第15話 同じもの
翌日。
ココアは、
再びガラス工房にいた。
「……ない。」
作業台を見る。
「これも。」
「はい。」
「こっちもない。」
「左様でございます。」
昨日まで。
そこには、
セバスには合わなかったガラスが、
何枚も並べられていた。
丸み。
厚さ。
少しずつ形の違う、
試作品。
セバスには合わなかった。
けれど。
それだけで失敗と決めるのは早い。
『他の人には合うかもしれないから、残しておいてください』
そう頼んでおいたものだった。
「ガレスさん。」
「はい。」
「なくなったものは、どこにありますか?」
ガレスが、
少し困ったように頭を掻いた。
「それが……。」
「工房の者が使っておりまして。」
「使ってる?」
「はい。」
ガレスが、
奥へ声を掛ける。
「おい。」
「はい!」
一人の職人がやって来た。
五十歳ほどの男だった。
その手には、
一枚のガラス。
「あ。」
ココアには分かった。
セバスには、
合わなかったものだ。
「それ。」
「見やすいですか?」
「はい。」
男が、
少し緊張しながら答える。
「最近、帳面の細かな文字が見づらくなっておりまして。」
近くにあった紙を手に取る。
「こうして離せば読めるのですが。」
腕を伸ばす。
「近付けると、どうにもぼやけまして。」
「うん。」
「ですが。」
ガラスを通して、
紙を見る。
「これを使いますと。」
紙を近付ける。
「読めるのでございます。」
「……。」
ココアの目が、
少しずつ輝いていく。
「他のガラスも試しましたか?」
「はい。」
「どれが一番見やすかったですか?」
「これでございます。」
「……やっぱり。」
小さく呟く。
「ココア様?」
セバスが尋ねる。
「先生に合わなくても。」
「この人には合った。」
「そのようでございますね。」
「じゃあ。」
ココアが笑う。
「失敗じゃなかった。」
「残しておいてよかった。」
そして、
すぐにガレスを見る。
「他にも使った人はいますか?」
「はい?」
「この方だけですか?」
「いえ。」
「実は、他にも試した者がおりまして。」
「何人くらいですか?」
「四人ほどでしょうか。」
「年齢は?」
「……年齢でございますか?」
「はい。」
「少々お待ちください。」
ガレスが、
職人たちへ確認する。
「四十二。」
「五十一。」
「五十八。」
「それから、六十三だったかと。」
「どのガラスが一番見やすかったか、分かりますか?」
「……。」
ガレスが、
作業台を見る。
「そこまでは。」
「覚えていませんか?」
「申し訳ございません。」
「いえ。」
ココアは、
すぐに紙を取った。
「では。」
「もう一度、試してもらえますか?」
「もう一度?」
「はい。」
羽根ペンを持つ。
「今度は、ちゃんと残します。」
「残す?」
「誰が。」
「どれを使って。」
「どう見えたのか。」
「全部。」
ココアは、
紙へ線を引き始めた。
名前。
年齢。
試したガラス。
見え方。
「先生。」
「はい。」
「紙を使ってもいい?」
「用途を伺ってからにいたしましょう。」
「今、言ったよ?」
「……左様でございましたね。」
「使っても?」
「どうぞ。」
「ありがとう。」
ココアは、
満足そうに頷いた。
◇
「これ。」
「名前がないと、分からなくなる。」
ココアは、
試作品を一枚ずつ並べた。
「名前、でございますか?」
「うん。」
一枚目を指差す。
「一号。」
二枚目。
「二号。」
三枚目。
「三号。」
「……随分と簡単でございますな。」
セバスが言う。
「分かればいいの。」
「左様でございますか。」
「うん。」
四号。
五号。
六号。
順番に、
小さな札を置いていく。
「では。」
「最初の方からお願いします。」
一人目の職人が、
椅子へ座った。
「椅子は、そのままでお願いします。」
「はい。」
「紙はここ。」
ココアが、
一定の位置へ紙を置く。
大きな文字。
その下に、
少し小さな文字。
さらに、
小さな文字。
「読んでみてください。」
「はい。」
大きな文字は読める。
次も。
その次で。
「……少々。」
「見づらいですな。」
「では、これを。」
一号。
「どうですか?」
「少し大きく見えます。」
「見やすい?」
「……いえ。」
「少しぼやけます。」
ココアが書く。
『一号 ×』
「次。」
二号。
