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魔力0の伯爵令嬢、すいへーりーべーで領地開拓!〜研究費を稼いでいたら領地が発展しました〜  作者: 大福


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第8話 燃えられない火

 ココアは、


 窓辺から動かなかった。


 庭園では、


 兄の魔法訓練が続いている。


 その傍らには、


 魔法の指導役。


「もう一度お願いいたします!」


 兄が右手を前へ出した。


「では坊ちゃま。」


「今度は先ほどより、少しだけ多く魔力を込めてください。」


「はい!」


「ですが、一気に放出してはなりません。」


「火球は、生み出すことより制御することの方が難しい魔法です。」


「分かりました。」


 兄が目を閉じる。


 右手へ、


 魔力を集めていく。


 ココアには、


 魔力そのものは見えない。


 けれど。


 兄の手のひらの周囲で、


 元素が動き始めた。


 結合が変化する。


「……やっぱり。」


 セバスが見せてくれた火とは違う。


 ずっと大きい。


 それだけ、


 動いている元素も多かった。


 ココアの視線が、


 炎へ吸い寄せられる。


 蝋燭の火を観察した時にも見えたもの。


 燃焼。


 ある結合が切れ、


 別の結合が生まれる。


 それが、


 絶え間なく繰り返されている。


 けれど。


 蝋燭とは違う。


 蝋燭には、


 燃えるための蝋があった。


 芯もあった。


 魔法の火には、


 それがない。


「何が燃えてるんだろう……。」


 分からない。


 魔力そのものが燃えているのか。


 魔力が何かを作り出しているのか。


 それとも、


 まったく別の仕組みなのか。


 ただ。


 一つだけ、


 普通の火と同じものがあった。


「……酸素。」


 空気の中には、


 酸素がある。


 前の世界では、


 O₂と書いていたもの。


 二つの酸素原子が結び付いた分子。


 その酸素が、


 次々と燃焼へ参加している。


 ココアは、


 窓枠へ身を寄せた。


 少し遠い。


 細かな変化までは、


 まだ見えにくい。


 それでも。


 何が火へ向かい、


 どこで反応が起きているのか。


 大きな流れなら、


 追うことができる。


「やっぱり、酸素を使ってる……。」


 机の上。


 一枚の紙が、


 風に揺れた。


『どうすれば燃焼を止められる?』


 昨日。


 蝋燭の火で試した。


 炎の中で起きている結合の変化へ、


 一度だけ触れた。


 ――パチッ。


 確かに、


 一つの変化は止まった。


 でも。


 火は消えなかった。


 別の場所では、


 すぐに次の反応が起きた。


 その次も。


 また次も。


 燃焼は、


 一つの反応だけで続いているわけではない。


 無数の反応が、


 次々と起きている。


「全部止める……?」


 ココアは、


 すぐに首を横へ振った。


「無理。」


 一つずつ追いかけていたら、


 終わらない。


 止めている間にも、


 別の反応が始まる。


 さらに、


 その次も。


 それでは、


 火を追いかけ続けるだけだ。


「じゃあ……。」


 見る場所が違う。


 炎の中で起きる反応を、


 一つずつ止めるんじゃない。


 もっと前。


 火が、


 燃え続けるために必要なもの。


 燃えるもの。


 熱。


 そして。


「酸素。」


 これがなければ、


 燃焼は続かない。


 なら。


 酸素を壊す?


「……違う。」


 ココアは、


 小さく首を振った。


 酸素そのものを、


 壊す必要はない。


 やりたいことは、


 一つだけ。


 火を止めること。


「だったら……。」


 ココアは、


 炎の周囲を見る。


 空気の中から、


 酸素が火へ向かう。


 燃焼へ参加する。


 その瞬間。


 結合が変化し、


 反応が次へ続いていく。


「酸素を……。」


 言葉が止まる。


 壊さない。


 O₂そのものの結合を切るわけでもない。


 ただ。


「燃焼に、参加できなくすればいい?」


 ココアの瞳が、


 僅かに輝いた。


 その時。


「ファイヤーボール!」


 兄の声が響いた。


 ボウッ――!


