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魔力0の伯爵令嬢、すいへーりーべーで領地開拓!〜研究費を稼いでいたら領地が発展しました〜  作者: 大福


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第77話 管理ではなく

 応接室へ通されても、宰相閣下はすぐには座らなかった。


 窓の向こうへ目を向けている。その先には、グレタさんたちが試験を続けている壁が見えた。


「近くで見ても構わないかね?」


「もちろんでございます。ただ、まだ試験中です」


「完成していないのか?」


「はい」


 答えると、宰相閣下がこちらを見た。その横で、ヴァルガスさんは黙っている。


「ヴァルガス殿からは、火に強く、水にも強い新しい建材だと聞いている」


「火には強いと思います。水についても、今の試験では木より強い結果が出ています。ただ、長く雨に当たった場合や、冬に凍ったり溶けたりを繰り返した場合は、まだ分かりません」


「ほう」


「大きくしたときに同じように作れるかも、すべて確認できたわけではございません。中に隙間ができると良くないので、今はグレタさんたちと作り方を揃えているところです」


 宰相閣下の目がわずかに細くなった。


「君は、あれを何に使うつもりだ?」


「最初は壁です」


「城壁か?」


「いえ。まずは短い壁です」


「なぜだ?」


「小さいものと大きいものが、同じように作れるとは限りませんので。短い壁で雨や寒さ、衝撃などを調べて、それから考えます」


「では、王都の城壁に使えるかと聞かれれば?」


「まだ分かりません」


 即答した。


「橋は?」


「もっと分かりません」


「砦は?」


「試しておりませんので、分かりません」


 叔父様が横を向いた。


 笑ったような気がする。


「ココア」


「だって、分からないものは分からないよ」


「いや、それでいい」


 そう言ったのは宰相閣下だった。


「座ろう」


 全員が席につく。


 宰相閣下とヴァルガスさん。その向かいに叔父様と先生が座り、私は叔父様の隣へ座った。ヒルダは少し後ろに控えている。


 宰相閣下が一枚の紙を机へ置いた。


「では、本題に入ろう。私は、あの建材を王国の管理下に置く必要があるかを確認するために来た」


「……王国の、ですか?」


「ああ。もしヴァルガス殿から聞いた通りの技術であれば、建築の常識を変える可能性がある。城壁だけではない。砦、倉庫、治水。いずれは橋梁への応用も検討されるだろう」


「橋は、まだ分かりません」


「分かっている。今は可能性の話だ」


「失礼いたしました」


「構わん。だからこそ、一領地、一個人の判断だけで扱わせてよい技術なのかを確認する必要がある。特に、その発案者が七歳ならばな」


 膝の上で手を重ねた。


 嫌だとは思う。


 でも、嫌だから駄目では話にならない。


「宰相閣下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


「もちろんだ」


「王国の管理下に置かれた場合、この町では使えなくなるのでしょうか」


 宰相閣下の眉がわずかに動いた。


「そこを最初に聞くのか」


「はい」


「なぜだ?」


「もう、この町の皆様と試験を始めているからです。グレタさんたちが作り方を考え、働いている方々も、どうすれば失敗を減らせるのか覚えてくださっています。それに、お父様とも、この技術について契約を交わしております」


「契約?」


 先生がすぐに書類を取り出した。


「こちらでございます」


 宰相閣下が受け取り、目を通す。


「所有権の譲渡ではないのだな」


「はい。お父様にお譲りしたのは、現時点の技術を公共のために使用する権利です。今後の改良や、外部へ提供する場合については別にしております」


「なぜ分けた?」


「まだ完成していないからです。それに、今すべてをお譲りしてしまえば、あとで別の使い方が見つかったときに困るかもしれません。お父様も、必要な範囲だけお買いになる方が負担が少なくなります」


「完成していない技術の権利を、すべて売るべきではないと?」


「はい」


 宰相閣下はしばらく書類を見ていた。


 代わりに口を開いたのは、ヴァルガスさんだった。


「だからこそ、王国による管理には利点がございます。各地で勝手に模倣されれば、品質の悪いものが出回るでしょう。事故が起きれば、技術そのものの信用が失われます。王国が基準を定め、認められた者だけが製造する方が安全です」


