第28話 到着
馬車が。
大きく跳ねた。
「わっ。」
ココアの身体が、
座席から僅かに浮く。
膝の上に広げていた紙が。
ぱさり。
床へ落ちた。
「……。」
向かいに座るセバスが、
眼鏡を押し上げる。
「ココア様。」
「なに?」
「資料をお読みになる前に。」
「景色をご覧になってはいかがですかと。」
「申し上げましたな。」
「見てたよ。」
「資料を?」
「資料と景色。」
「窓は。」
「ココア様の左側にございます。」
「……。」
ココアが、
窓を見る。
「今から見る。」
「左様でございますか。」
ヒルダが。
床へ落ちた紙を拾った。
「ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
紙を受け取り。
ココアは、
もう一度。
窓の外を見る。
「……。」
確かに。
さっきまでとは違っていた。
◇
領都を出たばかりの頃は。
馬車の外には、
まだ見慣れた景色が続いていた。
石を敷いた道。
行き交う荷馬車。
旅人。
商人。
時折。
道沿いに並ぶ店。
けれど。
進むにつれて。
一つ。
また一つ。
減っていった。
石畳が途切れ。
土の道になる。
道幅も狭くなった。
すれ違う荷馬車も。
少ない。
「先生。」
「はい。」
「資料だと。」
「この道。」
「主要道になってるよね?」
「なっております。」
「……これが?」
「この地域においては。」
「主要な道なのでございましょう。」
「……。」
ココアが。
窓から身を乗り出しかける。
ヒルダの手が。
すぐに服の背中を掴んだ。
「ココア様。」
「見てるだけ。」
「窓から落ちる必要はございません。」
「落ちないよ。」
「落ちてからでは遅うございます。」
「むぅ……。」
仕方なく。
座席へ戻る。
道を見る。
轍。
深い。
場所によっては。
雨が降れば。
かなりぬかるみそうだった。
「荷馬車。」
「通りにくそう。」
「雨季には。」
「さらに悪くなると聞いております。」
「冬は?」
「積雪がございます。」
「どのくらい?」
「年によります。」
「通れる?」
「それも。」
「場所と天候によります。」
「……。」
ココアが。
紙へ何かを書く。
セバスが。
それを見る。
『道』
その横に。
『雨』
『雪』
『荷馬車』
「ココア様。」
「なに?」
「まだ。」
「問題と決めるには早うございますぞ。」
「分かってる。」
「本当に?」
「書いただけ。」
「ならば結構でございます。」
「先生。」
「はい。」
「私。」
「そんなにすぐ決めつけないよ。」
「マヨネーズを。」
「初めて作った日のことを。」
「お忘れで?」
「……。」
「保存できると思った?」
「そこまでは申し上げておりません。」
「じゃあ何?」
「目が。」
「売る気でございました。」
「……。」
ヒルダが。
僅かに顔を逸らした。
「ヒルダ。」
「はい。」
「笑った?」
「いいえ。」
「今、絶対笑った。」
「馬車が揺れただけでございます。」
「顔は揺れないよ。」
「そうでしょうか。」
「むぅ……。」
馬車が。
また。
がたん。
大きく揺れた。
「わっ。」
今度は。
研究帳を抱える。
「……先生。」
「はい。」
「今の。」
「一個。」
「何がでございますか?」
「道の穴。」
「数えなくて結構でございます。」
「もう七個。」
「数えておられたのですか。」
「うん。」
「おやめくださいませ。」
「なんで?」
「到着する頃には。」
「それだけで一頁使います。」
「じゃあ。」
「大きいのだけ。」
「おやめください。」
◇
昼を過ぎる頃。
景色が。
さらに変わった。
「あ。」
ココアが。
窓へ近付く。
畑。
広い。
領都の周辺にも。
もちろん畑はあった。
けれど。
ここは。
畑と畑の間が広い。
家が少ない。
遠くに。
人が見える。
農具を持って。
何人かで作業している。
「先生。」
「はい。」
「何を作ってるの?」
「穀物が中心でございます。」
「種類は?」
「資料を。」
「見ていい?」
「……。」
セバスが。
少し考える。
「一枚だけですぞ。」
「うん!」
すぐに。
資料を開く。
「小麦。」
「大麦。」
「豆。」
指で追う。
「野菜もある。」
「ございます。」
「家畜は?」
