第26話 家の問題
数日後。
アルヴェイン伯爵の執務室には、
いくつもの封書が置かれていた。
「……。」
伯爵は、
一通を開く。
読む。
机へ置く。
次を開く。
読む。
置く。
また一通。
「……くだらん。」
ここ数日。
何度目になるか分からない言葉が、
口から漏れた。
「伯爵様。」
「なんだ。」
「お気持ちは分かりますが。」
「ならば言わせておけ。」
「……承知いたしました。」
机の前に立つセバスが、
眼鏡を押し上げた。
六歳の儀式から、
数日。
神殿から送られた報告は、
王都へ届いた。
そして。
返ってきた。
王都からの、
正式な照会。
アルヴェイン伯爵家長女。
ココア・フォン・アルヴェイン。
六歳の儀式において。
魔力量。
零。
使用した測定具。
測定回数。
立ち会った者。
過去に、
魔法を使用した記録の有無。
測定時の異常。
それらについて、
詳細な報告を求めるものだった。
「確認したいだけ、か。」
「表向きは。」
「表向きは、な。」
伯爵は、
書状を置いた。
王都から返事が来るより先に。
親族からは、
いくつもの手紙が届いていた。
『測定に誤りがあったのではないか』
『何らかの病ではないのか』
『今後の婚姻について、早急に検討する必要がある』
そして。
『アルヴェイン家の名誉に関わる』
「……。」
伯爵の手が止まった。
「セバス。」
「はい。」
「これは誰だ。」
「伯爵様の従兄にあたる方でございます。」
「そうか。」
伯爵は、
もう一度。
書状を見る。
「昨年。」
「眼鏡を三つ注文した男だな。」
「……左様でございます。」
「自分と。」
「妻と。」
「父親の分だったか。」
「よく覚えておいでで。」
「礼状まで寄越したからな。」
伯爵が、
書状を机へ置く。
「何と書いてあったか。」
「覚えているか?」
「概ねは。」
「私は覚えている。」
低い声。
「素晴らしい娘を持ったな、と。」
「……。」
「アルヴェイン家の将来が楽しみだ、と。」
静かな執務室に。
紙の擦れる音だけが響く。
「それが。」
「今度は。」
「家の名誉か。」
「……。」
伯爵の視線が、
机の端へ向く。
眼鏡。
拡大鏡。
そして。
マヨネーズ事業の帳簿。
この二年間。
ココアが、
人と共に作ってきたもの。
利益。
職人への支払い。
農家からの仕入れ。
販売数。
すべて。
数字として残っている。
「数日前と。」
「何が変わった。」
「……。」
「ココアが。」
「何かを忘れたか?」
「いいえ。」
「眼鏡が。」
「使えなくなったか?」
「いいえ。」
「マヨネーズが。」
「不味くなったか?」
「そのような報告も。」
「ございません。」
「なら。」
伯爵は、
椅子へ深く座った。
「何も変わっておらん。」
「……左様でございます。」
ココアは。
何も変わっていない。
変わったのは。
周囲の方だった。
◇
「先生。」
「はい。」
「つまり。」
ココアは、
机の上の紙を見ながら。
少し考えた。
「私に魔力がないことだけが。」
「問題なんじゃないんだね。」
「……。」
セバスは、
すぐには答えなかった。
「続けてくださいませ。」
「うん。」
今日の授業は。
予定していた内容から、
少し変わっていた。
貴族。
家。
婚姻。
継承。
魔力。
この世界で。
それらが、
どう繋がっているのか。
セバスが、
説明していた。
子供向けに誤魔化すことはしない。
ただ。
この世界のことを、
まだ知らないココアへ。
一つずつ。
順番に。
「伯爵家の娘に。」
「魔力がなかった。」
「はい。」
「それだけなら。」
「私一人のこと。」
「ですが?」
「貴族は。」
「家同士で結婚することがある。」
「はい。」
「その時。」
「本人だけじゃなくて。」
「家柄や。」
「魔力も見られる。」
「左様でございます。」
「子供に。」
「どの程度の魔力が受け継がれるか。」
「それを気にする家もある。」
「はい。」
「じゃあ。」
ココアが、
顔を上げる。
「私に魔力がないと。」
「私と結婚する人だけじゃなくて。」
