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魔力0の伯爵令嬢、すいへーりーべーで領地開拓!〜研究費を稼いでいたら領地が発展しました〜  作者: 大福


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第82話 おばあちゃん達の仕事

「ココア、ハンスさんのところ、新しい鶏小屋を使い始めたんだって」


 朝食を終えた頃、訪ねてきたノエルがそう言った。


「もう使ってるの?」


「うん。卵の注文が増えて、今いる小屋だけじゃ足りなくなったんだって」


「見に行きたい!」


「まだ誘ってないんだけど」


 ノエルが笑う。


 一緒に来ていたリリアは、呆れたようにため息をついた。


「あなた、昨日まで牛のところにいたじゃない。少しは休んだらどうなの?」


「今日は見るだけだよ?」


「牛のときもそう言っていたでしょう」


「……今日は本当に見るだけ」


「お嬢様」


 背後からヒルダの声がした。


「はい」


「そのお約束、確かに承りました」


 どうしてみんな、私が何かすると思っているんだろう。


 少し納得できなかったけれど、ノエルが楽しそうなので、それ以上は言わなかった。


     ◇


 養鶏場は、以前よりずっと賑やかになっていた。


 新しい柵の向こうを鶏が歩き回り、増築された小屋からは絶えず鳴き声が聞こえてくる。飼料の袋が積まれた脇では、二人の働き手が卵を籠に集めていた。


「おお、お嬢様!」


 ハンスさんが笑顔で迎えてくれた。


「すごいね! 新しい小屋もできたんだ!」


「ありがたいことに、卵の注文が増えましてね。食堂だけじゃなく、町の外へ持っていく商人まで現れたんですよ」


「町の外にも?」


「ええ。もっと欲しいと言われてるんですが、鶏を増やすのも簡単じゃありませんから」


 ハンスさんは新しい小屋を振り返った。


「餌も要りますし、掃除もあります。卵だって毎日同じ数だけ産むわけじゃない。今いる人数では、これ以上増やすのは難しいですねえ」


「働きたい人はいないの?」


「いるんですよ。それが……」


 ハンスさんは少し困った顔をした。


「昨日も一人、仕事を探しに来た女性がいましてね。働きたいけど、小さな子供がいるから長い時間は家を空けられないそうで」


「子供……」


「連れてきてもらってもいいんですが、鶏小屋で遊ばせるわけにもいきませんからね」


「それはやめた方がいいわ」


 リリアが口を開いた。


「小さな子供は、汚れた手をそのまま口に入れたりするでしょう? 鶏の世話をする場所は、遊び場じゃないもの」


「そうだね」


 ノエルもうなずいた。


「うちでも農具の近くで小さい子を遊ばせないよ。仕事しながら見てるのは危ないもん」


 私は鶏小屋を見渡した。


 鶏が増えれば、卵が増える。卵が増えれば売上も増えて、人を雇えるようになる。


 でも、仕事があっても働けない人がいる。


「その人、働きたかったんだよね?」


「ええ。家計の足しにしたいそうです。旦那さんも働いているそうですが、子供が大きくなるまでは難しいだろうって」


 働きたい人がいる。働いてほしい人もいる。


 なのに、働けない。


「……子供を見てくれる人がいたら?」


「そりゃあ、助かるでしょうね」


 ハンスさんはうなずいた。


「うちだけじゃありませんよ。町には、同じことで困ってる人がほかにもいると思います」


 私はノートを取り出しかけた。


「ココア」


 リリアに呼ばれて、手を止める。


「今日は見るだけ、でしょう?」


「……覚えてた?」


「当然よ」


 ノエルが笑った。


 仕方がないので、ノートはしまった。


 でも、聞いたことまで忘れるわけじゃない。


     ◇


 養鶏場からの帰り道、広場の長椅子に三人のおばあちゃんが座っていた。


「ああ、また向こうに家が建つんだってねえ」


「昔はあそこまで畑だったのに」


「最近は知らない顔ばっかりだよ。誰がどこの家の子だか、さっぱり分からないねえ」


 私は足を止めた。


 町に人が増えていることは知っている。新しい家が建ち、仕事が増え、食堂も賑わうようになった。


 でも、ずっとここで暮らしてきた人たちには、どんなふうに見えているんだろう。


 そのとき、広場を走っていた小さな男の子が石につまずいた。


「あっ!」


 転びそうになった男の子の腕を、長椅子の端に座っていたおばあちゃんが支えた。


