第55話 冬が来る
「このままでは、冬の途中で足りなくなる可能性がございます」
朝食の手が止まった。
「何が?」
「食料でございます」
セバス先生の前には、何枚もの紙が広げられていた。
去年、この土地で冬を越した人数。今年増えた職人や労働者、その家族。新しく住み始めた人たち。
店ができた。家が増えた。市には、もう私の知らない人が普通に歩いている。
人が増えたことは分かっていた。
でも、その全員が冬になっても食べる。
「今ある備蓄は?」
「叔父上が確認しております」
「去年よりどれくらい増えてる?」
「正確な集計はまだですが、人口の増加ほどには増えておりません」
「外から買う分は?」
「商人へ確認中でございます。ただし、今と同じ量を冬にも運べるとは考えない方がよろしいでしょう」
「道?」
「はい」
ここへ来たときに通った道を思い出す。
今は少しずつ整備されている。それでも雪は積もるし、道は凍る。吹雪になれば、荷車が何日も来られないことだってある。
「去年、雪で道が止まったことは?」
「ございます。長いときで数日。ただし、今年は人も荷車も増えております。昨年と単純には比べられませんな」
「一人一日どれくらい食べる計算?」
「そこまで始めるのでございますか」
「必要でしょ?」
「必要ですが、朝食中でございます」
隣でヒルダが無言のまま頷いた。
「……食べながら聞く」
「それなら結構でございます」
パンを口に入れながら考える。
「薪は?」
「そちらも増やす必要がございます」
「家畜の餌は?」
「確認中です」
「冬服と薬は?」
「商人と医師にも確認を――ココア様」
「なに?」
「噛んでください」
ヒルダを見る。
「わたくしも同意見でございます」
二対一だった。
仕方なく噛んで、ちゃんと飲み込む。
「先生」
「はい」
「今年と来年、分けて考えよう」
「と申しますと?」
「今年の冬を越すために必要なものと、来年また同じことにならないために必要なもの」
今年だけ何とかしても、人が増え続ければまた足りなくなる。
でも、来年の畑ばかり考えていたら、この冬には間に合わない。
「今年は備蓄を増やす。外から買えるものは買う。保存できるものは保存する。それから、冬でも少し作れるものがないか考える」
「来年については?」
「畑を増やすだけじゃなくて、ノエルたちが集めてくれてる記録も調べる。もっと採れる方法があるかもしれない」
「まだ集めている途中でございましたな」
「うん。冬の間に少しずつ見る」
先生が眼鏡を押し上げた。
「では、備蓄、購入、輸送については叔父上とわたくしどもで進めましょう」
「私は、冬でも作れるものを考える」
「承知いたしました。ただし――」
「畑全部で実験しない」
「まだ何も申し上げておりませんが」
「先生、それ言うとき大体同じだもん」
「学習されましたな」
「六歳だからね」
「その返答には色々と申し上げたいことがございますが」
危ない。
パンをもう一口食べて誤魔化した。
昨日もらった、小さな花を思い出す。
あの花をくれた女の子も、そのお父さんも、ここで冬を越す。
知らない人が増えたことを、昨日は嬉しいと思った。
今も嬉しい。
だからこそ、来てくれた人たちが、冬になってから困るような場所にはしたくなかった。
◇
それから数日、領地のあちこちで冬支度が始まった。
倉庫には袋に入った穀物が運び込まれ、軒下には薪が積み上げられていく。干した野菜や豆を運ぶ人もいれば、家畜の餌を蓄えるために荷車を往復させている人もいた。
セバス先生は商人と話し、叔父様は倉庫ごとの備蓄を確認している。
私はノエルと、農家の人たちのところを回った。
「冬って、何作ってるの?」
「ほとんど作らねえよ」
バルドさんが言った。
「全然?」
「雪の下でどうしろってんだ」
「家の中は?」
「食うためのもん置く場所だ。畑にする場所じゃねえ」
「じゃあ冬は、秋までに採ったものを食べる?」
「それと、買えるもんだな」
「春は?」
「雪が消えて、土が使えるようになってからだ」
「もっと早く始められたら?」
「できるならな」
できないからやっていない。
当たり前の答えだった。
でも、何かないだろうか。
冬でも完全にはなくならないもの。
