コメント欄の正体
コメント欄が、死んだ。
さっきまで洪水みたいに流れていた文字が、一瞬で消えた。スクロールも止まる。誰も何も打たない。いや――打てない、のか。
俺の問いは、ただの独り言のはずだった。
「……お前、誰だ?」
それなのに。
画面の向こう側が、“息を止めた”。
ぞわり、と背中を撫でる寒気。
ダンジョンの空気じゃない。もっと別の、現実に近い冷たさだ。
視界の端で、さっき刺したナイフの場所が歪んでいる。床だったはずの石が、水面みたいに揺れ、ひっくり返った世界の裏側がちらつく。
そして、目の前の化け物。
腕が伸びたまま止まっている。時間が止まったみたいに、微動だにしない。
――いや、違う。
“止められている”。
俺の脳がそう理解した瞬間、耳の奥でノイズが爆ぜた。
ジジジ、とテレビの砂嵐みたいな音。
その中に、混じる。
複数の声。
『……見えてる?』
『こいつ、気づいた?』
『いやまだだろ』
『いや今の問いはヤバい』
俺は息を止めた。
これは、死者の声じゃない。
温度が違う。終わりに近い声じゃない。もっと――生々しい。
“今”の声だ。
「……配信、繋がってるよな?」
自分でも分かるくらい、声が低くなる。
画面を確認する。
コメント欄は相変わらず停止している。だが、視聴者数だけが、異様に増えていた。
桁が一つ、二つ、三つ。
跳ね上がる。
コメントがないのに、見ている数だけが増えていく。
コメント:
「……」
ようやく一つだけ流れた。
たった一文字。
それだけで、背筋が凍る。
誰かが、“何かを押し込んで”きた感じがした。
◆
俺はゆっくりと息を吐く。
状況を整理する。
ダンジョンは歪んでいる。
化け物は止まっている。
コメント欄は沈黙している。
そして――“別の声”が聞こえる。
「……残留思念」
小さく呟く。
もう一度、使う。
本来なら連続使用は危険だ。頭が焼ける。人格が混ざる。分かっている。
だが、今はそんなこと言ってられない。
意識を沈める。
深く、深く。
掴む。
だが――
いつもと違う。
死者の断片じゃない。
もっと広い。
もっと“近い”。
『やめろ』
突然、強い声が響く。
今までで一番はっきりした声。
『それ以上は覗くな』
俺は眉をひそめる。
「……お前も死者か?」
『違う』
即答。
そして、少し間を置いて。
『……まだな』
その言葉で、理解した。
これは“未来に死ぬやつ”の声だ。
ありえない。
俺のスキルは“死者”限定のはずだ。
なのに。
「……範囲、広がってるのか?」
頭の奥で、何かが軋む。
ミシ、と。
俺の中の“境界”が、壊れていく感覚。
◆
配信画面に戻る。
コメント欄が、再び動き出した。
だが、様子がおかしい。
コメント:
「今見えてる?」
「おいこいつ気づいたぞ」
「切るか?」
「いやまだ泳がせろ」
――明らかに、いつもの視聴者じゃない。
文体が違う。
空気が違う。
“内側の会話”みたいだ。
それがそのまま、流れている。
コメント:
「バグってて草」
「なにこれ」
「怖すぎ」
「運営なにしてんの?」
通常の視聴者も混ざる。
だが割合が違う。
妙なコメントの方が増えている。
俺は笑った。
「……なるほど」
カメラに向かって言う。
「これ、配信見てるの“人間だけじゃない”な」
一瞬で、コメント欄が爆発した。
コメント:
「は???」
「やめろやめろやめろ」
「ホラーやめろ」
「いやマジで何言ってんの」
その中に混ざる。
コメント:
「正解」
「そこまで来たか」
「でも遅い」
俺は続ける。
「俺のスキル、死者の情報拾ってると思ってたけど……」
言葉を切る。
ゆっくりと、噛み締めるように。
「“流されてる情報”を拾ってるだけかもしれない」
コメント欄が、一瞬また止まる。
そして――
荒れる。
コメント:
「陰謀論きたw」
「いやでもさっきの明らかに変だった」
「誰が流してるっていうんだよ」
「運営か?」
俺は首を振る。
「もっと単純だ」
化け物を見ながら言う。
「ダンジョンそのものだ」
◆
その瞬間。
止まっていた化け物が、動いた。
ガクン、と。
不自然な挙動。
首だけが先に動く。
ぐるりと回る。
完全に俺を捉える。
『喋りすぎだ』
声が、直接頭に響く。
同時に、床が割れる。
さっき刺したナイフの場所から、黒い何かが溢れ出す。
液体のようで、影のようで、形が定まらない。
それが広がる。
部屋全体を飲み込むように。
コメント欄が狂う。
コメント:
「なにこれなにこれ」
「画面バグってる」
「映像乱れてるぞ」
「逃げろ!!」
だがその中に、また混ざる。
コメント:
「遮断しろ」
「観測される」
「遅い、もう繋がってる」
俺は歯を食いしばる。
「……やっぱりな」
理解した。
配信はただの配信じゃない。
“観測装置”だ。
見られることで、繋がる。
繋がることで、干渉される。
俺は、ずっと――
自分で扉を開け続けていた。
◆
黒い何かが、足元まで迫る。
逃げ場はない。
だが、俺は動かない。
代わりに、目を閉じる。
「……最後に、もう一回だけ」
残留思念を使う。
限界を超える。
頭が焼ける。
視界が白く飛ぶ。
その中で、掴む。
無数の声。
死者。
生者。
未来。
過去。
全部が混ざる。
その中で、一つだけ。
異様に静かな声。
『切れ』
短い。
だが、強い。
『配信を、切れ』
俺は目を開く。
カメラを見る。
コメント欄は、完全に狂っている。
文字が崩れている。
意味をなさない記号が流れる。
その中に、はっきりとした一文。
コメント:
「切るな」
俺は笑った。
「……どっちが正しい?」
誰にともなく呟く。
次の瞬間。
俺の指が、配信停止ボタンに触れる。
押すか、押さないか。
その一瞬で。
頭の中の声が、同時に叫んだ。
『押せ』
『やめろ』
『繋がれ』
『切れ』
『見せろ』
ぐちゃぐちゃに混ざる。
人格が、崩れる。
俺は、選ぶ。
そして――
ボタンを、押した。
その瞬間。
世界が、真っ暗になった。
最後に聞こえたのは。
“誰かの笑い声”だった。