「こらこら、そんなに走るんじゃないよ。ほら、靴紐もほどけてる」


 おばあちゃんはしゃがんで靴紐を結び直した。


「ありがとう!」


「はいはい。今度は前を見て歩くんだよ」


 男の子は元気よく走っていった。


「まったく、元気なもんだねえ」


 おばあちゃんは笑っていた。


 私は近づいて声をかけた。


「こんにちは!」


「おや、お嬢様じゃないか」


「今の子、知ってる子?」


「いや、知らない子だよ。最近越してきたんじゃないかね」


「知らない子でも助けてくれるんだね」


「子供が転びそうになってるのに、知らん顔なんかできないだろう?」


 当たり前のことのように言われた。


 私は少し考えてから尋ねた。


「ねえ。町が賑やかになるの、嫌?」


 三人は顔を見合わせた。


「嫌ってわけじゃないよ。便利になったし、買えるものも増えたからね」


「でも、昔は誰がどこの子か、みんな知ってたんだよ。今じゃ名前も分からない子ばっかりでねえ」


「知らない人が増えると、声をかけるのも気を遣うんだよ」


 なるほど。


 町に人が増えても、知り合いが増えるとは限らない。


「お嬢様は、どうしてそんなことを聞くんだい?」


「うん。ちょっと考えてることがあって」


「また何か始めるつもりかい?」


「……今日は見るだけの日なの」


 三人のおばあちゃんが顔を見合わせた。


「見るだけの日?」


「そうなの。約束したから」


 隣でリリアが満足そうにうなずく。


 ところが、おばあちゃんの一人が笑った。


「それじゃ、明日は何か始める日かい?」


「……まだ決めてない」


「決めてないだけなのね」


 リリアがため息をつき、ノエルまで笑い出した。


     ◇


「先生、相談があるの」


 翌朝、私はセバス先生を訪ねた。


「昨日は見るだけのお約束だったそうですな」


「今日は違うよ」


「左様でございますか」


 先生は眼鏡を直した。


 ヒルダから聞いたんだろうか。たぶん、そうだと思う。


 私は養鶏場で聞いた話と、広場のおばあちゃんたちのことを説明した。


「なるほど。働きたい方がいても、子供を預けられないために仕事に就けない、と」


「うん。それでね、おばあちゃんたちに子供を見てもらえないかなって」


「よい着眼点ですな。ただし、お願いするだけでは続きませんぞ」


 先生は机に紙を広げた。


「子供を預かるということは、その安全を引き受けるということです。場所も人も必要になります」


「うん。だから、ちゃんとお仕事にしたいの」


「ほう。お仕事に、ですか」


「だって、毎日子供を見てもらうんでしょう? 大変だよ。お給金を払わないと」


 先生はうなずいた。


「では、誰がそのお給金を負担するのでしょう?」


「子供を預ける人と……働いてもらえるようになるお店や牧場にも、少し出してもらえないかな」


「それだけで足りるかどうか、調べる必要がありますな」


 先生は紙に項目を書き始めた。


 預かる子供の人数。必要な大人の人数。部屋の使用料。備品。掃除。給金。万一の際の対応。


 書き出してみると、思っていたよりずっと多かった。


「……結構かかるね」


「当然でございます。子供を安全に預かる仕事を、安く済ませることだけで考えてはなりません」


「うん」


「また、利用する方の負担が大きすぎれば、働きに出る意味がなくなります」


 それもそうだ。


 お給金をもらうために働くのに、そのほとんどが子供を預ける費用で消えてしまったら困る。


「じゃあ、最初に何人くらい使いたい人がいるか調べる?」


「それがよろしいでしょう。費用の分担は、人数と必要経費が分かってからですな」


「分かった。あと、おばあちゃんたちには無理させたくない」


「その点も重要です。経験が豊富でも、体力には個人差がございます。日々の責任者を別に置き、短い時間だけ手伝っていただく方法が考えられますな」


 私は大きくうなずいた。


 おばあちゃんたちが疲れてしまったら、意味がない。


「それから先生。子供が病気になったら、お医者さんが必要だよね」


「左様でございます。病気や怪我だけでなく、誰が子供を迎えに来るのかも決めておく必要がございますな」


「迎えに来る人?」


「預けた方以外が、勝手に連れて帰れるようでは困ります。あらかじめ保護者から迎えの方を知らせていただき、確認できない場合は引き渡さない。そうした決まりも必要でしょう」


