↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もうどうでもよくなったので、私に関わろうとするのはご遠慮ください  作者: はな
番外編 もうひとつの物語

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

101/103

第3話 一人でやらなくていい



 翌朝、目を覚ました私は、アンナに髪を整えてもらいながら、その日の予定を確認していた。


「午前中から、昨日お話に出ていた旧施設へ向かわれるのですよね」

「ええ。実際に術式を見てみないと、分からないことも多そうだから」

「どうか、くれぐれもご無理だけはなさらないでくださいませ」

「分かっているわ」


 そう答えたところで、鏡越しにアンナと目が合った。

 けれど、彼女は何も言わず、どこか含みのある表情を浮かべている。


「……なに?」

「いいえ」

「その顔は、何かあるでしょう」

「何もございません」


 昨日からずっと、この調子である。


 私は少しだけ眉を寄せたものの、どうせ聞いても答えてくれないだろうと思い直した。

 やがて身支度を終えると、朝食を取るために部屋を出る。


 すると、廊下の先に見覚えのある姿があった。


「レティ」

「あら。おはよう、リオン」

「……おう。おはよう」


 リオンの隣には、ダリオも控えている。


「おはようございます、レティシア様」

「おはよう、ダリオ」


 挨拶を返しながら、私はもう一度リオンを見た。

 返事が妙に遅いうえ、なんとなく目元にも疲れが見える気がする。


「よく眠れなかったの?」

「……まあ」

「仕事?」

「いや」

「では、何?」

「…………」


 リオンが黙り込むと、隣にいたダリオが、ほんの少しだけ顔を逸らした。


「殿下」

「言うなよ」

「まだ何も申し上げておりません」

「お前がその顔するときは、ろくなこと言わねぇんだよ」

「長いお付き合いですから、よくご存じで」

「嬉しくねぇ」


 朝から相変わらずのやり取りだった。


 以前一緒に旅をしていた頃から、ダリオはこうしてリオンに遠慮なく物を言うことがあった。

 王太子になってからも、その関係は変わっていないらしい。


「それで、何かあったの?」


 改めて尋ねると、リオンはしばらく迷ったあと、意を決したように私を見た。


「昨日の」

「昨日?」

「最後に言ったやつ」


 最後、と言われて私は少し考える。


「おやすみなさい?」

「その前」

「ああ、私がこのリオンが一番好きだと言ったこと?」

「……そう、それ」

「それがどうしたの?」


 尋ねると、なぜかリオンは言葉に詰まった。


「どうしたって……」

「?」

「あれ、どういう意味だった?」

「どういう意味?」

「だから、そのまま……その、どういうつもりで言ったのかって」


 珍しく歯切れの悪いリオンを見ながら、私は昨日のことを思い返した。


 仕事をしていたリオン。

 晩餐の席で、誰にでも穏やかに微笑んでいたリオン。

 側近たちと遠慮なく言い合っていたリオン。

 そして、私と話しているときのリオン。


「昨日言った通りよ?」

「……昨日言った通り?」

「いろいろなリオンを見たけれど、私と話しているときのリオンが一番好きだと思ったの」

「…………」

「だから、そのまま言っただけだけれど」

「……だけ」

「ええ」


 なぜか、リオンの肩がほんの少し落ちた気がした。

 その隣では、ダリオが無言で視線を逸らしている。


「何か、違った?」

「いや。違わねぇ」

「そう?」

「ああ……」


 どうにも納得していないような顔をしている。

 それでも私は、もう一度昨日のことを考えてみた。


「でも、今もそう思っているわよ」

「……は?」

「昨日だけではなくて、今も」

「…………」


 今度は、目を見開かれた。


「だって、昨日言ったことを訂正する理由はないでしょう?」

「……ねぇな」

「なら、どうしてそんな顔をしているの?」

「お前が分かんねぇからだよ」

「失礼ね」

「そういう意味じゃねぇ」


 リオンは片手で顔を覆った。

 けれど、その口元は少しだけ緩んでいる。


 落ち込んでいるのか、喜んでいるのか、やっぱりよく分からない。


「まあ……いい。少なくとも、嫌われてるわけじゃねぇし」

「嫌いな人に、何枚も手紙を書いたりしないわよ」

「…………」

「何?」

「いや」


 今度は少し安心したように、はっきりと笑った。


「手紙、無駄じゃなかったなと思って」

「何の話?」

「こっちの話」


 そう言って、リオンは歩き出した。

 その後ろで、ダリオが小さく息を吐く。


「……何?」

「いえ。何でもございません」


 ダリオまで、それを言うのだろうか。

 思わず私は隣のアンナを見る。


「……よく分からないわね」

「そうでございますね」


 アンナも、ダリオも、明らかに分かっていそうな顔をしていた。


◇


 朝食を終えたあと、私は王城の玄関へ向かった。


 今日の調査には、ヴァルガード側の術師が二人、それから護衛の騎士が数名同行する予定になっている。


 玄関先には、すでにダリオとユアンの姿もあった。


「おはようございます、レティシア様」

「おはよう、ユアン。今日も同行してくれるの?」

「もちろんです」


 ユアンは迷うことなく頷いた。


 以前の事件で、地下施設にいた彼を助けて以来、なぜか私に対して必要以上に丁寧な気がする。


 一度、光の中にいる私を見て『女神かと思った』とまで言われた。


 今でも、なぜそこまで大げさな話になったのかは分からないが。


「レティシア様の護衛でしたら、お任せください」

「……お前、俺のときより気合い入ってねぇか?」


 横から声が飛んできて振り向くと、リオンが少し呆れたような顔でこちらを見ていた。


「……そのようなことはございません」

「今、一瞬間があっただろ」

「お気のせいです」

「絶対あった」


 そんな二人の会話に、ダリオが小さくため息をついている。


 そしてリオンは当然のように馬車の方へ歩き出す。

 てっきり私たちを見送りに来ただけなのだと思っていた。

 