「こちらは……。」
「先ほどより見やすいです。」
『二号 ○』
三号。
「……これが一番です。」
『三号 ◎』
四号。
「これは少し、強すぎるような……。」
『四号 ×』
「うん。」
ココアは、
記録を見る。
「三号。」
次の人。
同じ椅子。
同じ場所。
同じ紙。
同じ順番。
「二号がいいですな。」
次。
「私は四号です。」
次。
「三号でしょうか。」
「……。」
いつの間にか。
ガレスが、
ココアの後ろから紙を覗き込んでいた。
「なるほど。」
「何か気付きました?」
「いや。」
「こうして並べてみると。」
「随分と分かりやすいものだと思いまして。」
「うん。」
「ですが。」
ガレスが、
椅子を見る。
「なぜ、椅子の位置まで決めるのでございますか?」
「変えたら。」
「ちゃんと比べられないから。」
「……?」
「近くで読む人と。」
「遠くで読む人がいたら。」
「ガラスが違うから見え方が変わったのか。」
「距離が違うから変わったのか。」
「分からなくなるでしょ?」
「……なるほど。」
「比べるなら。」
「調べたいもの以外は。」
「できるだけ同じにするの。」
前の世界では、
当たり前だった。
条件を揃える。
記録する。
比較する。
一度だけの結果で、
決めつけない。
研究者なら、
最初に身に付けることの一つだった。
「ガレスさん。」
「はい。」
「もっと試してくれる人はいますか?」
「まだでございますか?」
「四人だけでは、少ないです。」
「少ない……。」
ガレスが、
工房を見回す。
「では。」
「近くの職人にも声を掛けてみましょう。」
「お願いします。」
そこで。
ココアが、
ふと思い出したように付け加える。
「でも。」
「急に見えなくなった人や。」
「目が痛い人は、連れてこないでください。」
「駄目なのですか?」
「はい。」
「それは眼鏡を試す前に。」
「お医者様に診てもらった方がいいです。」
「……。」
ガレスが、
少し意外そうにココアを見る。
「これは。」
「近くの文字が見づらくなった人のためのものだから。」
「何でも治せるものじゃありません。」
「……承知いたしました。」
ガレスが、
ゆっくり頷いた。
◇
その日の午後。
作業台の上には、
何枚もの紙が並んでいた。
「二号……六人。」
「三号……九人。」
「四号……四人。」
「一号は?」
「二人でございます。」
セバスが答える。
「五号は?」
「三人ですな。」
「……。」
ココアは、
記録を見比べる。
全員が同じではない。
でも。
完全にばらばらでもない。
いくつかに、
分けられそうだった。
「先生。」
「はい。」
「一人ずつ。」
「最初から作らなくてもいいかもしれない。」
「と、申しますと?」
ココアは、
二号。
三号。
四号。
それぞれのガラスを、
作業台へ並べた。
「同じものを。」
「また作れればいいんだよね?」
「同じもの、でございますか?」
「うん。」
二号を指差す。
「二号って書いてあるのに。」
「次に作った二号が。」
「全然違ったら困るでしょ?」
「それは、もちろん。」
「だから。」
ココアは、
一枚のガラスを持ち上げた。
「これと同じものを。」
「もう一枚作れないかな?」
「……。」
ガレスの表情が変わる。
「同じもの。」
「でございますか。」
「難しい?」
「……できないとは申しません。」
ガレスが、
ガラスを受け取る。
「ですが。」
「ガラスは手で削ります。」
「同じ職人が削っても。」
「まったく同じものになるとは限りません。」
「そっか……。」
ココアは考える。
前世なら。
寸法。
曲率。
研磨精度。
数値で管理する方法はいくらでもある。
けれど。
この世界には。
それを正確に測る道具も、
加工する機械もない。
知っているからといって。
同じことができるわけではない。
「じゃあ。」
「これを残しておくのは?」
「残す?」
「うん。」
三号のガラスを、
指差す。
「これは売らない。」
「新しく三号を作ったら。」
「最後にこれと比べるの。」
「同じくらい見えるか。」
「形がおかしくないか。」
「ガレスさんたちに確認してもらう。」
「……。」
ガレスが、
基準となるガラスを見る。
「見本にする。」
「ということですかな。」
「うん。」
「一号も。」
「二号も。」
「全部。」
ココアは、