「そっか。知らない人について行っちゃったら大変だもんね」


「その通りです」


 先生が紙に項目を一つ書き足した。


 すると、一緒に話を聞いていたリリアが顔を上げた。


「お医者様のことなら、お父様に聞いてみるわ」


「いいの?」


「ええ。小さな子供を預かるなら、気をつけることもあるでしょうし」


「ありがとう、リリア!」


「べ、別に。お父様に聞くだけなんだから」


 私は嬉しくなって、リリアの手を握った。


「助かる!」


「ちょ、ちょっと! そんなに喜ばなくてもいいでしょう!」


 ノエルが笑った。


「リリアのお父さん、忙しいのにね」


「だから、まず聞いてみるだけよ。お父様が無理なら、別の方法を考えればいいでしょう」


「うん。それでいいよ」


 私はリリアの手を離した。


 できることを、できる人が。


 最近、少しずつ分かってきたことだった。


     ◇


 その日の午後、私は広場のおばあちゃんたちを訪ねた。


「子供を預かる仕事?」


 一人が目を丸くした。


「そうなの。小さな子がいるから働けない人がいてね。少しの時間だけでも、子供を見てもらえないかなって」


「そんなもの、昔から散々やってきたよ」


「だから、お願いしたいの」


 私は一人ずつ顔を見た。


「でも、ただでお願いするつもりはないよ。ちゃんとお給金を払うお仕事にしたいの」


 おばあちゃんたちは顔を見合わせた。


「子守りでお給金をもらうのかい?」


「うん。子供を預かるのって、大変でしょう? 責任もあるし」


 一人が腕を組んだ。


「でもねえ、あたしらも若くないからね。走り回る子供を何人も追いかけるのは無理だよ」


「うん。だから、最初は少ない人数で。子供の世話に慣れた人が中心になって、おばあちゃんたちには無理のない時間だけお願いしたいの」


「具合が悪くなったらどうするんだい?」


「お医者さんにも相談する。親御さんへの連絡の仕方も決めるつもり」


「それなら、少しは安心かねえ」


 しばらく考えていたおばあちゃんが、ぽつりと言った。


「昔はね、隣の家の子も、その隣の家の子も、みんなで見てたもんだよ」


「そうなの?」


「親が畑に出てりゃ、近くにいる大人が見てた。誰の子だって、泣いてりゃ抱っこしたしね」


 もう一人がうなずいた。


「今は知らない人が増えたから、勝手に手を出すのも気が引けるんだよ」


 私は少し驚いた。


 子供を見たくないんじゃない。


 どう関わればいいのか、分からなくなっていたのかもしれない。


「じゃあ……新しく来た子たちとも、仲良くなってくれる?」


 そう尋ねると、おばあちゃんは目を丸くした。


「お嬢様。あたしらが子供と仲良くするのに、許可なんか要らないよ」


「……そっか」


「でも、仕事として預かるなら、親御さんの了解は必要だねえ」


 その言葉に、みんなが笑った。


 そして、最初に手を挙げてくれたのは、昨日、男の子の靴紐を結んでいたおばあちゃんだった。


「毎日は無理だけどね。週に何日かなら、やってみてもいいよ」


「本当!?」


「そんなに喜ぶことかい」


「うん!」


 思わず立ち上がると、隣のおばあちゃんも手を挙げた。


「あたしも、午前中だけなら手伝えるよ」


「私は針仕事を教えるくらいならできるけどねえ」


「それは、もう少し大きい子向けだろう」


「そうかい? じゃあ、まずは遊び相手だね」


 話が少しずつ広がっていく。


 私はノートを開き、希望する曜日や時間を書き留めた。


「そういえば、お嬢様」


「なあに?」


「子供を預ける母親は、どこの人なんだい?」


「ハンスさんの養鶏場で働きたいって言ってる人だよ」


「ハンスさんのところかい。あそこも大きくなったねえ」


「うん。鶏がいっぱい増えたの」


