第2話 いろんなリオン
ヴァルガード王国へ足を踏み入れるのは、これで二度目だった。
けれど、以前とは何もかもが違っている。
前にこの国を訪れたとき、私は各地で起きていた異変を追っていた。
誰が敵なのかも分からないまま王都へ入り、人目を避けるように行動し、最後には王城の地下に仕掛けられた巨大な術式へと辿り着いた。
あの頃は目の前のことに必死で、この国をゆっくり眺める余裕などほとんどなかったのだと思う。
けれど、今回は違う。
私はフィオーレ王国から正式に派遣された調査協力者として、王家の紋章が刻まれた馬車に揺られていた。
窓の外へ目を向けると、以前にも見た大きな城壁が、少しずつ近づいてくる。
「懐かしいですね」
向かいに座るアンナが、私と同じように窓の外を眺めながら微笑んだ。
「ええ。半年くらいしか経っていないのに、もっと前のことみたい」
「色々ありましたから」
「本当にね」
あのときの私は、これから自分がどうしたいのかさえ分かっていなかった。
フィオーレへ戻るのか。
旅を続けるのか。
これから、どこでどう生きていくのか。
何も決められないまま、それでも今すぐ答えを出す必要はないのだと、ようやく思えるようになった頃だった。
けれど今は、少し違う。
少なくとも仕事については、自分で選んだ。
今回ここへ来たのも、自分が引き受けると決めたからだ。
「お嬢様、楽しそうでございますね」
「……そう見える?」
「はい」
あまりにも迷いのない返事に、私は思わず姿勢を正した。
それから何事もなかったように、再び窓の外へ目を向ける。
ヴァルガードの王都は、以前と変わらずフィオーレよりも重厚な印象を与えていた。
石造りの建物が多く、通りには剣を携えた人の姿も珍しくない。
建国記念祭の頃のような華やかな飾りがないことを除けば、街の様子は大きく変わっていなかった。
それでも、道沿いには見覚えのない店がいくつか増えている。
その光景を眺めているうちに、ふとリオンの手紙を思い出した。
新しくできた菓子屋。
何の動物なのか分からない妙な置物。
(……どこなのかしら)
無意識に店先を目で追っていたところで、アンナの視線に気づいた。
「……なに?」
「いいえ」
「またそれ?」
「何も申し上げておりません」
微笑んでいる時点で、絶対に何か思っている。
けれど、それを問い詰める前に馬車の速度がゆっくりと落ちた。
王城へ着いたらしい。
窓の向こうには、以前にも見た巨大な城がそびえている。
あのときは隠し通路を使ったり、地下へ潜ったりと、随分と普通ではない入り方ばかりしていた。
正面から堂々と入るのは、考えてみれば初めてかもしれない。
やがて馬車が完全に止まり、外から扉が開かれた。
「到着いたしました」
「ありがとう」
そう答え、アンナに続いて馬車から降りようとしたときだった。
「レティ」
「え?」
聞き慣れた声に、顔を上げる。
そして私は、思わず目を瞬いた。
「……リオンさん?どうしてここにいるの?」
「出迎えだ」
「あなたが?」
「何だよ、その反応」
「だって……お忙しいのでしょう?」
「まぁ忙しいけど」
「それなのに、わざわざ?」
尋ねると、リオンは本当に不思議そうに眉を寄せた。
「会いたかったからに決まってんだろ」
「…………」
あまりにも当然のように返されて、一瞬言葉が出なくなった。
リオンはそんな私を見て首を傾げる。
「お前も会えたら嬉しいって書いてただろ」
「……書いたわ」
「じゃあいいだろ」
「そういう問題なの?」
「他に何があんだよ」
何もないような気もする。
けれど、何か違うような気もする。
答えに困っていると、リオンが私を上から下まで一度見た。
「元気そうだな」
「手紙にもそう書いていたでしょう?」
「手紙じゃ顔色までは分かんねぇだろ」
「半年ぶりに会って、最初に確認することがそれなの?」
「他に何があるんだよ」
先ほどとまったく同じことを言われ、私は思わず笑ってしまった。
「リオンさんも元気そうね」
「ああ。見ての通り」
そう言って、リオンも笑った。
その顔を見た瞬間、来てよかった、という言葉が不意に頭へ浮かんだ。
もちろん仕事で来たのだけれど、それでも、こうして顔を見ることができて嬉しい。
「殿下」
そのとき、背後から控えめな声が飛んだ。
声の主は、以前にも何度も顔を合わせたことのあるリオンの護衛――ダリオだった。
リオンの表情がわずかに曇る。
「……何だよ」
「お時間です」
「分かってる」
「次の会議がございますので」
「分かってるって」
ダリオがちらりと私を見る。
それから、どこか申し訳なさそうに頭を下げた。
「レティシア様、お久しぶりです。長旅のところ申し訳ございません。殿下はこのあと予定が詰まっておりまして」