並んだガラスを見る。
「同じものを作りたいなら。」
「最初に。」
「同じって何なのか。」
「決めておいた方がいいと思う。」
「……。」
ガレスは、
しばらく何も言わなかった。
やがて。
「面白い。」
「え?」
「いや。」
「失礼いたしました。」
ガレスが、
僅かに笑う。
「御嬢――」
言いかけて。
止まった。
「……ココア様は。」
「変わったことをお考えになりますな。」
「……。」
ココアが、
ガレスを見る。
「今。」
「何と呼びました?」
「……。」
「御嬢って言った?」
「……失礼いたしました。」
「別にいいよ。」
「はい?」
「ガレスさんが。」
「その方が呼びやすいなら。」
「……。」
ガレスが、
少しだけ目を丸くする。
「では。」
「仕事の最中だけ。」
「御嬢と呼ばせていただいても?」
「うん。」
「でも。」
「ちゃんと作ってね。」
「そこは厳しいですな。」
「大事だから。」
「承知しましたよ、御嬢。」
初めて。
ガレスが、
そう呼んだ。
ココアは少しだけ笑って、
すぐにガラスへ視線を戻した。
「それと。」
「作り方も残せないかな。」
「作り方?」
「うん。」
「使ったガラス。」
「大きさ。」
「どこを削ったか。」
「どうやって磨いたか。」
「分かることだけでいいから。」
「書いておくの。」
「……私が覚えておりますが。」
「でも。」
「ガレスさんがお休みしたら?」
「……。」
「それに。」
「いっぱい欲しい人が来たら。」
「ガレスさん一人じゃ作れないでしょ?」
「それは……。」
ココアは、
工房を見回す。
ガラスを切る者。
火を扱う者。
磨く者。
道具を整える者。
「全部。」
「一人でやらなくてもいいんじゃない?」
「……。」
「削るのが得意な人。」
「磨くのが得意な人。」
「それぞれ。」
「得意なところを手伝ってもらう。」
「最後に。」
「ガレスさんが確認する。」
「……。」
ガレスは、
腕を組んだ。
すぐには答えない。
職人には、
職人のやり方がある。
何年も掛けて、
一通りの技術を身に付ける。
その世界へ。
昨日今日やって来た自分が、
口を出している。
前世の知識があるからといって。
この世界の職人より、
ガラス作りを知っているわけではない。
そこは。
ココアにも分かっていた。
「……全部。」
「変えなくてもいいよ。」
ガレスが、
ココアを見る。
「私。」
「ガラスのことは。」
「ガレスさんほど知らないから。」
「……。」
「どうしたら。」
「同じものをたくさん作れるのか。」
「一緒に考えてほしい。」
ガレスは、
黙ってココアを見る。
三歳の伯爵令嬢。
工房へ突然やって来て。
妙な形のガラスを頼み。
何度失敗しても止めず。
今度は、
職人の仕事のやり方まで考え始めた。
けれど。
自分の知識だけが正しいとは、
一度も言わなかった。
「……分かりました。」
ガレスが、
作業台のガラスを手に取る。
「職人たちとも相談してみましょう。」
「本当?」
「ええ。」
「ただし。」
「?」
「こちらからも。」
「色々と口を出させてもらいますよ。」
「うん!」
「そこは。」
「お願いします。」
ガレスの口元が、
僅かに上がった。
「承知しました、御嬢。」
◇
「それと。」
今度は、
セバスが口を開いた。
「同じものを作れるようになれば。」
「価格も決めやすくなりますな。」
「値段?」
「はい。」
セバスが、
二号のガラスを手に取る。
「同じ材料。」
「同じ程度の手間。」
「同じ品質。」
「一つ作るために必要な費用が分かれば。」
「この品はいくら、と。」
「あらかじめ価格を決めやすくなります。」
「……。」
ココアが考える。
「じゃあ。」
「同じものなら。」
「同じ値段で売れる?」
「基本的には。」
「その方がいい。」
「なぜでございますか?」
「分かりやすいから。」
即答だった。
「買う人も。」
「作る人も。」
「最初からいくらか分かってた方がいいでしょ?」
「ええ。」
セバスが、
僅かに微笑む。
「私も。」
「その方が帳簿を付けやすくて助かります。」
「じゃあ決まり。」
「いえ。」
「?」
「価格を決めるのは。」
「これからでございます。」
「先生が?」
「私が。」
セバスが指を折る。
「材料費。」
「職人へ支払う賃金。」
「金属枠の加工費。」