「おります。」
「何頭くらい?」
「村によります。」
「一番多いのは?」
「資料を最後までお読みくださいませ。」
「先生。」
「はい。」
「質問した方が早い。」
「私を。」
「資料の代わりにしないでいただけますか。」
「だって。」
「先生。」
「知ってるでしょ?」
「知っておりますが。」
「じゃあ――」
「ココア様。」
「はい。」
「まず。」
「ご自身でお読みください。」
「……はい。」
紙へ目を戻す。
数行。
読む。
「……。」
そして。
窓を見る。
資料。
畑。
また。
資料。
「先生。」
「はい。」
「書いてある面積と。」
「今見えてる畑。」
「合ってる?」
「私に。」
「馬車の窓から面積を測れと?」
「だいたい。」
「無理でございます。」
「そっか。」
「現地で。」
「確認なさればよろしいでしょう。」
「うん。」
ココアが。
紙へ書く。
『畑――見る』
さらに。
『農家に聞く』
少し考えて。
『収穫量』
『売値』
『どこへ売る?』
書き足す。
その横へ。
『肥料?』
「……。」
ペンが止まる。
ココアは。
その文字を。
一本の線で囲った。
だが。
それ以上は。
書かなかった。
まだ。
知らない。
土も。
作物も。
この土地で。
どう育てているのかも。
何も。
見ていない。
前世の知識だけで。
答えを決めるには。
早すぎる。
◇
さらに。
馬車は進む。
小さな集落を。
いくつか通った。
「……。」
ココアは。
今度は。
資料を閉じていた。
見る。
家。
人。
畑。
井戸。
荷車。
店。
子供たち。
領都とは違う。
けれど。
別に。
人々が困り果てているわけではない。
道端では。
女たちが話をしている。
子供が走っている。
畑では。
男たちが働いている。
店先には。
少ないながらも。
商品が並んでいる。
普通に。
暮らしている。
「……。」
「何か?」
ヒルダが尋ねる。
「ううん。」
ココアが。
少し考える。
「もっと。」
「すごく貧しいところなのかと思ってた。」
「誰が。」
「そのようなことを?」
「誰も。」
「では。」
「なぜ?」
「お父様が。」
「何もないって。」
「……。」
セバスが。
眼鏡を押し上げた。
「伯爵様は。」
「少々。」
「言葉が足りないところがございます。」
「少々?」
「……ございます。」
「今。」
「言い直した?」
「気のせいでございます。」
ココアが。
もう一度。
外を見る。
「何もないんじゃないね。」
「左様でございます。」
「ちゃんと。」
「ある。」
畑がある。
家がある。
仕事がある。
暮らしている人がいる。
領都と。
同じではない。
けれど。
「知らないだけだった。」
「何がでございますか?」
「私が。」
ココアは。
窓の外を見たまま答えた。
「ここに。」
「何があるのか。」
「……。」
「何もないって。」
「知らない人が言っちゃ駄目だね。」
「左様でございますな。」
「お父様にも。」
「言っておこう。」
「おやめになった方が。」
「よろしいかと存じます。」
「なんで?」
「私からは。」
「申し上げられません。」
「先生も。」
「思ってる?」
「申し上げられません。」
「思ってるんだ。」
「申し上げられません。」
◇
夕方。
ようやく。
馬車の速度が落ちた。
「ココア様。」
ヒルダが。
窓の外を見る。
「到着するようでございます。」
「ほんと?」
ココアが。
窓へ張り付く。
道の先。
木々の向こうから。
建物が見えてくる。
「……あれ?」
「恐らく。」
領都の屋敷とは。
比べものにならない。
二階建て。
石と木を組み合わせた。
古い屋敷。
大きくはない。
庭も。
それほど広くない。
周囲には。
森。
少し離れて。
畑。
さらに向こうには。
屋根がいくつか見える。
「……。」
ココアは。
じっと見る。
「どうなさいました?」
「私の部屋。」
「ございます。」
「研究する部屋は?」
「まず。」
「寝室をご確認くださいませ。」
「研究室は?」
「寝室からです。」
「空いてる部屋ある?」
「ございますが。」
「じゃあ――」
「寝室からです。」
「先生。」
「はい。」
「大事なことなんだけど。」
「睡眠も。」
「大変重要でございます。」
「むぅ……。」
