第29話 叔父様
翌朝。
「ココア様。」
「はい。」
「朝食を。」
「食べた。」
「全部。」
「……食べた。」
「全部。」
「……パンが少し。」
「お戻りくださいませ。」
「叔父様が待ってるよ?」
「パンは逃げません。」
「叔父様も?」
「恐らくは。」
「じゃあ、先に叔父様。」
「パンが先でございます。」
「ヒルダ。」
「はい。」
「どっち?」
「パンでございます。」
「……二対一。」
「多数決ではございませんぞ。」
セバスが眼鏡を押し上げる。
「昨日も聞いた。」
「では、そろそろ覚えていただけると助かります。」
「むぅ……。」
ココアは仕方なく食堂へ戻った。
◇
朝食を終え。
三人は叔父の屋敷へ向かった。
昨日。
ココアたちが到着した屋敷から。
馬車で、それほど遠くない。
「……。」
今日は資料を開いていない。
ココアは窓の外を見ていた。
畑。
家。
道。
荷車。
働く人。
昨日は。
ただ知らない景色だった。
今日は。
少しだけ違う。
「あ。」
「どうなさいました?」
「昨日見た畑。」
ココアが窓の外を指差す。
「たぶん、あれ。」
「もう覚えられたのでございますか?」
「道が曲がったところに、大きな木があったから。」
「なるほど。」
「先生。」
「はい。」
「今日はちゃんと景色見てるでしょ?」
「左様でございますな。」
「昨日も見てたけど。」
「左様でございますか。」
「……信じてない。」
「そのようなことはございません。」
「じゃあ信じてる?」
「……。」
「先生?」
「到着するようでございます。」
「逃げた。」
「到着いたしますぞ。」
馬車がゆっくり速度を落とした。
◇
叔父の屋敷は。
ココアが暮らすことになった屋敷より、少し大きかった。
だが。
領都の伯爵邸ほどではない。
華美でもなかった。
石造りの壁。
庭。
倉庫。
馬小屋。
そして。
庭の端には。
木箱がいくつも積まれている。
「……あれ何?」
「ココア様。」
「なに?」
「まずは叔父君へのご挨拶を。」
「見るだけ。」
「昨日も聞きましたな。」
「まだ触ってないよ?」
「触らないでくださいませ。」
「分かった。」
木箱を見ながら歩く。
「ココア様。」
「見てるだけ。」
「前をご覧くださいませ。」
「はい。」
◇
応接室。
扉が開く。
「ココア・フォン・アルヴェイン様でございます。」
ココアは背筋を伸ばした。
部屋へ入る。
「……。」
窓際に。
一人の男が立っていた。
父より少し若い。
髪の色は似ている。
けれど。
父よりもずっと柔らかい顔をしていた。
「叔父様?」
「そうだ。」
男がココアを見る。
頭から。
足まで。
じっと。
「……。」
「……。」
「叔父様?」
「思ったより元気そうだな。」
「……。」
ココアが首を傾げる。
「魔力がないと、元気じゃないと思った?」
「いや。」
叔父が笑った。
「王都や親族にあれだけ騒がれれば。」
「大人でも疲れる。」
「私、そんなに疲れてないよ。」
「そうか。」
「うん。」
「なら、兄上の手紙に書いてあった通りだな。」
「お父様から?」
「ああ。」
「何て?」
「知りたいか?」
「うん。」
「やめておこう。」
「なんで?」
「本人に聞け。」
「気になる。」
「今度な。」
「叔父様。」
「なんだ?」
「意地悪?」
「兄上よりは優しいつもりだ。」
「……。」
ココアがセバスを見る。
「先生。」
「はい。」
「どう思う?」
「私を、ご兄弟の争いへ巻き込まないでいただけますか。」
「争ってないぞ。」
「今後もそのままでお願いいたします。」
叔父が声を上げて笑った。
「相変わらずだな、セバス。」
「お久しゅうございます。」
「兄上から、お前まで寄越すと聞いた時は驚いた。」
「私もでございます。」
「嫌だったか?」
「命令でございますので。」
「否定しないんだ。」
「必要な仕事であるとは理解しております。」
「そうか。」
叔父の視線が再びココアへ向いた。
「まあ、座れ。」
「はい。」
◇
お茶が運ばれる。
ココアは目の前の叔父を見ていた。
「叔父様。」
「なんだ?」
「魔力、少ないの?」
「ココア様。」
セバスがすぐに口を挟む。
「もう少し聞き方というものを――」
「少ないぞ。」
叔父があっさり答えた。
「どのくらい?」
「平均より、かなり下だ。」
「魔法は使える?」