「……!」


 炎が、


 一気に膨れ上がる。


 拳ほどだった炎が、


 人の頭ほどの大きさになった。


 そして。


 火球が大きくなったことで、


 ココアの視界も一変した。


「……すごい。」


 今までより、


 はっきり見える。


 周囲の空気から、


 酸素が火球へ向かっている。


 一つ。


 また一つ。


 数え切れないほど。


 だが。


 ココアが見ていたのは、


 一つ一つの酸素ではなかった。


「……同じ。」


 どの酸素も、


 同じように燃焼へ参加しようとしている。


 そして。


 その瞬間には、


 同じ種類の変化が起きている。


「一個ずつじゃない……。」


 ココアの瞳が、


 さらに細くなる。


 酸素は、


 たくさんある。


 反応も、


 たくさん起きている。


 でも。


 そのすべてに、


 共通していることがある。


 酸素が、


 燃焼へ参加する。


 その流れ。


 一本一本の結合を追うのではなく。


 同じ反応へ向かう、


 大きな流れとして見る。


「……これ。」


 今まで、


 ココアは物質そのものを形作る結合ばかり見ていた。


 けれど。


 今見ているのは、


 少し違う。


 結合が切れ、


 新しい結合が生まれる。


 その変化が、


 同じ方向へ何度も繰り返されている。


 燃焼という、


 一つの反応を続けるために。


「これを……。」


 ココアが、


 身を乗り出した。


「起こらなくすれば。」


「坊ちゃま!」


 突然。


 指導役が叫んだ。


「魔力を抑えてください!」


「え?」


 兄が顔を上げる。


 火球が、


 大きく揺れた。


 ボッ!


「うわっ!」


 さらに膨らむ。


「手を下げてはいけません!」


「制御を!」


「してます!」


「魔力を弱めてください!」


「わ、分かって――」


 その瞬間。


 兄の腕が、


 大きく跳ねた。


 火球が、


 手のひらから離れる。


「……!」


 指導役の顔色が変わった。


「坊ちゃま!」


 火球は、


 正面へ飛ばなかった。


 斜め上。


 屋敷の方向。


 そして。


 ココアのいる、


 開いた窓へ。


「ココア様!」


 庭から、


 誰かの叫び声が聞こえた。


「……。」


 ココアは、


 動かなかった。


 火球が近付く。


 先ほどまで、


 少し遠くに見えていたものが。


 一気に、


 鮮明になっていく。


「……見える。」


 炎。


 その周囲の空気。


 そこから、


 燃焼へ参加していく酸素。


 熱が、


 頬へ届く。


 本当なら。


 逃げるべきだった。


 けれど。


 ココアの意識から、


 危険という言葉が抜け落ちていた。


 近い。


 だから。


 よく見える。


「……これだ。」


 火そのものではない。


 酸素そのものでもない。


 見るべきなのは。


 酸素が、


 燃焼へ参加する瞬間。


 これまで、


 一本一本の結合ばかり見ていたから気付かなかった。


 でも。


 今は見える。


 火球が大きく。


 そして、


 近くなったから。


 無数の反応が、


 一つの大きな流れとして見える。


「すいへー……。」


 小さく、


 声が漏れた。


「りーべー……。」


 頭の中で、


 元素を並べる。


 水素。


 ヘリウム。


 リチウム。


 ベリリウム。


 ホウ素。


 炭素。


 窒素。


 そして。


「……酸素。」


 見失わない。


 空気そのものではない。


 火そのものでもない。


 O₂を壊すわけでもない。


 狙うのは。


 酸素が、


 燃焼反応へ参加する。


 その瞬間だけ。


「切るんじゃない。」


 ココアが、


 右手を伸ばす。


 火球が迫る。


「酸素も壊さない。」


 小さな指先へ、


 意識を集中する。


「燃焼に――」


 ココアの瞳が、


 酸素の流れを捉える。


「参加させない。」


 ――バチッ!


 青白い光が、


 ココアの視界で弾けた。


「……!」


 今までとは、


 感覚が違った。


 一つの結合を、


 切ったわけではない。


 酸素も、


 そのまま存在している。


 けれど。


 パチッ。


 パチパチッ――!


