旅の仲間は勇者になっていた
「……勇者ルーク様は……建国後は善政に努め……」
この国の歴史を教えに来たとかいう長老の話を、アイリスは上の空で聞いていた。
エヴァンに連れられるまま王宮へ移されてから、気づけばもう数日が経っている。
自分が眠ってから本当に百年も経っているのか。まずはそれを確かめたかった。聖堂で聞かされたことも、王宮で振る舞われる扱いも、あまりに現実離れしている。何らかの目的で、エヴァンが手の込んだ芝居を打っている可能性だって、なくはないのだ。
けれど、今すぐ王宮を出て行くわけにもいかなかった。
目覚めたとき、アイリスはすでに聖女らしい白い衣装を着せられていた。眠りにつく前に着ていた服はどこにもない。内ポケットに忍ばせていた、もしものときの路銀も一緒に消えていた。
もしここが本当に百年後の世界なら、自分は今無一文。この国の貨幣が昔と同じかどうかすらわからない。
——とりあえず、城にいる限りは三食出る。今は大人しく情報を集めるしかないよね。
そう自分に言い聞かせながら、アイリスは長老の話に耳を傾けるふりをした。
どうやらこの国は、かつてアイリスと共に瘴気を浄化する旅に出た、護衛騎士のルークが建国した国らしい。
アイリスの記憶の中のルークは、いつも飄々としていた。国王になるような大それた野望を抱くような人間には、とても見えなかったのだが。
アイリスは、ぼんやりとかつての旅を思い出す。
*****
人っ子一人いない荒野を、二人分の足音だけが響いていた。
アイリスの隣を歩くルークは、癖の強い黒髪を無造作に後ろで結び、日に焼けた肌に琥珀色の瞳を持つ男だった。鎧ではなく革の胸当てに旅用のマントを羽織っただけの軽装で、腰には長剣を一本差している。垂れ気味の目元のせいか、剣を持っていてもどこか柔和な印象を与える。
二人の目的は、この地域のどこかにあるはずの、魔界との境界の間に生じたほころびを探すことだ。そのほころびから瘴気が漏れ出て、すでに地域一帯を覆い尽くすほどに広がっている。二人は、瘴気が濃くなる方角を頼りに、そのほころびを探し当てるため、荒野を歩き続けていた。
二人が旅に出たのはまだ数日前のことだ。とはいえ、初対面というわけではない。共に教会が運営する孤児院の出身だった。
もっとも、アイリスは聖女として、ルークは騎士として、それぞれ別の教育を受けていたため、顔を合わせる機会はそう多くなかった。それでも、三つ年上のルークが剣の稽古で汗を流している姿を、アイリスは遠目に何度も見たことがあった。年下の子どもたちにも気さくに声をかける、かっこいいお兄さんとして、当時からひそかに憧れていた相手だった。
そのおかげか、慣れない野営続きの初日から、二人の間に妙な気まずさはなかった。荷を下ろす合間にどちらからともなく軽口が飛び、それに気の抜けた笑いが返ってくる。それだけのことが、やけに自然だった。
「お互い、貧乏くじを引かされましたね」
アイリスがぼやくと、ルークはきょとんとした顔でこちらを見た。
「えっ、そうなの?」
「こんな人っ子一人いない荒野を、1カ月分の食料を背負って歩かされるんですよ?どこかもわからない瘴気が漏れ出ているところを探せって言われて」
「うーん、たしかに荷物は重いけど……でも、瘴気がひどすぎて盗賊も出ないから、本当にただ歩くだけで済んでるのはよかった。浄化のスキル持ちのアイリスと、瘴気耐性のスキル持ちの僕を行かせるなんて、教会もうまいこと考えるね」
のんびりとした口調で、まるで感心したように言うルークに、アイリスは呆れた目を向けた。
「感心してる場合じゃないですよ。知ってます?教会は今回の浄化が成功したら、もともとこの地方を治めてたヴェルダン王国の国王から、土地をもらう約束をしてるらしいですよ。この地方を超えて瘴気が広がると困るから、瘴気を止められるなら安いもんだって」