「昔は三十羽くらいだったろうに」


 私は思わず笑った。


「三十二羽だったよ」


「おや、よく覚えてるねえ」


「調べたから!」


「そうかい、そうかい」


 おばあちゃんたちが楽しそうに笑った。


 以前は三十二羽だった鶏が増えて、仕事が増えて、その仕事をするために子供を預かる場所が必要になった。


 最初に卵の数を調べたときは、こんなところまでつながるなんて思っていなかった。


     ◇


 託児を始めるまでには、少し時間がかかった。


 叔父様と先生が場所を探し、利用を希望する家庭の数と必要な費用を調べてくれた。ハンスさんや牧場の人たちにも相談し、雇用主が負担できる金額を確認する。


 リリアのお父様からは、子供が熱を出したときや怪我をしたときの対応について助言をいただいた。


 体調の悪い子供は無理に預からず、預かっている間に具合が悪くなったら保護者へ連絡する。医師の診察が必要なときの手順も決めた。


 迎えに来る人の名前も、預けるときに確認しておく。知らせのない人が迎えに来た場合は、その場で子供を引き渡さず、保護者に確認することになった。


 毎日中心になって子供たちを見る人として、以前から町で子守りの仕事をしていた女性が引き受けてくれることになった。おばあちゃんたちは、その人を手伝う。


 午前中だけの人もいれば、週に二日だけの人もいる。体調が悪い日は無理をせず、休めるようにした。


 預かる人数は、最初は数人だけ。


 利用する家庭から無理のない範囲で料金をいただき、協力する雇用主が費用の一部を負担する。それでも足りない分は、試験期間に限って領地の予算から補うことになった。


 何人が利用し、どれくらい費用がかかり、働ける人がどれだけ増えたのか。それを確かめてから、続け方を決める。


 そして、最初の日がやって来た。


     ◇


 部屋には、三人の子供がいた。


 窓際には布で作った人形が並び、床には遊ぶための敷物が広げられている。子供たちがぶつかりそうな家具は端へ寄せられ、入口には手を洗うための水も用意されていた。


「これ、作ったの?」


 私が尋ねると、おばあちゃんが笑った。


「昔、孫に作ってやったものと同じだよ。子供ってのは、こういうのが好きだからね」


 ノエルが人形を一つ手に取った。


「かわいい!」


「ほら、そっちのお嬢ちゃんも遊んでみるかい?」


「わ、私は結構ですわ!」


 リリアが慌てて断る。


 ところが、近くにいた女の子が人形を差し出した。


「お姉ちゃん、これ持って」


「え?」


「こっちがお母さんなの」


「……そう」


 リリアは戸惑いながら、人形を受け取った。


「では、こちらは?」


「赤ちゃん!」


「そう。では、赤ちゃんは寝かせてあげないといけませんわね」


 女の子が嬉しそうに笑う。


 ノエルが私の耳元でささやいた。


「リリア、上手だね」


「うん」


「聞こえてるわよ!」


 リリアが顔を赤くした。


 そのときだった。


「おかあさん……」


 部屋の隅から、小さな声が聞こえた。


 見ると、入口の近くに座っていた男の子が、扉をじっと見つめていた。


 ハンスさんのところで働きたいと言っていた女性の子供だ。


 朝、母親が仕事へ向かったときは大丈夫そうだったのに、しばらくしてから口数が減っていたらしい。


「おかあさん、まだ?」


 世話役の女性がそばへ行き、優しく声をかけた。


「お昼を過ぎたら迎えに来ますよ。もう少し一緒に遊びましょうか」


 男の子は首を横に振った。


「おかあさんがいい……」


 声が震えた。


 次の瞬間、大きな涙がこぼれた。


「おかあさーん!」


 私は思わず立ち上がりかけた。


 でも、何をすればいいのか分からなかった。


 母親を呼んでくる?


