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魔力0の伯爵令嬢、すいへーりーべーで領地開拓!〜研究費を稼いでいたら領地が発展しました〜  作者: 大福


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第10話 知らないもの

 ヒルダが倒れた。


「……ヒルダ?」


 ほんの少し前まで、


 隣を歩いていた。


 いつものように朝食を終え、


 いつものようにセバスの授業へ向かう途中だった。


 礼儀作法がどうとか。


 昨日は十五分しかやっていないとか。


 そんな話をしていた。


 それなのに。


 突然、


 ヒルダの足が止まった。


 壁へ手をつき。


 何かを言おうとして。


 そのまま、


 崩れるように床へ倒れた。


「ヒルダ!」


 ココアは駆け寄った。


 三歳の小さな身体では、


 ヒルダを起こすこともできない。


「ヒルダ! ねえ!」


 返事がない。


 頬が赤い。


 額には汗が浮かんでいる。


 ココアはヒルダの手を握った。


「……熱い。」


 いつもの温かさではない。


 明らかに熱を持っている。


「誰か!」


 ココアは廊下の向こうへ叫んだ。


「誰か来て!」


 声を聞きつけた使用人たちが駆けてくる。


「ヒルダ様!」


「医師を!」


「セバス様にもお知らせを!」


 大人たちがヒルダを抱き上げる。


 その時だった。


 右腕の袖が、


 僅かに捲れた。


「……?」


 ココアの視線が止まった。


 傷。


 前腕に、


 細い傷がある。


 大きくはない。


 けれど。


 その周囲は赤く腫れていた。


 そして。


「……なに、あれ。」


 傷の奥。


 ほんの僅かに。


 周囲とは違うものが見えた。


 元素。


 結合。


 いつも見ている世界の中に。


 見慣れない動きが、


 一瞬だけ混じった。


「ココア様!」


 呼ばれて顔を上げる。


 ヒルダが運ばれていく。


「あ……。」


 ココアは慌てて、


 その後を追った。


 今は。


 あれより、


 ヒルダだった。


     ◇


 伯爵家付きの医師が到着したのは、


 それから間もなくだった。


 ヒルダは自室のベッドへ寝かされている。


 医師が脈を取り、


 喉を確認し、


 額へ手を当てる。


 その後ろでは、


 セバスが静かに診察を見守っていた。


 そして。


 さらにその後ろから。


 ココアが覗いている。


「ココア様。」


「なに?」


「もう少しお下がりください。」


「見えない。」


「見なくてもよろしいのです。」


「でもヒルダが――」


「医師の邪魔になってしまいます。」


「……。」


 ココアは渋々、


 一歩下がった。


 医師がヒルダの額から手を離す。


「かなり熱がございます。」


「治る?」


 ココアがすぐに尋ねた。


 医師は振り返り、


 安心させるように微笑んだ。


「まずはご安心ください、お嬢様。」


「今すぐ命に関わるような状態ではございません。」


「よかった……。」


 ココアが胸へ手を当てる。


 セバスが尋ねた。


「原因は分かりますか?」


「今のところ、熱病と思われます。ただ――」


 医師の視線が、


 ヒルダの右腕へ向いた。


「こちらの傷が少々気になります。」


 袖を捲る。


 赤く腫れた傷が現れた。


 ココアも、


 さっき見た傷へ目を向ける。


「いつ頃のお怪我ですか?」


「……四日ほど前でございます。」


 ヒルダが弱々しく答える。


「剣の稽古中に?」


「いいえ。」


 ヒルダは少し考えた。


「鉱山へ同行した際に、岩で切ったものです。」


 ココアの視線が動く。


「鉱山?」


「はい。」


「伯爵様の命で、採掘現場の確認へ。」


「痛かった?」


「この程度であれば、普段なら問題ございません。」


「でも、赤いよ?」


「……そうでございますね。」


 医師が傷の周囲へ触れる。


「痛みますか?」


「少々。」


「腫れもあります。」


 医師の表情が、


 僅かに険しくなる。


「傷から何かが入り込み、炎症を起こしている可能性はございます。」


「何か?」


 ココアが反応する。


「はい。」


「目には見えないほど小さなものが入り込むことで、傷が悪化すると考える医師もおります。」


「でも、分からない?」


「すべてが解明されているわけではございません。」


「そっか……。」


 ココアは傷を見る。


 感染。


 前の世界なら、


 真っ先に疑う症状だった。


 傷。


 赤み。


 腫れ。


 痛み。


 発熱。


 けれど。


 症状だけで、


 決めつけてはいけない。


 自分は医師ではない。


 治療は、


 目の前の専門家へ任せるべきだ。


