚が残っている。
「……夢、か」
夢というには、あまりにも鮮明だった。
眠っている間でさえ、あの女のことを考えていたらしい。
白銀の魔女——レティ。
そして、あの飄々とした態度。
思い返せば返すほど、違和感ばかりが積み重なっていく。
「……お前は、一体何者なんだ」
誰にも届かないほど小さく呟き、ゆっくりと上体を起こした。
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