 それは、一理ある。


「……品質を揃える必要はあると思います」


「流通については、当商会がお引き受けできます」


「ヴァルガス商会が、ですか?」


「ええ。材料、技術者、契約。王国各地へ広げるのであれば、責任を持つ窓口が必要でしょう」


 窓口。


 その言葉で、昨日見た地図が頭に浮かんだ。


 王都へ続く大きな道。来なくなった荷物。そして、別の町からやって来た一台の馬車。


「一つだけでしょうか」


「一つであるからこそ、管理が容易になります」


「……それは、嫌です」


 ヴァルガスさんの笑みが止まった。


「理由をお聞きしても?」


「ヴァルガス商会が扱うことが嫌なのではございません。ヴァルガス商会しか扱えないことが嫌です」


「なぜでしょう」


「止められるからです」


 ヴァルガスさんを見る。


「今回、よく分かりました。ヴァルガス商会や、関係する商人の方々を通っていた荷物が止まって、困ったものがいくつもありました」


「しかし、すべてが止まったわけではないでしょう」


「はい。だからです」


 北西から荷物が来た。南とも、東とも話を始めた。


「別の道があったから、全部は止まりませんでした。以前より高くなるものもありますし、時間がかかるものもあります。それでも、一つしかないよりはいいです」


「当商会を利用した方が安く、早いとしても?」


「安くて、早くて、きちんと届くのでしたら、ぜひお願いしたいです」


 ヴァルガスさんが少し黙った。


「でも、それしか選べない状態にはしたくありません」


 叔父様が腕を組む。


「首輪はいらんってことだ」


「叔父様」


「同じだろ」


「……同じだけど」


 宰相閣下が叔父様を見る。


「首輪?」


「一本の道が切られて全部止まるなら、それは道じゃなく首輪だと話しただけです」


「なるほど」


 宰相閣下の視線が、ヴァルガスさんへ移った。


「ヴァルガス殿。例の件は?」


「私どもと強い取引関係にある商人へ、この領地との新規取引を見合わせるよう伝えた件でございましょうか」


「そうだ」


「事実でございます」


 胸の奥が少しだけ冷たくなった。


 疑ってはいた。


 でも、本人の口から聞くのは違う。


「……私がお断りしたからですか?」


「それも理由の一つでございます」


 ヴァルガスさんは誤魔化さなかった。


「私は、ココア様の生み出す商品に大きな価値があると判断しております。できることなら、当商会が優先的に扱いたい。そして、この建材には商品以上の価値があると考えました」


 ヴァルガスさんの視線が、窓の向こうの壁へ向く。


「王国が技術を管理し、当商会が各地への流通を担う。私はその利益を得る。そして将来ココア様が生み出す商品についても、当商会が優先的に扱える立場を得る。それが私から宰相閣下へ申し上げた提案です」