 そこまでは分かる。


 ただ。


 それとは別に。


 朝、


 自分は何かを見た。


「先生。」


「はい。」


「傷に、何か残ってない?」


「異物でございますか?」


「うん。」


 医師が傷を改めて確認する。


「細かな砂や石の欠片が残っている可能性はございます。」


「後ほど、もう一度丁寧に洗浄いたしましょう。」


「……石。」


 ココアは呟いた。


 感染かもしれない。


 異物かもしれない。


 両方かもしれない。


 まだ、


 何も決まっていない。


「ココア様。」


 セバスの声がした。


「ここからは医師へお任せいたしましょう。」


「でも。」


「ヒルダには休息が必要です。」


「……。」


 ココアはヒルダを見る。


 目を閉じている。


 苦しそうだった。


「治してね。」


 医師へ言う。


「もちろんでございます。」


「絶対?」


 医師が、


 一瞬だけ黙った。


 そして。


 穏やかに答えた。


「出来る限りのことをいたします。」


「……うん。」


 ココアは部屋を出た。


     ◇


 昼を過ぎても。


 ヒルダの熱は下がらなかった。


 医師が処方した薬を飲み。


 傷も洗浄した。


 それでも。


 熱は高いままだった。


 ココアは自分の部屋で本を開いていた。


 けれど。


 まったく頭に入らない。


 同じところを、


 何度も読む。


 気付けば。


 羽根ペンで紙へ書いていた。


『ヒルダ』


『熱』


『傷』


『四日前』


『鉱山』


『赤い』


『腫れている』


 その下に。


『感染?』


 さらに。


『傷の中に何かある?』


 書いたところで、


 手が止まる。


「……。」


 足りない。


 何かを見た。


 朝。


 傷の中に。


 感染とは別の。


 もっと、


 奇妙なものを。


 ココアは羽根ペンを置いた。


     ◇


 夕方。


「ヒルダ?」


 そっと部屋へ入る。


 ヒルダは眠っていた。


 朝より顔が赤い。


 額には汗。


 呼吸も少し速い。


 ココアはベッドの横へ近付いた。


「……ココア様?」


 ヒルダが薄く目を開ける。


「起こしちゃった?」


「いいえ。」


「まだ熱い?」


「少々。」


「朝もそう言った。」


「……そうでございましたね。」


 ヒルダが僅かに笑う。


 いつもの笑い方より、


 ずっと弱い。


 ココアは椅子へ座った。


「ヒルダ。」


「はい。」


「鉱山で怪我したんだよね?」


「はい。」


「どんな石だった?」


「どんな、と申されましても……。」


「色とか。」


「灰色だったと思います。」


「光ってた?」


「いいえ。」


「変な匂いは?」


「特には。」


「持って帰ってきた?」


「まさか。」


「そっか……。」


 ココアは考える。


 やっぱり、


 情報が足りない。


「傷、見てもいい?」


 ヒルダが僅かに迷った。


「見るだけでございますよ。」


「うん。」


 袖を捲ってもらう。


 ココアは傷へ顔を近付けた。


「……。」


 皮膚。


 血。


 傷の周囲に残る、


 細かな物質。


 そこまでは、


 見慣れたものだった。


 元素も、


 知っている。


 結合も、


 理解できる。


 そして。


 生きているヒルダの身体そのものは、


 見えていても、


 落ち葉や石とは違った。


「……。」


 触れようとしても。


 そこには、


 触れられない。


 見えているのに。


 手を伸ばせる感覚がない。


 まるで。


 最初から、


 自分の力が届かない場所として、


 分けられているようだった。


 ココアは、


 その違いをまだ理解できない。


 けれど。


 少なくとも。


 生きている身体へ、


 自分の力を使うことはできない。


 そう思った。


 その時。


「……?」


 傷口の一角。


 身体とは別に。


 明らかに異質なものがあった。


 小さな。


 本当に小さな、


 鉱物の欠片。


 傷へ入り込んだ異物。


 そこだけは。


 ヒルダの身体とは違う。


 触れられる。


「……これ。」


 しかも。


 おかしい。


 元素そのものは、


 見覚えがある。


 だが。


 その結び付き。


 その動き。


「……なんで?」


 ほんの僅かな領域で。


 結合が変わった。


 一本。


 切れる。


 別の場所へ繋がる。


 また切れる。


 また繋がる。


 外から何かを加えたわけでもない。


 熱を加えたわけでもない。


 それなのに。


 まるで。


 自分で次の形を探しているように。


 結合だけが、


 組み替わっていく。


「……。」


 ココアの呼吸が止まった。


 もっと。


 近くで。


