第24話 0。
翌朝。
アルヴェイン伯爵邸は、
いつもより静かだった。
静か。
なのに。
落ち着かない。
使用人たちは、
普段通りに動いている。
けれど。
誰もが。
どこか、
ココアを気にしていた。
「ココア様。」
「はい。」
「お支度が整いました。」
ヒルダが、
最後に襟元を整える。
白を基調とした礼装。
胸には、
アルヴェイン伯爵家の紋章。
「苦しくない?」
「大丈夫。」
「靴は?」
「大丈夫。」
「髪は?」
「ヒルダがやったでしょ?」
「確認でございます。」
「大丈夫。」
「緊張は?」
「……少し。」
「左様でございますか。」
ヒルダが、
僅かに微笑む。
「珍しいですね。」
「昨日も言った。」
「そうでございました。」
ココアも、
少しだけ笑った。
けれど。
胸の奥は、
やっぱり落ち着かなかった。
怖いわけではない。
今日。
自分の中にある魔力が、
初めて数値として示される。
魔力。
前世には存在しなかった力。
この世界へ来て。
何度も見てきた。
兄が放った火球。
ヒルダが使う水魔法。
使用人たちが、
生活の中で使う小さな魔法。
魔法が起きるたび。
周囲の元素が動き。
結合が変化する。
そこまでは見えた。
でも。
その変化を起こしている、
魔力そのものが何なのか。
それは。
まだ分からない。
「……楽しみ。」
「何がでございますか?」
「今日。」
「何か分かるかもしれない。」
「魔力について?」
「うん。」
ヒルダは、
鏡越しにココアを見る。
「ココア様らしいですわね。」
「そう?」
「ええ。」
ヒルダが、
最後に髪を整える。
「参りましょう。」
「うん。」
◇
儀式が行われるのは。
領都にある、
アルヴェイン伯爵家の礼拝堂だった。
六歳を迎えた貴族の子供は。
ここで。
自らが持つ魔力量を調べる。
それは。
単に魔法を使えるかどうかを知るためだけのものではない。
貴族社会では。
魔力量そのものが。
その者の将来を測る一つの基準として、
扱われていた。
広い礼拝堂。
高い天井。
色ガラスを通した光が、
床へ落ちている。
中央には。
大きな水晶。
人の頭より、
ずっと大きい。
透明。
その中心では。
淡い光が、
ゆっくり揺れていた。
「……。」
ココアの足が、
僅かに止まる。
「ココア。」
「はい。」
父が、
隣から声を掛ける。
「緊張する必要はない。」
「うん。」
「手を置くだけだ。」
「それで分かるの?」
「ああ。」
父の声には、
迷いがなかった。
周囲には。
家族。
セバス。
ヒルダ。
儀式を執り行う神官。
測定を補佐する魔術師。
そして。
伯爵家に仕える者たち。
全員が。
ココアを見ていた。
期待。
好奇心。
喜び。
昨日までと、
同じ目。
不安そうな者は。
ほとんどいない。
「ココア様。」
神官が、
穏やかに微笑む。
「こちらへ。」
「はい。」
ココアは、
一歩前へ出た。
水晶の前へ立つ。
「手をお触れください。」
「はい。」
小さな手を。
水晶へ。
ぺたり。
冷たい。
「……。」
全員が、
水晶を見る。
ココアも。
見る。
そして。
意識を集中する。
もし。
自分の身体から何かが流れ込むなら。
見えるかもしれない。
元素ではない。
結合でもない。
別の何か。
魔力。
それが――
「……?」
何も起きない。
水晶は。
透明なまま。
中心に揺れていた淡い光にも。
変化はない。
「……。」
一秒。
二秒。
五秒。
十秒。
長い。
「神官殿。」
父が、
静かに呼ぶ。
「はい。」
神官の顔から。
先ほどまでの笑みが、
消えていた。
「少々。」
「お待ちください。」
水晶へ近付く。
表面を見る。
台座を確認する。
「……。」
「どうした?」
「いえ。」
神官は、
首を横へ振る。
「ココア様。」
「はい。」
「一度、お手を離していただけますか?」
「うん。」
ココアが、
手を離す。
「もう一度。」
「お願いいたします。」
「分かった。」
二度目。
ぺたり。
「……。」
何も。
起きない。
「……。」
礼拝堂の空気が。
少しだけ変わった。
「先生。」
ココアが、
小さく呼ぶ。
「はい。」
セバスは。
いつも通りの声で、
返事をした。
「壊れてる?」
「……。」
誰も。
すぐには笑わなかった。
神官が、
魔術師を見る。
「確認を。」
「はい。」
魔術師が、
水晶へ手を置く。
その瞬間。
ぼうっ。
青白い光が、
水晶の中へ広がった。
「……。」
ココアの目が、
僅かに大きくなる。
「光った。」
魔術師が、
手を離す。
光が消える。
「もう一度。」
「ココア様。」
「お願いいたします。」
神官の声が。
先ほどより。
硬くなっていた。
「うん。」
三度目。
水晶へ手を置く。
今度は。
もっと集中する。