 やっぱり、諦めていなかったんだ。


 私から直接買えないなら、もっと大きな仕組みの中へ入れる。


「怒られましたかな」


「……少しだけ」


「正直で結構です」


「でも、ヴァルガスさんが儲けたいこと自体は、悪いとは思いません。商人でいらっしゃいますから」


「ええ」


「私も研究費は欲しいですし」


 先生が眼鏡を押し上げた。


「ココア様」


「大事だよ?」


「存じております」


 宰相閣下の口元がわずかに緩んだ。


「では、何が不満なのだ?」


「まだ作ってもいないものまで、今ここで売り方を決められてしまうことです」


「なぜ?」


「何を作るのか、私にも分からないからです」


 何を作るのか。誰が必要とするのか。誰なら作れるのか。どこで売るのがいいのか。


 まだ何も分からない。


「それに、私一人で作ったものばかりではございません」


 宰相閣下の眼鏡を見る。


「眼鏡は、最初のものを考えたのは私ですが、すでに伯爵家へお譲りしております。今お使いの眼鏡を作り、改良しているのは職人の方々です」


「その契約を戻したいとは?」


「思いません。もうお譲りしたものですから」


「では、この壁は?」


「グレタさんや、実際に作ってくださる方々がいなければ、使える技術にはなりません」


 石鹸だってそうだ。


 洗髪用品だってそうだ。


 作る人がいる。売る人がいる。材料を運んでくれる人がいる。


「私が最初に考えたから、全部私のもの、というのも違うと思います。でも、だからといって、全部を誰かにお渡ししてしまうのも違うと思います」


「なるほど」


 宰相閣下はしばらく黙っていた。


「一つ確認したい。王国があの技術を必要とした場合、拒むつもりか?」


「いいえ。役に立つのでしたら、使っていただきたいです」


「対価は?」


「いただきたいです」


「そこは即答か」


「研究ができますので」


 宰相閣下が笑った。


「では、王国が安全のために試験を求めたら?」


「可能な限り、ご協力いたします。結果も知りたいです」


「製造を止めろと言ったら?」


 これは少し考えた。


「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」


「命令でも?」


「はい。危険な理由が分かれば、直せるかもしれませんので」


「理由を聞いた上で、危険だと納得すれば?」


「止めます。安全にできる方法を調べます」


 宰相閣下は、しばらく何も言わなかった。やがて眼鏡を外し、机の上へ置く。


「私は、この土地へ来るまで、君から技術を取り上げるつもりはなかった」


 少しだけ肩の力が抜けた。


「だが、王国による管理は必要だと考えていた。七歳の少女が、王国の建築を変え得る技術を持っている。本人が善良かどうかとは別の問題だ。事故もある。利用しようとする者も現れる。そして、君自身が判断を誤ることもある」