「そうなのですか?」
「はい。本日の午前中に予定されていた案件をかなり前倒しで――」
「おい」
リオンの低い声が割って入ると、ダリオは一度口を閉じた。
私は思わずリオンを見てしまう。
「前倒し?」
「何でもねぇ」
「何でもないとは思えないけれど」
「気にすんな」
「殿下がレティシア様のご到着に間に合わせるために、朝から――」
「ダリオ!」
珍しく慌てたリオンの声に、私は瞬きをした。
名前を呼ばれた本人は、何事もなかったような顔をしている。
「……もしかして」
「違う」
「まだ何も言っていないわ」
「顔見りゃ分かる」
「私を出迎えるために、仕事を急いだの?」
「…………」
……黙った。これは肯定なのだろう。
「そこまでしなくてもよかったのに」
「俺がしたかったんだからいいんだよ」
「でも――」
「レティ」
少しだけ低い声で名前を呼ばれる。
けれど、その目は穏やかだった。
「半年ぶりなんだぞ。顔くらい見に来させろ」
「…………」
そう言われてしまえば、もう何も返せなかった。
「……ありがとう」
素直にそう言うと、リオンの目が少しだけ丸くなった。
それから、嬉しそうに目を細めた。
「おう」
「殿下」
「今行くって」
「今すぐでございます」
「うるせぇな」
リオンが盛大にため息を吐く。
「夕方の打ち合わせ、俺も出るから」
「リオンも?」
「ああ。今回の件は前の事件と繋がってる可能性があるからな。国として把握しとく必要がある」
「分かったわ」
「それまで休んどけよ」
「まだ何もしていないわ」
「長旅してきただろ」
「馬車に乗っていただけよ」
「そういうところだぞ」
「何が?」
「もういい」
呆れたように息を吐き、リオンはようやくダリオの方へ向き直った。
「じゃあ行くぞ」
「最初からそう申し上げております」
「お前、今日うるせぇな」
「本日は、でしょうか?」
「……毎日だな」
「でしたら、今さらでございますね」
「お前な……」
そんな会話をしながら歩いていく二人の背中を見送る。
すると隣で、アンナが小さく笑った。
「愛されていらっしゃいますね」
「……アンナ?」
「何でもございません」
「絶対何でもなくないでしょう」
けれどアンナは、それ以上何も言わなかった。
◇
部屋で少し休んだあと、私は今回の調査を担当する文官に案内され、会議室へ向かった。
すでに何人かの術師や役人が集まっている。
そして、その中央にリオンがいた。
「北部の件は?」
「昨日、追加の報告が届いております」
「被害は」
「今のところ拡大しておりません。ただ、念のため周辺地域への注意喚起を――」
「出しとけ。何か起きてからじゃ遅い」
「承知いたしました」
短く指示を飛ばし、次の書類へ目を通す。
「こっちは?」
「避難先についてですが、領主側から追加の費用負担について相談が」
「必要な分は出す。ただし内訳は確認しろ。前回みてぇに適当な数字を通すなよ」
「はい」
「現地の食料は?」
「一週間分は確保できております」
「なら次の輸送が止まった場合も考えて、もう少し余裕持たせろ」
私は思わず足を止めた。
先ほど出迎えに来たリオンとは、少し違う。
口調そのものは大きく変わらない。
けれど、判断が早い。
報告を聞き、必要なことを確認し、その場で次の指示を出している。
――『王太子になれば、できることが増える』
以前、リオンはそう話していた。
実際に人を動かし、お金を動かし、自分の決定で誰かの生活を支えている。
(……ちゃんと王太子なのね)
そんなことを考えた瞬間、リオンが顔を上げた。
「レティシア嬢。来てたのか」
「ええ。今、参りました」
仕事の場でだけこう呼ばれることにも、いつの間にか慣れていた。
「じゃあ始めるか」
机の上に広がっていた書類を傍らの文官へ渡し、今度は私のために用意されていた資料へ手を伸ばす。
さすが、切り替えが早い。
仕事中のリオンを見る機会は、これまでにもあった。
けれど旅をしていた頃は、何かが起きれば一緒に動いていたし、フィオーレへ外交に来たときには、アルバート殿下と言い合っている姿の方が印象に残っている。
こうして彼の国で、王太子として仕事をしている姿をゆっくり見るのは初めてだった。
今回見つかった術式は、王都から少し離れた旧施設の地下に残されていたものだった。
以前の事件で使われた術式とよく似ている。
けれど、一部だけ構造が違った。
「発動した形跡は?」
資料を確認しながら尋ねる。
「今のところ確認されておりません」
「残留魔力は?」
「微量ですが残っています。ただ、以前の事件の残滓なのか、新たに流されたものなのかが判断できず」
「術式そのものは?」
「一部が欠損しております」
机の上へ広げられた写しを見る。
魔力を集め、別の場所へ流す。