身体の中。
血。
熱。
呼吸。
何か。
何でもいい。
いつもとは違うものを。
探す。
「……。」
ない。
分からない。
そして。
水晶も。
光らない。
「……。」
誰も。
声を出さなかった。
◇
「別の測定具を。」
父が言った。
「伯爵様。」
「確認する。」
「……承知いたしました。」
神官が。
小さな箱を運ばせる。
中から出てきたのは。
金属の枠へ収められた、
小型の魔道具。
中央には。
透明な結晶。
「こちらでも。」
「魔力量を確認できます。」
「ココア。」
父が呼ぶ。
「はい。」
「手を。」
「うん。」
ココアが触れる。
――。
何も。
起きない。
「……。」
「もう一度。」
「はい。」
――。
変わらない。
「……お父様。」
ココアが、
父を見る。
父は。
ココアではなく。
測定具だけを、
見ていた。
「他には?」
「ございます。」
「持ってこい。」
「伯爵様。」
「確認できるものは。」
「すべてだ。」
父の声は。
低かった。
怒っているようにも聞こえた。
けれど。
誰に怒っているのか。
ココアには。
分からなかった。
◇
三つ目。
反応なし。
四つ目。
反応なし。
五つ目。
反応なし。
「……。」
礼拝堂の空気は。
もう。
朝とは違っていた。
期待は。
消えている。
代わりに。
困惑。
戸惑い。
そして。
ほんの少し。
ココアには。
理解できない種類の緊張があった。
「神官殿。」
父が言う。
「説明しろ。」
「……。」
神官は。
しばらく答えなかった。
視線を落とし。
再び。
水晶を見る。
そして。
ようやく口を開いた。
「測定具の故障では。」
「ございません。」
「それは分かっている。」
「はい。」
「では。」
「なぜ反応しない。」
「……。」
神官が。
ココアを見る。
その目が。
さっきまでと。
違っていた。
「おそらく。」
一度。
言葉が止まる。
「ココア様には。」
「……。」
「測定できる魔力が。」
「存在しておりません。」
「……。」
静かだった。
あまりにも。
静かだった。
「……ゼロ?」
ココアが聞いた。
「……はい。」
「少ないんじゃなくて?」
「はい。」
「ほんとに。」
「ない?」
「……はい。」
神官が。
小さく頷いた。
「魔力量。」
「零でございます。」
「……。」
ココアは。
自分の手を見る。
昨日までと。
同じ手。
指。
爪。
手のひら。
何も。
変わっていない。
胸へ手を当てる。
鼓動も。
昨日までと同じ。
「そっか。」
小さく。
呟いた。
◇
「あり得ない。」
父の声だった。
「アルヴェイン家の血を引く者が。」
「魔力を持たないなど。」
「伯爵様。」
神官が、
慎重に答える。
「一般には。」
「魔力を持たぬ者は存在しないものと。」
「そう考えられております。」
「だが。」
「今。」
「目の前にいる。」
「……はい。」
「前例は。」
父の声が、
低くなる。
「本当に。」
「一つもないのか。」
「……。」
神官は。
すぐには答えなかった。
「神官殿。」
「はい。」
「答えろ。」
「……一般の記録には。」
「ほとんど残っておりません。」
セバスの眉が、
僅かに動いた。
「一般の?」
「はい。」
神官が、
一度だけ目を伏せる。
「神殿には。」
「外部へ広く公開されていない。」
「極めて古い記録がございます。」
「……。」
「その中に。」
言葉を選ぶように。
ゆっくり続ける。
「魔力を持たずに生まれた者についての記述が。」
「僅かに。」
「ございます。」
「……なら。」
父が。
僅かに身を乗り出す。
「前例はあるのだな。」
「はい。」
「どう扱われた。」
「……。」
神官が。
黙った。
その沈黙で。
礼拝堂の空気が。
さらに重くなる。
「答えろ。」
「伯爵様。」
「答えろ。」
「……。」
神官は。
一度。
ココアを見る。
そして。
目を伏せた。
「古い記録では。」
「魔力を持たぬ者は。」
「不吉の兆しとして。」
「扱われた例がございます。」
「……。」
ヒルダの表情が。
変わった。
「不吉?」
低い声。
「ヒルダ。」
セバスが、
静かに制する。
「……失礼いたしました。」
けれど。
ヒルダの手は。
強く握られていた。
「理由は。」
父が尋ねる。
「なぜ。」
「魔力がないだけで。」
「不吉とされる。」
「……分かりません。」
「分からない?」
「はい。」
「古い記録にも。」
「明確な根拠はございません。」
「ただ。」
神官は。
慎重に言葉を選ぶ。
「魔力を持つことが。」
「人として当然と考えられている社会で。」
「それを持たぬ者は。」
「異質な存在として。」
「扱われてきた。」
「そのように読むほかございません。」
「……。」
父は。
何も言わなかった。
セバスも。