「使える。」
「何が?」
「水だ。」
「見せて。」
「今か?」
「うん。」
「ココア様。」
「少しだけ。」
「叔父君は見世物ではございませんぞ。」
「別に構わん。」
「叔父君。」
「水くらいだ。」
叔父が空になった杯へ手を向けた。
「……。」
ココアはじっと見る。
空気が僅かに揺れる。
周囲の元素が動く。
集まる。
結び付きが変わる。
ぽたり。
水滴が杯へ落ちた。
ぽたり。
もう一滴。
そして。
止まった。
「……。」
「終わりだ。」
「少ない。」
「だろ?」
「ココア様。」
「悪い意味じゃないよ。」
「分かっている。」
叔父は気にした様子もなく。
杯の底に溜まった僅かな水を見る。
「昔は、よく笑われた。」
「誰に?」
「色々だ。」
「親戚?」
「色々だ。」
「親戚なんだ。」
「……兄上に似ているな。」
「変なところだけ鋭い。」
「お父様も?」
「ああ。」
叔父は杯を指先で弄んだ。
「貴族なら。」
「もっと魔力があって当然だ。」
「そう言われた。」
「……。」
「兄上と比べられたこともある。」
「嫌だった?」
「嫌だったな。」
「そっか。」
「ああ。」
叔父が今度はココアを見る。
「だから。」
「お前をここへ呼んだ理由が。」
「俺にも分かると思っているか?」
「……少し。」
「半分は分かる。」
「半分?」
「ああ。」
叔父の表情が少しだけ変わった。
「俺は魔力が少ない。」
「お前は魔力がない。」
「うん。」
「似ているようで。」
「同じじゃない。」
「……。」
「だから。」
「お前の気持ちが分かるとは言わん。」
「……分からない?」
「分からん。」
「俺には魔力があるからな。」
「そっか。」
「ただ。」
一度。
言葉を切る。
「持っていないもの一つで。」
「持っているものまで。」
「なかったことにされる気分なら。」
「少しは知っている。」
「……。」
ココアは何も言わなかった。
叔父も。
それ以上は言わなかった。
「兄上から手紙をもらった。」
「お父様から?」
「ああ。」
「お前を。」
「領都から離す必要があるとな。」
「……うん。」
「それで俺は返事をした。」
「なんて?」
「こっちなら。」
「居場所くらい作れる。」
「……。」
「逃げる場所くらい。」
「あってもいいだろうってな。」
ココアが少しだけ俯く。
「……ありがとう。」
「礼を言うのは、まだ早いぞ。」
「?」
「ここは領都ほど便利じゃない。」
「知ってる。」
「道も悪い。」
「見た。」
「店も少ない。」
「見た。」
「冬はかなり不便になる。」
「資料に書いてあった。」
「もう読んだのか。」
「うん。」
「……。」
叔父がセバスを見る。
「大変だな。」
「ご理解いただけて何よりでございます。」
「先生。」
「はい。」
「何の話?」
「今後についてでございます。」
「私の?」
「主に私の苦労についてでございます。」
「まだ何もしてないよ?」
「これからなさるのでしょう?」
「……。」
否定できなかった。
◇
「さて。」
叔父が大きな紙をテーブルへ広げた。
「……!」
ココアがすぐに身を乗り出す。
地図。
昨日見たものより。
ずっと詳しい。
「これ。」
「昨日のより細かい。」
「この辺りだけを書いたものだからな。」
「ここ。」
「私の屋敷?」
「そうだ。」
「こっちは?」
「村だ。」
「ここにもある。」
「ああ。」
「川。」
「ここから?」
「山から流れてくる。」
「森は?」
「北側だ。」
「工房は?」
「小さいものなら――」
「どこ?」
「待て。」
「?」
「一つずつ聞け。」
「一つずつ聞いてるよ?」
「間を空けろ。」
「どのくらい?」
「……セバス。」
「諦めた方がよろしいかと存じます。」
「そうか。」
「はい。」
「先生。」
「はい。」
「何を諦めるの?」
「お気になさらず。」
「気になる。」
「先へ進めましょう。」
「むぅ……。」
叔父が地図の一角を指で囲った。
「昨日から、お前が暮らしている屋敷。」
「うん。」
「その周辺と。」
「この村。」
指が動く。
「それから。」
「この辺りの農地。」
「うん。」
「ここはアルヴェイン伯爵家の直轄地だ。」
「お父様の土地?」
「ああ。」
「俺はこの地域の管理を任されている。」
「叔父様が領主なの?」
「違う。」
叔父ははっきり答えた。
「領主は兄上だ。」
「俺は。」