「アルヴェイン家そのものを。」
「どう見るかにも関係する?」
「……はい。」
セバスが、
静かに頷いた。
「それだけではございません。」
「まだあるの?」
「ございます。」
「……それは気の毒な……。」
「誰がでございますか。」
「私。」
「ご自身で仰いますか。」
「だって。」
「分からないこと全部聞いたら。」
「どんどん増えるんだもん。」
「ですが。」
「知らぬままよりは。」
「よろしいでしょう。」
「うん。」
それには。
ココアも同意した。
知らないことは。
調べればいい。
分からないことは。
分かる人に聞けばいい。
前世から。
それは変わらない。
「続けて。」
「では。」
セバスが、
新しい紙を置く。
「この国において。」
「魔力は。」
「単に魔法を使うための力ではございません。」
「うん。」
「特に貴族にとっては。」
「家の力を示すものの一つでもございます。」
「軍事?」
「それもございます。」
「魔法を使える人が多ければ。」
「戦う時にも有利。」
「はい。」
「領地の仕事にも?」
「水や土に関わる魔法を。」
「農業や土木へ用いる地域もございます。」
「なるほど。」
ココアは、
紙へ書いていく。
『魔力』
そこから。
線を伸ばす。
『個人』
『軍事』
『労働』
『婚姻』
『血統』
『家』
「……いっぱい繋がってる。」
「左様でございます。」
「だから。」
「私だけの問題じゃなくなる。」
「はい。」
ココアは、
しばらく紙を見る。
そして。
「でも。」
「はい。」
「これだけなら。」
「家の問題だよね?」
「……。」
セバスの目が、
僅かに変わった。
「先生?」
「その通りでございます。」
「これだけなら?」
「はい。」
「じゃあ。」
「まだあるんだ。」
「……ございます。」
「むぅ……。」
ココアは、
ペンを置いた。
「今日は。」
「増えてばっかり。」
「現実とは。」
「そのようなものでございます。」
「先生。」
「はい。」
「六歳に言うこと?」
「ココア様が。」
「聞いたのでございます。」
「……そうだった。」
セバスが、
眼鏡を押し上げる。
「問題は。」
「魔力を持たない者について。」
「この国にも。」
「ほとんど記録がないことでございます。」
「うん。」
「何が起きるのか。」
「何が起きないのか。」
「分からない?」
「はい。」
「だから。」
「怖がる人がいる。」
「それもございます。」
ココアは。
数日前の市場を思い出した。
自分から。
子供を離した母親。
『不吉だ』
そう囁いていた人。
「でも。」
「私は六年間。」
「ここにいたよ?」
「はい。」
「何も起きてない。」
「左様でございます。」
「だったら。」
「少なくとも。」
「六年間何も起きていないっていう記録はあるよね?」
「……。」
セバスが、
ココアを見る。
「その通りでございます。」
「なら。」
「そこから考えればいいのに。」
「ココア様。」
「なに?」
「人は。」
「必ずしも。」
「確認された事実だけで。」
「判断するとは限りません。」
「……。」
「分からないものを。」
「分からないまま。」
「恐れることもございます。」
「……そっか。」
ココアは、
紙へ。
もう一つ。
書き足した。
『領民』
家。
そこから。
また。
線が伸びた。
◇
授業の後。
ココアは、
執務室へ呼ばれた。
「失礼します。」
「入りなさい。」
扉を開ける。
父。
セバス。
ヒルダ。
そして。
机の上には。
いくつもの封書。
「……。」
「私のこと?」
「ああ。」
父は、
隠さなかった。
「いっぱい来たね。」
「余計なものまでな。」
ココアが、
父の前へ立つ。
「先生に。」
「教えてもらった。」
「何をだ。」
「貴族と。」
「魔力のこと。」
「そうか。」
「私に魔力がないと。」
「家にも関係する。」
「ああ。」
「婚姻とか。」
「血統とか。」
「家の評価とか。」
「ああ。」
「それから。」
「私みたいな人の記録が。」
「ほとんどないことも。」
「……そうか。」
「お父様。」
