第17話 混ざり合うもの
二年が経った。
◇
「先生。」
「はい。」
「増えた?」
「何がでございますか?」
「研究費。」
「……。」
セバスは、
手元の帳簿から顔を上げた。
その顔には、
もうすっかり見慣れた眼鏡が掛かっている。
「ココア様。」
「はい。」
「昨日も同じことをお尋ねになりましたな。」
「昨日から売れてるかもしれないでしょ?」
「売れてはおります。」
「じゃあ増えた?」
「昨日と今日で。」
「ココア様が期待されているほどの変化はございません。」
「そっか……。」
ココアは、
少し残念そうに椅子へ座り直した。
五歳になった。
二年前より、
身体はずっと大きくなった。
それでも。
椅子へ座れば、
まだ足は床へ届かない。
二年前。
ヒルダの傷を見るために作った、
一枚のガラス。
それは今。
眼鏡と拡大鏡という、
二つの商品になっていた。
眼鏡は、
近くの文字が見づらくなった者たちへ。
拡大鏡は、
医師。
薬師。
宝石職人。
細かな加工を行う職人へ。
少しずつ。
使う者が増えている。
製造方法も、
あの頃よりずっと整えられた。
見本となるガラス。
決められた規格。
製造工程の記録。
検査方法。
最初に考えた仕組みを。
ガレスたち職人と。
セバスが。
二年を掛けて、
この世界で使える形へ育ててくれた。
そして。
そこから生まれた利益の一部は、
今もココアの取り分として積み立てられている。
もちろん。
それを管理しているのは。
「先生。」
「はい。」
「帳簿見せて。」
「授業の後です。」
「ちょっとだけ。」
「授業の後です。」
「……むぅ。」
セバスだった。
「では。」
「本日の授業を始めましょう。」
「はーい。」
「その前に。」
「?」
セバスが、
眼鏡越しにココアを見る。
「そこまで研究費を増やしたいのであれば。」
「次は何をなさるおつもりですか?」
「何か作る。」
「何を?」
「……。」
ココアが止まった。
「それを考えてる。」
「なるほど。」
「……。」
「……。」
セバスは、
それ以上何も言わない。
ココアは眉を寄せた。
二年前の眼鏡。
最初から、
売るために作ったものではなかった。
ヒルダの傷を見たかった。
セバスが、
近くの文字を見づらそうにしていた。
必要が先にあった。
だから。
作った。
そして。
同じように必要としている者が、
他にもいた。
「……先生。」
「はい。」
「街に行きたい。」
「街へ?」
「うん。」
ココアは、
窓の外を見る。
「この街の暮らしを。」
「ちゃんと見に行きたい。」
「ほう。」
「何を作ってるのか。」
「何を使ってるのか。」
「何を売ってるのか。」
「私。」
「知ってるつもりで。」
「ちゃんとは知らないから。」
前世の社会なら知っている。
研究者として働き。
金を稼ぎ。
商品を買い。
社会の中で暮らしていた。
けれど。
ここは違う。
この世界で。
何が当たり前で。
何が当たり前ではないのか。
そこまでは。
まだ知らない。
「自分で見たい。」
「良いお考えでございます。」
セバスの口元が、
僅かに緩む。
「行っていい?」
「もちろんでございます。」
「ほんと?」
「ええ。」
セバスは、
眼鏡を押し上げた。
「ココア様も。」
「もう五歳でございますから。」
「……もう?」
「まだ五歳、と申し上げた方がよろしいですかな。」
「もう五歳!」
「では。」
「本日はそういうことにしておきましょう。」
「本日は?」
「ココア様の都合によって。」
「五歳が大人になったり子供になったりいたしますので。」
「先生だってするでしょ。」
「さて。」
「ずるい。」
その時。
「ふふ。」
後ろから、
小さな笑い声が聞こえた。
「ヒルダ?」
「はい。」
「いつからいたの?」
「最初からでございます。」
「……。」
ココアが、
セバスを見る。
「知ってた?」
「もちろんでございます。」
「教えてよ。」
「聞かれませんでしたので。」
「むぅ。」
ヒルダが、
また僅かに笑った。
◇
アルヴェイン領の領都。
五歳になったココアが、