この土地にすでにあって、使えるもの。
「ココア、こっち」
先を歩いていたノエルに呼ばれた。
「なに?」
「これ避けて。靴汚れるよ」
畑の端に、大きな山がある。
藁と、家畜の糞。
前にも見た。農家の人たちが畑へ入れるため、しばらく寝かせているものだ。
横を通り過ぎようとして、止まった。
「……ノエル」
「なに?」
「これ、温かくない?」
「温かいよ」
「やっぱり?」
「うん。中の方はもっと温かい」
手を近づける。
冷たい風が吹いているのに、その山からはわずかに温かさを感じる。
「冬も?」
「湯気が出ることあるよ」
「冬でも?」
「あるよ?」
ノエルには当たり前らしい。
でも、その言葉で、知っていることと目の前のものが繋がった。
発酵熱。
有機物を微生物が分解するときには熱が出る。堆肥化の途中なら、内部の温度はかなり上がることがある。
原理は知っている。
問題は、この土地でどの程度の熱が、どれくらい続くのか。
「これ、いつ積んだの?」
「こっちは最近。あっちは前から」
「古い方も温かい?」
「もうそんなに温かくないと思う」
「じゃあ、途中で冷めるんだ」
「そりゃそうじゃない?」
材料。
水分。
積み方。
外気温。
条件によって、温度も持続時間も変わるはずだ。
ここまでは知識で分かる。
でも、この土地の藁と家畜の糞を、いつ、どんな割合で積んでいるのかまでは知らない。
「ノエル」
「なに?」
「ちょっと手伝って」
「何するの?」
「ここのやり方、教えてほしい」
「やり方?」
「何をどれくらい混ぜてるのかとか、いつ積んだのかとか。農家の人に聞きたい」
「温かさを調べるんじゃないの?」
「それも」
「また始まった」
「ちょっとだけ!」
「ココアのちょっと、長いんだよね」
否定できなかった。
◇
農家の人に許可をもらい、積んだ時期の違う山を見せてもらった。
新しく積んだもの。
しばらく経ったもの。
かなり古いもの。
材料や積み方も聞いた。
同じように見えても、全部が同じではなかった。
「……温度、数字で欲しいな」
「数字?」
ノエルが首を傾げる。
「どれくらい違うのか、数字で比べられた方がいいから」
「分かるの?」
「今は無理」
「じゃあどうするの?」
「別の方法で比べる」
温度そのものを測れないなら、温度によって変わるものを比べればいい。
例えば、同じ種。
同じ土。
同じ数。
片方だけ、この熱を使う。
芽が出るまでの日数。育ち方。夜を越せるか。
条件を揃えれば、数字で温度が分からなくても、使えるかどうかは確かめられる。
「熱、使えるかもしれない」
「何に?」
「野菜」
ノエルが堆肥の山を見る。
「ここに植えるの?」
「植えないよ」
「じゃあどうするの?」
広い畑全部を暖めようとするから無理になる。
もっと小さくすればいい。
低い木枠を作る。
発酵しているものと、作物を育てる土は分ける。
その熱だけを使う。
問題は上だ。
熱が逃げれば意味がない。
でも、植物には光がいる。
光を通して、冷たい風を防げるもの。
「あ」
「なに?」
「ガラス」
「ガラスで畑作るの?」
「畑じゃないよ」
両手で大きさを示した。
「最初は、これくらい」
「小さっ」
「だからいいの」
人が入る必要はない。
作物だけ入ればいい。
低い木枠を作り、上をガラスで覆う。
ただ、閉じたままでは晴れた日に中が熱くなりすぎるかもしれない。
「蓋にする」
「ガラスを?」
「うん。開けられるようにするの。暑くなったら少し開ける」
「冬なのに暑くなるの?」
「なるかもしれない」
「分からないの?」
「この土地で、どこまで上がるかは分からない」
知っている方法でも、条件が変われば同じ結果になるとは限らない。
だから試す。
「やっぱり始まった」
「まだ始まってないよ」
「もう始まってるよ」
ノエルが笑った。
私も笑ってから、もう一度堆肥の山を見る。
これだけで冬の食料全部を作るなんて無理だ。
でも、少しなら。
それに――。
「春にも使える」
「春?」
「外がまだ寒いうちから、ここで苗を育てるの。畑に植えられるくらい暖かくなったら、育てておいた苗を外へ出す」
「早く採れる?」
「上手くいけばね」
ノエルの目が少し大きくなった。