以前、王城の地下で見た巨大術式と似ている。
けれど、まったく同じではない。
そこで、気になる箇所を指先で示した。
「……ここ。この分岐は、以前のものにはありませんでした」
「分かるのか?」
「ええ。以前の術式は、集めた魔力を中心へ向かわせる構造になっていたでしょう? でもこれは逆です」
「逆?」
「中心から外側へ流しているように見えます」
その言葉を境に、部屋の空気が少し変わった。
担当の術師が資料を覗き込む。
「では、魔力を集めるためのものではないと?」
「少なくとも、この部分だけを見れば。……ただ、写しだけでは判断できません。欠損している部分も多いですし、残っている魔力の流れは実際に現地で確認した方がいいと思います」
「危険は?」
「今のところ、発動した形跡はないのでしょう?」
「そう聞いてる」
「でしたら、調べなければ危険かどうかも分からないわ」
「そういう答えが返ってくると思った」
リオンが眉間を押さえる。
「何?」
「明日は俺の部下もつける」
「必要ありません。調査員の方々がいらっしゃるのでしょう?」
「何かあったときのためだ」
「人数が増えるだけでは?」
「レティ」
少し低い声で名前を呼ばれる。
反論しようとして、やめた。
旅をしていた頃にも、似たようなやり取りを何度しただろう。
「……分かったわ」
「妙に素直だな」
「私だって成長するのよ」
「本当か?」
「失礼ね」
そう返すと、向かいに座っていた文官が小さく咳払いをした。
そこでようやく、周囲から見られていることに気づいた。
「……すみません」
「い、いえ」
文官はなぜか笑いを堪えるような顔で首を振る。
その隣の術師も、妙に真剣な顔で手元の資料へ視線を落としていた。
リオンはまったく気にしていない。
ふとダリオを見ると、こちらも何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ視線を逸らされた気がした。
「じゃあ明日、現地を見てからだな」
「ええ」
それからもいくつか確認を続け、打ち合わせは予定どおり終わった。
資料をまとめながら、私はふと隣を見る。
リオンはすでに別の文官から書類を受け取っていた。
「殿下、先ほどの件ですが」
「ああ。見せろ」
また王太子の顔に戻っている。
先ほどまで私の無茶について眉を寄せていた人と同じなのに、どこか不思議だった。
◇
その日の夜。
フィオーレから来た調査協力者を迎えるため、王城では小さな晩餐の席が用意されていた。
あくまで今回の調査に関わる者や、王家に近しい一部の貴族だけが集まる簡単なものらしい。
とはいえ、私もエトワール公爵家の娘だ。
仕事で来たからといって、最低限の社交まで避けるわけにはいかない。
ドレスの最後の皺を整えながら、アンナが言った。
「久しぶりにこういう格好をしましたね」
「仕事に来ただけなのだけれど」
「お嬢様は公爵令嬢でもございますので」
「便利なような、不便なような立場ね」
「どちらも使いようでは?」
そう言われ、少し笑った。
以前なら、公爵令嬢なのだから出席しなければならない、と考えていただろう。
でも今は違う。
嫌なら断ることもできたが、それでも参加すると決めたのは私だ。
「行きましょうか」
「はい」
会場へ入ると、すでに多くの人が集まっていた。
調査に関わる文官や術師。
王都の有力貴族。
そして、その家族らしい若い令嬢たち。
その中心に、リオンがいる。
「本日はお越しいただきありがとうございます」
穏やかな声が聞こえ、私は思わず足を止める。
昼間、仕事をしていたときとも少し違う。
背筋を伸ばし、柔らかな笑みを浮かべ、誰に対しても丁寧に言葉を返している。
「リオネル殿下、お久しぶりでございます」
一人の令嬢が華やかな笑みを浮かべて声を掛けた。
「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
「まあ。覚えていてくださいましたの?」
「もちろんです」
「先日の夜会では、ほとんどお話しできませんでしたもの。今夜こそ少しお時間をいただけます?」
「申し訳ありません。今夜はフィオーレからのお客様をお迎えする側ですので」
口元には完璧な微笑みを浮かべたまま、やんわりとかわしている。
「また機会がございましたら」
「ええ。ぜひ」
「…………」
私はその光景を見つめた。
あれが王族として正しい振る舞いなのだと知っている。
アルバート殿下だって、公式の席では誰に対しても失礼なく、適度に親しげに振る舞いながら、決して踏み込みすぎない距離を保っていた。
それなのに、目の前にいるのが本当にリオンなのかと、妙な違和感を覚えてしまう。
(……本当にリオンさんなのよね?)
