その声は、お前じゃない
最初に違和感を覚えたのは、“声の温度”だった。
ダンジョン第六十四層。薄暗い石の回廊。湿った空気が肺に貼り付くような感触。いつも通りなら、ここには“死者の残り香”がある。乾いた囁き。途切れた後悔。押し殺された悲鳴。
だが今、耳に触れているそれは――妙に、はっきりしていた。
「……来るな」
低く、はっきりとした男の声。
俺は足を止めた。
配信カメラがわずかに揺れる。
コメント欄がすぐに反応した。
コメント:
「今のなに?」
「また聞こえてんのか」
「ゾワッとしたんだけど」
「いや今のクリアすぎない?」
そう。クリアすぎる。
俺のスキル【残留思念】は、死者の“最後”を拾う。ノイズ混じりで、断片的で、曖昧。それが普通だ。
だが今のは違う。
まるで――“今”しゃべっているみたいだった。
「……来るな、って言った」
まただ。
同じ声。
同じトーン。
同じ間。
背筋に、冷たい針が通る。
だが、俺は笑った。
「……了解。じゃあ、別ルート行くか」
そう言って、左の通路へ進路を変える。
コメント欄が一気にざわつく。
コメント:
「判断早すぎ」
「なんで従うの?」
「いや普通疑うだろ」
「でも今まで当たってるしな…」
「信者キモ」
無視だ。
俺は“使う側”だ。
疑っても、利用する。
それが俺のやり方だ。
左の通路は狭い。壁に刻まれた古い刻印。苔がびっしりと張り付いている。
……嫌な空気だ。
だが、声は続く。
「そのまま……三歩。止まれ」
俺は従う。
一、二、三。
足を止めた瞬間。
前方の床が――音もなく崩れた。
深い奈落が口を開ける。
コメント欄が爆発する。
コメント:
「うわあああああ」
「完全に罠」
「なんでわかるんだよ」
「今のなかったら死んでたろ」
「チートすぎ」
「いや怖すぎだろ」
俺は息を吐く。
「……助かった」
そう呟く。
だが内心、別の感情が膨らんでいた。
“助かった”のは事実。
だが――
これは、本当に“死者”か?
俺は目を閉じる。
スキルを深く潜らせる。
残留思念を探る。
だが――
何も、ない。
いつもなら、あるはずの“残りカス”が。
この声には、それがない。
まるで――
“死んでいない”。
ぞくり、とした。
「……右。壁に触れろ」
声がまた指示を出す。
俺は一瞬、躊躇した。
コメント欄も揺れる。
コメント:
「行くな」
「いや危なくね?」
「でも今まで当たってる」
「信じるのかよ」
「洗脳されてね?」
俺は笑う。
「……まあ、ここまで来たら乗るしかないだろ」
手を伸ばす。
壁に触れる。
瞬間――
視界が反転した。
重力が消える。
床と天井が入れ替わる。
そして俺は、“別の通路”に立っていた。
コメント欄が一瞬、沈黙した。
次の瞬間、爆発する。
コメント:
「え?」
「ワープした?」
「隠しルート?」
「なんで知ってるの」
「いやマジでおかしい」
俺は息を呑む。
これは……知らない。
今までの“死者の記憶”にもなかった。
完全な未知。
だが――
声は、知っている。
「そのまま進め。ここは……“見つからない場所”だ」
見つからない。
その言葉が、妙に引っかかった。
俺は歩きながら配信に向けて言う。
「……今の、完全に初見だ。だけど、情報はある」
コメント:
「だからそれが怖いんだよ」
「誰の情報?」
「説明しろ」
「死者利用してるってマジ?」
来たな。
俺は少しだけ間を置く。
「……死んだ探索者の“最後”を拾ってるだけだ」
あえて軽く言う。
だがコメント欄は荒れる。
コメント:
「それアウトだろ」