初めて街を歩くわけではない。
父と出掛けたこともある。
眼鏡を作るようになってからは、
工房へ何度も足を運んだ。
けれど。
今日の目的は、
今までとは違う。
何かを作りに来たのではない。
街そのものを見る。
馬車を降りる。
その瞬間。
ココアの姿勢が変わった。
背筋を伸ばす。
歩幅を整える。
ここでは。
自分の振る舞いもまた、
アルヴェイン伯爵家のものとして見られる。
ヒルダから、
何度も教えられたことだった。
「参りましょう。」
「はい。」
「お供いたします。」
三人が、
街へ入る。
すると。
「おや。」
早速、
声が掛かった。
「お嬢じゃないですかい。」
「あ。」
木工場の前。
見覚えのある職人が、
手を止めてこちらを見ている。
「こんにちは。」
「今日はガレスんとこですか?」
「今日は違うの。」
「街を見に来た。」
「街を?」
「うん。」
「勉強。」
「へえ。」
職人が笑った。
「五歳で街の勉強ですかい。」
「もう五歳だよ。」
「こりゃ失礼。」
隣の工房からも、
別の男が顔を出す。
「お嬢!」
「眼鏡。」
「親父がえらく気に入ってますよ!」
「ほんと?」
「帳面読むのが楽になったって。」
「痛くないって?」
「何も言ってませんな。」
「壊れてない?」
「まだ大丈夫です。」
「まだ?」
「言い方ですって。」
「何かあったらガレスさんに言ってね。」
「あいよ。」
職人たちは、
気軽に手を振る。
二年前とは、
少し違う。
最初は。
伯爵家の令嬢。
それだけだった。
けれど。
何度も工房へ行き。
失敗し。
一緒に考え。
また作った。
いつの間にか。
彼らにとってココアは。
伯爵家の令嬢であると同時に。
『お嬢』
になっていた。
「ココア様。」
「なに?」
「随分と顔を覚えられましたな。」
「そう?」
「ご本人だけが。」
「あまりお気付きでないようですが。」
「工房いっぱい行ったから。」
「左様でございますね。」
「先生も有名だよ。」
「私は結構でございます。」
「眼鏡の先生。」
「なおさら結構でございます。」
◇
ココアは、
街を歩いた。
パン屋。
鍛冶場。
染色工房。
革工房。
陶器。
木工。
前世にもあったもの。
前世とは違うもの。
そして。
魔法が使われているもの。
「先生。」
「はい。」
「あそこ。」
「染色工房でございます。」
「何で染めてるの?」
「植物や鉱物など。」
「様々でございます。」
「温度は?」
「そこまでは存じません。」
「時間は?」
「職人へ伺わなければ。」
「使う水は?」
「水?」
「場所によって違わない?」
「……。」
「染料と布の割合は?」
「ココア様。」
「なに?」
「一つずつにいたしましょう。」
「でも。」
「全部気になる。」
「今日は。」
「街すべてを研究する日ではございません。」
「……。」
「一日では終わりませんよ。」
「じゃあ明日も。」
「そういう意味ではございません。」
「むぅ。」
後ろで。
ヒルダが笑いを堪えていた。
「ヒルダ。」
「はい。」
「笑った?」
「いいえ。」
「絶対笑った。」
「気のせいでございます。」
ココアは、
少し頬を膨らませる。
けれど。
すぐに視線を工房へ戻した。
知らない。
だから面白い。
前世の知識があるからこそ。
違うところも、
よく見える。
同じ材料があるからといって。
同じ製法とは限らない。
同じ目的でも。
魔法を使うこともある。
まず。
この世界では、
どうしているのか。
それを知らなければならない。
◇
市場へ入った。
野菜。
果物。
穀物。
肉。
魚。
乳製品。
香辛料。
加工食品。
店と店の間を歩きながら。
ココアは、
一つずつ見ていく。
その時。
「卵。」
足が止まった。
籠の中に、
いくつもの卵が並んでいる。
「この辺りの?」
「へえ、お嬢。」
店主が答える。
「領都の近くの村からです。」
「そうなんだ。」
ココアは、
卵を見る。
次の店。
瓶に入った、
黄色みのある液体。
「菜種油?」
「よくご存じで。」
「これも近くで?」
「一部は南の村から。」