馬車が。
屋敷の前で。
止まった。
◇
扉が開く。
ヒルダが先に降りる。
続いて。
ココア。
地面へ。
足を下ろす。
「……。」
最初に。
屋敷を見た。
次に。
周囲を見る。
空気。
匂い。
遠くから聞こえる。
鳥の声。
風に。
土と草の匂いが混じっている。
領都とは。
全然違う。
「ここが……。」
「はい。」
セバスが。
ココアの隣へ立つ。
「しばらく。」
「ココア様がお暮らしになる場所でございます。」
「……。」
しばらく。
ココアは。
何も言わなかった。
寂しくないわけではない。
今朝まで。
自分の部屋にいた。
父がいた。
母がいた。
兄弟がいた。
料理長がいた。
ガレスがいた。
あの領都で。
六年間。
暮らしてきた。
ここには。
それがない。
「……。」
ココアは。
小さく息を吐いた。
そして。
足元を見る。
土。
「ココア様?」
「……。」
しゃがむ。
指先で。
地面を少し触る。
「ココア様。」
「なに?」
「到着して。」
「最初になさることが。」
「それでございますか?」
「だって。」
土を。
指先で擦る。
「領都と。」
「違うから。」
「……。」
「色も。」
「粒も。」
「匂いも。」
「まだ。」
「屋敷にも入っておりませんぞ。」
「見るだけ。」
「先ほども。」
「同じことを仰っておられましたな。」
「……。」
ココアが。
立ち上がる。
「分かった。」
手についた土を。
ぱんぱん。
払う。
「まず。」
「家。」
「左様でございます。」
「次に。」
「研究する部屋。」
「寝室です。」
「その次。」
「夕食でございます。」
「その次。」
「入浴。」
「その次。」
「就寝。」
「……先生。」
「はい。」
「研究は?」
「明日以降でございます。」
「今日。」
「まだ時間あるよ?」
「ございません。」
「ある。」
「ございません。」
「……。」
ココアが。
ヒルダを見る。
「ヒルダ。」
「セバス様に。」
「賛成でございます。」
「二対一。」
「多数決ではございません。」
「むぅ……。」
その時。
「失礼いたします。」
声がした。
「?」
三人が。
振り返る。
屋敷の方から。
一人の男が。
こちらへ歩いてくる。
年配の使用人らしい。
ココアの前まで来ると。
深く。
頭を下げた。
「ココア・フォン・アルヴェイン様で。」
「いらっしゃいますね。」
「はい。」
「お待ちしておりました。」
「……。」
ココアが。
少しだけ。
背筋を伸ばす。
「叔父様のところの人?」
「はい。」
男は。
もう一度。
頭を下げた。
「領主様より。」
「明日。」
「お時間をいただきたいとのことでございます。」
「領主様……。」
ココアが。
セバスを見る。
「叔父君でございます。」
「……そっか。」
覚えていない。
赤ん坊の頃に。
会ったことがあるらしい。
魔力が。
少ない人。
そのために。
嫌な思いも。
たくさんした人。
そして。
自分へ。
『逃げる場所くらいは。』
『あってもいいだろう。』
そう。
言ってくれた人。
「分かりました。」
ココアは。
男へ頭を下げる。
「明日。」
「会いに行きます。」
「お待ちしております。」
男が。
去っていく。
「……。」
ココアは。
その背中を見送った。
明日。
叔父に会う。
それから。
街を見る。
村も。
畑も。
店も。
できれば。
工房も見たい。
「……。」
「ココア様。」
「なに?」
「また。」
「お顔が変わっておりますぞ。」
「そう?」
「はい。」
「どんな?」
セバスが。
少しだけ。
考える。
「仕事を。」
「増やされる時のお顔でございます。」
「まだ増やしてないよ。」
「これから。」
「増やされるのでしょう?」
「分からない。」
「……。」
「本当に。」
ココアが。
周囲を見る。
知らない屋敷。
知らない村。
知らない畑。
知らない森。
知らない人。
何があるのか。
何がないのか。
何が足りないのか。
何が余っているのか。
まだ。
何も知らない。
だから。
「まず。」
ココアは。
小さく笑った。
「知りたい。」
六歳。
魔力量。
零。
生まれ育った領都を離れて。
ココア・フォン・アルヴェインは。
知らない土地へ。
最初の一歩を。
踏み出した。




