第86話 商人の流儀
「ヴァルガス商会の会長を、お招きしようと考えております」
セバス先生の言葉に、私は顔を上げた。
「ヴァルガスさんを?」
「はい。学校の運営について、ご協力いただけないかと」
机の上には、ノエルが絵を描いてくれた調査票が並んでいる。
読み書きや計算を覚えたい人。仕事が終わってからなら通えるという人。子供に勉強させたいという親御さん。集まった回答には、思っていた以上にいろいろな希望があった。
娘さんの書いた文字を、自分で読めるようになりたい。
そう話してくれた農夫さんの回答も、その中にある。
「でも先生、学校のお金ならココア商会で出せるよね?」
「ええ。コンクリート事業も順調でございますから、当面の費用は十分に賄えます」
「じゃあ、どうしてヴァルガスさんに?」
「お金だけでは、人は育てられませんので」
先生は調査票を一枚取り上げた。
「読み書きや算術であれば、教師を雇うことで対応できましょう。しかし、商人になりたい子供が現れたら、どうなさいますか?」
「商売の勉強もできたらいいよね」
「はい。帳簿の付け方や取引の進め方は、実際に商売をしている者から学ぶ方がよろしいでしょう。医術を志す者には医師が、職人を志す者には職人が必要になります」
「そっか。いろんな人に先生になってもらえばいいんだね!」
「ええ。ただし、協力をお願いする以上、相手にも利点が必要でございます」
「優秀な人を見つけられる、とか?」
「そのとおりでございます。商会にとって、将来を担う人材は大きな財産ですからな」
なるほど。学校で学んだ子が、いつかヴァルガス商会で働くかもしれない。そう考えれば、協力する理由もある。
「分かった。私も一緒にお話しする!」
「よろしいのですか?」
「うん! 学校を作りたいって言い出したのは私だもん。ちゃんと自分でお願いしたい!」
セバス先生は満足そうに微笑んだ。
「では、そのように手配いたしましょう」
◇
数日後、ヴァルガスさんがやって来た。
「ココア様。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「こんにちは、ヴァルガスさん!」
向かいの椅子に腰を下ろしたヴァルガスさんは、机に置かれた調査票を手に取った。
「ほう。ずいぶん面白いものをお作りになりましたな」
「ノエルが考えてくれたんです! 文字が苦手な人でも答えられるように、絵を使ってるの」
「なるほど。商売でも使えそうですな」
ヴァルガスさんは調査票をもう一度眺めてから、私に向き直った。
「それで、本日は学校についてのお話と伺いましたが」
「はい!」
私は少しだけ姿勢を正した。
「この領地に、誰でも勉強できる場所を作りたいんです」
「誰でも、ですか?」
「うん。子供でも大人でも、勉強したい人が来られるところ!」
「それは結構なことですな。しかし、なぜ学校を?」
「私ね、研究が好きなんです。知らないことを調べたり、試したりするのが楽しくて。作ったものが増えて、自分一人では扱えなくなったから、みんなに手伝ってもらうようになったんです」
「それが、今のココア商会につながったわけですな」
「はい。でも、私が研究できるのは、セバス先生にいろんなことを教えてもらえたからなんです。文字も計算も知らなかったら、本を読んで調べることだって難しかったと思うの」
私は調査票を指さした。
「この領地には、勉強したくても教えてくれる人がいない人もいるんです。それに、最近は子供も増えたでしょう? その子たちが大きくなったとき、いろんな仕事を選べたらいいなって」
「家の仕事を継ぐのではなく?」
「継ぎたいなら、それでもいいと思います。でも、例えば商人の家に生まれた子が、お医者さんに向いているかもしれないでしょう? 農家の子が商売の才能を持っているかもしれないし」
「確かに、家柄だけで才覚は分かりませんな」
「うん。それに、魔力が少ないからって、できることが何もないわけじゃないでしょう?」
ヴァルガスさんは、私を見た。
「……そうですな」
「学ぶ機会がなかったら、自分に何ができるのかも分からないままかもしれません。ほかの道を知らないから選べないのと、知ったうえで選ぶのは違いますよね?」