「なんだ。」
「私が。」
「困らせてる?」
「違う。」
即答だった。
「……。」
「お前が。」
「何か問題を起こしたのか?」
「起こしてない。」
「誰かを傷つけたか?」
「ううん。」
「伯爵家の金を。」
「勝手に使ったか?」
「使ってない。」
「先生に申請してる。」
「そこは。」
「よろしい。」
「お父様まで。」
ココアの頬が、
少し膨らむ。
伯爵の口元も。
ほんの僅かに緩んだ。
「ならば。」
「お前が。」
「困らせているわけではない。」
「でも。」
「私がいなかったら。」
「この手紙。」
「来なかったよね。」
「そうだな。」
「じゃあ――」
「それと。」
「お前が悪いことは。」
「同じではない。」
「……。」
ココアが黙る。
伯爵は。
机の上から、
一冊の帳簿を取った。
「これは。」
「眼鏡と拡大鏡。」
もう一冊。
「こちらは。」
「マヨネーズ。」
「うん。」
「お前に。」
「魔力がないと分かったのは。」
「数日前だ。」
「うん。」
「これは。」
「それより前に生まれた。」
「……。」
「水晶が光らなかったからといって。」
伯爵が、
帳簿へ手を置く。
「今日。」
「これが消えるのか?」
「消えない。」
「ガレスたちが。」
「お前と試作した時間は?」
「消えない。」
「ヒルダのために。」
「拡大鏡を作ったことは?」
「消えない。」
「農家へ行き。」
「卵について調べたことは?」
「消えない。」
「ならば。」
伯爵は、
ココアをまっすぐ見る。
「水晶一つが。」
「お前がやってきたことを。」
「消せるものか。」
「……。」
数日前。
ガレスにも。
似たことを言われた。
『魔力がないと。』
『お嬢が今までやったことが。』
『全部なくなるのか?』
職人のガレス。
伯爵である父。
立場も。
考え方も。
全然違う二人。
なのに。
同じことを言った。
「……お父様。」
「なんだ。」
「ありがとう。」
「礼を言うことではない。」
父は、
以前と同じことを言った。
「私は。」
「お前がしたことを。」
「正当に扱っているだけだ。」
「……うん。」
ココアは。
少しだけ笑った。
◇
その時。
扉が叩かれた。
「入れ。」
「失礼いたします。」
家臣が、
入ってくる。
手には。
一通の封書。
「伯爵様。」
「王都より。」
「追加の書状でございます。」
「……。」
伯爵の表情から。
僅かに。
柔らかさが消えた。
「置け。」
「はい。」
家臣が退出する。
伯爵は。
封蝋を切った。
読む。
「……。」
途中で。
手が止まった。
「お父様?」
「……。」
「何て書いてあるの?」
伯爵は。
すぐには答えなかった。
「ココア。」
「はい。」
「部屋へ戻りなさい。」
「私のこと?」
「……。」
「私のことなら。」
「知りたい。」
「ココア。」
「お父様。」
父と。
娘の目が合う。
「知らないままの方が。」
「嫌。」
「……。」
伯爵が。
小さく息を吐いた。
「セバス。」
「はい。」
「読んでやれ。」
セバスが、
書状を受け取る。
「よろしいのでございますか?」
「ああ。」
「……承知いたしました。」
セバスが読む。
魔力を持たない者について。
記録が、
極めて少ないこと。
その性質。
将来的な影響。
周囲へ及ぼす影響。
いずれについても。
十分な知見がないこと。
そして。
領内において。
既に。
不安の声が生じているとの報告があること。
「……。」
ココアは。
黙って聞いていた。
最後。
セバスの声が止まる。
「先生?」
「……。」
「続き。」
「ココア様。」
「読んで。」
「……はい。」
セバスが。
最後の部分を読む。
「以上を踏まえ。」
「アルヴェイン伯爵家においては。」
「領民への影響を考慮し。」
「魔力を持たないココア・フォン・アルヴェインを。」
一度。
声が止まった。
「今後も。」
「領民と同じ土地に居住させ続けることが。」
「適切であるか。」
「領主として。」
「慎重に判断されたし。」
「……。」
誰も。
何も言わなかった。
「……どういう意味?」
