お前が配信者だろ
ノイズは、ただの砂嵐じゃなかった。
ざざ、と画面を覆う白い粒子。その一つ一つが、声になっていた。
「見てるぞ」
「見られてる」
「こっちだ」
「来るな」
無数の囁きが重なり、耳の奥で擦り合わさる。まるで頭蓋の内側に、細い爪で文字を書き込まれているみたいだった。
俺は膝をついた。
「……くそ、うるせぇ……!」
吐き捨てる。だが止まらない。
さっきの“水晶の俺”が言った言葉が、何度も反芻される。
――“次はお前が残る側だ”
呼吸が浅くなる。視界の端で、水晶の群れがゆらゆらと揺れる。いや、揺れているのは俺の方か。
そのとき。
耳元で、はっきりとした声がした。
「立て」
短い命令。
俺は反射的に顔を上げた。
ノイズの中で、その声だけが輪郭を持っている。鋭く、冷たい。
さっきの声だ。
“来るな”と言っていた、あの声。
「……お前、誰だ」
問いかける。
返答はない。
代わりに、視界の隅で何かが動いた。
水晶の一つ。
そこに映る“俺”が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
ガラスの向こう側から。
距離を詰めてくる。
あり得ないはずの距離を。
ぞくり、とした。
「立て。逃げろ」
また声。
今度は、明確に焦りが混じっている。
俺は歯を食いしばった。
……逃げる?
ここから?
だが、視線を上げた瞬間、理解した。
水晶の“俺”だけじゃない。
他の水晶の中の探索者たちも――
“こっちを見ている”。
全員。
同時に。
ぞわっと、皮膚が粟立つ。
コメント:
「待って今のなに」
「全員見てね?」
「演出じゃないよな」
「怖すぎる」
「やめろってこれ」
配信はまだ生きている。
この状況で、まだ“見られている”。
俺は立ち上がった。
「……わかったよ、逃げる」
小さく呟く。
だが足が重い。
まるで床に粘つく影が絡みついているみたいだ。
「左。三歩。振り向くな」
声が指示を出す。
俺は従う。
一、二、三。
そのまま前へ。
だが――
背後から、確かな“足音”が聞こえた。
コツ、コツ、コツ。
乾いた音。
同じリズム。
俺の歩幅と一致している。
振り向きたくなる衝動が、喉を締め付ける。
コメント:
「後ろいるって」
「絶対見ろ」
「いや見るな」
「ホラーやめろ」
俺は歯を食いしばる。
振り向くな。
声を信じる。
……信じる?
その時点で、もうおかしい。
誰だか分からない声に、命を預けてる。
笑える。
でも、今はそれしかない。
「そのまま走れ」
命令。
俺は走る。
通路を抜ける。
水晶の部屋が遠ざかる。
だが足音は消えない。
むしろ、近づいてくる。
速い。
俺より、速い。
「くそっ……!」
息が荒くなる。
肺が焼ける。
そのとき。
「止まれ」
声。
急停止。
その瞬間――
目の前の床が“落ちた”。
もし一歩でも進んでいたら、落ちていた。
コメント:
「また当てた」
「やばすぎ」
「なんでわかるんだよ」
「未来視か?」
違う。
これは、未来視じゃない。
“経験”だ。
誰かが、ここで落ちた。
その“最後”を、俺は聞いている。
……いや。
本当に、そうか?
俺は一瞬、思考が止まる。
さっきの言葉。
“全部同じ場所から来てる”
つまり――
これは“死者個別の記憶”じゃない。
一つにまとめられた“何か”。
巨大な、記録。
……あるいは、意思。
背筋が冷える。
「右の壁、押せ」
声が言う。
俺は従う。
壁を押すと、隠し通路が開いた。
中へ滑り込む。
扉が閉まる。
ようやく、足音が止まった。
沈黙。
重たい沈黙。
俺は壁にもたれかかる。
「……助かった、のか」
呟く。
その瞬間、配信コメントが一気に流れ込む。
コメント:
「今の完全に追われてた」
「何に?」
「お前、何と戦ってんの?」
「てかさ」
コメントが一つ、浮かび上がる。
「それ、死者じゃないだろ」
胸が、どくんと鳴る。
俺は笑った。
「……だったら何だよ」
軽く返す。
だがコメントは止まらない。
コメント:
「AIじゃね?」
「ダンジョンの意思とか?」
「いや本人だろ」
「え?」
「未来のお前じゃね?」
空気が変わる。
俺は一瞬、言葉を失った。
その瞬間。
耳元で、声がした。
「正解」
ぞくり、とした。
今までで一番、はっきりとした声。
冷たい。
そして――
どこか、俺に似ている。
「お前……」
言いかける。
だが、声は続ける。
「俺は“残った側”だ」
心臓が止まりそうになる。
さっきの水晶の“俺”と同じ言葉。
「お前が見てる“死者の声”」
一拍。
「全部、俺が編集してる」
頭が真っ白になる。
コメント:
「は?」
「編集?」
「何言ってんの」
「やばいって」
俺は壁を殴った。
「ふざけんな……!」
怒鳴る。
だが声は淡々としている。
「罠も、ルートも、選択も」
「全部、最適化してやってる」
「お前が“死なないように”」
呼吸が乱れる。
「なんで……そんなこと」
震える声で問う。
答えは、あっさりだった。
「簡単だ」
「お前が死ぬと、俺が消えるから」
沈黙。
完全な沈黙。
配信も、コメントも、一瞬止まった気がした。
つまり――
俺が生きるために、“未来の俺”が介入している。
そしてその過程で。
無数の“死者の声”を装っている。
倫理も何も、全部ごちゃ混ぜだ。
利用していたつもりが。
俺は――
“利用されている”。
コメント欄が爆発する。
コメント:
「怖すぎ」
「じゃあ今まで全部演出?」
「死人じゃなかったの?」
「詐欺じゃん」
「いやでも命助かってるし…」
「倫理終わってる」
炎上の匂いが、濃くなる。
だが、今はそれどころじゃない。
「……じゃあさ」
俺はゆっくり言う。
「間違いも、あったよな?」
死者の情報には、嘘や誤りがあった。
それは、どう説明する?
一瞬の沈黙。
そして。
「必要だった」
声が答える。
「お前を“ここ”に誘導するために」
背筋が凍る。
「……ここ?」
その瞬間。
足元の床が、淡く光った。
見覚えのない紋様。
いや――
見覚えが“ある”。
どこかで見た。
記憶の奥。
違う。
これは――
“聞いた”。
誰かの最期で。
そうだ。
あの探索者は言っていた。
“それは起動したら終わりだ”と。
俺は叫んだ。
「待て、これ――」
だが遅い。
紋様が完全に光りきる。
声が、最後に囁いた。
「配信、切るなよ」
「ここが一番――」
そして。
「“人が死ぬ瞬間が映る”からな」
世界が、反転した。