ヴァルガスさんは、しばらく私を見つめた。
「なるほど。ココア様のお考えは分かりました」
「それに、いろんな仕事ができる人が増えれば、領地のためにもなると思うんです。お医者さんが増えれば、病気になった人を助けられるし、商人や職人が増えれば、新しい仕事だって生まれるかもしれません」
「おっしゃるとおりですな」
ヴァルガスさんはうなずくと、セバス先生へ向き直った。
「では、商人としてお尋ねしましょう。我が商会には、どのような利益がございますかな?」
来た。
セバス先生が言っていた、相手にとっての利点だ。
「優秀な人材を、早く見つけられる機会が得られます」
先生は用意していた資料を差し出した。
「基礎教育はココア商会が中心となって支えます。その先、商売を学びたい者が現れた場合、ヴァルガス商会でも指導していただけないかと考えております」
「ほう。商売の見習いを育てるわけですな」
「はい。適性を示し、さらに学びたいと望む者には、各商会や機関が専門教育の費用を支援する仕組みも考えております」
ヴァルガスさんの目が細くなった。
「つまり、将来の働き手を育てるための投資ですか」
「そのようにお考えいただいて結構でございます」
「はっはっは! 青田刈りですな!」
ヴァルガスさんは膝を打った。
「それなら金を出す意味がある。商売の才覚は、実際に仕事をさせてみなければ分からんものです。若いうちから見つけて育てられるなら、十分な投資になりますな」
「ただし、一つ条件がございます」
セバス先生が続けた。
「学ぶ者の進路は、本人が決めることを原則といたします」
「ふむ。金を出して育てた者が、他所へ行くこともあるわけですな?」
「基礎教育については、そのとおりでございます」
私は二人の顔を見比べた。
「でも、もっと専門的な勉強をするために支援してもらうなら、先に約束するのはどうかな?」
「約束、ですか?」
「例えば、ヴァルガス商会で働きたい人が、商売を学ぶためのお金を支援してもらうの。その代わり、勉強が終わったら決めた期間はそこで働く。最初から条件が分かっていれば、自分で選べるでしょう?」
ヴァルガスさんは腕を組んだ。
「なるほど。誰でも受けられる教育と、商会が個別に支援する教育を分けるわけですな」
「うん。学校に通ったからって、働く場所まで決められちゃうのは違うと思うんです」
「未成年であれば、保護者の同意も必要になりましょう」
セバス先生が補足した。
「勤務期間や待遇も事前に定め、不当に長く拘束することのないようにいたします」
「よろしい。それなら、我が商会にも利益がある」
ヴァルガスさんは大きくうなずいた。
「投資は商売の基本です。将来のために金を使うことを惜しんでは、商会は育ちませんからな」
「ありがとうございます!」
「ただし、優秀な者を見つけたら、私も遠慮なく声をかけますぞ」
「それは構いませんよ」
セバス先生が微笑んだ。
「私も弟子を探すつもりでございますから」
「……弟子?」
私は先生を見上げた。
「セバス先生、弟子が欲しいの?」
「ええ。ココア商会も大きくなりました。帳簿から人の管理まで、いつまでも私一人で見ているわけにはまいりませんので」
「今いる人たちにも教えてるよね?」
「もちろんでございます。ですが、学校で学ぶ者の中にも、商会の運営に向いた者が現れるかもしれません」
「そっか! セバス先生の弟子が増えるんだ!」
「ほっほっほ。良い人材が見つかれば、でございますが」
ヴァルガスさんが笑った。
「これは油断できませんな。セバス殿の弟子になるような者なら、私も欲しい」
「それは困りますな。せっかく育てた弟子を取られては」
「ならば、先に声をかけた方の勝ちですな!」
「いいえ。最後に決めるのは本人でございますよ」
二人が顔を見合わせて笑った。
私はなんだか嬉しくなった。
セバス先生に教えてもらえる人が、これからもっと増えるかもしれない。
「ねえ、先生。弟子ができたら、私にも紹介してね!」
「もちろんでございます。ただし、ココア様」
「ん?」
「弟子ができたからといって、ココア様への授業がなくなるわけではございませんよ」
