第19話 また会えたら
「石をもう少し右だ!」
「縄を引け!」
職人たちの声が飛び交う。
崩れた橋を前にしても、誰一人諦めた様子はなかった。
石工は割れた石の断面を確かめ、大工は新しい足場を組み上げていく。
一つひとつの作業に迷いはなく、その姿からは長年積み重ねてきた技術が伝わってきた。
(やっぱり、すごいわ)
崩れた橋を、少しずつ元へ戻していく職人たちの手際は見事だった。
私なら岩を退かすことはできても、この橋を元通りにすることはできない。
やっぱり餅は餅屋、ということなのだろう。
橋の修復は、思っていた以上に順調だった。
朝から町中へ金槌を打つ音が響き、職人たちは迷いなく石を積み直していく。
崩れていた石は一つひとつ積み直され、傷んだ部分も新しい石材へと置き換えられていく。
町へ足止めされていた商人や旅人たちは、日に日に形を取り戻していく橋を見つめながら、何度も安堵の息を漏らしていた。
「今日の昼には渡れるぞ!」
職人の一人が大きな声を張り上げると、周囲から歓声が上がる。
「助かった!」
「これでようやく先へ進める!」
嬉しそうに笑う人々を眺めながら、私は少しだけ肩の力を抜いた。
(よかった)
◇
宿へ戻ると、机の上にはここ数日かけて作っていた木の板が並んでいた。
宿の主人に端材を譲ってもらい、少しずつ削って表面を整えたものだ。
この世界の文字を、前世で見た「文字一覧」のような形にできないかと思い、一枚の板へ並べてみた。
完璧とは言えないけれど、最初に覚えるには十分なはずだった。
最初は文字が小さすぎて、自分でも読みにくかった。
もう一枚作ってみれば今度は大きすぎる。
子どもたちが地面へ写しやすい大きさはどれくらいなのか。
何度も並べ替えては書き直し、ようやく今の形へ落ち着いた。
それでも、本当に分かりやすいのかは自信がない。
板を手に取り眺めていると、アンナが隣から覗き込んだ。
「完成しましたね」
「ええ……一応は。……でも、本当にこれで分かるのかしら」
少しだけ不安になる。
前世では当たり前に使っていたものだ。
学校へ行けば誰もが教わり、自然と覚えていた。
だからこそ、どう教われば覚えやすいのかまでは、正直あまり覚えていない。
アンナは優しく微笑んだ。
「試してみれば分かります」
「……そうね」
使ってみなければ、良いのか悪いのかも分からない。
私は木の板を抱え、小さく頷いた。
◇
昼前。
橋が開通するまでには、まだ少し時間があった。
町の外れでは、行き場をなくした子どもたちが退屈そうに遊んでいる。
私はその輪へ近づくと、しゃがみ込んで目線を合わせた。
「少しだけ、一緒に遊ばない?」
突然話しかけられ、子どもたちは顔を見合わせる。
少し警戒した様子だったが、一番年上らしい男の子が恐る恐る近づいてきた。
「これ、なあに?」
木の板を見つめ、小首を傾げる。
私は一本の枝を拾い、地面へゆっくりと同じ形を書いてみせた。
「文字よ。こうやって書くの」
男の子も真似をする。
ぎこちない線だったが、形はちゃんと似ていた。
「できた!」
「本当だ!」
嬉しそうな声が響き、私は思わず笑みがこぼれた。
「上手よ」
「へへっ」
男の子は照れくさそうに頭をかいている。
その様子を見ていた他の子どもたちも目を輝かせる。
「ぼくも!」
「私も書きたい!」
「順番!」
いつの間にか枝を取り合うほどの騒ぎになり、思わず笑ってしまった。
気づけば周りには十人近い子どもたちが集まり、代わる代わる枝を持って地面へ文字を書き始めていた。
「もう少しだけ、ここを丸くしてみて」
「こう?」
「そうそう、上手よ」
「できた!」
「ほんとだ!」
「お姉ちゃん見て!」
一文字書けるたびに、まるで宝物を見つけたような笑顔を浮かべる。
その笑顔を見ていると、不思議と私まで嬉しくなった。
教えることが、こんなにも楽しいなんて思わなかった。
一人ずつ声を掛けるたび、子どもたちの表情がぱっと明るくなる。
最初はただの線だったものが、少しずつ文字らしい形へ変わっていく。
アンナは少し離れた場所で、その光景を穏やかな笑みを浮かべながら見守っていた。
◇
いつの間にか、子どもたちだけではなく大人たちも足を止めていた。
「文字を教えてるのか」
「珍しいことをするお嬢さんだな」
昨日橋の前で話した老人も、その中にいた。
地面へ書かれた文字をじっと見つめ、小さく呟く。
「……俺も読めたら、昨日みたいな契約書に騙されずに済んだんだろうな」
その一言に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
私は老人の方へ向き直る。
「大人になってからでも遅くありません。少しずつ覚えていけばいいんです」
老人は目を瞬かせたが、しばらく黙って私を見つめ、それから照れくさそうに笑う。
「……そうだな」
そんなとき、近くにいた女性がぽつりと呟いた。
「……うちの孫にも教えてやりたいわ。文字が読めれば、町の外へ働きに出ても困らないだろうし」
その言葉に、周囲の大人たちも静かに頷いた。
誰もが必要ないと思っていたわけではない。
ただ、学ぶ機会がなかっただけなのだ。
そしてちょうどその時、カーン、と乾いた鐘の音が町へ響き渡った。
「橋が開通したぞー!」
誰かの大きな声に、人々が一斉に歓声を上げる。
「やっと通れる!」
「急げ急げ!」
荷馬車が動き始め、町全体が再び活気を取り戻していく。
子どもたちも飛び跳ねながら喜んだ。
「お姉ちゃん!」
「ありがとう!」
「また来てね!」
「今度はもっと教えて!」
「約束だからね!」
小さな手が服の裾をぎゅっと掴む。
私は少し困ったように笑った。
「ふふ……約束はできないけれど、また会えたらね」
一斉に抱きつかれ、思わずよろける。
その拍子にふわり、と頭を覆っていたフードが肩まで滑り落ちた。
陽の光を浴びて、白金にも銀にも見える長い髪がさらりと風になびく。
「あ……」
私は慌ててフードへ手を伸ばすが、子どもたちは気にも留めず笑い続けていた。
◇◇◇
一方その頃。
青年は、この町へ入ってから何軒もの宿や商店を回り、人々へ同じ質問を繰り返していた
「銀髪の女性を見なかったか」
「いや、知らんな」
「宿にもそれらしい方はいませんでした」
手掛かりは、どこにもない。
(……もう町を出てしまったのか)
そう思った、その時だった。
「町外れで、子どもたちが大勢集まってるぞ」
何気ない会話が耳に届き、青年は反射的に視線を向けた。
そこには子どもたちの輪の中心に笑顔でしゃがみ込む、一人の女性がいた。
そして風に揺れる、見覚えのある白金色の髪。
青年の瞳が静かに見開かれる。
見間違えるはずがなかった。
誰にも聞こえないほど小さく、息を吐くように呟く。
「……見つけた」
その視線に、レティシアはまだ気づいていなかった。