 青白い光が、


 火球の周囲へ広がっていく。


 燃焼へ参加しようとする酸素。


 そのたびに。


 反応が、


 成立しない。


 酸素は消えていない。


 壊れてもいない。


 O₂のまま、


 空気の中に存在している。


 けれど。


 燃焼へ、


 加われない。


「……!」


 炎が、


 大きく揺らいだ。


 燃えようとする。


 だが。


 続かない。


 次の反応が、


 成立しない。


 炎が縮む。


 人の頭ほどあった火球が、


 拳ほどに。


 さらに。


 小さく。


 小さく。


「……燃えられない。」


 ココアが呟いた。


 そして。


 フッ――。


 火球が消えた。


「……。」


 静寂。


 ほんの一瞬前まで、


 炎が存在していた場所。


 そこには、


 熱で揺れる空気だけが残っている。


 庭園では。


 兄が、


 呆然と窓を見上げていた。


 指導役も、


 動かない。


「……消えた?」


 兄が呟く。


 だが。


 ココアには、


 その声すら届いていなかった。


 自分の手を見る。


「……できた。」


 蝋燭の時。


 自分は、


 炎の中で起きている変化を一つ止めた。


 でも、


 火は消えなかった。


 別の場所で、


 次の反応が起きたから。


 だから。


 一つずつ止めようと考えた。


 でも。


 それも違った。


「一個ずつじゃなかったんだ……。」


 止めるべきなのは、


 無数の反応を一つずつ追いかけることではない。


 燃焼を続けるために、


 酸素が参加する。


 その過程。


「火を切るんじゃない。」


 ココアの顔が、


 ぱっと明るくなる。


「燃えられなくすればいいんだ。」


「分かった!」


 火球が自分へ飛んできたことも。


 あと少し遅ければ、


 どうなっていたのかも。


 その瞬間だけ、


 完全に頭から抜け落ちていた。


 ココアは、


 机へ駆け戻る。


 羽根ペンを掴む。


『観察結果』


 書く。


『火の中の変化を一つ止める――×』


『別の場所で次の反応が起きる』


 次。


『酸素――燃焼に必要』


『O₂を壊す――必要なし』


 少し考える。


 そして。


『酸素が燃焼へ参加する過程を止める――○』


 羽根ペンが、


 一度止まる。


 ココアは、


 大きく息を吐いた。


 最後に。


『火を消したのではない』


 その下へ。


『燃えられなくした』


「……うん。」


 その時。


「ココア様!」


 廊下から、


 ヒルダの声が響いた。


 足音。


 速い。


 バンッ!


 扉が開く。


「お怪我は!?」


「ヒルダ!」


 ココアが振り返る。


 その顔には、


 満面の笑みが浮かんでいた。


「分かったの!」


「……何がですか?」


「火!」


「酸素が燃焼に――」


 そこまで言って。


 ココアは止まった。


「……?」


 ヒルダの顔が、


 青ざめている。


「ヒルダ?」


 次の瞬間。


 強く抱き締められた。


「わっ。」


「何をなさっているのですか!」


「え?」


「火球が飛んできたのでございますよ!」


「うん。」


「うん、ではございません!」


 怒鳴られた。


 ココアが、


 目を丸くする。


 ヒルダの腕が、


 震えていた。


「……。」


 そこでようやく。


 ココアは、


 窓の外を見る。


 火球が飛んできた。


 逃げなかった。


 それどころか。


 近付いてきたことで、


 よく見えると思った。


「……危なかった?」


「危なかったです!」


「でも、近い方がよく――」


「二度となさらないでください!」


「……はい。」


「絶対に、でございます!」


「はい……。」


 ヒルダは、


 それでもココアを離さなかった。


 ココアは、


 しばらくされるがままになっていた。


 ヒルダの腕は、


 まだ僅かに震えている。


「……ヒルダ。」


「何ですか。」


「ごめんなさい。」


 ヒルダの腕が、


 僅かに止まった。


「……分かっていただければよろしいのです。」


「うん。」


 ココアは、


 少しだけ俯いた。


 研究することは、


 楽しい。


 分からなかったものが、


 分かる瞬間は、


 もっと楽しい。


 でも。


 自分が怪我をすれば、


 怖い思いをする人がいる。


 それも。


 今、


 一つ分かった。


 やがて。


 ココアは、


 ヒルダの肩越しに机を見る。


 そこには、


 ずっと残されていた問い。


『どうすれば燃焼を止められる?』


「ヒルダ。」


「何ですか。」


「これだけ書いていい?」


「……。」


「答え、分かったから。」


 ヒルダが、


 深く息を吐いた。


「それを書いたら。」


「はい。」


「今日はもう研究をなさらないこと。」


「……。」


「ココア様。」


「はい。」


「約束できますか?」


 ココアは、


 少しだけ名残惜しそうに紙を見る。


 そして。


「約束する。」


「よろしい。」


 ヒルダが、


 ようやく腕を緩めた。


 ココアは机へ向かう。


 羽根ペンを持つ。


 問いの下へ。


 ゆっくりと、


 二行だけ書いた。


『火を切るのではない』


『燃えられなくする』


 その二行を、


 大きな丸で囲む。


 少し考え。


 その横へ、


 もう一つ書き加えた。


『危険な時は、先に逃げる』


「……。」


 ココアは、


 その文字を見つめる。


 ヒルダが尋ねた。


「守れますか?」


「……守る。」


「本当に?」


「……たぶん。」


「ココア様。」


「守ります!」


 ヒルダは、


 深く息を吐いた。


「お願いいたします。」


「はい。」


 ココアは、


 紙へ視線を戻した。


 今日、


 二つのことが分かった。


 一つ。


 火は、


 燃えられなくすることができる。


 そして。


 もう一つ。


 自分は、


 分からないものを目の前にすると。


 危ないということまで、


 忘れてしまうらしい。

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