第22話 食べてから決めて
数日後。
領都の市場。
いつもなら。
野菜や果物が並ぶ通りの一角に。
見慣れない台が置かれていた。
その上には。
茹でた芋。
人参。
葉物野菜。
そして。
小さな陶器の壺が十個。
「……。」
ココアは、
その十個をじっと見ていた。
「ココア様。」
「なに?」
「見つめても売れませんぞ。」
「分かってる。」
「でしたら。」
「もう少し肩の力を抜かれてはいかがでしょう。」
「抜いてるよ。」
「左様でございますか。」
セバスが、
眼鏡を押し上げる。
その隣では。
料理長が、
茹でた芋を一口大に切っていた。
「料理長。」
「はい。」
「大きくない?」
「この程度でよろしいかと。」
「一口で食べられる?」
「食べられます。」
「マヨネーズ多くない?」
「味を知っていただくのであれば。」
「これくらいは必要でしょう。」
「……うん。」
ココアが頷く。
今日は。
マヨネーズを、
初めて売る日。
価格は。
一壺。
銅貨三枚。
安すぎれば。
材料費も。
料理長たちの手間も。
容器代も出ない。
けれど。
知らない食べ物に。
何の迷いもなく払えるほど、
安い金額でもない。
だから。
「まず。」
「食べてもらう。」
ココアが呟いた。
「味見でございますな。」
「うん。」
前世なら。
試食販売は珍しくもなかった。
けれど。
味見そのものなら、
この市場にもある。
果物を一切れ渡す店。
酒を一口飲ませる店。
焼いた肉を、
少し食べさせる店。
なら。
わざわざ新しい仕組みにする必要もない。
今あるやり方を使えばいい。
違うのは。
今日は。
食べてもらった結果まで、
記録すること。
「先生。」
「はい。」
「紙。」
「こちらに。」
「ありがとう。」
ココアは、
販売台の端へ紙を置いた。
『芋』
『人参』
『葉物』
その横に。
『試食』
『購入』
「……よし。」
「ココア様。」
「なに?」
「売る前から。」
「随分と楽しそうでございますな。」
「売れるかも気になるけど。」
「どれが一番人気になるかも気になる。」
「なるほど。」
「料理長は?」
「私は。」
料理長が、
芋を見る。
「芋だと思っております。」
「私は人参。」
「では。」
「勝負でございますな。」
「うん。」
「……。」
セバスが、
二人を見る。
「何の勝負を始めているのでございますか。」
「売れ方。」
「仕事をしてくださいませ。」
「してるよ。」
「料理長も。」
「しております。」
「……。」
セバスが、
小さく息を吐いた。
◇
最初に足を止めたのは。
市場へ買い物に来ていた、
中年の男だった。
「なんだ?」
「これ。」
「食べてみませんか?」
「……食い物か?」
「はい。」
ココアが、
芋を一つ差し出す。
その上には。
淡い黄色のマヨネーズ。
「いくらだ?」
「食べるだけなら無料です。」
「……無料?」
男が、
怪訝そうな顔をした。
「売り物なんだろ?」
「はい。」
「なんで無料なんだ?」
「知らないものに。」
「いきなりお金を払うのは嫌でしょ?」
「……まあな。」
「だから。」
「先に食べてもらいます。」
「気に入ったら買ってください。」
「気に入らなかったら?」
「買わなくていいです。」
「……。」
男は、
ココアを見る。
次に。
芋を見る。
「じゃあ。」
「もらうぞ。」
「どうぞ。」
一口。
「……。」
男が噛む。
ココアが見る。
「……。」
「ココア様。」
「なに?」
「近うございます。」
「感想聞きたい。」
「それでも近うございます。」
「……。」
一歩下がる。
「どう?」
「酸っぱいな。」
「嫌い?」
「俺は。」
「ちょっと苦手だな。」
「そっか。」
ココアは、
紙へ書く。