「……えっ」
ヴァルガスさんが吹き出した。
「はっはっは! ココア様、どうやら逃げられませんな!」
「逃げようなんて思ってないもん!」
そう答えたのに、セバス先生はなぜか満足そうだった。
もう。二人とも楽しそうなんだから。
「さて、セバス殿」
ひとしきり笑ったあと、ヴァルガスさんが姿勢を正した。
「学校への協力は、前向きに進めましょう。帳簿や商取引を教えられる者も出します。費用や人数については、改めて相談させていただきたい」
「ありがとうございます」
セバス先生が頭を下げた。
「ところで、ココア様」
ヴァルガスさんが私に向き直った。
「先ほど、商会の利益を領民のためにも使いたいとおっしゃいましたな」
「はい。みんなが手伝ってくれたから、商会が大きくなったんです。だから、何かお返しができたらいいなって」
「それは良いお考えです。ですが、商人が人々を支えるのは、決して特別なことではありませんぞ」
「そうなんですか?」
「ええ。我々は、人々の暮らしの中で商売をさせていただいているのです。品物を作る者、運ぶ者、買ってくださる方々。その誰が欠けても、商売は成り立ちません」
ヴァルガスさんは、少しだけ声を落とした。
「我が商会では、洪水や大火事などが起きた際、食料や衣類を届けたり、復旧のための資金を出したりしております」
「ヴァルガス商会も災害支援をしているんですね」
「ええ。以前から続けておりますよ」
意外だった。
災害支援そのものではなく、ヴァルガスさんがそれを当たり前のこととして話したのが。
「以前、ある町が大火事に見舞われましてな。家も店も焼け、商売どころではなくなった者が大勢おりました」
「大変だったんですね……」
「我が商会にも取引先がございました。そこで、食料や衣類を送り、支払いを待つことにしました。復旧のための資金も、できる範囲で出しましたな」
「それって、かなりの負担だったんじゃないですか?」
「もちろんです。ですが、あの町の人々が立ち直れなければ、我々も大切な取引先を失うことになります」
ヴァルガスさんは静かに続けた。
「商会の財産は、金や品物だけではございません。働く者、取引をしてくださる方々、長い年月をかけて築いた信頼。それらもまた、財産なのです」
「……なるほど」
「もっとも、支援を続ければ信用にもつながります。困ったときに助けてくれた商会を、人は覚えているものですからな」
ヴァルガスさんは、いつもの笑顔に戻った。
「商人ですから、そこまで考えておりますぞ」
「ふふっ。やっぱり商人さんなんですね」
「はっはっは! それはもちろん!」
利益を考えることと、人を助けることは、必ずしも反対ではない。
前世でも知っていたはずのことだけれど、ヴァルガスさんから聞くと、少し違って感じられた。
「そこで、ココア様。一つお願いがございます」
「はい!」
「今後、災害が起きた際には、ココア商会にもご協力いただけませんかな?」
「うちも?」
「ええ。我が商会には各地に取引先がございますが、すべての地域に十分な物資を届けられるわけではありません。ココア商会と協力できれば、助けられる人も増えるでしょう」
それなら、ただ協力を約束するだけでは足りない。
「災害が起きてから考えるより、先に準備しておいた方がいいですね」
「と、おっしゃいますと?」
「どこに何があって、誰に連絡すれば運べるのか。普段から分かっていれば、必要なものを早く届けられるでしょう? それに、被災した場所で何が足りないのかも確認しないと」
ヴァルガスさんが目を細めた。
「なるほど。物資を送るだけではなく、必要なものを確かめる仕組みも作るわけですな」
「うん。せっかく送っても、必要のないものばかりだったら困るでしょう?」
「おっしゃるとおりです」
セバス先生がうなずいた。
「では、まず互いの商会で扱う物資や輸送手段を整理し、連絡の仕組みを考えましょう。領主様にもご相談する必要がございますが」
「ぜひ、お願いいたします」
ヴァルガスさんは満足そうに笑った。
「ココア様。学校の話をしに来たつもりが、思わぬ収穫がありましたな」