「お嬢様」
「分かっているわ」
「まだ何も申し上げておりませんが」
「顔に書いてあったわ」
「失礼いたしました」
アンナが笑いを堪えている。
昼間、王城へ着いたときにはあれほど遠慮なく話していた人が、今は別人のようだった。
「まあ、エトワール公爵令嬢」
声を掛けられ、私はそちらへ向き直る。
挨拶を交わし、今回の仕事について少し話す。
そうして何人かと会話をしているうちに、いつの間にかリオンの姿を見失った。
別に、探していたわけではない。
ただ――
「レティ」
不意に、すぐ近くから名前を呼ばれた。
振り返ると、リオンがこちらを見ていた。
なぜか、それだけで少し安心する。
「いつの間にこちらへ?」
「今」
「そう」
「ちゃんと食ってるか?」
「…………何ですか、急に」
「さっきから話してばっかで全然食ってねぇだろ」
「見ていたの?」
「見える位置にいたからな」
そう言って、リオンが私の手元を見る。
確かに、手にしているのはグラスだけだった。
「昼も長旅だから休めと言っていましたよね?」
「それとこれとは別だろ」
「何が違うの?」
「全部」
「分からないわ」
「いいから食え」
そう言いながら、近くの給仕から小皿を受け取って私へ差し出してくる。
「これならお前好きだろ」
「……どうして分かるの?」
「前食ってたじゃん」
「覚えているの?」
「それくらい覚えてる」
当然のように言われる。
その横顔を見つめているうちに、ふと先ほどの光景が頭に浮かんだ。
令嬢たちへ向けていた綺麗な笑顔とは、どこか違う。
今のリオンは、目元も声もずっと柔らかく、私と話しているときの方が力が抜けているように見えた。
「……何だ?」
「いえ」
「また何か考えてるだろ」
「少しだけ」
「珍しく認めたな」
「最近は、思ったことをきちんと言うようにしているの」
「それはいいことじゃねぇの」
「そうね」
言いながら、私はもう一度だけリオンの顔を見た。
さっきまで令嬢たちへ向けていた完璧な笑顔とは違う、私の知っている顔だった。
◇
「だから、それ明日に回せって言ってんだろ」
歓迎の席を終え、用意された部屋へ戻る途中、長い廊下を歩いていると、少し先から声が聞こえてきた。
そこには、ダリオをはじめとした数人に囲まれ、何やら言い合っているリオンの姿があった。
「ですが殿下、こちらの決裁だけでも」
「置いとけ。あとで見る」
「あとで、とは?」
「あとでだよ」
「殿下の『あとで』ほど信用できないものはございません」
「うるせぇな」
「本日も朝から予定を勝手に前倒しなさった方に言われたくありません」
「終わらせただろ」
「我々がどれほど走ったと?」
「悪かったって」
「まったく反省しておられない顔ですね」
「細けぇな」
思わず足が止まった。
(……ダリオたちにも、あんな感じなのね)
考えてみれば当然だった。
旅の途中で合流したときにも、リオンは彼らと随分と気安く話していた。
手紙の中のぶっきらぼうな言葉も、私に向かって遠慮なく話す口調も、親しい相手には同じようなものなのだろう。
(……そうよね)
長い付き合いなのだから、当然だ。
「レティ?」
名前を呼ばれて顔を上げると、リオンと目が合った。
「何してんだ?」
「部屋へ戻るところよ」
「そうか」
その瞬間、それまでダリオたちへ向けていた少し険しい表情が、ふっと緩んだ。
「疲れたか?」
「……少しだけ」
「珍しく正直だな」
「そう?」
「前なら大丈夫って言ってただろ」
「……そうだったかもしれないわね」
私は、その顔をじっと見た。
さっきまでダリオたちと話していたときとは、やはりどこか違って見える。
「何だよ」
「……やっぱり違うわね」
「何が?」
リオンが首を傾げるのを見て、私はどう説明すればいいのか少し考えた。
仕事中は、誰に対しても迷いなく指示を出し、人を動かす王太子だった。
歓迎の席では、誰に対しても穏やかな笑みを浮かべるリオネル殿下で、気心の知れたダリオたちとは遠慮なく言い合っていた。
そして今、私の前にいるリオンは、そのどれとも少し違って見える。
もちろん、どれも同じリオンだ。