『芋 試食一』
『購入 ×』
「……。」
男が、
紙を見る。
「悪いな。」
「なんで?」
「買わねえから。」
「大丈夫。」
「……そうなのか?」
「うん。」
ココアは、
普通に答えた。
「全員が好きな味なんてないから。」
「……。」
「それに。」
「食べた人が全員買ったら。」
「逆にちょっと怖い。」
「なんでだよ。」
「そんな商品ある?」
「……ねえな。」
「でしょ?」
男が笑った。
「変なお嬢様だな。」
「よく言われる。」
「ココア様。」
「なに?」
「そこで認めないでください。」
「でも言われるよ?」
「……否定はいたしません。」
「先生まで。」
男は、
笑いながら去っていった。
◇
二人目。
若い女性。
人参。
「……私は好きです。」
「ほんと?」
「ええ。」
「買う?」
「……。」
女性が、
壺を見る。
「いくらですか?」
「銅貨三枚。」
「三枚……。」
少し迷う。
そして。
「今日はいいです。」
「分かりました。」
ココアが記録する。
『人参 試食一』
『購入 ×』
「ココア様。」
「なに?」
「残念ではございませんか?」
「少しは。」
「ですが?」
「美味しいと。」
「お金を払ってでも欲しいは。」
「同じじゃないから。」
「……。」
セバスが、
僅かに目を細めた。
「左様でございますな。」
「うん。」
味だけではない。
値段。
量。
使い道。
その人の暮らし。
いくら美味しくても。
金を払うほど欲しくなければ。
商品としては売れない。
前世で。
買い物をしていた自分だって、
同じだった。
◇
三人目。
大柄な男。
「無料で食えるって聞いたぞ。」
「早い。」
「何が?」
「噂。」
「市場だからな。」
男が、
芋を一つ取る。
「いただくぞ。」
「どうぞ。」
一口。
「……。」
もう一つへ、
手が伸びる。
ぺし。
ココアが、
その手を軽く叩いた。
「二個目は駄目。」
「なんでだよ。」
「試食だから。」
「まだ味が分からん。」
「今。」
「美味しそうな顔してた。」
「してねえ。」
「してた。」
「もう一個。」
「買って。」
「ケチだな。」
「売り物だから。」
男が笑う。
「いくらだ?」
「銅貨三枚。」
「壺ごとか?」
「うん。」
「食べ終わった壺を返してくれたら。」
「銅貨一枚返します。」
「……返す?」
「洗って。」
「また使うから。」
「なるほどな。」
男が、
壺を持ち上げる。
「じゃあ。」
「一つくれ。」
「!」
ココアの顔が、
一瞬だけ明るくなる。
「先生。」
「はい。」
「売れた。」
「ええ。」
「一個。」
「記念すべき一個目でございますな。」
「うん!」
「お嬢。」
「なんだ?」
「金。」
「あ。」
男が、
銅貨を三枚差し出す。
ココアは、
両手で受け取った。
「ありがとうございます。」
「おう。」
男が、
壺を持って去っていく。
ココアは、
手の中の銅貨を見る。
三枚。
眼鏡の時とは違う。
自分が考え。
料理長と味を作り。
卵の供給を調べ。
保存を考え。
職人と容器を作った。
その全部を通って。
今。
目の前の誰かが。
自分のお金を払って買った。
「……。」
「ココア様。」
「なに?」
「いつまで眺めておられるのです。」
「あ。」
慌てて、
セバスへ渡す。
「先生。」
「はい。」
「お願いします。」
「確かに。」
セバスが受け取り。
帳簿へ記した。
◇
それから。
少しずつ。
人が集まり始めた。
「なんか食わせてるぞ。」
「伯爵様んとこのお嬢だ。」
「眼鏡のお嬢か?」
「何売ってるんだ?」
「まよ……なんとか。」
「無料だってよ。」
「食うだけならな。」
「……。」
ココアが、
人の数を見る。
「先生。」
「はい。」
「増えた。」