「行くぞ」

「……待って。リオンも行くの?」

「ああ」

「会議は?」

「午後に回した」

「また?」

「今回は仕事だ!前の事件に関係してるかもしれねぇ術式なんだぞ。俺が現地を見ても、何もおかしくねぇだろ」

「それは、そうだけれど」

「だろ?」


 得意げな顔をするリオンの背後で、ダリオへ視線を向ける。


「本当に大丈夫なのですか?」

「今回は、王太子殿下にも現地をご覧いただいた方がよろしいかと」

「ほら」

「ただし」


 ダリオは淡々とした表情のまま、すぐに言葉を続けた。


「午後の会議開始時刻までには、必ずお戻りいただきます」

「分かってるって」

「昨日もそう仰いました」

「今日はちゃんと戻る」

「昨日も似たようなことを仰いました」

「お前、本当にしつこいな」

「仕事ですので」


 どちらも大変そうだ。


 その隣では、ユアンが何も聞いていないような顔で馬車の確認をしていた。

 どうやら、いつものことらしい。


 私は小さく笑い、用意された馬車へ乗り込んだ。


◇


 旧施設は、王都から馬車で一時間ほど離れた場所にあった。


 かつて王家が管理していた、物資保管用の施設らしい。

 今はほとんど使われておらず、石造りの建物の周囲には人の姿も見当たらなかった。


「随分古いのね」

「ああ。俺が生まれる前から、ほとんど使われてねぇはずだ。地下に昔の水路も残ってる」

「水路?」

「今は別の水路が使われてるけどな。昔はここから王都の一部まで繋がってたらしい」

「……そう」


 私はその言葉を頭の片隅に置いた。

 昨日見た術式は、中心から外側へ向かって魔力を流す構造だった。


 もし、その先に何かがあるのだとすれば――


「レティ?どうした?」

「いえ。まず、見てみましょう」

「ああ」


 地下へ降りると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。


 先頭を歩くのはダリオとユアンだった。

 二人とも以前の事件では地下施設の調査に関わっている。


 特にユアンは、地下で実際に術式の影響を受けたこともあるからか、先ほどまでの柔らかな表情は消え、周囲を警戒する目つきになっていた。


 少し先を確認したユアンが振り返る。


「異常はありません。このまま進めそうです」

「分かった」


 リオンが短く答え、私たちはさらに奥へ進んだ。やがて、昨日資料で見た壁面へ案内される。


「こちらです」


 術師の一人が魔法灯を掲げると、その明かりの中に、壁へ薄く刻まれた魔法式が浮かび上がった。

 私は少し離れた位置でしゃがみ込み、全体を確認する。


「……やっぱり」

「何か分かるか?」

「ええ。昨日の写しで見た通り、この術式は魔力を集めているのではないわ」


 指で触れないようにしながら、魔力の流れを追う。


「ここから……外へ送っている」

「どこに?」

「それが分からないの」


 欠けている部分が多い。

 ただ、一方向へ向かう流れだけは、はっきりしていた。


「リオン。さっき、地下に古い水路が残っていると言ったでしょう?」

「ん? ああ」

「どちら?」


 リオンの表情が引き締まり、すぐにダリオへ視線を向けた。


「地下水路の図面、残ってるか?」

「確認できます」

「いや、待て。ここの北東に入り口があったはずだ」

「ご存じなの?」

「昔、この辺一帯の再整備案が出たことがある。結局使われなかったけど、そのとき資料は見た。……この壁の向こう側が、ちょうど北東だ」


 迷いなく答えたあと、壁の向こう側へ目を向ける。

 ダリオも周囲を見回したあと、頷いた。


「確かに、図面上ではその方向だったはずです」

「なら……この流れの先に、水路がある可能性が高いわ」