「はい」


 そこは否定できない。


 失敗するから、実験する。分からないから、調べる。


「だから王国が管理する。それが最も安全だと考えていた」


 宰相閣下の指が、机の眼鏡に触れた。


「だが、この眼鏡は、もう君だけのものではない」


「はい」


「壁もそうだ」


「はい」


「この町も、そうなのだろう」


 顔を上げた。


「君は、自分にしかできないことを増やそうとしているのではないらしい」


 ヒルダのことを思い出した。


 グレタさん。ノエル。入口で確認をしてくれている人たち。石鹸を作っている人たち。


「はい」


「そして、分からないことを分かったとは言わない」


「研究をしておりますので」


「随分と熱心な研究だ」


「楽しいです」


「そうか」


 宰相閣下が眼鏡を掛け直した。


「ならば、考え方を変えよう。王国が技術そのものを直接管理する必要はない」


「……よろしいのですか?」


「ああ。ただし、七歳の君一人に、すべての責任を負わせることも認められん」


「はい」


「必要なのは、管理ではなく後見だ」


「後見……」


「君のものを取り上げる者ではない。君が判断を誤れば止める。立場を利用しようとする者がいれば守る。君一人では責任を負えない問題には、大人が責任を負う」


 その言葉が、ゆっくり胸へ入ってきた。


「そのための受け皿を作ることを提案する」


「どのようなものでしょうか」


「商会だ」


 瞬きをした。


「……商会、ですか?」


「ああ。今後、君の研究から生まれたもののうち、商業的に扱うものについて、契約や権利を整理する窓口を作る」


 意味を考える。


 製造を許可する相手。販売する相手。対価。改良した人の権利。


 今までは、新しいものができるたびに先生やお父様、叔父様と相談して決めていた。


 増えるなら、確かに一つの受け皿があった方がいい。


「既にお譲りした眼鏡の権利も、商会へ戻すのでしょうか」


「いや」


 宰相閣下は即答した。


「すでに成立している契約を、商会を作るために覆す必要はない」


「安心いたしました」


「今後の成果を中心に整理すればよい。既存のものについては、それぞれの契約を確認した上で扱う」


「はい」


「理解が早いな」


「仕組みを一つにまとめる意味は分かります。ただ、この国で商会を作るために必要な手続きや、私の年齢でどこまで契約できるのかは分かりません」


「それでいい。そこは知っている者に任せればよい」


 先生を見る。


 目が合った。


 先生が、なぜか少しだけ嫌そうな顔をした。


「……先生?」


「仕事が増える未来が見えただけでございます」


「ごめんなさい」


「まだ始まってもおりません」


 叔父様が笑った。


 宰相閣下まで少し笑っている。


「後見には、まず君の父である伯爵が必要だろう。この土地の実務を預かる叔父君にも責任を負ってもらう。そして、王国側からも一人置く」


「どなたでしょうか」


「私が入ろう」


 一瞬、言葉が出なかった。


「……宰相閣下が、でございますか?」


「ああ。不満か?」


「いいえ。ただ……」


 これは確認しておかないといけない。


「失礼を承知で、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


「言ってみなさい」


「後見人には、どこまでの権限がございますか」


 宰相閣下の目が少し変わった。


「なぜ、それを聞く?」


「私の知らないところで、研究成果の使用先や独占契約を決められるのでしたら、商会を作る意味が変わってしまいます。それに、宰相閣下が王国のために必要だとお考えになった場合、商会のものを命令でお持ちになることができるのでしたら……」


「後見ではなく、管理と変わらない、と?」


「はい」


 宰相閣下が私を見た。


「安心しなさい。王国が必要とするなら、商会と交渉する」


「……買っていただけるのですか?」


「国だからこそだ。必要だからと取り上げてよいなら、君を守るために商会を作る意味がない」


 胸の奥が、少し軽くなった。


「ありがとうございます」


「ただし、先ほど言った通り、王国の安全に関わる場合は止めることがある。その責任まで放棄するつもりはない」


「承知いたしました」


「よろしい」


 そこで、宰相閣下がヴァルガスさんへ向き直った。


「さて。ヴァルガス殿」


「はい」


「君の提案した一社による流通管理は採用しない」


「承知しております」


「理由も分かるな?」


「私自身が証明してしまいましたからな」


 ヴァルガスさんが苦笑した。


「当商会と関係の深い商人が取引を見合わせただけで、この土地へ入る複数の品に影響が出た。その直後に、新技術の流通まで一社へ集中させろと申し上げても、説得力はございません」


「その通りだ」


 叔父様が口元を上げた。


「おかげで北西と南と東に、新しい商路ができたけどな」


「それは何よりでございます」


「いくつかは前より条件が良くなるかもしれん」


「叔父様、本当?」


「まだ比較中だ」


「……先に言って」


「今そこか?」


「大事だよ」


 先生が眼鏡を押し上げる。


「輸送費まで含めて判断いたします」


「お願いします」


 宰相閣下が小さく息を吐いた。笑いを堪えたようにも見えた。


 そのとき。


「ココア様」


 ヴァルガスさんが私を呼んだ。


 さっきまでと、少し声が違った。


「はい」


「商会のお話を進められる前に、私から申し上げておかなければならないことがございます」


 ヴァルガスさんが立ち上がった。


 そして、私へ向かって頭を下げた。


「先日の交渉と、その後に私が取った行動について、お詫び申し上げます」


 驚いた。


 叔父様も、先生も口を挟まない。


「私は、ココア様を対等な交渉相手として扱いませんでした」


 ヴァルガスさんが顔を上げる。


「条件を断られたのであれば、より良い条件を提示する。それでも折り合わなければ、交渉を終える。本来はそうすべきでした」


 静かな声だった。


「ですが私は、流通における当商会の力を使い、この土地を困らせれば交渉の席へ戻せると考えました。さらに、宰相閣下へ王国による管理を提案し、その中で当商会が優位な立場を得ようとした」