「兄上から任された範囲を。」
「代わりに見ているだけだ。」
「……管理する人?」
「そう考えていい。」
「じゃあ。」
「私の屋敷の周りも?」
「今まではな。」
「今までは?」
「これからは。」
「お前にも少しずつ関わってもらうことになる。」
「……。」
ココアの目が。
地図へ戻る。
「でも。」
「全部好きにしていいわけじゃない。」
「分かってる。」
「本当に?」
「うん。」
叔父が指を折る。
「税。」
「治安。」
「土地の権利。」
「他領との取引。」
「大勢の暮らしを変えること。」
「そういうものを。」
「勝手に決めるな。」
「うん。」
「理由は?」
「ここは。」
「私の実験室じゃないから。」
「……。」
叔父の目が少しだけ細くなった。
「人が暮らしてる。」
「そうだ。」
「私が試したいからって。」
「勝手に変えたら駄目。」
「そうだ。」
「だから。」
「まず見る。」
「聞く。」
「数字も見る。」
「それから。」
「何かするなら。」
ココアがセバスを見る。
「先生と相談する。」
「当然でございます。」
「叔父様にも。」
「ああ。」
「分かった。」
叔父がしばらくココアを見る。
「……六歳だよな?」
「六歳だよ。」
「本当に?」
「本当。」
「セバス。」
「六歳でございます。」
「なんで二人とも確認するの?」
「気にするな。」
「気になる。」
◇
「それで。」
叔父が地図をココアの前へ押した。
「どこから見る?」
「全部。」
「……。」
「全部は分かった。」
「最初はどこだ。」
「村。」
「畑じゃないのか?」
「畑も見る。」
「道は?」
「見る。」
「川。」
「見る。」
「工房。」
「見る。」
「結局、全部じゃないか。」
「うん。」
「だから最初はどこだ。」
「村。」
「なぜ?」
「人がいるから。」
「……。」
叔父が少しだけ表情を変えた。
「何を作ってるのか。」
「何を売ってるのか。」
「何に困ってるのか。」
「資料だけじゃ。」
「全部分からないでしょ?」
「そうだな。」
「だから聞く。」
「それから。」
「畑も。」
「道も。」
「川も見る。」
「……なるほどな。」
叔父が小さく笑った。
「兄上の手紙に。」
「書いてあった通りだ。」
「だから何て書いてあったの?」
「知りたいか?」
「うん。」
「質問を始めたら止めろ。」
「……。」
ココアがセバスを見る。
「先生。」
「はい。」
「お父様。」
「そんなこと書いたの?」
「伯爵様の正確なご判断かと。」
「ひどい。」
「まだあるぞ。」
「何?」
「目を離すな。」
「……ヒルダ。」
「はい。」
「知ってた?」
「概ね。」
「みんな。」
「私を何だと思ってるの?」
「ココア様でございます。」
「答えになってないよ。」
「十分でございます。」
◇
叔父の屋敷を出たのは。
昼前だった。
ココアの手には。
借りた地図。
「先生。」
「はい。」
「村。」
「今日行ける?」
「まず昼食でございます。」
「馬車で食べれば――」
「食堂でございます。」
「まだ最後まで言ってない。」
「分かります。」
「……。」
ココアが地図へ目を落とす。
村。
川。
畑。
森。
道。
知らない場所が。
たくさんある。
まだ。
何も変えるつもりはない。
何を変えるべきなのか。
それすら。
知らない。
見る。
聞く。
数字を集める。
それから。
考える。
「ココア様。」
「なに?」
「地図を見ながら歩かれますと――」
どん。
「わっ。」
誰かにぶつかった。
ココアが一歩後ろへ下がる。
ヒルダがすぐに支えた。
「ココア様。」
「大丈夫。」
ココアが顔を上げる。
「ごめんなさい。」
「……。」
男だった。
日に焼けた顔。
服には土が付いている。
手も。
爪の間まで。
黒く汚れていた。
農民だ。
「怪我してない?」
「……ああ。」
男はココアを見る。
次に。
胸元。
アルヴェイン家の紋章を見る。
「……あんた。」
「?」
「伯爵様んとこの。」
「眼鏡を作ったお嬢様か。」
「はい。」
「……そうか。」
男は。
もう一度。
ココアをじっと見る。
「魔力がないってのも。」
「本当なのか。」
「本当です。」
「……。」
ヒルダが僅かに前へ出た。
だが。
男の顔に。
嫌悪はなかった。
困惑。
迷い。
そして。
何かを考えている顔だった。
「なら。」
男がぽつりと言った。