「行くか」

「ええ」


 すぐに答えると、リオンが一瞬だけ私を見た。


「俺より先に行くなよ」

「……まだ何もしていないでしょう?」

「先に言っとく」

「分かったわ」

「本当か?」

「昨日も言ったでしょう。私だって成長するのよ」

「それ聞くと、逆に不安になるんだよな」

「失礼ね」

「……殿下のお気持ちは少し分かります」


 不意にユアンが呟いた。


「ユアン?」

「いえ。何でもございません」

「お前まで何でもないって言うなよ」


 リオンが呆れたように返す。


 そんなやり取りを交わしながら、私たちは全員で水路へ向かった。


◇


 旧水路へ続く通路は、長い間使われていないことが一目で分かる状態だった。


 壁にはところどころ苔が生え、床には土埃が積もっている。


 奥へ進むにつれて空気は次第に冷たくなり、ふと私は足を止めた。


「……魔力を感じるわ」

「どっちだ?」

「前」


 微かだけれど、間違いない。

 先ほど壁面の術式から感じたものと、同じ種類の魔力だった。


 リオンがすぐに手を上げる。


「全員、警戒しろ」


 その一言で、先ほどまでの気安い空気が消えた。

 ダリオとユアンが同時に剣を抜き、他の騎士たちもそれに続いて、術師たちは杖を構える。


 その切り替えの速さに、私は少しだけ目を見張った。

 旅をしていた頃にも何度か見た姿だ。


 けれど、王太子となったリオンの一言で全員が迷いなく動くのを見ると、やはり以前とは少し違って見える。


「レティ。何かあったら、すぐ言え」

「ええ、分かっているわ」

「ユアン、レティの近くにいろ」

「承知しました」

「私には護衛が必要ないとは言わないけれど……」

「今回は黙って守られてください」


 ユアンにまで真顔で言われてしまった。


「……分かったわ」

「素直ですね」

「私だっていつも反論するわけではないわよ?」


 なぜかダリオがこちらを見た。


「何?」

「いえ」


 最近、周囲から「何でもない」と言われることが増えた気がする。


 さらに奥へ進むと、やがて通路が開け、小さな地下室へ出た。

 その中央に目を向けると、床一面に魔法式が刻まれていた。


「……これは」


 思わず息を呑んだ。


 昨日見たものよりずっと大きい。

 けれど構造は同じで、壁面の術式から送られた魔力を受け取り、さらに別の場所へ分けるためのものだった。


「……中継地点ね」

「まだ先があるってことか?」

「たぶん」


 私は床の術式を目で追った。

 一つ、二つ、三つ――魔力の流れは、複数の方向へ分かれていた。


「もし同じものが他にもあるなら……」

「王都の地下に、何個も繋がってる可能性がある?」

「ええ」


 以前の事件で王城に仕掛けられていた、あの巨大な術式を思い出し、背筋が冷たくなる。


 もし、あれだけで終わっていなかったのだとしたら。


「これ、いつからあると思う?」

「分からない。でも、かなり古いわ。ただ……最近、魔力が流れた形跡がある」

「最近?」

「ええ」


 表面に残る魔力は微かだったけれど、完全に枯れてはいない。


 同行していた術師が口を開いた。


「先ほど壁面の術式で感じたものと同じです。やはり繋がっているのかもしれません」

「そうね」


 私は慎重にもう少しだけ近づいた。


「レティ」

「触らないわよ」

「ならいい」

「そこまで信用がないの?」

「ない」

「即答しないで」

「……レティシア様」


 今度はユアンの声だった。


「ユアンまで?」

「殿下に同意いたします」

「どうして?」

「以前も、危険だと分かっている場所で迷いなく術式へ近づいておられましたので」

「必要だったからよ」

「そう仰ると思いました」