「私もです。ヴァルガスさんが、そんな活動をしていたなんて知りませんでした」
「わざわざ言いふらすようなことでもありませんので」
私は少し迷った。
でも、今なら聞ける気がした。
「……ヴァルガスさん」
「はい?」
「ヴァルガスさんって、本当は良い人なんですか?」
応接室が静かになった。
セバス先生が、かすかに咳払いをした。
ヴァルガスさんは一瞬目を丸くし、それから声を上げて笑った。
「はっはっは! これはまた、難しいことをお尋ねになりますな!」
「だって、前はあんなことをしたのに、困っている人を助けたりもするでしょう?」
「ええ。どちらも私でございますよ」
ヴァルガスさんは、少しだけ笑みを引っ込めた。
「以前、私がしたことは、間違いだったと思っております。それを、なかったことにするつもりはございません」
「はい」
「ですが、ココア様。商人として、私が大切にしていることが三つございます」
「三つ?」
「まず、利益を求めること。利益がなければ、商会も働く者も守れません」
ヴァルガスさんは一本目の指を立てた。
「次に、商売を支えてくださる方々を大切にすること。町が栄え、人々が豊かになれば、我々の商売も栄えます」
二本目の指が立つ。
「そして、商機を逃さないことですな」
「商機?」
「ええ。実は先ほどの災害支援のお話も、ココア商会と協力できればと思って持ち出したのですよ」
「えっ! そうだったの?」
「はっはっは! もちろんです。おかげで、思っていた以上に良いお話ができました」
私は思わずセバス先生を見た。
先生は驚いた様子もなく、静かに微笑んでいる。
「……先生、気づいてたの?」
「商人同士のお話でございますからな」
「もう! 二人とも!」
ヴァルガスさんは楽しそうに笑った。
「困っている人を助けたいという気持ちも、商会の利益を考えることも、次の商売につなげることも。私にとっては、どれも大切なことなのです」
「……それが、ヴァルガスさんの考え方?」
「ええ。私なりの、商人の流儀でございます」
私は黙って、その言葉を聞いた。
人を助けることも、利益を求めることも、ヴァルガスさんにとっては矛盾しないらしい。
でも、以前のことが消えたわけじゃない。
「ですから、私が良い人間かどうかは、ココア様ご自身で判断なさればよろしい」
私は少し考えてから、笑った。
「じゃあ、まだ決めないでおきます」
「おや。厳しいですな」
「だって、これから一緒にお仕事するんでしょう? 判断する機会は、たくさんありますから」
ヴァルガスさんは一瞬きょとんとして、それから大きな声で笑った。
「はっはっは! なるほど、これは一本取られました!」
セバス先生まで笑っている。
「もう。二人とも笑いすぎです!」
「失礼いたしました、ココア様」
先生はそう言ったけれど、まだ楽しそうだった。
◇
ヴァルガスさんを見送ったあと、私はセバス先生と応接室に戻った。
「先生、学校のこと、うまくいきそうだね!」
「ええ。まだ決めることは多うございますが、良い協力者が得られそうですな」
「それに、セバス先生の弟子も見つかるかもしれないし!」
「ほっほっほ。そうですな」
私は机の上に残された調査票を手に取った。
あの農夫さんが、娘さんの書いた文字を自分で読めるようになる日が来るかもしれない。
商人の家に生まれた子が医師になったり、農家の子が商会を始めたりすることもあるだろう。
そして、いつかセバス先生の弟子になった人が、私の知らないことを教えてくれるかもしれない。
「ねえ、先生。弟子ができたら、私もその人から何か教えてもらえるかな?」
「もちろんでございます。ココア様の知らないことを知っている者は、世の中に大勢おりますからな」
「うん! 楽しみ!」
私は調査票をそっと机に戻した。
この世界では、魔力がないというだけで、できないと決めつけられることがある。
私も、そうだった。
でも、知らないことは学べる。できないことは工夫できる。誰かと力を合わせれば、一人ではできなかったことにも手が届く。
生まれたときに、未来が決まるわけじゃない。
誰が何を学び、どんな人になるのか。
それは、誰にも分からない。
だからこそ、楽しみなのだ。