黙っていた。
だが。
その表情には。
ほんの僅かに。
理解した色が浮かんでいた。
第九話で。
ココアへ。
『私が学んだ記録にはございません』
そう答えた。
あの言葉は。
間違いではなかった。
自分が学んだ記録には。
本当に。
なかったのだから。
◇
ココアだけが。
少し違うことを考えていた。
魔力が。
ない。
なら。
「……先生。」
「はい。」
「魔法。」
「はい。」
「私は。」
「使えない?」
「……。」
セバスは。
すぐには答えなかった。
「一般的には。」
静かに。
言う。
「魔力がなければ。」
「魔法は使えません。」
「……そっか。」
ココアが。
もう一度。
自分の手を見る。
炎。
水。
風。
土。
この世界で。
当然のように使われている力。
自分では。
使えない。
「……。」
少し。
残念だった。
本当に。
少し。
けれど。
同時に。
別の疑問が。
頭の中へ浮かんでいた。
なら。
自分に見えている元素は。
何なのか。
結合へ触れられるのは。
なぜなのか。
魔力がないのに。
どうして。
自分だけが。
こんなことをできるのか。
「……面白い。」
ぽつり。
漏れた。
「ココア様?」
ヒルダが。
驚いた顔をする。
「あ。」
ココアが。
顔を上げた。
「ごめん。」
「何がでございますか?」
「今。」
「ちょっと。」
困ったように。
笑う。
「調べたいって思った。」
「……。」
セバスが。
ほんの僅かに。
目を閉じた。
「ココア様らしいですな。」
「先生。」
「はい。」
「褒めてる?」
「半分ほど。」
「残りは?」
「今は。」
「申し上げない方がよろしいでしょう。」
「むぅ。」
ほんの一瞬。
いつもの空気が戻った。
だが。
それは。
本当に。
一瞬だけだった。
◇
礼拝堂の後方。
使用人たちが。
小声で話している。
「魔力がない……?」
「そんなことが。」
「でも。」
「何度やっても。」
「……。」
声は。
小さい。
けれど。
静かな礼拝堂では。
聞こえる。
ココアにも。
父にも。
「黙れ。」
一言。
それだけで。
全部。
止まった。
父が。
ゆっくり振り返る。
「今日。」
「ここで見聞きしたことを。」
「不用意に外で話すな。」
「……はい。」
使用人たちが。
一斉に頭を下げる。
「神官殿。」
「はい。」
「正式な記録は?」
「作成する義務がございます。」
「……。」
父の目が。
僅かに細くなる。
「保留にはできないのか。」
「伯爵様。」
神官が。
今度は。
はっきりと首を横へ振った。
「六歳の儀式は。」
「貴族として正式な記録に残ります。」
「魔力量も?」
「はい。」
「……。」
父が。
黙る。
「どれほど時間を置ける。」
「測定結果そのものを。」
「変えることはできません。」
「聞いているのは時間だ。」
「……数日が限度かと。」
「分かった。」
父は。
短く答えた。
それ以上。
何も言わなかった。
けれど。
ココアにも。
ようやく。
一つだけ分かった。
この結果は。
この部屋の中だけで。
終わるものではない。
◇
帰りの馬車。
誰も。
しばらく話さなかった。
父。
セバス。
ヒルダ。
ココア。
「……。」
ココアは。
窓の外を見る。
昨日まで。
楽しみだった。
今日。
一つ分かった。
自分には。
魔力がない。
この世界で。
ほとんど存在しない。
魔力ゼロ。
「……。」
けれど。
窓の外は。
何も変わっていなかった。
道。
畑。
人。
荷車。
空。
全部。
昨日と同じ。
「お父様。」
「……なんだ。」
「私。」
「何か変わった?」
父が。
ココアを見る。
「……。」
「昨日までと。」
「今日で。」
「私は。」
「何か違う?」
「……。」
父は。
すぐには答えなかった。
その沈黙が。
ココアには。
少しだけ。
不思議だった。
「ココア。」
やがて。
父が言う。
「お前は。」
一度。
言葉を切る。
「私の娘だ。」
「……うん。」
「それは。」
「変わらん。」
「……そっか。」
ココアは。
少しだけ。
笑った。
ヒルダが。
目を伏せる。
セバスは。
眼鏡の奥から。
窓の外を見ていた。
父の言葉は。
嘘ではない。
昨日までと。
ココアは何も変わっていない。
知識も。
記憶も。
元素を見る目も。
結合へ触れる力も。
ガレスたちと作った眼鏡も。
ハンスと繋がった卵も。
料理長と作ったマヨネーズも。
何一つ。
消えてはいない。
けれど。
その結果は。
数日後には。
正式な記録になる。
魔力量。
零。
たった。
それだけ。
それだけの数字で。
昨日までココアを見ていた者たちが。
同じように。
明日も。
ココアを見るとは限らない。
今日。
変わったのは。
ココアではない。
この世界が。
ココアを見る目の方だった。