「…………」


 どうやら味方はいないらしい。


 そう思って振り返った、そのときだった。

 低い音が、地下室の中に響いた。


「……え?」


 床の一部が淡く光ったかと思うと、次の瞬間、魔力が一気に術式へ流れ込んだ。


「下がれ!」


 リオンの声が響くと同時に、ダリオとユアンが私たちの前へ出て、私もすぐに後ろへ下がった。

 けれど、術式の中央から流れ出した魔力は、すでに複数の分岐へ向かって走り始めていた。


「まずいわ」

「レティ?」

「このまま流れたら、先にある術式まで起動するかもしれない!」

「止められるか?」


 瞬間的に考える。


 術式を壊すだけなら難しくない。

 ただ、今どこへ繋がっているのか分からない。無理に破壊すれば、すでに流れている魔力がどこかへ逆流する可能性もある。


「流れを一度、中央に戻せれば」

「できるのか?」

「やってみるわ」

「待て」


 リオンが手を伸ばし、それとほぼ同時にすぐ傍にいたユアンも私へ手を伸ばした。


 けれど私は、そのどちらよりも一瞬早く動き、術式の中央へ一歩踏み込んだ。


「レティ!」

「レティシア様!」


 白銀の魔力を広げ、流れ込んでくる魔力に自分の魔力を重ねた。

 けれど、その力は思っていた以上に強かった。


「……っ」

「レティ!」

「大丈夫!」

「お前の大丈夫は――」

「今は本当に大丈夫!」


 声を上げながら術式の流れを読み、外へ向かっている魔力を中央へ戻していく。


 一本。

 二本。

 あと――


「右側!」

「何?」

「右の分岐だけ、光が強い!」


 言われて視線を向けると、確かに私からは見えにくい位置にある分岐へ、魔力が集中していた。


「そこを止めればいいのか?」

「待って、触らないで!」

「触らねぇよ。指示しろ!」


 その言葉に、一瞬だけ息を呑んだ。


 私一人で止める、そう考えていた。


 けれど、ここにはリオンがいる。

 術師たちも、ダリオも、ユアンもいる。


「……術師の方!」

「はい!」

「右側の分岐へ、外側から魔力を流してください。逆向きに!」

「承知しました!」

「リオン、中央より左を見ていて。光が強くなったら教えて」

「分かった!」

「ダリオとユアンは、周囲に新しく起動する術式がないか見て!」

「承知しました!」

「お任せください!」


 すぐに全員が動いた。

 術師が逆方向から魔力を流す。


「左、来るぞ!」

「ええ!」

「こちらは異常ありません!」


 ダリオの声に続いて、ユアンも奥の様子を確認する。


「奥も変化なしです!」


 私は魔力を広げた。

 乱れていた流れが少しずつ整い、やがて中央へ集まっていく。


「今です!」


 一気に魔力を浄化すると、白銀の光が地下室いっぱいに広がり、眩しさに思わず目を閉じた。


 やがて光が消え、静けさが戻る。

 床に刻まれていた術式は、もう光っていなかった。


「……止まった」


 思わず息を吐く。


 これなら、少なくとも今すぐ別の場所へ魔力が流れることはない。


「レティ」


 名前を呼ばれ、私は振り返った。


「大丈夫よ。間に合って――」

「ふざけんな!」


 地下室にリオンの声が響いた瞬間、思わず身体が固まった。

 ダリオとユアンも動きを止める。


 目の前のリオンは、これまで見たこともないほど怒っていた。


「リオン?」

「何が大丈夫だ!」

「でも、止められたでしょう?」

「そういう話してんじゃねぇ!」


 周囲の空気が、一瞬で張り詰める。


 騎士たちも術師たちも、何も言わない。

 ユアンが一瞬こちらへ歩み寄ろうとしたけれど、ダリオが無言で片手を上げて制した。


 リオンがここまで怒る姿を、私もほとんど見たことがなかった。