それでも、相手や場所によって見せる顔が少しずつ違うのだと、今日になってようやく気づいた。
「今日、いろんなリオンさんを見たの」
「いろんな俺?」
「ええ」
「俺は一人だけど」
「そういう意味ではなくて」
真面目な顔でそんなことを言うリオンが可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「……つーか。前から思ってたけど、その『さん』、もういらねぇだろ」
「さん?」
「リオンさん、の『さん』」
「でも、ずっとそう呼んでいたでしょう?」
「だからって、いつまでもそのままじゃなくていいだろ。リオンでいい」
「……そう?」
「ああ」
そこまで言われて、私は少しだけ考えた。
「……リオン」
一瞬、リオンが黙る。
「何?」
「……いや。何でもねぇ」
そう言いながら、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「それでね」
「おう」
「仕事をしているときは、思っていたよりずっと王太子らしかったわ」
「……思っていたよりって何だよ」
「歓迎の席では、誰にでも綺麗に笑うのね」
その瞬間、リオンがわずかに目を逸らした。
いつもより少しだけ、照れたような表情に見える。
「……そこ見てたのかよ」
「ええ。ずいぶん上手だったわ」
「褒めてんのか、それ」
「褒めているつもりだけれど」
「……あれは仕事だろ」
どこか居心地が悪そうにそう言ってから、リオンは小さく息を吐いた。
「ダリオたちとは、私と話すときと同じくらい遠慮がないし」
「長ぇ付き合いだからな」
「そうでしょうね」
一つずつ口にしているうちに、自分の中で何かがきれいに整理されていく。
私は旅をしていた頃から、リオンのことをよく知っているつもりだった。
けれど今日、知らない顔をいくつも見た。
それで分かったこともある。
「でも」
「ん?」
目の前のリオンを見る。
私が疲れていないか気にかけ、無茶をすれば何度でも止めて、くだらないことで言い合ったあとには、こうして自然に笑っている。
そんなリオンの姿は、私にとって一番馴染み深いものだった。
そして――
「私は、一番このリオンが好きだなと思っただけ」
「…………」
リオンは、文字どおりぴたりと動きを止めた。
目まで見開いていて、本気で驚いているのが分かる。
「リオン?」
「…………」
けれど、呼びかけてもすぐには返事が返ってこなかった。
「どうしたの?」
「…………」
そんなに驚くようなことを言っただろうか。
でも、今日一日いろいろなリオンを見た結果、本当にそう思ったのだから仕方がない。
王太子として仕事をする姿も、社交の場できちんと振る舞う姿も、ダリオたちと気安く話す姿も、どれもリオンの一部なのだろう。
それでも私は、私と話しているときのリオンが、一番好きだった。
(……うん。やっぱりそうね)
改めて考えてみても、答えは変わらない。
きちんと言葉にできたことで、不思議と少しすっきりした。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「…………」
一礼して歩き出そうとしたところで、さすがに気になって振り返る。
「リオン?」
「……お」
「お?」
「……お、おやすみ」
珍しく少しだけ詰まった返事に、私は首を傾げた。
「ええ。おやすみなさい」
今度こそ、アンナとともに部屋へ向かう。
背後を振り返ることはしなかった。
だから、その場に残されたリオンが、私の姿が見えなくなったあともしばらく一歩も動かなかったことを、私は知らなかった。
【おまけ】
「殿下」
「…………」
「殿下」
「……何だ」
ようやく返事をしたリオンへ、ダリオが静かに視線を向ける。
「……いえ」
「なんだよ」
「何でもありません」
「だったら呼ぶな」
「申し訳ありません」
「…………」
「…………」
「ダリオ」
「はい」
「……今、話しかけんな」
「承知いたしました」
ダリオはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ口元が緩んでいたことに、リオンは気づかなかった。




