間話③ 白銀の災厄
ポイした巨岩の行方です。
国境近くの森の外れ。
建設途中の砦では、夜陰に紛れるように作業が続けられていた。
この工事は公にはされていない。
そのため、焚き火も松明も必要最低限。
辺りを照らす灯りは月明かりと、小さな篝火がいくつかあるだけだった。
静まり返った夜に、資材を運ぶ音だけがかすかに響く。
「急げ。夜明けまでには運び終えるぞ」
監督役の男の低い声が響く。
一日の作業を終えた兵士たちは交代で食事を取り、資材置き場には誰もいない。
辺りは虫の鳴き声だけが響く、静かな夜だった。
——その静寂を破ったのは、不自然な風切り音だった。
「……何の音だ?」
見張りの兵士が眉をひそめ夜空を見上げると月明かりの中を、黒い影がゆっくりと近づいてくる。
最初は、大きな鳥かと思った。
だが違う。
月明かりを背にした黒い影は、みるみるうちに大きくなっていく。
「……岩?」
誰かが呟いた、その瞬間だった。
巨大な岩の表面が月明かりとは違う、淡い白銀の輝きを一瞬だけ帯びる。
まるで夜空そのものが光を宿したような、神秘的な光だった。
監督役も思わず目を見開く。
夜空を横切るその姿は、まるで月の欠片が大地へ落ちてくるようだった。
「月が……落ちてくる……?」
誰かが呆然と漏らした次の瞬間——
ドゴォォォォン!!
轟音が夜を引き裂いた。
巨大な岩は一直線に資材置き場へ落下し、積み上げられていた木材を粉々に砕き、荷車を押し潰し、天幕を吹き飛ばした。
地面が大きく揺れ、土煙が辺り一面を覆う。
「敵襲だ!」
「いや、違う!」
「空から岩が落ちてきた!」
兵士たちは慌てて駆け寄り、怒号が飛び交う。
やがて土煙がゆっくりと晴れると、そこには人の背丈をはるかに超える巨岩が鎮座していた。
「負傷者は!」
監督役の怒鳴り声に、周囲を確認していた兵士がすぐさま答える。
「ありません!」
「交代で食事中だったため、資材置き場には誰もいませんでした!」
その報告に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
死者も負傷者もいない。
それだけは、不幸中の幸いだった。
だが、その安堵も長くは続かない。
砕け散った建材に、押し潰された荷車。
そして使い物にならなくなった資材の山。
砦の建設に必要だった物資は、ほぼ壊滅していた。
「……何が起きたんだ」
監督役は巨大な岩を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「……今の光は」
近くにいた兵士が震えた声で頷いた。
「見ましたか」
「ああ……一瞬だけだったが、白銀に光ったように見えた」
監督役はゆっくりと息を吐き、黙ったまま巨岩を見つめていた。
月明かりを受けた岩肌には、もう先ほどの白銀の輝きは残っていない。
見間違いだったのか。
それとも、本当に何かが光っていたのか。
答えは誰にも分からない。
その時、不意に脳裏をかすめたのは、数日前に耳にした他愛ない噂だった。
——白銀の髪をした女が、人知れず人々を助けている。
——人はそれを『白銀の魔女』と呼んでいるらしい。
思わず鼻で笑う。
「……馬鹿馬鹿しい」
そんな御伽噺があるものか。
岩が空を飛ぶなど、それ以上にあり得ない話だ。
だが、先ほど見た一瞬の白銀だけは、どうしても頭から離れなかった。
「……報告しろ。資材置き場に巨大な岩が落下。建材の大半が使用不能。負傷者はなし——事実だけを伝えろ」
「はっ!」
低く命じると、兵士が駆け去る。
監督役はもう一度だけ巨岩を見上げ、小さく首を振った。
「……気のせい、だよな」
そう言い聞かせるように呟いた。
夜空には、何事もなかったかのように満月だけが静かに浮かんでいた。
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