「ちょうどいいかもしれねえ。」
「……?」
ココアが首を傾げた。
「何が?」
「変なものを見るのが。」
「得意なんだろ?」
「……変なもの?」
「眼鏡だって。」
「傷の中にあった小せえものを見るために作ったって聞いた。」
「……。」
ココアがセバスを見る。
「先生。」
「はい。」
「そんなに広まってる?」
「領都では。」
「それなりに知られております。」
「ここまで?」
「商人は移動いたしますので。」
「そっか。」
男が続ける。
「普通のやり方で。」
「分からねえものを調べる娘だって聞いた。」
「……普通のやり方じゃない?」
「俺には分からん。」
「でも。」
男が道の向こうを指差した。
「魔法使いにも。」
「農業に詳しい奴にも。」
「何人か見てもらった。」
「……。」
「それでも。」
「誰にも分からなかった。」
ココアの表情が変わる。
「あれを。」
「見てくれ。」
遠く。
畑が見える。
昨日。
馬車からいくつも見た。
どこにでもある。
普通の畑。
そう見えた。
「畑?」
「ああ。」
「どうしたの?」
「育たねえ。」
「何が?」
「何を植えてもだ。」
「……。」
ココアの目が畑へ向く。
「今年だけ?」
「いや。」
「去年も。」
「その前も。」
「……。」
「三年だ。」
男が低い声で言った。
「三年続けて。」
「あそこだけ。」
「まともに作物が育たねえ。」
「……。」
ココアの顔から。
さっきまでの表情が消えた。
「周りは?」
「育つ。」
「同じ作物?」
「ああ。」
「種は?」
「同じだ。」
「水は?」
「同じ川から引いてる。」
「肥料は?」
「周りと変わらん。」
「日当たりは?」
「悪くねえ。」
「虫は?」
「特別多くねえ。」
「病気は?」
「分からねえ。」
「土を入れ替えたことは?」
「一部はやった。」
「結果は?」
「変わらなかった。」
「……。」
ココアが地図を閉じた。
「魔法使いには。」
「何を見てもらったの?」
「土だ。」
「魔力の流れに。」
「異常があるんじゃねえかってな。」
「それで?」
「何もないと言われた。」
「……。」
「農業を知ってる奴には?」
「土の色。」
「水。」
「肥料。」
「種。」
「思いつくもんは。」
「だいたい見てもらった。」
「でも。」
「分からない。」
「ああ。」
「……。」
ココアが。
もう一度。
畑を見る。
魔法でも。
分からなかった。
農業の経験でも。
分からなかった。
だから。
自分。
魔力のない。
眼鏡を作った変な令嬢へ。
話が来た。
「ココア様。」
セバスの声。
「先生。」
「はい。」
「昼ご飯。」
「……。」
「持って行って。」
「食べてもいい?」
「ココア様。」
「見るだけ。」
「……。」
「本当に。」
「今日は。」
「見るだけ。」
セバスが長く息を吐いた。
「ヒルダ。」
「はい。」
「昼食を持たせてくださいませ。」
「承知いたしました。」
「!」
ココアがすぐに男を見る。
「案内してください。」
「……ああ。」
男が歩き出す。
ココアもその後を追う。
「そういえば。」
数歩進んで。
ココアが止まった。
「お名前。」
「……あ。」
男も止まる。
「まだ聞いてなかった。」
「ヨハンだ。」
「ヨハンさん。」
「ああ。」
「畑。」
「勝手に触ってもいい?」
「……何するつもりだ?」
「まだ何もしない。」
「見るだけ。」
「本当か?」
「本当。」
「……。」
ヨハンがセバスを見る。
「本当ですかい?」
「私に聞かれましても。」
「先生。」
「ただ。」
セバスが眼鏡を押し上げる。
「私も。」
「本日は見るだけと聞いております。」
「ほら。」
「本日は、でございます。」
「先生。」
「重要なところでございますので。」
ヨハンが。
初めて少し笑った。
「変わったお嬢様だな。」
「よく言われます。」
「そこで認めないでくださいませ。」
「だって本当でしょ?」
「否定はいたしません。」
「先生まで。」
◇
この土地へ来て。
二日目。
ココアは。
まだ。
何があるのかも。
何が足りないのかも。
ほとんど知らない。
だから。
まず。
知る。
そう決めていた。
そして。
ココアが。
この土地で最初に向き合うことになったのは。
魔法使いにも。
農業を知る者にも。
三年間。
理由を見つけられなかった。
作物の育たない畑だった。