ココアが尋ねる。
「そのままの意味だ。」
父が答えた。
「私が。」
「ここにいていいか。」
「そういうこと?」
「……ああ。」
「……。」
ココアが。
自分の足元を見る。
「でも。」
「うん。」
「私。」
「ずっとここにいたよ?」
「ああ。」
「六年間。」
「ああ。」
「何も。」
「起きてないよ?」
「ああ。」
「なのに?」
「……。」
父は。
答えなかった。
答えられなかった。
ココアは。
もう一度。
セバスが持つ書状を見る。
そこには。
何が起きたとも。
何が危険だとも。
書かれていない。
ただ。
『分からない』
それだけ。
なのに。
自分が。
ここにいていいのかまで。
問題になっている。
「お父様。」
「なんだ。」
「私。」
一度。
ココアの声が止まる。
「ここにいたら。」
「駄目なの?」
「違う。」
父が。
強く言った。
「誰が何と言おうと。」
「ここは。」
「お前の家だ。」
「……。」
「忘れるな。」
「うん。」
ヒルダが。
ココアの肩へ。
そっと手を置いた。
セバスは。
書状を見ている。
「……伯爵様。」
「なんだ。」
「この書き方では。」
「分かっている。」
伯爵の声が。
低くなる。
「追い出せとは。」
「一言も書いていない。」
「はい。」
「領都から出せとも。」
「書いていない。」
「はい。」
「ただ。」
「領主として。」
「判断しろ。」
「……はい。」
「何か起きれば。」
伯爵が。
書状を握る。
「私の判断だ。」
「……。」
「何も起きなければ。」
「王都は何も言わずに済む。」
「左様でございます。」
「そして。」
「何か起きれば。」
握った紙が。
僅かに音を立てる。
「なぜ。」
「魔力を持たない者を。」
「領民の中へ置いていたのかと。」
「問うつもりか。」
「……否定は。」
「できません。」
「……卑怯な書き方だ。」
セバスは。
今度は。
否定しなかった。
「左様でございます。」
◇
その日の夕方。
執務室には。
伯爵と。
セバスだけが残っていた。
「……。」
王都からの書状。
何度読んでも。
内容は変わらない。
「領民への影響、か。」
「はい。」
「六年間。」
「何もなかった。」
「はい。」
「それでも。」
「分からないから怖いと。」
「人とは。」
「そのようなものでございます。」
「くだらん。」
伯爵が。
吐き捨てるように言った。
だが。
今度は。
その一言だけでは。
終わらない。
伯爵は。
父親である。
同時に。
領主でもある。
娘を守る。
領民も守る。
本来なら。
二つは。
何も矛盾しない。
はずだった。
「セバス。」
「はい。」
「ココアを。」
「ここから出すつもりはない。」
「……はい。」
「王都が何と言おうと。」
「私の娘だ。」
「承知しております。」
「だが。」
伯爵の声が。
そこで止まる。
「……。」
セバスは。
待った。
「もし。」
「はい。」
「このまま。」
「領民の目が変わり続ければ。」
「……。」
「ここに置くことが。」
「あの子を守ることになるのか?」
セバスは。
答えなかった。
伯爵も。
答えを求めなかった。
机の上。
王都からの書状。
親族からの手紙。
そして。
ココアが作った商品の帳簿。
すべて。
同じ机の上にある。
「……くだらん。」
もう一度。
伯爵が呟いた。
けれど。
今度の言葉には。
怒りだけではないものが。
僅かに混じっていた。
父として。
娘を。
ここに置いてやりたい。
領主として。
領民の不安を。
無視することもできない。
そして。
何より。
この場所にいることで。
ココア自身が。
傷つき続けるのなら。
「……。」
伯爵は。
娘が作った帳簿へ。
手を置いた。
数日前まで。
考える必要すらなかった。
娘が。
この家で。
この領地で。
育っていくこと。
それは。
あまりにも当然の未来だった。
だが。
今。
初めて。
その未来を。
考え直さなければならなくなった。
問題なのは。
ココアではない。
それでも。
問題は。
確かに。
ココアの周りに。
生まれ始めていた。