「足りない分は外から仕入れてますな。」
「ふーん……。」
さらに歩く。
今度は。
鼻へ、
つんとした酸味のある匂いが届いた。
「お酢。」
「こちらは領都の醸造所でございます。」
セバスが言う。
「……。」
ココアの足が止まった。
卵。
油。
酢。
そして。
塩。
「……全部ある。」
「何がでございますか?」
セバスが、
ココアの横顔を見る。
「材料。」
「何の?」
ココアは、
すぐには答えなかった。
頭の中で。
前世の記憶が繋がっていく。
卵黄。
油。
酢。
塩。
油と水分は、
そのままでは分かれる。
けれど。
卵黄に含まれる成分が、
その間へ入る。
乳化。
そして。
その仕組みを利用した、
よく知る調味料。
「……。」
ココアの口元が、
少しずつ緩んだ。
「ココア様。」
「なに?」
「そのお顔は。」
「何?」
「何か思いつかれましたな。」
「……なんで分かったの?」
「二年間。」
「ココア様の教育係をしておりますので。」
「またそれ。」
「便利でございます。」
「先生、ずるい。」
ヒルダも、
ココアを見る。
「何をお作りになるのでございますか?」
「まだ。」
「作れるか確認してない。」
「珍しいことを仰いますね。」
「ヒルダまで。」
ココアは、
もう一度材料を見る。
知識はある。
原理も知っている。
でも。
この世界の卵。
この世界の油。
この世界の酢。
味も違えば。
性質も、
完全に同じとは限らない。
そして。
何より。
ココアは、
料理人ではない。
「料理長に相談する。」
「料理長に?」
「うん。」
ココアは、
セバスを見る。
「先生。」
「はい。」
「卵と油とお酢。」
「買っていい?」
「用途は?」
「試作。」
「食品の?」
「うん。」
「でしたら。」
「問題ございません。」
「ありがとう。」
◇
その日の午後。
伯爵邸の厨房。
作業台の上には。
卵。
菜種油。
酢。
塩。
そして。
料理長。
セバス。
ヒルダ。
ココア。
「では。」
料理長が、
材料を見る。
「改めて伺います。」
「こちらで。」
「何をお作りになるのでございますか?」
「マヨネーズ。」
「……まよ?」
「マヨネーズ。」
「料理でございますか?」
「調味料。」
「ほう……。」
料理長が、
材料へ目を落とす。
「どのようなものなので?」
「卵黄と油とお酢を使う。」
「混ぜるのでございますか?」
「うん。」
「油と酢を?」
「そう。」
「……分かれると思いますが。」
「そのままならね。」
ココアの目が、
材料へ向く。
「でも。」
「卵黄が間に入れば。」
「混ざった状態を保てる。」
「卵黄が?」
「うん。」
料理長は、
卵を見る。
「そのような働きがあるのでございますか。」
「あるよ。」
乳化。
ココアにとっては、
既知の現象だった。
けれど。
「料理長。」
「はい。」
「私が分かるのは。」
「原理と。」
「だいたいの作り方。」
「はい。」
「美味しくするのは。」
「料理長にお願いしたい。」
「……私が?」
「うん。」
ココアは、
並んだ材料を見る。
「油の種類。」
「お酢の量。」
「塩。」
「味は。」
「料理長の方が分かるでしょ?」
「……なるほど。」
料理長の顔が変わった。
初めて聞く調味料を、
ただ作らされる顔ではない。
料理人の顔になった。
「承知いたしました。」
「まずは。」
「少量で試しましょう。」
「うん!」
料理長が卵を手に取る。
コン。
殻を割り。
卵黄と白身を分ける。
器へ卵黄。
酢。
塩。
「ここから混ぜる。」
「はい。」
「油は少しずつ。」
「一度にではなく?」
「うん。」
「混ぜながら。」
「ほんの少しずつ。」
料理長が、
泡立て器を手に取る。
「では。」
「私が混ぜましょう。」
「お願い。」
「油は――」
「私が。」
ヒルダが、
一歩前へ出た。
「……。」
料理長が止まる。
セバスも止まる。
ココアも止まった。
「何でしょう。」
ヒルダが、
三人を見る。
「ヒルダ。」
「はい。」
「油だよ?」
「承知しております。」
「少しずつだよ?」
