第26話 穏やかな旅路
翌朝。
窓から差し込む柔らかな陽射しで目を覚ますと、昨日とは打って変わって穏やかな朝が広がっていた。
鳥のさえずりが聞こえ、窓の外では風が木々を揺らしている。
昨夜感じた村の静けさも、朝になると少しだけ和らいだように思えた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、アンナ」
身支度を整え、一階へ降りると、食堂ではすでにリオンが朝食を食べていた。
「おはようございます」
「ああ」
相変わらず短い返事だけれど、それももう慣れてきた。
焼きたてのパンと温かなスープをいただきながら、私は今日の予定を考えていた。
どこへ向かおうかもまだ決めていない。
それもまた旅の楽しみではあるけれど、せっかくなら地元の方がおすすめする景色や名物も見てみたい。
(あとで宿の方に聞いてみようかしら)
そう思いながら最後の一口をいただく。
朝食を終え、宿代を支払うため受付へ向かうと、女将が穏やかな笑顔で迎えてくれた。
「お世話になりました」
「こちらこそ、ご宿泊ありがとうございました」
「この辺りでおすすめの場所はございますか?」
女将は少しだけ考えるように目を細めた。
「……でしたら、この街道をまっすぐ進んだ先にある街はいかがでしょう。市場もありますし、旅の方もよく立ち寄られますよ」
「そうなのですね。では、その街へ行ってみようと思います」
私は嬉しくなって頷きながらそう答えると、女将は一瞬だけ笑みを固くした。
けれど、すぐにいつもの穏やかな表情へ戻る。
(……気のせい?)
「……お気をつけて」
「はい。お世話になりました」
そして宿を出たところでリオンさんに向き合う。
「それでは、リオンさん。ここまで、本当にありがとうございました。お元気で」
ここでお別れだとそう思っていたのだけれど、リオンは短く首を振る。
「……いや。次の街まで同行する」
「え?……この村までではなかったのですか?」
「……気が変わった」
思わず瞬きをするも、彼はバツが悪そうな顔でそれだけ言うと、荷物を肩に担いだ。
(気が変わることって、あるのかしら)
少し不思議に思っていると、隣でアンナが静かに口を開いた。
「レティさん」
「はい?」
「次の街まででしたら、ご一緒していただいてもよろしいのではありませんか」
「アンナまで?」
「ええ。この先はまだ慣れない土地ですし、旅慣れた方がご一緒なら心強いかと」
アンナがそう言うなら、その方がいいのだろう。
「でしたら、よろしくお願いいたします」
「ああ」
それだけ答えると、リオンは歩き始めた。
宿を出て村の入口へ向かう途中、昨日も見かけた畑仕事の男性が私たちに気づき、鍬を止めてこちらへ歩いてくる。
「もうご出発ですかな」
「はい。お世話になりました」
私がお礼を言うと、男性はどこか安心したように笑った。
「次はどちらへ?」
「女将さんに伺った、街へ続くこちらの道へ行ってみようかと思います」
私は緩やかな丘へと続く街道を指差した。
すると男性は一瞬だけその道を見つめ、どこか意味深に目を細めた。
「……そうですか。どうぞ、お気をつけて」
「ありがとうございます」
それだけ言って小さく頭を下げられ、私も笑顔で頭を下げ、その場を後にした。
その様子を、少し離れた場所から見ている人影があることには気づかないまま。
◇
村を出ると、道は昨日までよりも少し広くなっていた。
吹き抜ける風が心地よく、草花の香りが鼻をくすぐる。
「あら。綺麗……」
道端に小さな白い花が咲いているのを見つけ、私は思わず足を止めた。
しゃがみ込み、そっと花を眺める。
「この花、王都では見かけなかったわね」
「山野草ですね」
「そうなのね」
名前は分からないけれど、小さく揺れる花はとても可愛らしかった。
「レティ。行くぞ」
「あ、すみません」
しかし、少し先を歩いていたリオンが振り返り、どこか急かすような声音でいう。
そのため慌てて立ち上がり、小走りで追いかける。