 確かめたい。


 異物なら。


 身体ではない。


 触れられる。


 無意識に。


 右手が伸びる。


「ココア様!」


「……!」


 鋭い声。


 手が止まった。


 ヒルダが、


 腕を引いている。


「……。」


 二人の視線がぶつかった。


 ヒルダ自身が、


 一番驚いているようだった。


「申し訳……。」


 そこで言葉が止まる。


 ココアの小さな指。


 その指が近付いた瞬間。


 思い出してしまった。


 庭園。


 一枚の落ち葉。


 何もない場所へ伸ばされた指。


 ――パチッ。


 そして。


 崩れた葉。


 あれが何だったのか。


 ヒルダには、


 今も分からない。


 魔法なのか。


 それとも。


 もっと別の何かなのか。


 だから。


 一度だけ。


 頭をよぎったことがある。


 ――闇属性。


 ココアは、


 ヒルダが引いた腕を見る。


 次に。


 自分の手を見る。


「……怖かった?」


「……。」


 ヒルダは、


 すぐには答えられなかった。


 その沈黙で。


 ココアにも分かった。


「そっか。」


 手を引く。


「触らないよ。」


「ココア様。」


「見るだけ。」


 ココアは、


 少しだけ離れた。


 ヒルダが何かを言おうとする。


 けれど。


 ココアはもう、


 傷を見ていた。


 触らない。


 近付かない。


 それでも。


 見える。


 身体そのものではない。


 傷へ入り込んだ、


 小さな異物。


 その中で。


 結合が。


 また一つ。


 勝手に組み替わった。


「……。」


 その瞬間。


 ココアの頭の中に。


 白い光が蘇った。


     ◇


 白い研究室。


 大型モニター。


 透明な容器。


 その中に置かれた。


 未知の結晶。


『……あり得ない。』


 元素そのものは、


 知っているものだった。


 けれど。


 結合だけが、


 理解できなかった。


 誰も触れていない。


 温度も正常。


 圧力も正常。


 それなのに。


 原子同士を繋ぐ結合が。


 まるで生き物のように。


 次々と組み替わっていた。


     ◇


「……似てる。」


 ココアが呟いた。


「ココア様?」


 ヒルダの声も。


 今は耳に入らない。


 忘れるはずがない。


 あの日。


 自分が最後まで追い続けたもの。


 世界が白く染まり。


 すべてが消える直前まで。


 見ていた。


 未知の結晶。


 ココアは、


 傷に残った小さな欠片を見つめた。


 元素は、


 知っている。


 それなのに。


 結合の振る舞いだけが、


 あまりにも似ている。


 胸が高鳴った。


 いつもなら。


 未知を見つけた時は、


 嬉しかった。


 もっと知りたい。


 もっと調べたい。


 そう思った。


 でも。


 今は違う。


 その未知が。


 ヒルダの傷にある。


 ココアの小さな手が、


 ぎゅっと握られた。


「……。」


 研究したい。


 確かめたい。


 あの日の結晶と、


 何が同じで。


 何が違うのか。


 調べたいことなら、


 いくらでも浮かぶ。


 けれど。


 ココアは、


 ヒルダの苦しそうな顔を見る。


 そして。


 小さく首を振った。


「今は、違う。」


「ココア様?」


「なんでもない。」


 ココアは、


 椅子から降りた。


「どちらへ?」


「調べてくる。」


「何を、でございますか?」


 ココアは、


 一度だけ傷を見る。


 感染なのか。


 異物なのか。


 その両方なのか。


 まだ、


 何も分からない。


 なら。


 今できることから、


 一つずつ確かめる。


「ヒルダを治す方法。」


「……。」


 ヒルダが目を見開いた。


「お嬢様が、そのようなことをなさらずとも――」


「やだ。」


「ココア様。」


「だって。」


 ココアは、


 まっすぐヒルダを見る。


「ヒルダ、苦しそうだから。」


「……。」


「分からないなら。」


「調べればいい。」


 いつもと同じ言葉。


 けれど。


 今日は、


 いつもとは少しだけ違った。


 知りたいからではない。


 答えを見つけたいからでもない。


 大切な人を、


 助けたいから。


 ココアは部屋を出る直前。


 もう一度だけ振り返った。


 ヒルダの傷。


 その奥で。


 小さな欠片の結合が、


 また一つ。


 静かに組み替わる。


 前の世界で、


 最後に見たもの。


 この世界で、


 初めて見たもの。


 その二つが。


 なぜ。


 こんなにも似ているのだろう。

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