「お前、俺が止める前に中入っただろ!」

「……あのときは、すぐ止めないと――」

「分かってる!止めなきゃまずかったのも、お前が一番早く動けたのも分かってる!」

「なら――」

「それでも嫌なんだよ!」


 リオンの声は、怒りだけでは説明できないほど震えていた。


「お前が危ねぇのが嫌なんだ!」

「え……?」

「俺もいた。術師もいた。ダリオもユアンもいた。なのに何で最初に一人で突っ込むんだよ」

「……それは」

「自分ならできるって思ったんだろ」


 その通りだったから、何も言えない。


「お前ができるのは分かってる。誰より魔法に詳しいのも、ああいうとき動けるのも知ってる」

「…………」

「でも、それと一人で全部やるのは違うだろ」


 胸の奥に、何かが刺さる。


 私はもう、何もかも背負わなければならないとは思っていない。

 自分にできることがあり、それをしたいと思ったときにする――そう決めたはずだった。


 けれど、さっき術式が動いた瞬間、私は考えるより先に、自分が止めなければと思っていた。


 周りに誰がいるのか、誰に何ができるのか。

 そこまで考える前に。


「……ごめんなさい」


 素直に言葉にすると、リオンは何も言わず、しばらく私を見つめていた。


「私、止めることしか考えていなかったわ」

「…………」

「自分なら止められると思ったから。それで……周りを見るのを忘れていたの。……心配をかけて、ごめんなさい」

「……レティ」

「次からは、ちゃんと考えるわ。一人でやる必要がないなら、ちゃんと頼る」


 自分だけで動く前に、そこに誰がいるのか、頼れる人がいるのかを考える。


 リオンの表情は少しだけ緩んだものの、まだ眉は寄ったままだった。


「……俺も悪かった」

「え?」

「怒鳴りすぎた」

「いいえ」

「いや。言い方は悪かった」


 リオンは短く息を吐き、そしてまっすぐ私を見る。


「でもお前が危ねぇのが嫌なのは、本心だから」

「…………」

「そこは忘れんなよ」


 その言葉を聞いて、私はしばらく黙った。

 胸の奥に、じんわりと熱が広がっていく。


「……こんなふうに言われたの、初めてだわ」

「何が?」

「私が危ないのが嫌だって」


 リオンの目が、わずかに見開かれた。

 そんなことを言われるとは思っていなかったような顔だった。


「無茶をするなと言われたことはあるわ。危ないことをするな、とも」


 アルバート殿下にも、アンナにも、ルーカスにも、心配されたことがないわけではない。


「でも――ここまで怒られたのは初めて」

「……悪かったって」

「違うの。だから、分かったの」

「何が?」

「そんなに心配してくれていたのね」

「…………」


 リオンが黙り込む。


 少し離れたところでは、ユアンが大きく頷きかけ、それをダリオが静かに止めていた。


 私はそんな二人には気づかないまま、もう一度リオンを見る。


「心配をかけて、ごめんなさい。それと、ありがとう。私のことを、そこまで大事に思ってくれて」

「レティ、お前……」

「何?」

「…………」


 リオンは何か言いかけたものの、珍しく言葉を探すように黙り込んだ。


「どうしたの?」

「いや……もういい」


 リオンは片手で顔を覆い、そのまま深く息を吐いた。


「今日のお前、本当に容赦ねぇな」

「何の話?」

「何でもねぇ」


 さっきまであれほど怒っていたのに、今は耳が少し赤い。

 不思議に思いながら見ていると、リオンが顔を上げた。


「とにかく。次から一人で突っ込むな」

「ええ。分かったわ」

「絶対だぞ」

「努力する」

「そこは約束しろ!」

「……約束するわ」

「よし」


 ようやく満足したらしいリオンを見て、私も少し笑った。