「承知しております。」
「本当に。」
「ちょっとずつ。」
「ココア様。」
ヒルダの眉が、
僅かに動いた。
「私は。」
「油を注ぐことすらできないと。」
「そうお考えなのでございますか?」
「……。」
ココアは。
料理長を見る。
料理長が、
すっと目を逸らした。
セバスを見る。
眼鏡を押し上げた。
「先生。」
「私に判断を求めないでください。」
「なぜです。」
ヒルダの声が、
少し低くなる。
「いえ。」
「ヒルダ。」
「はい。」
「お願い。」
「お任せください。」
ヒルダが、
油の入った器を手に取った。
その持ち方は。
剣を持っている時より。
なぜか。
少しだけ不安だった。
「……ヒルダ。」
「何でしょう。」
「ゆっくりね。」
「承知しております。」
「少しだけ。」
「承知しております。」
「一気に入れたら――」
「ココア様。」
「はい。」
「信用してくださいませ。」
「……はい。」
料理長が、
泡立て器を動かし始める。
「では。」
「ヒルダ殿。」
「はい。」
器が傾く。
細い筋となって。
油が落ちた。
「……。」
ココアが見つめる。
「……ちゃんとできてる。」
「油を注いでいるだけでございます。」
「うん。」
「なぜ驚かれるのでございますか。」
「ヒルダだから。」
「ココア様。」
「ごめんなさい。」
料理長の肩が、
僅かに震えた。
「料理長。」
「混ぜております。」
「まだ何も言ってない。」
「失礼いたしました。」
油が加わる。
混ぜる。
また少し。
混ぜる。
ココアは、
器の中へ意識を集中した。
視界が変わる。
元素。
結合。
物質の境目。
「……。」
油は。
水分と直接結び付いているわけではない。
新しい物質へ、
変わっているわけでもない。
それでも。
細かく散った油の周囲へ。
卵黄に含まれる成分が、
集まっている。
油と水分。
本来なら、
離れていく二つのもの。
その境目へ。
間に入るものがいる。
「……面白い。」
声が漏れた。
「ココア様?」
「そのまま。」
「はい。」
ヒルダが、
少しずつ油を加える。
料理長が、
混ぜ続ける。
「……。」
知っていた。
乳化という言葉も。
その仕組みも。
前世で学んでいる。
けれど。
エレメントサイトを通して。
実際にその状態を見るのは、
初めてだった。
「結合してないのに……。」
「何がでございますか?」
ヒルダが尋ねる。
「油と水。」
「はい。」
「一つになったわけじゃない。」
「でも。」
「間に入ってるものが。」
「離れるのを邪魔してる。」
「……。」
ヒルダには、
よく分からない。
それでも。
ココアが何かを見ていることだけは、
もう知っていた。
「面白い……。」
「ココア様。」
「なに?」
「お顔が近うございます。」
「もうちょっと。」
「なりません。」
「見るだけ。」
「先ほどから十分ご覧になっております。」
「でも。」
「入りません。」
「入らないよ。」
「入りそうでございます。」
「むぅ。」
料理長が、
ついに笑った。
「料理長。」
「申し訳ございません。」
「絶対反省してない。」
「滅相もございません。」
その間にも。
器の中は、
変わり続ける。
さらりとしていたものが。
徐々に。
白っぽく。
とろりと。
粘りを持ち始めた。
「……これは。」
料理長が、
泡立て器を持ち上げる。
ゆっくり。
中身が落ちる。
「確かに。」
「分かれておりませんな。」
「できた?」
ココアが、
器を覗き込む。
「形としては。」
「出来ております。」
「味見しよう。」
料理長が、
少量を匙へ取った。
口へ。
「……。」
ココア。
ヒルダ。
セバス。
三人が、
じっと見る。
「どう?」
「……酸味が。」
「強い?」
「少々。」
「じゃあ酢を減らす?」
「いえ。」
料理長は、
もう一度味を見る。
「油との割合も変えてみたいですな。」
「塩も。」
「それと。」
「油そのものの味も。」
「……!」
ココアの顔が、
ぱっと明るくなる。
「料理長。」
「はい。」
「楽しくなってきた?」
「……。」
料理長は、
器を見る。