 それとも、何か面白いものを見せる?


 そんなことを考えている間に、広場で会ったおばあちゃんがゆっくりと男の子のそばへ行った。


「そっかい。お母さんがいいんだねえ」


 男の子は泣きながらうなずいた。


「帰りたい……」


「そうだねえ。知らないところに来て、お母さんもいなくなったら寂しいよねえ」


 おばあちゃんは無理に泣きやませようとはしなかった。男の子の隣へ腰を下ろし、少し離れたところから顔をのぞき込む。


「お母さん、鶏のお仕事に行ったんだって?」


「……うん」


「鶏は見たことあるかい?」


「……ある」


「そうかい。あたしも昔、飼ってたんだよ。卵を取りに行くとね、怒って追いかけてくる鶏がいてねえ」


 男の子が涙の残った顔を上げた。


「……なんで?」


「卵を取られるのが嫌だったんだろうねえ。あたしの方がずっと大きいのに、負けそうになったよ」


「おばあちゃん、負けたの?」


「逃げたんだよ」


 男の子が、ほんの少し笑った。


「逃げたの?」


「ああ。走って逃げた。そしたら今度は転んでねえ」


 おばあちゃんは自分の膝をぽんと叩いた。


「ここを擦りむいたんだよ」


「いたかった?」


「そりゃあ、痛かったとも」


 男の子はもう泣いていなかった。


 おばあちゃんは急がず、男の子が落ち着くまで昔の話を続けた。しばらくすると、男の子の方から布人形を手に取った。


「これ、なに?」


「お人形だよ。あたしが作ったんだ」


「ぼくも持っていい?」


「もちろんさ」


 私は、そっと息を吐いた。


 特別な道具も、魔法も使っていない。


 おばあちゃんは、ただ男の子の寂しさを受け止めて、昔の話をしただけだった。


 でも、それは私には思いつかなかった。


「……すごいね」


 小さく呟くと、隣のノエルがうなずいた。


「うん。うちのおばあちゃんも、あんな感じだよ」


 リリアも男の子を見ていた。


「無理に泣きやませようとしなかったのね」


「うん」


 おばあちゃんは、長い時間をかけて覚えてきたことを、当たり前のように使っている。


 私はノートを取り出しかけて、やめた。


 今は、ちゃんと見ていたかった。


     ◇


 昼を少し過ぎた頃、養鶏場で働いていた母親が迎えに来た。


「ありがとうございました。大丈夫でしたか?」


 母親は少し心配そうだった。


 おばあちゃんが笑う。


「最初はお母さんが恋しくて泣いてたけどね。今は元気いっぱいだよ」


「そうでしたか……」


 母親が申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。ご迷惑をおかけして」


「何を謝るんだい。初めてお母さんと離れたんだろう? 寂しくて当たり前さ」


 男の子は母親の手を握りながら、おばあちゃんを見上げた。


「おばあちゃん」


「なんだい?」


「鶏、こわかった?」


「そりゃあ、怖かったとも」


「ぼくのお母さんは、こわくないよ」


「そうかい。お母さんは強いんだねえ」


「うん!」


 母親が驚いたように男の子を見る。


 それから、おばあちゃんへ深く頭を下げた。


「今日は、本当にありがとうございました。おかげで仕事を覚えられました」


「そうかい。そりゃあよかった」


「明日も、お願いできますか?」


 おばあちゃんは少し驚いた顔をした。


 すると、男の子が母親の手を引いた。


「おかあさん!」


「なあに?」


「ぼく、明日もここ来る!」


「え?」


「おばあちゃんの鶏のお話、もっと聞きたい!」


 おばあちゃんが目を丸くした。


「まだ聞きたいのかい?」


「うん! 明日も来ていい?」


 おばあちゃんは困ったように眉を寄せた。


「まったく、しょうがない子だねえ」


 そして、少しだけ声を柔らかくした。


「明日もおいで」


 男の子は満面の笑みで手を振り、母親と一緒に帰っていった。


