誰が嘘を教えた
その声は、明らかにおかしかった。
いつもと違う。死者の声は、もっと断片的で、掠れていて、終わりに近い温度を持っている。だが今、俺の耳に響いているそれは――妙に“はっきり”していた。
「そこ、踏むな。床が落ちる」
俺は足を止めた。靴底が石床に触れる寸前で止まる。
……遅い。
ギギ、と嫌な音がした。
「っ――!」
床が沈む。
瞬間、横に飛ぶ。石床が崩れ落ち、暗い穴が口を開けた。冷たい風が吹き上がる。落ちていたら、確実に終わりだ。
息を吐く。
「……今の、遅くないか?」
小さく呟く。
いつもなら、もっと前に教えてくる。余裕を持って回避できるタイミングで。
だが今回は違った。
“踏む直前”だった。
わざとか?
いや、違う。
もっと嫌な可能性がある。
――“騙された”。
背筋が、じわりと冷える。
◆
俺はダンジョンの第六層。深層手前の中継地点にいた。ここから先は死亡率が跳ね上がる。だからこそ、死者の情報の価値も跳ね上がる。
そして同時に――危険も。
「……使う」
小さく呟き、目を閉じる。
スキル【残留思念】。
意識を沈める。
空気が変わる。温度が一瞬で下がる。耳鳴り。ノイズ。遠くから誰かが呼ぶ声。
そして――掴む。
「……見えた」
血の匂い。倒れた視界。石の天井。崩れた壁。最後に見た光景。
そして声。
『あの扉は……開けるな……中に、いるのは……』
そこで途切れる。
「……続きは?」
返事はない。
いつも通りだ。一度きり。使い捨て。
だが、違和感が残る。
“開けるな”は分かる。
だが、その先。
“中にいるのは”――何だ?
普通なら、ここで具体的な情報が来るはずだ。
だが今回は、核心で切れている。
いや、切れているんじゃない。
――“切られている”。
そう感じた。
◆
配信は続いている。
コメント欄は、すでにざわついていた。
コメント:
「今のギリすぎだろ」
「いや普通に危なかったぞ」
「いつももっと余裕あるじゃん」
「なんで分かるの遅れた?」
「バグってね?」
俺は軽く笑う。
「ちょっとタイミングズレたな。でも大丈夫」
軽く言う。
だが内心は違う。
ズレたんじゃない。
“ズラされた”。
コメント:
「いや怖いって」
「なんか今回違くね?」
「前より精度落ちてない?」
「ネタバレ頼りすぎの末路w」
アンチが湧く。
すぐに信者が噛みつく。
コメント:
「いやそれでも回避してるのヤバいだろ」
「普通死んでるぞ」
「アンチ消えろ」
「こいつは本物」
いつもの構図。
だが今日は違う。
空気が、妙に張り詰めている。
「この先、扉がある」
俺は言う。
配信画面の奥。石造りの巨大な扉。黒く、禍々しい紋様が刻まれている。
コメント:
「うわ出た」
「絶対ボス前じゃん」
「開けるなって言われてたやつ?」
「行くのか?」
俺は一歩踏み出す。
「“開けるな”って言われた」
わざと口に出す。
コメント欄が爆発する。
コメント:
「じゃあやめろよwww」
「フラグ立てんな」
「いや行くだろこいつ」
「配信的には行くしかない」
俺は笑う。
「でもさ」
扉に手をかける。
「“なんで開けるなか”は教えてくれなかった」
コメント:
「……あ」
「それ怖いな」
「情報欠けてるやつか」
「嫌な予感しかしない」
「だから確認する」
ゆっくりと押す。
扉が軋む。
重い音を立てて、開く。
◆
中は、広い空間だった。
円形の部屋。中央に何かがある。
人影。
いや――
「……生きてる?」
思わず呟く。
倒れている探索者。血まみれだが、微かに動いている。
コメント欄が一瞬で荒れる。
コメント:
「生存者!?」
「マジかよ」
「助けろ!!」
「早く回復しろ!」
俺は近づく。
だが、その瞬間。
――ゾクッとした。
違和感。
この感覚。
これは――
「……待て」
足を止める。
コメント:
「なんで止まる!?」
「早く行けよ!!」
「見殺しにする気か!?」
俺は動かない。
視線を落とす。
床。
ほんのわずかな違い。
色。
線。
――罠。
「……これ、誘いだ」
小さく呟く。
コメント:
「は?」
「どういうこと?」
「いや人いるじゃん」
「死者が“開けるな”って言った理由、多分これだ」
ゆっくり言う。
「中にいるのは、“助けを求める人間”じゃない」
その瞬間。
倒れていた“それ”が、動いた。
ぐにゃり、と。
人の形が崩れる。
肉が裂ける音。
骨が逆に曲がる。
顔が、こちらを向く。
――笑っていた。
コメント欄が凍る。
コメント:
「なにこれ」
「やばい」
「人じゃない」
「逃げろ!!!」
それは立ち上がる。
四肢が異様に長い。
目が、合う。
その瞬間、頭の中に声が響いた。
『やっと来た』
俺のじゃない。
死者のでもない。
“今、目の前にいるやつ”の声。
◆
俺は一歩下がる。
心臓がうるさい。
理解した。
あの死者の情報。
不完全だったんじゃない。
――“改ざんされていた”。
コメント:
「どうなってんのこれ」
「今喋ったよな?」
「配信事故すぎる」
「マジで逃げろ」
俺は息を吐く。
「……なるほどな」
低く呟く。
「死者の声、全部が“本物”じゃない」
その瞬間、頭の奥で何かが笑った。
今まで聞いてきた無数の声。
その中に混ざる、異質なもの。
気づかなかった。
いや、気づけなかった。
俺は、ずっと――
“誰かに選ばされた情報”を信じていた。
化け物が、こちらに歩いてくる。
ゆっくりと。
確実に。
『次は、もっと上手く騙す』
耳元で囁かれる。
俺は歯を食いしばる。
配信は、まだ続いている。
コメント欄は、完全に恐怖に飲まれていた。
コメント:
「これ終わっただろ」
「完全に罠じゃん」
「誰が仕組んでるんだよ」
「このダンジョンおかしい」
俺は笑った。
震えながら。
「……面白くなってきた」
その言葉に、コメント欄が一瞬静まる。
そして――
爆発した。
コメント:
「こいつ正気か!?」
「いや狂ってる」
「でも見たい」
「続き見せろ」
化け物が、手を伸ばす。
あと一歩で届く距離。
その瞬間――
俺の頭の中で、別の声が割り込んだ。
『そいつの“核”、足元だ』
知らない声。
だが、はっきりしている。
そして――妙に信用できる。
俺は、一瞬迷う。
これも罠か?
それとも――
賭けるか?
化け物の指先が、俺の首に触れる直前。
俺は足元にナイフを突き立てた。
次の瞬間。
空間が、歪んだ。
――そして、全てが裏返る。
俺は理解する。
これはただの罠じゃない。
このダンジョン自体が――
“誰かの意志で、嘘を流している”。
そして。
その“誰か”は――
今、俺を見ている。
画面の向こう側で。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
「……お前、誰だ?」
その問いに。
配信画面のコメント欄が、一斉に止まった。
――一文字も、流れなくなった。