「無料という言葉は。」
「なかなか強うございますな。」
「うん。」
前世でも。
無料の試供品や試食には、
人を立ち止まらせる力があった。
世界が変わっても。
人間のそういうところは、
あまり変わらないらしい。
「こちらへ並んでくださいませ。」
ヒルダが、
人を整理する。
「押さないでください。」
「試食はお一人一つまででございます。」
「お子様を前へ。」
「そちらの方。」
「二度目でございますね。」
「……ばれたか。」
「ばれております。」
「ヒルダ。」
「はい。」
「すごい。」
「何がでございますか?」
「全部覚えてる。」
「護衛でございますので。」
「関係ある?」
「ございます。」
たぶん。
ココアは、
そういうことにした。
◇
「芋。」
「十四人。」
「購入は?」
「五人。」
「人参。」
「十一人。」
「三人。」
「葉物。」
「九人。」
「二人。」
ココアが、
紙を見る。
「……料理長。」
「はい。」
「芋だった。」
「申し上げた通りでございます。」
「まだ一日目。」
「負け惜しみでございますか?」
「違う。」
「そういうことにしておきましょう。」
「むぅ。」
そして。
販売台を見る。
空。
「……全部売れた。」
十個。
用意したマヨネーズは。
すべてなくなった。
「完売でございますな。」
セバスが言う。
「うん。」
ココアは、
記録を見る。
試食した人数。
食材。
買った人数。
感想。
そして。
十個完売。
「ココア様。」
「なに?」
「嬉しくないのでございますか?」
「嬉しいよ。」
「では。」
「なぜ難しいお顔を?」
「だって。」
ココアは、
紙を持ち上げる。
「今日だけじゃ。」
「分からないから。」
「珍しかったから。」
「買っただけかもしれない。」
「伯爵家のお店だから。」
「買ってくれた人もいるかもしれない。」
「無料で食べられるから。」
「人が集まっただけかもしれない。」
初日の売上だけでは。
継続して需要があるとは。
まだ判断できない。
「だから。」
「明日も売る。」
「同じ数を?」
「うん。」
「できれば。」
「同じ場所。」
「同じ値段。」
「同じくらいの時間。」
「条件を変えすぎたら。」
「比べにくくなるから。」
セバスが、
静かにココアを見る。
「承知いたしました。」
「料理長。」
「はい。」
「明日もお願いしていい?」
「もちろんでございます。」
「ヒルダ。」
「はい。」
「明日も。」
「お供いたします。」
「先生。」
「私は。」
「最初から人数に含まれておりますな?」
「うん。」
「左様でございますか。」
◇
二日目。
八壺。
三日目。
九壺。
四日目。
七壺。
初日の勢いは。
落ちた。
けれど。
ゼロにはならない。
「……。」
ココアは、
数字を見る。
一日目。
十。
二日目。
八。
三日目。
九。
四日目。
七。
物珍しさだけなら。
もっと早く。
売れなくなってもおかしくない。
けれど。
まだ。
判断するには早い。
「もう少し。」
「続けますか?」
セバスが尋ねる。
「うん。」
「ここからが知りたい。」
◇
五日目。
ココアが、
販売台を準備していると。
「お。」
聞き覚えのある声。
顔を上げる。
「あ。」
初日。
最初にマヨネーズを買った、
あの大柄な男だった。
「お嬢。」
「こんにちは。」
「今日もあるか?」
「あるよ。」
「一個くれ。」
「……。」
ココアが止まった。
「どうした?」
「前。」
「買ったよね?」
「買った。」
「食べた?」
「食ったから来たんだろ。」
「……。」
ココアの目が、
少しずつ大きくなる。
「もう一回。」
「買ってくれるの?」
「だから。」
「一個くれって言ってんだろ。」
「……うん!」