 その背中を見送ってから、おばあちゃんが私に言った。


「お嬢様」


「なあに?」


「最近は知らない子ばっかり増えたと思ってたけどね」


「うん」


「名前を覚えりゃ、知らない子じゃなくなるんだねえ」


 胸の奥が、じんわり温かくなった。


「……おばあちゃん、疲れた?」


「そりゃあ疲れたよ。あの子、泣いたと思ったら今度はずっとしゃべってるんだから」


「そっか」


「でもねえ」


 おばあちゃんは、男の子が座っていた場所を見た。


「明日も来るって言ってくれたからね。あたしも明日は、あの子が来るのを待ってるんだろうねえ」


 私は思わず笑った。


「じゃあ、またお願いしてもいい?」


「いいとも。あたしの当番の日ならね」


「ありがとう!」


「礼を言うのはこっちかもしれないねえ」


「え?」


「最近は一日中、誰とも話さない日もあったんだよ。今日は朝からにぎやかで、退屈する暇もなかった」


 おばあちゃんは笑っていた。


 私はその手を握った。


「じゃあ、よかった」


「おやおや。お嬢様は優しいねえ」


 私は少し照れくさくなった。


 優しいかどうかは分からない。


 ただ、今日のおばあちゃんが嬉しそうで、私も嬉しかった。


 あとで先生に報告することは、いくつもある。


 預かった子供の人数。働けるようになった人の数。かかった費用。困ったことや、次に直した方がいいこと。


 でも、ノートにはもう一つ書いておきたかった。


 おばあちゃんが、明日を楽しみにしてくれたこと。


 数字にはできないけれど、忘れたくなかった。


     ◇


「ココア」


 振り向くと、リリアが立っていた。


 腕には、さっきの布人形が抱かれている。


「これ、どうしたの?」


「……あの子が、少し持っていてほしいって」


「返さなくていいの?」


「明日、また一緒に遊ぶ約束をしたのよ」


「じゃあ、リリアも明日来るんだ?」


「そ、そういうわけでは!」


 ノエルが笑った。


「でも、来るんでしょ?」


「……時間があればね」


 私はリリアの腕の中にある人形を見た。


 きっと明日も、ここには子供たちの声が響く。その声を聞きながら、おばあちゃんたちはまた誰かの名前を覚えるのだろう。


 帰り際、リリアがふと足を止めた。


「そういえば……お父様が、最近は患者さんが増えたって言っていたわ」


「患者さん?」


「ええ。町に人が増えたからでしょうね。前より帰りが遅い日も多いの」


 リリアは少しだけ眉を寄せた。


「この前も、往診から戻ったら診察を待っている人がいて……夕食の時間になっても帰ってこなかったの」


「そんなに?」


「ええ。お父様は大丈夫だって言うけれど」


 私は足を止めた。


 子供を預ける場所ができた。働ける人も増える。


 でも、人が増えれば、病気になる人も、怪我をする人も増える。


 そして、お医者さんの一日は、誰にでも同じ長さしかない。


「リリア」


「なあに?」


「今度、お父様のお仕事のこと、教えてもらってもいい?」


 リリアが私を見る。


「……お父様に?」


「うん。でも、忙しいなら無理しなくていいの。リリアから聞けることだけでも」


 リリアは少し考えてから、うなずいた。


「それなら、私が知っていることを話すわ」


「ありがとう」


「ただし」


「うん?」


「あなたが診察の邪魔をするのは絶対に駄目よ」


「しないよ!」


「本当かしら」


「本当だってば!」


 ノエルが横で笑っている。


 私は少しだけ頬を膨らませた。


 みんな、どうして私が何かすると思っているんだろう。


 ……でも。


 リリアのお父様が毎日忙しいのなら、何かできることはあるのかもしれない。


 今度は、何かを作る前に、ちゃんと話を聞こう。


 おばあちゃんたちの仕事だって、そこから始まったのだから。

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