「倫理的にどうなん?」
「遺族の気持ち考えろよ」
「金のために死人使うな」
胸の奥が、チクリと痛む。
だが、押し潰す。
「……じゃあ聞くけどさ」
俺はカメラに向かって言う。
「この情報なかったら、さっき俺死んでたぞ?」
一瞬、静寂。
そして――
コメント:
「……それは」
「でも…」
「うーん」
「正論だけど」
議論が割れる。
いつもの構図だ。
俺はそのまま歩く。
細い通路。
奥に、扉。
重い鉄扉だ。
声が囁く。
「……開けるな」
俺は止まる。
まただ。
今度は、明確な拒絶。
だが――
俺の中で、別の声がする。
“開けろ”
それは俺自身の声。
好奇心。
配信者としての欲。
バズの匂い。
コメント欄も割れる。
コメント:
「開けろ」
「やめとけ」
「絶対ヤバい」
「でも見たい」
「開けてバズれ」
笑った。
結局、同じだ。
俺も、視聴者も。
危険を“コンテンツ”にしてる。
「……開ける」
俺は扉に手をかけた。
「やめろ」
声が、強くなる。
初めて、感情が乗った。
焦り。
怒り。
恐怖。
――まるで、生きているみたいに。
それでも。
俺は、開けた。
ギィ、と重い音。
扉の向こう。
そこにあったのは――
“部屋”だった。
いや、違う。
“観測室”だ。
壁一面に並ぶ、無数の水晶。
その中に――
“人”が映っている。
探索者たち。
過去の。
現在の。
そして――
“俺”。
コメント欄が凍る。
コメント:
「は?」
「なんだこれ」
「監視?」
「お前映ってるぞ」
俺も、固まる。
その中の一つ。
水晶の中の“俺”が――
こちらを見て、笑った。
「やっと来たな」
声が重なる。
耳の中の声と。
水晶の中の“俺”の声が。
同時に。
完全に。
一致した。
心臓が跳ねる。
「……お前、誰だ」
俺は呟く。
すると、水晶の中の“俺”が言った。
「残留思念?」
くく、と笑う。
「違う違う。あれは“入口”だ」
コメント欄が爆発する。
コメント:
「やばい」
「何これ」
「人格分裂?」
「演出じゃないよな?」
水晶の“俺”は続ける。
「お前、もう気づいてるだろ?」
「“死者の声”、あれ……」
ゆっくりと口を開く。
「全部、“同じ場所”から来てるって」
空気が凍る。
俺の頭の中で、今までの声が反響する。
断片。
囁き。
指示。
全部が――
繋がり始める。
「……嘘だろ」
俺は一歩、後ずさる。
だが、水晶の中の“俺”は笑う。
「歓迎するよ」
そして――
「次は、お前が“残る側”だ」
その瞬間。
俺の耳に、無数の声が流れ込んだ。
悲鳴。
笑い声。
後悔。
そして――
“俺の声”。
まだ死んでいないはずの。
未来の俺の声が。
「――来るな」
さっきと同じ言葉を、繰り返していた。
配信は、まだ続いている。
コメント欄は、地獄のように荒れている。
だがもう――
どれも遠い。
俺は理解した。
このスキルは。
“情報”じゃない。
“回収”だ。
死者の声を聞くんじゃない。
“取り込まれている”。
そして。
いつか。
俺も――
“誰かの声になる”。
水晶の中の俺が、ゆっくりと手を伸ばした。
ガラス越しに。
俺に触れようとする。
その指先が――
わずかに、こちら側に“出てきた”。
あり得ない。
だが、確実に。
境界が、壊れ始めている。
「なあ」
水晶の俺が囁く。
「配信、続けるだろ?」
口元が歪む。
「だってお前――」
「“これが一番バズる”って、わかってるからな」
背筋が、凍りついた。
俺は――
笑ってしまった。
次の瞬間。
画面がノイズに包まれた。