「じゃあ、雪がなくなるのを待ってから種を蒔かなくていいの?」
「全部じゃないよ。ここで育てられるものだけ。でも、少し早く始められるかもしれない」
「それ、いい」
「でしょ?」
「早く採れたら、早く売れる」
「……そっち?」
「だって売れるもん」
ノエルは農家の娘だった。
でも、それでいい。
冬に少し作る。
春を少し早く始める。
今年だけじゃなく、来年にも繋がる。
「先生のところ行く」
「お金?」
「お金」
「止められる?」
「必要な研究だから!」
「いつもそう言ってるよね」
「……言ってる」
走り出しかけて、止まった。
「どうしたの?」
「走るとヒルダに怒られる」
「いないよ?」
「あとで知られる」
「なんで?」
「なぜか知られるの」
「じゃあどうする?」
「早歩き」
「走った方が早いよ」
「怒られる時間まで入れたら遅いの」
「なるほど」
ノエルが妙なところで納得した。
◇
「ガラスは四枚までです」
「まだ枚数言ってないよ!」
「お顔に書いてございます」
「みんな最近それ言う!」
セバス先生が眼鏡を押し上げる。
「ガレス殿へ頼むのでしょう?」
「……うん」
「何をお作りになるのでございますか」
紙を一枚もらって、簡単な図を描いた。
低い木枠。
発酵熱を使う部分。
その上に置く栽培用の土。
開閉できるガラスの蓋。
「一個だけ作る」
「自らおっしゃるとは珍しい」
「ちゃんと理由あるよ」
「伺いましょう」
「まず、本当に中が育てられるくらい温かくなるか分からない。昼と夜でも違うし、晴れた日と曇った日でも違う。発酵の具合でも変わる」
「はい」
「だから最初からいっぱい作らない。一個で試す」
「温かさについては、どのように比べられるので?」
「直接は測れないから、育ち方で比べる」
図の横に二つの四角を描く。
「同じ種を、同じ数だけ蒔く。土もできるだけ同じものを使う。一つは木枠の中。もう一つは外。芽が出るまでの日数とか、育ち方とか、夜を越せるかを見る」
「なるほど」
「それなら、温度そのものを数字で測れなくても、違いは分かる」
先生が頷いた。
「これ一つで冬の食料を賄えるとは?」
「無理」
即答した。
「保存できるものは保存する。外から買えるものは買う。道が止まるかもしれないから、余裕を持って備蓄する。それは先生たちがやってくれてる」
「左様でございます」
「これは、それとは別。冬でも少し作れるか試す。それと、春を早く始められるか調べる」
先生が、描いた図を見る。
「今年だけのためではないのでございますな」
「うん」
冬の間には、ノエルたちが集めてくれている畑の記録もある。
よく育つ畑。
育ちにくい畑。
農家の人たちが何を入れ、何を植え、どんな土地だと考えているのか。
そこには、この土地で何十年も積み重ねられてきたものがある。
春になったら、それも畑へ返したい。
「木枠一つ」
「うん」
「ガラスは四枚まで」
「うん」
「勝手に二つ目を作らない」
「成功したら相談する」
「成功しなくても相談してください」
「なんで?」
「失敗した場合の方が、ココア様は次の実験を思いつかれますので」
何も言えなかった。
「図星でございますな」
「……うん」
「では、ガレス殿へ連絡いたしましょう」
「ありがとう!」
「まだ成功しておりませんぞ」
「失敗してもありがとうって言うよ」
「それでは次も断りにくくなるではありませんか」
「じゃあ成功する」
「そういう問題ではございません」
少し笑った。
窓の外では、冷たい風が木々を揺らしている。
昨日、花をくれた女の子。その父親。新しい家に家族を呼んだ職人さん。店を開いた人。畑を広げている人。
その人たち全員を知っているわけじゃない。
でも、ここへ来てくれたことは嬉しい。
だったら、冬が来たことを理由に、ここへ来たことを後悔してほしくなかった。
全部を一人でやる必要はない。
叔父様は備蓄を調べ、先生は必要量とお金を計算する。商人は外から物を運び、農家の人たちはこの土地で冬を越す方法を知っている。ガレスさんなら、必要なガラスを作ってくれる。
だから、私は私にできることを一つやる。
持っているものを繋げれば、できることは増える。
まずは、木枠一つ。
冬が来る前に、小さな春を作ってみよう。