「工房の利益。」
「その他に掛かる費用も確認いたします。」
「できる?」
「ココア様。」
「なに?」
「私を何だと思っておられるのでございますか。」
「先生。」
「……。」
ガレスが、
顔を背けた。
「ガレスさん。」
「何も申しておりません。」
「笑った?」
「決して。」
「むぅ。」
◇
話が一段落したところで。
ガレスが、
並んだ試作品を見る。
「ところで、御嬢。」
「なに?」
「この眼鏡ですが。」
「うん。」
「すでに欲しいという者が。」
「何人もおります。」
「……ほんと?」
「ええ。」
「今日試していただいた方からも。」
「いつ作ってもらえるのかと聞かれましてな。」
「……。」
ココアは、
並んだ紙を見る。
二号。
三号。
四号。
名前。
年齢。
結果。
まだ。
調べたいことはある。
人数も。
もっと増やしたい。
文字の大きさ。
読む距離。
使い続けた時に、
問題が出ないか。
分からないことは、
いくらでもある。
「ガレスさん。」
「はい。」
「今なら。」
「何個くらい作れる?」
「少数であれば。」
「では。」
セバスが口を開く。
「まずは。」
「少数から始めるのがよろしいでしょう。」
「うん。」
「実際に使っていただき。」
「問題が出れば記録する。」
「そして。」
「直せるところを直していく。」
「うん!」
ココアは、
すぐに紙へ書き加えた。
『作ったあとも調べる』
「これでよし。」
「ココア様。」
「なに?」
セバスは、
その紙を見ていた。
「一つ。」
「伺ってもよろしいでしょうか。」
「うん。」
「この眼鏡が売れた場合。」
「その利益を。」
「どうなさるおつもりですか?」
「……。」
ココアが止まった。
「利益?」
「はい。」
「ガレスさんのお金じゃないの?」
「……。」
今度は。
セバスが止まった。
ガレスも、
ココアを見る。
「違うの?」
「いえ。」
「当然。」
「工房には正当な代金と利益を受け取っていただきます。」
「うん。」
「ですが。」
セバスが、
自分の眼鏡へ触れる。
「この眼鏡を考案なさったのは。」
「どなたでございますか?」
「……私。」
「最初の試作費を負担したのは?」
「お父様。」
「見え方を調べる方法を考え。」
「種類を分け。」
「同じものを作る方法まで。」
「今、考えておられたのは?」
「……私。」
「でしたら。」
セバスは、
静かに言った。
「その価値を。」
「すべて工房へお渡しする必要もございません。」
「……?」
ココアには。
まだ、
ぴんと来なかった。
欲しいものを作った。
困っている人が、
使えるようにした。
同じものを作れないか、
ガレスと一緒に考えた。
それだけだった。
だが。
セバスには。
ココアとは、
まったく別のものが見えていた。
眼鏡だけではない。
同じ品質のものを。
繰り返し作る仕組み。
それを欲しがる人々。
そして。
まだ、
この世界の誰も売っていないもの。
「ココア様。」
「なに?」
セバスが、
作業台いっぱいに広がったものを見る。
一号。
二号。
三号。
基準となるガラス。
検査結果。
作り方を書き始めた紙。
そして。
すでに、
眼鏡を欲しがっている人々。
「これは。」
「ガレス殿の工房だけで。」
「決めてよい話ではなくなるかもしれません。」
「……?」
「一度。」
「アルヴェイン伯爵様へ。」
「ご報告いたしましょう。」
「お父様に?」
「ええ。」
「どうして?」
セバスは、
少しだけ笑った。
「ココア様。」
「はい。」
そして。
眼鏡へ、
そっと触れた。
「これは。」
「一つの眼鏡を売るだけでは。」
「終わらないかもしれません。」
「……。」
ココアは、
作業台を見る。
何枚ものガラス。
何枚もの紙。
そして。
「御嬢。」
ガレスが、
試作品の一枚を持ち上げた。
「こいつ。」
「もう一枚。」
「作ってみてもいいですかい?」
ココアが、
顔を上げる。
昨日までなら。
ココアが頼み。
ガレスが作っていた。
けれど。
今。
初めて。
ガレスの方から、
試してみたいと言った。
「うん。」
ココアは笑った。
「やってみよう。」
まだ。
ココアは知らない。
ヒルダを助けるために作った、
たった一枚のガラスが。
屋敷の外で得た、
最初の仲間とともに。
自分の世界を、
少しずつ広げ始めていることを。