壺を一つ渡す。
「銅貨三枚。」
「分かってる。」
男が銅貨を出す。
さらに。
「ほら。」
「?」
もう一つ。
空になった壺。
「返したら。」
「一枚戻ってくるんだろ?」
「……!」
「先生!」
「聞いております。」
セバスが、
銅貨一枚を男へ返す。
「毎度ありがとうございます。」
「おう。」
男は、
新しい壺を持って去っていった。
「……。」
ココアは。
その背中を、
しばらく見ていた。
「ココア様。」
「なに?」
「今度は見過ぎでございます。」
「だって。」
ココアが、
紙へ書く。
『二回目』
その文字を。
丸で囲んだ。
「……一回だけじゃなかった。」
「ええ。」
一度だけなら。
物珍しさかもしれない。
伯爵家への興味だったかもしれない。
でも。
同じ人が。
もう一度。
自分のお金を払って買った。
「少なくとも。」
「あの人には。」
「また食べたいものになった。」
「左様でございますな。」
セバスの口元が、
僅かに緩む。
「商売を続けるのであれば。」
「初めて買ってくださる方と同じくらい。」
「もう一度買ってくださる方は。」
「大切でございます。」
「うん。」
ココアは。
今度こそ。
嬉しそうに笑った。
◇
それから。
空になった壺が、
少しずつ戻り始めた。
「昨日の。」
「もう一つくれ。」
「子供がまた食べたいって言ってな。」
「パンにも合ったぞ。」
「肉に付けても旨かった。」
初めて買う人。
もう一度買う人。
少しずつ。
両方が混ざり始める。
料理長は。
客の話を聞くたびに。
新しい使い方を、
紙へ書き留めていた。
「肉ですか。」
「今度試しましょう。」
「パンも。」
「合うと思う。」
「では。」
「料理長。」
「はい。」
「楽しそう。」
「仕事でございます。」
「最初より絶対楽しんでる。」
「仕事でございます。」
「二回言った。」
「大切なことでございますので。」
ココアが笑う。
◇
十壺では。
足りない日が出た。
だから。
十五。
それでも。
足りない日が出た。
二十。
料理店からも。
「うちでも出してみたい。」
という話が来た。
けれど。
ココアは。
すぐに数を増やそうとはしなかった。
「一日にどのくらい?」
「毎日?」
「何の料理に使う?」
「試しに一度だけ?」
「続けて欲しい?」
一つずつ。
聞く。
記録する。
欲しいと言われたから。
ただ作るのではない。
どれだけ必要なのか。
その需要が。
一時的なのか。
続くものなのか。
それを見てから。
作る量を決める。
◇
さらに数日後。
伯爵邸。
「ココア様。」
「なに?」
授業を終えたココアの前へ。
セバスが、
一冊の帳簿を置いた。
「マヨネーズについて。」
「ご報告がございます。」
「売れなくなった?」
「逆でございます。」
「……。」
ココアが、
帳簿を見る。
製造数。
販売数。
再購入。
容器の返却数。
材料費。
売上。
そして。
卵。
「現在の注文数ですと。」
「今後も同程度の販売が続いた場合。」
「これまでの仕入れ量では。」
「卵が足りなくなります。」
「……。」
ココアの手が止まった。
頭に浮かんだのは。
三十二羽の鶏。
そして。
ハンスの言葉。
『売れるのであれば。』
『その時はこちらも考えましょう。』
あの時は。
鶏を増やす理由がなかった。
だから。
増やさなかった。
今は。
違う。
予想ではない。
実際に。
買う人がいる。
もう一度買う人もいる。
料理店からの注文も来ている。
「先生。」
「はい。」
ココアが、
帳簿を閉じる。
「ハンスさんのところ。」
「行こう。」
セバスが、
僅かに笑った。
「左様でございますな。」
鶏を増やす理由が。
ようやく。
生まれた。