そして。
僅かに笑った。
「少々。」
「やった。」
ココアも笑う。
「じゃあ。」
「条件を変えて試そう。」
「全部一度に変えないで。」
「一つずつ。」
「記録も取る。」
「承知いたしました。」
料理長が、
新しい器を用意する。
「ヒルダ。」
「はい。」
「次も油お願い。」
「お任せください。」
料理長が、
ヒルダを見る。
「ヒルダ殿。」
「何でしょう。」
「油を注ぐ才能は。」
「おありのようです。」
「……褒めておりますか?」
「もちろんでございます。」
「料理長。」
「はい。」
「後ほど。」
「なぜです!?」
厨房に。
ココアの笑い声が響いた。
◇
一回目。
酸味が強い。
二回目。
油が多い。
三回目。
塩を調整。
四回目。
「……。」
料理長が、
小さな匙で味を見る。
「どう?」
ココアが尋ねる。
料理長は、
すぐには答えなかった。
もう一度。
少量。
「料理長?」
「ココア様。」
「なに?」
「茹でた野菜を。」
「野菜?」
「はい。」
「こちらなら。」
「よく合う気がいたします。」
「うん!」
用意されたのは。
茹でた芋。
人参。
葉物野菜。
料理長が、
芋へ少量のマヨネーズを付ける。
一口。
「……。」
「どう?」
料理長が、
目を細める。
「これは。」
「良いですな。」
「ほんと?」
「ええ。」
今度は人参。
「こちらも。」
「葉物は?」
「試しましょう。」
一つ。
また一つ。
組み合わせを変えていく。
料理長の動きが、
少しずつ速くなる。
「……。」
ココアは、
その様子を楽しそうに見ていた。
原理を知っているのは。
自分。
でも。
料理を知っているのは。
料理長だ。
自分一人で、
全部できる必要はない。
「ココア様。」
「なに?」
「こちらを。」
料理長が、
茹でた人参へ。
少量のマヨネーズを添える。
ココアが、
口へ運んだ。
「……!」
酸味。
油のコク。
卵黄の濃さ。
そして。
野菜の甘み。
「おいしい。」
自然と。
笑った。
「前に知ってたものと。」
「少し違うけど。」
「ちゃんと美味しい。」
「前に?」
「……。」
ココアが止まる。
「前に。」
「考えてた味。」
「なるほど。」
料理長は、
特に気にした様子もなく頷いた。
その後ろで。
セバスだけが。
一瞬。
ココアを見た。
けれど。
何も言わなかった。
◇
その日の夕食。
伯爵は。
野菜の横へ添えられた、
見慣れないものを見ていた。
「これは何だ。」
「マヨネーズ!」
「まよ……ねーず。」
「うん。」
「野菜につけて食べてみて。」
伯爵が、
少量を付ける。
口へ。
「……。」
ココアが、
じっと見る。
「どう?」
「悪くない。」
「ほんと?」
「ああ。」
今度は、
別の野菜。
「こちらにも合う。」
「でしょ?」
ココアの顔が、
得意げになる。
「ココア様。」
「なに?」
ヒルダが、
静かに声を掛けた。
「何か。」
「お忘れではございませんか?」
「……?」
ココアが考える。
「あ。」
ヒルダを見る。
「ヒルダも作った!」
「油を注いだだけでございます。」
料理長が言った。
「料理長。」
「はい。」
「後ほど。」
「先ほども伺いました。」
伯爵が、
二人を見る。
「何があった。」
「何もございません。」
「ございました。」
「どちらだ。」
セバスが、
静かに眼鏡を押し上げた。
「伯爵様。」
「なんだ。」
「お味だけを。」
「お楽しみになられるのがよろしいかと。」
「……そうしよう。」
ココアは笑った。
前世では。
当たり前のように、
食卓にあったもの。
その知識と。
この土地にある材料。
そして。
この世界の料理人の技術。
それらが合わさって。
一つの味になった。
「料理長。」
「はい。」
「明日も作ろう。」
「もちろんでございます。」
「もっと美味しくできる?」
「できます。」
料理長は。
少しも迷わなかった。
「ここからは。」
「料理人の仕事でございます。」
「……うん!」
ココアは。
嬉しそうに頷いた。
その夜は。
ただ。
作れたことが。
嬉しかった。