 ふと周囲を見ると、なぜか誰もこちらを見ていない。

 騎士たちは壁の方を確認し、術師たちも先ほど止まった術式を必要以上に熱心に調べている。


 ユアンまで同じ場所を何度も確認していて、ダリオに至ってはこちらへ完全に背を向けていた。


(……皆さん、仕事熱心なのね)


 少し不思議だったけれど、今はそれよりも、調べなければならないことがある。


「この術式、まだ先がありそうね」

「ああ。今日はここまでにする。これ以上、無理に奥へ進む必要はねぇ」

「賛成よ」

「……本当か?」

「約束したばかりでしょう?」

「ならいい」


 今度こそ、リオンの表情がやわらぎ、いつものように笑った。

 その顔を見て、私もようやく少しだけ肩の力を抜いた。


◇


 必要な記録を取り終え、私たちは施設を出た。


 長く地下にいたせいか、地上へ出た瞬間、午後の日差しがやけに眩しく感じられた。


「明るい……」

「ずっと地下にいたからな」


 思わず目を細める。


 少し後ろでは、ダリオが術師たちと調査結果を確認し、ユアンは周囲へ目を配りながら、変わらず護衛に徹していた。


 そして、隣にはリオンがいる。


「レティ。さっきの……ちゃんと忘れんなよ」

「心配をかけないこと?」

「それもだけど」


 リオンが少しだけ視線を逸らした。

 その横顔は、どこか照れくさそうに見える。


「お前が危ないのが嫌だってやつ」

「ええ。忘れないわ」

「ならいい」

「リオンも、一人で何でも背負わないでね」

「…………」

「お互い様でしょう?」

「…………そうだな」


 リオンが笑い、つられるように私も笑った。


 半年前、一緒に旅をしていた頃の私たちは、互いに何かを背負おうとしていた。


 リオンは弟君を守るために。

 私は、自分にできることなら何でもしなければならないと思って。


 けれど、今は少し違う。


 できることはする。

 それでも、一人で何もかも背負う必要はないのだと、少しずつ思えるようになった。


 そして、それを忘れそうになったとき、こうして思い出させてくれる人が隣にいることを、私は少し嬉しく思った。





【おまけ】

「……行かれましたね」

「ああ」


王太子殿下とレティシア様が並んで施設を出ていく姿を見送り、若い騎士が小さく息を吐いた。


「一時はどうなることかと思いました」

「殿下があそこまで怒るのは珍しいからな」


隣に立つダリオが答える。


「でも、途中から皆さん急に静かになりましたよね?」

「…………」


ダリオが若い騎士を見る。


「お前、分からなかったのか?」

「何がです?」

「途中から空気が変わっただろ」

「空気?変わりましたか?」

「……変わったんだよ」


若い騎士は少し考えた。


『お前が危ねぇのが嫌なんだよ』

『心配をかけて、ごめんなさい。それと、ありがとう。私のことを、そこまで大事に思ってくれて』


「…………ああ」


ようやく何かに気づいたらしい。


「こういうときは気配を消さなくてはならない」

「……でも、こういうときは気配を消せ、なんて訓練では習ってません」

「当たり前だ」

「では、どうやって判断するんです?」

「これは習うもんじゃない。慣れるんだ」

「慣れる……」

「……いや」


ダリオは少し考え、言い直した。


「察するんだ」

「…………」

「そのうち分かる」


若い騎士は、遠い目をした。


「……騎士って、大変なんですね」

「そうだな。だが、それができてこそ一人前の騎士になれる」

「僕、頑張ります!!」

「……その心意気だ」



――そんな会話が、あったとか、なかったとか。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。