そしてまた歩いていると、今度は澄んだ水音が聞こえてきた。
「この音は……川かしら?」
少しだけ道を外れると、小さな小川が流れていた。
透き通った水の中では、小魚が気持ちよさそうに泳いでいる。
思わず見入ってしまう。
王都では見ることのなかった景色ばかりだ。
「……綺麗ね。なんだか、マイナスイオンを感じるわ……あ」
しまった。
前世の言葉が出てしまった。
「マイナス……?」
「な、何でもありません」
「そうか……それにしても、寄り道ばかりだな」
「旅は寄り道も楽しむものではないのですか?」
「……人による」
呆れたようなリオンの声に、私は少しだけ照れ笑いを浮かべた。
彼は足を止めて待ってくれていたものの、どこか落ち着かない様子で周囲へ視線を巡らせていた。
その後も、道端に咲く花を見つけたり、木になっている見慣れない木の実を眺めたり。
ほんの少し寄り道を繰り返しながら、私たちはゆっくりと街道を進んでいく。
一方で、リオンだけは時折立ち止まり、来た道を振り返っていた。
まるで何かが追ってきていないか確かめるように。
(やっぱり、何か気になることがあるのかしら)
そう思ったけれど、尋ねてもきっと答えてはくれない気がした。
だから私は何も聞かず、また前を向く。
やがて丘を越えると、遠くに石壁に囲まれた街が見えてきた。
「あれが次の街でしょうか」
「ああ」
リオンは短く頷いた。
私は少しだけ胸を弾ませる。
まだ見たことのない景色。
まだ食べたことのない料理。
そんな新しい出会いを思うだけで、少しだけ足取りが軽くなる。
◇
街門をくぐると、昨日の村とは打って変わって賑やかな空気が広がっていた。
道の両脇には露店が並び、買い物を楽しむ人や荷馬車を引く商人たちが行き交っている。
「賑やかな街ね」
「市場があると言っていたので、そのせいかもしれませんね」
思わず声を漏らすと、アンナも穏やかに微笑んだ。
きょろきょろと辺りを見回していると、一人の中年男性がこちらへ歩み寄ってきた。
「旅のお方ですかな?」
「はい」
「宿をお探しでしたら紹介できますよ。この時間なら、まだ空いている宿があります」
「本当ですか?」
「ええ。この街では昔から旅人を案内しておりましてね」
人の良さそうな笑みに、私はほっと胸を撫で下ろした。
「でしたら、お願いできますか?」
「もちろんです。こちらですよ」
男性の案内で街を歩き始める。
石畳の道を進みながら、私は初めて見る街並みに目を輝かせていた。
焼き立てのパンの香りに、果物を並べる露店。
そして子どもたちの笑い声も響いている。
昨日の村とはまるで違う賑わいに、自然と頬も緩んでしまう。
その時、すれ違った男性たちの話し声が耳へ入る。
「聞いたか?朝から魔術師団が砦の方へ向かったらしい」
「何かあったのか?」
「さあな。物々しかったらしいぞ」
「魔術師団……」
結界石の異常を知らせたことを思い出す。
(あの件で動いてくださったのかしら)
「報告しておいて良かったですね」
「ええ。あとは皆さんにお任せしましょう」
アンナは小声でそう囁くと、ほっとしたように微笑んだ。
一方で、前を歩くリオンだけは、その会話を聞いた瞬間、ほんの僅かに目を細めていた。
けれど何も言わず、そのまま歩き続ける。
やがて案内された先には、三階建ての落ち着いた宿が建っていた。
「こちらになります」
「ありがとうございます」
「どうぞごゆっくり」
私は男性へ頭を下げ、去っていく背中を見送ってから、宿の看板を見上げる。
「素敵な宿ですね」
「ああ」
リオンは短く答えたが、相変わらず周囲へ気を配ったまま、表情は硬い。
(まだ何か気になっているのかしら)
そう思いながらも、私は宿の扉へ手を掛ける。
この時の私は、穏やかな旅がまだ続くものだと信じていた。
その宿で待ち受ける出来事を、まだ何一つ知らずに。
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