 言い訳はなかった。


「商人として条件を競うのではなく、相手の選択肢を減らそうとした。申し訳ございませんでした」


 すぐには答えられなかった。


 荷物が来なくなった。


 先生も叔父様も動いた。町の人たちだって困った。


 謝ってくれたから、それが全部なくなるわけじゃない。


「……謝ってくださったことは、受け取ります」


「ありがとうございます」


「でも、信用が元に戻ったわけではございません」


「承知しております」


「それと」


 一度、息を吸った。


「商品に異常があったことや、髪が抜けたという噂を広めた方のことは、まだ調べています」


 ヴァルガスさんの表情を見る。


「今回お認めになったことと、そちらは別です。今のところ、つながっている証拠はありません」


「ええ」


「ですから、同じことにはいたしません。でも、調査もやめません」


「当然でしょう」


 ヴァルガスさんは、まっすぐこちらを見た。


「その件について、私から申し上げられることが必要になれば、お尋ねください」


「はい」


 それだけ答えた。


 信用は、目には見えない。


 この前、店の前で、なんだか結合みたいだと思った。


 一度切れたものが、謝っただけで元通りになるわけじゃない。


 でも。


 切れたままにするか、もう一度繋げるのか。


 それは、これから決めればいい。


「ココア様」


 ヴァルガスさんがもう一度頭を下げた。


「もし今後、再び交渉の機会をいただけるのであれば、次は条件で勝負いたします」


 少し考える。


「条件を見てから決めます」


「厳しいですな」


「対等にお取引するのでしょう?」


 ヴァルガスさんが一瞬黙った。


 それから、ほんの少し笑った。


「おっしゃる通りでございます」


 これで仲直りしたわけじゃない。


 次に何か売るとき、ヴァルガスさんを選ぶかどうかも分からない。


 でも、次に話すなら。


 七歳だからでも、大きな商会だからでもなく。


 条件を並べて、比べて決める。


 それでいいと思った。


「さて」


 宰相閣下が話を戻した。


「商会の正式な設立には、伯爵との協議が必要だ。君は未成年でもある。会計、契約、権利の整理も必要になる」


「……いっぱいありますね」


「商会だからな」


 先生を見る。


 先生はもう諦めたような顔をしていた。


「先生」


「何でしょう」


「お願いします」


「まだ何も決まっておりません」


「でも、先生がいないと分からない」


 先生が一度、目を閉じた。


「……まず旦那様と協議してからでございます」


「はい!」


「返事だけはよろしいですな」


 叔父様が笑う。


 宰相閣下も笑っていた。


「名称も正式にはそのとき決めればよい」


「あ」


 大事なことを思い出した。


「ココア商会以外でもよろしいのでしょうか」


「もちろんだ」


「よかった……」


「そんなに嫌か?」


「嫌というか、恥ずかしいです」


「分かりやすくていいじゃないか」


 叔父様が言う。


「では叔父様のお名前で商会を作りますか?」


「ココア商会でいい」


「早い!」


 また笑いが起きた。


 さっきまで、王国に技術を管理されるかもしれないという話をしていたのに、不思議だった。


 窓の向こうを見る。


 まだ完成していない壁がある。その向こうには店があって、家があって、水路があって、働いている人たちがいる。


 眼鏡は、もう伯爵家と職人さんたちのものになった。塩は作る人たちがいる。石鹸も、洗髪用品も、私が作らなくても作られている。


 壁だって、いつかグレタさんたちが私より上手に作れるようになるはずだ。


 作ったものが、自分の手から離れていく。


 前なら、それを少し寂しいと思ったかもしれない。


 でも、今は違う。


 自分がいなくても残るものが、また一つ増える。


 それなら私は、次の分からないことを調べられる。


「宰相閣下」


「何だね?」


「商会から私に入るお金は、研究費にしてもよろしいのでしょうか」


 先生が額へ手を当てた。


 叔父様が笑い出す。


 宰相閣下は少し呆れた顔をして、それから眼鏡を押し上げた。


「そのために君の権利を守る話をしていたのではないのかね?」


「……!」


 そうだった。


「ありがとうございます!」


 嬉しくなって、思わず大きな声が出た。


 後ろでヒルダが小さく笑った。


「まだ商会はできておりませんぞ」


 先生に言われる。


「これから作るんだよ」


「その前に、旦那様との協議でございます」


「分かってる!」


 窓の向こうでは、グレタさんたちが壁の前で何か話している。


 あれも、まだ完成していない。


 商会も同じだ。


 完成していないなら、これから試せる。


 失敗したら直せばいい。もっといい方法が見つかったら、変えればいい。


 研究と同じだ。


 そう思ったら。


 ココア商会という名前も、少しだけ悪くない気がした。

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