「そうだったんだ。アイリスは物知りだね」
「教会なんて表向きいいこと言ってても中は銭ゲバの集まりなんですから、ホイホイ引き受けちゃって。で、その処理を私たち二人に押し付けてるんですよ?ルークさんももっと怒ったほうがいいです」
「でも僕は、それでもこの任務を任されたことがうれしいよ」
ルークはそう言って、遠くの荒れた大地に目を細めた。
「故郷を離れて、作物を育てる土地もなく、大変な目にあってる人をたくさん見てきたからね。土地が浄化されれば、みんな戻ってこられる」
その横顔には、いつもの飄々とした軽さとは違う、静かな真剣さがあった。アイリスは思わず口をつぐむ。
「……私も、親が死んじゃったのは瘴気が出て移住せざるを得なかったから、みたいなところがあるので、気持ちはわかりますよ?でもその気持ちにつけ込んで、元孤児二人にこんな大役を押し付けるなんて」
「教会は、儲けたら一部を僕たちみたいな孤児に使ってくれるからさ。まだ『マシ』じゃないか?」
「そうはそうですが~……」
ふくれ面をするアイリスに、ルークはなぜか嬉しそうに笑った。
「僕はここより少し先の村で生まれてね。昔はきれいな場所だったことをよく覚えてる。また戻れるとうれしいなぁ」
「私の故郷はもう少し先ですかねぇ。また、きれいにしましょう。教会にはちょっと恨みもあるけど、きれいになった村を見たい気持ちはみんな同じですよね」
そう言いながら、アイリスはふと隣を歩く男を見上げた。荷物を背負って軽い足取りで進むその姿は、この重い任務の重さなど何も感じていないみたいだった。
けれど、さっきの真剣な横顔を思い出すと、この人は誰よりもこの土地の未来を願っているのだと分かる。普段はのんびりして掴みどころがないのに、大事なところではまっすぐに優しい。そういうところが、昔からずっと好きだった。
——想いを告げることはできなかったけれど。
*****
「アイリス様、聞いていらっしゃいますか?」
長老の声で、アイリスは現実に引き戻された。目の前で長老がパンと本を閉じる。
窓の外はいつの間にか夕暮れに差しかかっていて、部屋の中に橙色の光が差し込んでいた。荒野を歩いていたはずの記憶の中の光景と、目の前の豪奢な調度品とのあまりの落差に、アイリスは一瞬、自分がどちらの時間にいるのか分からなくなる。
「失礼しました。少しぼんやりしていて」
「無理もございません。100年もの眠りから覚められたばかりなのですから」
長老は柔らかく笑うと、開いていたページに指を滑らせた。系図のようなものが記された古い紙面が、ちらりと目に入る。
「勇者ルーク様の子供の子供の、さらにそのまた子供、つまりひ孫が、あなた様が目覚めているのを発見したエヴァン様でございます」
——ひ孫、ね。そんなに時間が経ってたんだ。
ルークの子孫だとは聞いていた。けれど、ひ孫とまで具体的に聞かされたのは初めてだった。
思い返してみれば、エヴァンの垂れ気味の目元も、癖のある髪も、ルークを思い出させるものだった。血がつながっていると言われれば、そうなのだろうと頷ける。
けれど、ひ孫。
その言葉だけが、胸の奥に重く沈んだ。
あの荒野を並んで歩いていた男は、もうとうの昔にこの世にはいない。その血だけが、子に、孫に、ひ孫に受け継がれて、今も続いている。
百年という数字を聞かされたときよりも、ずっとはっきりと、その長さを思い知らされた気がした。
——好きだった人の、はるか遠い子孫に出会うなんて。そんな人生、想像してなかったよ。
込み上げる感情を持て余しながら、アイリスは表向きだけは平静を装って、小さく頷いた。
なろう異世界ファンタジーフェス! 2026用なので、10月13日までに完結予定です。
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